『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。

5/23 ”悲しいほど綺麗な月だった”

今日、一人の若者が北海道を去って行きました。
そう、一ヶ月ちょっと、旅する木で働いてくれた坂爪君。
残念ながら退社する事になりました。

彼が家具職人に向いていないかどうかは、まだ解りません。
ただ、相当の時間がかかると判断しました。
そして、『旅する木』には、そこまで時間をかけて育てる程、余裕のある会社ではない。
たった一人のお客様の信用を失った時点で、今まで積み上げて来た信用と信頼を
一瞬で亡くしてしまう。
今なら、「また遊びにおいで。」と笑って別れられる。
そう判断しました。

今どき、本当に稀に見る素直で心の優しい青年でした。
僕、個人としては、とても好感の持てる、好きなタイプの人間です。
ただ、『旅する木』のことを考えた時、自分はこんなにも非情になれるのかと、
自分が恐くなりました。

仕事の後、ショールームで彼に僕の思いを伝えたところ、今伝えられた現実を受け止めるべく、
「もうちょっとここにいていいですか?」と言ったので、「いいよ。」と言って、
僕は工房を出ました。
すぐに家に帰る気になれなかったので、毎朝お参りに行く東裏神社の階段に横になって、
暗くなった空を見ていました。
そこからは校庭の向こうに東裏小学校が見えます。
カーテンが締まってはいますが、明りがついているショールームも見えます。
僕の作った家具を見て今、何を考えているのだろう?

やがて明りが消えました。暗い廊下を歩いて、玄関の前に来て、毎日の旅する木の決まり事、
教室の方を向いて「ありがとうございました!」と礼をしているんだろう。

何日も眠れない夜を過ごして出した結論ですが、それでもこの答えが間違っていなかったか、
旅する木が大好きで、僕の役に立ちたいと来てくれた若者の人生を、こんなにも短期間で、
挫折させる結論を、そして、彼の人生を大きく左右する結論を僕が下してしまって良かった
のだろうか?
そんな後悔にも似た思いが込み上げてきました。

真っ暗になった小学校のシルエットをしばらく見ていた後も、すぐに家に帰らず、
防風林の向こうをわざとゆっくり散歩したのは、赤くなった目を家族に気付かれたくなかったから。

ぼんやり歩いている時、その夜の月がやけに綺麗で。
悲しいくらい綺麗な月だった。

彼が工房に来なくなってからも、たまに夕飯を食べにいったり、近くの温泉に行ったりしました。
ここ、旅する木で過ごした約2ヶ月。彼には何度も怒鳴りつけて、そして何度も何度も、
繰り返して伝えた事があります。
多分、すぐには解らないと思いますが、何年後か、何十年後かに、「そういうことだったのか。」
と気付いてくれる日が来てくれたら、その時、ここにいた日々が意味を持つのではないかと
期待しています。

頑張って。そして、ありがとう。

大して役に立たなかったと思っていたけれど、居なくなるとやっぱりポッカリと穴が空いたようで
淋しいものです。
多分、君が182センチの長身だったからかな…?



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5/17 ”気持ちいい〜”

毎朝、愛犬ノンノと散歩しながらお参りしている東裏小学校のすぐ横の東裏神社。
やっと桜が満開になりつつあります。
そうなんです。本州の方は、すっかり遠い昔の事と感じられていると思いますが、
北海道は今、桜の季節なんですよ。

先日、仕事をしていたら、ガラッと体育館のドアが開いて、二人の若者が入ってきました。
ポケットに手を突っ込んだまま、「カフェがあるって聞いたんだけど…」

こう見えて、僕は意外と職人気質というか、黙ってない方なので、この若者の態度に
「カチン!」

話しは反れますが、僕のこの性格による行為で、妻は付き合っている頃から何度
危ない目にあったことか。
ある時の名セリフ。
「死ぬなら一人で死んで!!」

カフェをオープンしてから、旅する木だけの時には絶対来なかったタイプのお客さんが
来る時があります。
僕は昔野球をやってた頃、ストライクは必ずバットを振って、監督に「カウントを考えろ!」
「状況を考えろ!」、「狙い玉を絞れ!」など、口が酸っぱくなる程言われたものです。
自分のストライクゾーンにズドーンと来られると、自分の意思とは無関係に反応してしまう。
もう”反射”なんです。
そうして妻に、
「さっきの態度、あれはないんじゃない?」
「え〜?精一杯我慢してたんだけど…」
「もう、態度に出まくりだから。カフェのお客さんには絶対止めて。せっかく来てくれたんだから
とにかく気持ちよく帰ってもらいたい!」
と今まで何度か言われていました。

今回もそのことを思い出して、精一杯我慢して、
「すみません、カフェは週末だけなんです。」
体育館を見回して、「ここは何なの?」
「この体育館で家具を作ってるんです。」
「家具?」
「家具工房なんです。良かったらショールームもあるのでご覧になりますか?」

と言って先ず、カフェを案内。
「今日は休みなんですけど、週末はここでカフェをしているんです。」
とドアを開けた瞬間。。
二人とも大声で
「お〜!!すっげ〜!これ全部作ったんですか?」
「そうなんです。全部。」
「すっげ〜。このキッチンもですか?」
「そうです。」
「マジ、すげ〜?」

僕も彼らの第一印象をすっかり忘れて、いろいろ説明。

続いてショールームを案内すると、
「お〜!カッケ〜(カッコイイ)、すげ〜、カッケ〜(カッコイイ)!!」
一つひとつ家具に座ったり、触ったりする度に
「オ〜!」「ワ〜!」「超〜すっげ〜!」「カッケ〜!」を連発。

「どうぞ、ゆっくりしていって下さい。」と体育館に戻って仕事をしていました。
それからしばら〜く時間が経っていましたね。こっちに来ずに帰ったんだなぁ。
と思っていたら、ノックして体育館に入って来て、
「すごい楽しかったです。ありがとうございました。」
と、二人揃って、深々と頭を下げていました。もちろん、両手はポケットから出して
指先までピシッと伸びていました。

それはまるで別人のよう。
「今度は是非カフェに来て下さい。男二人じゃなく、彼女を連れてゆっくりしていって下さい。」
なんて余計な一言も。

彼らが帰った後、「とにかく気持ちよく帰ってもらいたい。」という妻の言葉を思い出しました。
でも、一番気持ちよくしてもらったのは、紛れもない、僕でした。


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5/10 ”デザインについて語ったら大変なことになった!”

  

カフェがオープンして、毎週末、たくさんのお客様が工房へ来てくれます。
妻は来てくれたお客さんに満足してもらえるよう、全力投球で頑張っています。
なので、夕方になって最後のお客さんを見送ると、もうヘトヘトです。
僕も週末はカフェのお手伝いをしているのですが、たまに抜け出して
ショールームへ行って、家具を見ているお客さんに説明したり、雑談したり…。
多くのお客さんから、「落ち着くデザインですね。」とか、「さり気ないポイントが
可愛いですね〜。」なんて声を頂き、嬉しくなります。

その中で、一番人気というか、お客さんが喜んだり、驚いたりしてくれるのが、
音の出る家具。引き出しの開閉で音が鳴るんですね〜。
泥棒が入った時、「この引き出し、怪しいなぁ。」と開けたところ、「プ〜♪」
なんて音がなったらビックリしますよね。色んな引き出しを開閉する度に、「プ〜♪」だの
「ピ〜♪」など鳴ったら、
もう、他の引き出しを開けられなくなります。
泥棒に入られない最大の方法は、頑丈な鍵を付けたり、防犯カメラをしかけたり、そんな
ことよりも、近所付き合いを親密にする。そんな考え方の家具なんです。
それでいて、毎日使う時には、楽しい家具。お客さんが来た時には、感嘆の家具♪。
毎日の生活を豊かにしてくれる家具。
そういうものを”デザイン”と呼びたい。

以前、つむ通でも触れたかと思いますが、僕が家具の世界に足を踏み込もう!と決心する
衝撃を与えてくれたのが、シェーカーの家具と、その暮らしなんです。
文明を排除し、質素で静穏なシェーカー教団の暮らし、その暮らしをベースにした
シェーカー家具。
「審美性は有用性に宿る」という教えのままに、一切の装飾を排除したその家具の美しさには、
そこに暮らすアーミッシュの人々の生活と精神が写し出されているのです。

”デザイン”というと、見た目の姿・形にとらわれがちですが、それは化粧された表面的な
もので、そこを目的に生まれたものには、深さがない。それは”デザイン”ではなく、
”ファッション”なんです。

その背景にその形になった理由、思いや思想、さらには生活から生み出されたものであるならば、
そのモノから、増々深淵の輝き、人の心を捕らえて離さない魅力を感じるんだと思います。
そういうものを”デザイン”と呼びたい。

シェーカーの椅子に話しを戻しますね。
後ろ脚の上端のロウソクの炎のような形の部分。
アーミッシュの人々は掃除の時、椅子を壁に掛けるんです。その時の持ち手にしっくりくるような
形なんです。
この「フィニアル」と呼ばれる部分の形状は、職人や集落によって微妙に異なります。
装飾を排除しよう、自己を封じ込めようと願いつつ、どうしても消せない人間の掲示欲のような
ものをそこから感じ、余計にホッとするというか、安心感を感じます。
これもやはり、”デザイン”と呼びたい。

『旅する木』が生み出す家具の中に、僕の思想や、理念、ここでの家族の暮らし、家具が生み出される
木造の小学校の体育館、冬の厳しさ、薪ストーブの暖かさ、春、やって来る白鳥の群れ、初夏、校庭
一面に咲くタンポポやデイジーの花々、秋の収穫物の瑞々しさ、そんなものを感じてほしい。
だから僕はいつも思っています。『旅する木』は家具を買ってもらっているんじゃなくて、
『旅する木』の物語りを買ってもらっているんだ、って。

「楠木正成は一行の詩も作らなかったが、かれの人生はそのまま比類のない大詩編では ないか」
(吉田松陰)『龍馬が行く』より

僕は歴史の表舞台を駆け回る英雄より、楠木正成や、真田幸村の生き方にとても魅かれます。
圧倒的な力を持つ相手に、自分のやり方を貫きつつ、真っ向からぶつかっていく彼らの人生を
かけた物語りに。

全く行き当たりばったりに”デザイン”について考えた時、とうとうこんなところに行き着いて
しまいました。いよいよ収集つかなくなってきた。
やばい、もうこんな時間!何とか収集つけなければ、寝られない…。。

つまりは、その人の生き方から溢れ出るものが形になった時、それこそが”デザイン”であると
僕は思うのです。一流のデザイン、一流のものを作るには、一流の思想を持って、大きな目標に
堂々と向かう姿、そういう生き方をしなければならないんだと。
それでいて、シェーカーの家具にも、楠木正成にも、真田幸村にも、何かホッとするような人間
臭さがあり、そこに多くの人が魅了され、虜になるんでしょう。

そんな生き方をしたいんだ!
そんなデザインをしたいんだ!
そんな家具を作りたいんだ!
僕は。

あ〜、何とか収集ついて良かった。ホッとした〜。
一時はどうなるかと思った。それじゃあもう寝ようっと。
おっと、ちょうど深夜一時だ…。。


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5/3 ”森に帰ろう

5月に入って、校庭の雪もやっと融けて、北海道はとても気持ちの良い季節が
やってきました。回りの農家の方々も、忙しそうにしています。

先日、札幌のお客様のところへ納品に行った後、中島公園の敷地内にある、
護国神社の庭でお弁当を食べました。とても天気が良くて気持ちよかった。

その護国神社の中にひときわ目を引く老木がありました。樹齢900年のイチイの木。
『旅する木』のある、当別町から贈呈されたものだそうです。
”イチイ”の木は漢字で”一位”と書くので、縁起の良い木なんですよ。
ちなみに、『旅する木』の体育館の裏に、それは見事なイチイの木があります。
東裏小学校の御神木です。

芯の部分はもう虫に食われていたりして、スカスカだったのですが、それを取り囲むように
幹が巻き付いていて、水分を運び、常緑を維持していました。
一口で900年と言っても今ひとつピンと来ませんが、900年前は何時代かというと、

…?

出て来ませんね。
調べたところ、平安時代です。
貴族が蹴鞠(けまり)なんかをやってた時代に発芽したんですね。

… ??、ん〜。これでもピンと来ない。

先祖でいうと…、
だいたい平均25歳で子供を産んだとして、お父さん、おじいちゃん、ひいじいちゃん、…
と数えて、36代前の先祖が産まれた頃。

??、上手い例え話が出てこないからやめとこう。とにかく、すごい昔ってことだけは解った。


福島の原発での放射能漏れに関連して、先日、”チェルノブイリから4kmの街の今”を見ました。
チェルノブイリで働いていた人たちが住んでいたビル群。もちろん、今は誰も住んでいません。
まだ高い放射能が検出されています。
窓ガラスは全て割れ、コンクリートもひび割れ、床や、壁、天井は崩れ落ち、白樺の木が
コンクリートを突き破って覆うように茂り、道路も生い茂った草や木で見えなくなっていました。

そこは、森に帰ろうとしていました。”森に帰ろう”というより、人間が残した負の遺産を
自然が包み込んで、”浄化しよう”としているように見えました。

たかだか25年です。人間の作り出した素材なんてものは、所詮この程度なんだな。と思いました。
そこに生命がないからなんでしょうね。
1000年保つものは、自然のもの、命のあるものしかないんでしょう。

”木”は凄いんですね。与えられた命を、置かれた環境に文句一つ言わずに全うする。
しかも1000年という年月をかけて。そしてさらに、志半ばで切られても、建築や家具の材料として
新しい命を黙って全うする。
特に、ちゃんと適材適所に適切な加工を施された木は、新たに1000年の命を生きることは、
古代建築が証明しています。

約1000年生きているこのイチイの木は、僕たちをどう見ているんだろう。
そっと頬を近つけてみると、
「お前さん達、何をそんなに急いでいるの?晴れた日は天に手を伸ばして、雨の日は雨に打たれて、
ただそんな風にのんびり生きてみないかい?」
そんな風に言っている気がしました。

晴れ渡った気持ちの良い春の日、お弁当を食べた後、護国神社にお参りをしました。

「今日納めさせて頂いた家具、お客さんはとても喜んでくれました。家具に生まれ変わった木も
喜んでくれていたら、嬉しいです。そんな家具を作らせて下さい。」


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4/20 ”春、新しい門出”

  

今年もまた、いつも通りの春がやってきました
今、日本の歴史上、最も深刻なことになっていますが、それでも季節は淡々と、何事も
無かったかのように、同じ営みを繰り返し、懐かしさと、新鮮さを感じさせてくれます。

東北地方を襲った大地震、大津波と、今、ここにある、雪解けを待ちわびて顔を出したふきのとう、
同じ自然の、ある時々の顔だと思うと、そのあまりに違う姿にただただ唖然としてしまいます。

その後の人災を目の当たりにすると、僕たちは、自然を恐れ、敬服し、平伏しながら
生きて行くくらいがちょうど良いのだと思います。

一年前から少しずつ準備を進めていた、”化学物質を使わない家具作り”、
『心と体と木と暮らし』というブランドをようやく立ち上げることが出来ました。
『心と体と木と暮らし』のHPに、このブランドを立ち上げるに至った経緯を綴っていますので
ご覧になって下さい。

『心と体と木と暮らし』の家具作り、今このような家具作りに取り組んでいる家具屋さんは、
調べた限り、日本には他にありませんでした。
木工用ボンドや合板を使わず、ニカワや、続飯(そくい)を使い、接合部は仕口(しくち)で
組み上げ、天然のオイルで仕上げるという家具の作り方は、高い技術力とスピードが要求されます。

この様な家具作りは、でも、4、50年前までは当たり前だったんです。
なので、このブランドを立ち上げようと決めて先ず取り組んだのが、昔の職人さんに
技術を教えてもらうことでした。
必要として意識していると、不思議と出会うもので、数人のおじいちゃん職人さんと偶然出会い、
教えてもらおうとするのですが、口を揃えて、
「ニカワなんて懐かしいねぇ〜。サ、サ、サ〜と塗って、キュ、キュ、キュッとやってと、
一瞬でピタッと付けるんだ。」

僕「…」
だから、その、”サ、サ、サ〜”と、”キュ、キュ、キュッ”と、”ピタッ”の部分を聞きたい
んだけど…。。

僕は今まで見たことも、使ったことも無いので、いったい木工用ボンドと比べて、どれくらいの
接着力なのかとか、全く解りません。調べていくうちに、樹種による接着強度に差があることも
解りました。
家具の強度試験をしてくれる施設に、様々なサンプルを作って強度試験をしてもらったり、家で
実際に使って確かめるべく、試作を繰り返し、徐々に色んなことが解って来て、ようやく、
「この方法で家具がつくれるな〜。」ということで、めでたく発表できるところまで辿り着きました。

自分としては「よ〜し、これでこの様な家具を必要としている人たちに、自信を持って提供できる!」
と思っていたところ、
このタイミングでその出鼻をくじく素晴らしい出会いが。

つい先日、以前にご紹介した、化学物質過敏症のドキュメント映画、『奇跡のりんご』の札幌での
上映を主催した代表の畠山さんからご連絡を頂き、工房へ遊びに来てくれました。
畠山さん自身も化学物質過敏症を患っており、日常生活において、大変な思いをされています。

その畠山さんから、同じような病気を患っている患者さんと接することの難しさ、人それぞれの
症状、反応物の違いなど、僕ら健常者にはなかなか気付けないようなことを、いろいろと教えて
頂きました。
改めて、僕がやろうとしていることの難しさ、そして、”諸刃の剣”の要素を持っていることを
知り、今更ながら、ちょっと迷いというか、不安な思いが出てきました。

「そう言うことを全部理解した上で、是非この世界に足を踏み入れて欲しい。それほど今の世の中、
私たちには選択肢が無いんです。」という畠山さんの言葉に、迷いや、不安な気持ちと比例して、
”誰かがやらなきゃいけないんだとすれば、それならば僕が…”という思いも沸いてきます。

旅する木の新しいブランド、化学物質を使わない家具作り、『心と体と木と暮らし』が、今後、
どういった方向に進んでいくのか、一体どうなるのか、どんな出会いがあるのか、今の僕には全く
解りません。それでもここに至るまでの導かれるような力と、用意されていたような出会いを
思うと、多少なりとも何か意味と、役割があるような気がしていて、前へ進もうと思います。

『旅する木』同様、『心と体と気と暮らし』ブランドも、どうぞ、よろしくお願いいたします。


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4/8 ”ハードルあげちゃった!”

先日、お客様との打ち合わせで東京へ行ってきました。
今、日本中が節電と自粛ムードなのですが、都会程顕著にそのギャップが
目立ち、静かで暗い東京でしたね。
普段はすごく混雑しているというイタリアンのお店に連れて行ってもらったのですが、
ガラーンとしていて、お客さんは僕たちくらいでした。
何だか、こういう現実を目の当たりにすると、日本経済が沈んで行くような感じがして、
淋しくなります。
節電は大事ですが、その中でも工夫をして、元気や活気を感じたいですね。

ところで、東京のお客様とは、半年以上ほど前から電話やメールでやり取りをしており、
工房へも遊びに来てくれました。
新築計画で、本当にいろんな紆余曲折があった中、最初から、会ったことの無い僕のことを
信頼して下さり、実際にお会いしてからは、さらに信頼を深め、ご主人が、建築の中で
一番大切に思っている玄関ドアと、その周辺の家具を任されました。

玄関ドアは、家の顔で、自分の立場、これからの発展の象徴として、
”玄関ドア=自分自身”という考えのご夫婦の、まさにその玄関ドアの製作を依頼される
ということは、とても嬉しいと共に、プレッシャーを感じます。

何てったって僕は家具屋で、建具屋さんではないので、建具の知識はあまりないのです。
それでも、”乗り越えられない試練は与えられない”という信念のもと、与えられるものは
全て引き受け、引き受けてから猛勉強が始まります。
知り合いの建具屋さんに、詳細や、寸法的なこと、製作する上での注意事項などを聞き、
特殊な鍵を使うので、販売店に行って、またまた質問しまくり。
こんなこと鍵屋さんに聞いたって?ということでも聞いてみると、「それならこの人に
聞いてみれば?」ということになって、どんどん広がっていくから不思議で、面白いのです。

僕はお客様に、旅する木の家具の特徴や思いを伝え、「きっと喜んで頂けるものを作ります。
楽しみに、期待してお待ち下さい。」と言います。
これは、お笑い芸人が、「僕って本当に面白いですよ。絶対面白いから期待して下さい。」と、
自らハードルを目一杯上げてから漫才を始めるようなもので、そうすると、期待通りの仕事
ではダメで、期待以上の仕事をしないいけません。

旅する木は、すべてオーダーで、一点一点新規に家具をデザイン・製作しているので、
常に新しく、やったことの無いことばかりで、実は毎日、プレッシャーの中で仕事をしています。
その分、満足したものが完成し、お客様が喜んでくれている時が至福の瞬間です。

とてもありがたいことに、今たくさんの家具のご注文を頂いております。
一つひとつ、心を込めて手作りで製作しているので、大変長い時間をお待ちして頂いております。
申し訳ございません。
でも、「きっと喜んで頂けるものを作ります。楽しみに、期待してお待ち下さい。」

東京のiさん、この度は何から何までご面倒頂き、ありがとうございました。
打ち合わせというより、楽しい旅行気分でした。もうすぐ、玄関ドアの製作が始まります。

「きっと喜んで頂けるものを作ります。楽しみに、期待してお待ち下さい。」

またハードルあげちゃった!


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3/31 ”新しい仲間たち”

 

北海道も、やっと随分春らしくなってきました。
今日は”プラス10℃”を越えました。北海道では、「10℃」というと、当たり前のように
マイナスなので、あえて、”プラス”と書かないと、「まだそんなに寒いの?」って
勘違いされてしまいます。

明日から4月ですね。新年度の始まりです。
新年度から旅する木に、初めて新しく二人の仲間が加わります。
一人は以前、つむ通でも書いた、運のよい(?)新潟県出身の若者、22歳の坂爪君。(左写真)
バスケットをやっていただけあって、長身のほのぼの系。でも内に秘めたる熱い心が
あるのでは…。期待。

そして、もう一人。半年程、毎週末旭川から旅する木に手伝いに来てくれていた、Y君こと、
山口君。(右写真)
大阪出身。家具の道に入る前、稚内から沖縄まで歩いたという超根性のある男。32歳。

山口君が一番最初に旅する木に就職希望で来た時、「来春から一人、一緒にやっていく仲間を募集
しているんだけど、僕の中で決めている条件から、君を雇う事はないと思う。それでも手伝いに来
てくれて、僕や、旅する木から盗むものがあるんだったら、自由に盗んでいってくれ。」と言った
ところ、毎週休まずに来てくれて、いろんなものを盗んでいきました。
これ以上盗まれたんじゃかなわん!(笑)ということで、スタッフになってもらう事にしました。

というのは冗談で、「手伝いに来てくれるのはありがたいけど、ちゃんと就職活動をしなきゃ
ダメだよ。」と言って、本州の方も含めて、就職活動をしたのですが、このご時世、なかなか
希望の就職先なんて見つからないもので…。
それでも毎週一生懸命手伝ってくれるので、「僕が山口君だったら、他にばかり就職活動するんじゃ
なくて、旅する木に必要な人材になる。ということも就職活動の一つで、そういう動きをすると思うよ。」と言って、僕が思う、旅する木に必要な人材の項目を伝えました。
そして、一年という限られた時間の中で、その項目を満たす人材になる、という条件付きで、
旅する木のスタッフとして迎い入れました。
彼にとっては、かなり厳しい条件ですが、今、とてもやる気を持って取り組んでいます。

先日、妻も含めた4人で食事をして、その時、僕の思いを伝えました。
幸い二人とも、旅する木が好きで、旅する木で働く事を喜んでくれているので、僕の思いは
十分伝わったのではないかと思います。

そして僕が願うのは、二人がここ、旅する木で僕と一緒に働く事が、二人の人生にとって、
意味のあるもので、数年後、それぞれ別の道を歩んでいるのか、それとも一緒にやっているのか、
わからないけれど、それでも自分の人生を振り返った時、
「ああ、旅する木で働けてよかったなぁ。」と感じてもらえたら、嬉しいです。

ということで、これから旅する木は、僕と、妻の篤子、坂爪君、山口君、僕の子供達、そして
ノンノ(北海道犬)という豪華メンバーでの再出発となります。
現時点では、小さな工房に、とてもこんな大所帯を養うだけの実力はなく、大変なのですが、
何かの縁があって、流れに身を任せていたら、こうなったという事は、きっとこうなる意味が
あるんだろう。
それぞれ各々が、役割を感じ、一生懸命取り組めば、後からこうなった意味が解る時が来ると
思います。

昨年に引き続き、今年も旅する木には、土、日、祝日など関係なく、仕事をしています。
365日のうち、休みは10日あるか無いか、という厳しい条件の工房で、「それでもいいから
働きたい。」と来てくれる二人に感謝すると共に、その熱い思いが冷めぬ様、夢と希望を
与え続けるのが僕の仕事だと思っています。

旅する木の理念、家具作りに対する思い、取り組む姿勢、求めるレベルなど、変えてはならない
ものは絶対に変えず、お互いに厳しい目を持ち、かつ、喜びと楽しみを感じながら、毎日を
家具作りに没頭出来る様、改善すべきところは改善しながら、新しい風を取り入れていこうと
思います。

新鮮な風が吹き始めた旅する木を、どうぞ、よろしくお願いいたします。


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3/26 ”心と体と木と暮らし”

先日、『いのちの林檎』という映画を見てきました。
重度の化学物質過敏症の女性のドキュメント映画です。
とてもショッキングで、衝撃的な映画でした。

現在、世の中には、化学物質を使っていない物は、食べ物から日常品に至るまで、
全くと言っていい程ありません。
その女性はその全てに反応し、息がつまり呼吸困難になってしまいます。
100メートル先でタバコを吸っている人がいると、もう激しい呼吸困難になります。
排気ガスや、化学繊維の服、金属の鍋で作った料理にも反応してしまいます。

彼女が安心して生活出来る場所を探し求め、母親と旅をします。
トイレ休憩で、サービスエリアや、コンビニに入るのも命がけなんです。
田舎に行けば大丈夫だと思いきや、農薬の散布で、死ぬ思いをします。
とうとう、周囲に誰も住んでいない山奥に、ビニールで囲っただけのビニールハウスを
建てて、そこで生活を始めるのです。

水道の水でさえ飲めない彼女を救ったのが、『奇跡のリンゴ』でお馴染みの、木村秋則の
作ったりんごでした。
無農薬、無肥料で作られた木村さんの林檎を食べて、命を繋ぐのです。

今の今まで母親と笑顔で話しをしていたのに、ほんの些細なきっかけで、呼吸困難になり、
のた打ちまわる彼女の姿に、ただただ唖然としてしまいました。

自分とは関係のない世界と思いきや、10人に1人が化学物質過敏症予備軍で、しかも、
各人の許容範囲を超えた瞬間、ある日突然、発症するのだそうです。

僕がこの映画に出会ったきっかけ。それはまさに奇跡的でした。
つむ通で、折りに触れて「僕がしたい事、すべき事がある。」という事を言ってきました。
まだ話せる段階でなかったので、具体的にはお話し出来なかったのですが、仕事の合間に
試作や、強度試験を繰り返し、ようやく目処が立って来たので、いろんな人に話しや、相談を
しています。

昨年の秋、『旅する木』の他に、もう一つブランドを立ち上げました。
ブランド名は『心と体と木と暮らし』
こちらのブランドでは、一切の化学物質を使わない家具作りをしよう。というものです。
強度試験や試作、合板の代わりになるものの開発、適材樹種の選別など、すご〜く大変でしたが、
ワクワクしながら繰り返し、やっと製作できる段階まで来たので、もうすぐHPを立ち上げます。

『旅する木』として、今年7月に帯広で”うさと”という自然素材を使った民族衣装を作っている
安達美佐子さんと一緒に、個展をします。
その打ち合わせをしている時、「実は今…」と、『心と体と木と暮らし』の事を話し、
個展の時に発表しようと思っている事を伝えると、安達さんが、
「ついさっき、自然食のお店で化学物質過敏症の映画のチラシ見たよ。」と教えてくれて、
確認したところ、2週間後に1日だけ札幌で映画を上映すること。そして、映画の内容が
化学物質過敏症患者のドキュメント映画で、『奇跡のリンゴ』の木村さんも登場する事を
知りました。

つむ通を読んでいてくれる方は気が付いたかも知れませんが、今年の元旦、たくさんある
本の中から、なぜか無性に気になって、手に取った本が、木村さんの本でした。
その時、この本の中に漠然と悩んでいる事の答えが隠れているような気がして、夢中になって
読みふけりました。その時のつむ通はこちら
その時は答えが見つけられず、もやもやが残ったのですが、今になって、その時手に入れた
パズルがピタッとはまったのです。

この事業は、今や僕にとっては使命にも似た感覚を持って進めようと思っています。
まだまだ乗り越えなきゃいけない高いハードルが待ち構えていますが、その中に喜びを感じ、
楽しみながら進めていこうと思っています。

映画の話しに戻ります。
反応していない時の彼女は、とても明るく、笑顔で生きています。
彼女の口から不平や不満、不幸といった言葉は一切出てきません。
誰が見ても不幸極まりないと思える、山奥の、ビニールを木に引っ掛けただけの
ビニールハウスでの寒い寒い生活の中、親子は暖かい飲みものを飲みながら、
明るい笑顔で「幸せだね〜。」と話します。

幸せ”ってなんだろう?深く考えさせられた映画でした。

「一番辛い事は、苦しい事ではなく、理解してもらえない事。」

化学物質過敏症、電磁波過敏症という病気のことを、知ってもらうきっかけになれたなら,
それだけで意味がある事だと思います。

映画『いのちの林檎』を札幌で主催した団体のHPはこちら



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3/19 ”卒業、おめでとう”

テレビではもう何日も今回の災害のことを放送していますね。
もちろん、忘れたり、考えていない訳ではないけれど、あえて触れるのは止めておきます。
とにかく、「日本、頑張れ!僕たちは試されている。この事態をどう乗り越えるかが、
地球の今後を大きく決定するんだろう。」と思います。

昨日、娘の小学校卒業式でした。仕事も忙しいし、まあ、言ってみれば、卒業証書を
受け取るだけの儀式なので、行ってもしょうがないかな?なんて思って、前日まで娘に
「見に行かなくていいよね。」
娘も、「来なくていいよ。」と言っていたのですが、いざ、明日となると、娘も
ちょっと淋しそう。
結局見に行く事に。

娘の学年の先生方はとても熱心な人たちで、とても工夫された卒業式でした。
卒業証書を受け取る為に、壇上に上る時、大きなスクリーンにその子の笑顔の写真が映し出され、
子供が夢を語るのです。一人一人。

今回の卒業式に『Dresms come true.』というテーマが掲げられていて、このテーマを全面に
出し、卒業生の心に刻み、卒業させよう。というもので、見ている我々も勇気をもらえるものでした。

今の子供達の将来の夢、なりたい職業は何だと思いますか?

娘の小学校の卒業生では、医者になりたい。という子供が一番多かったかな?時期的なことも
影響したのかも知れませんね。次に印象に残ったのは、パテェシエ。なるほど。
その次が家具職人。
んな訳ないじゃないですか。残念ながら一人もいませんでした…。

それぞれ語った夢を、いったい何人の子供が今後もずっと持ち続け、本当に叶える事が
出来るのだろう。

子供の心の中を、親は、どうやっても同じ大きさで感じることはできないんでしょう。
だとすれば、親は何をしてあげられるのだろう。

せめて見守ってあげて、振り返った時、「大丈夫だよ。」と声をかけてあげるのか、
それとも、自身の夢と格闘する後ろ姿で語るのか、
そのどちらかしかないんでしょう。

『Dresms come true.』

僕もそう信じます。
でも、上手くいかない事だって、挫折する事だって、努力がすぐに実を結ばない事だってある。
ただ、その夢に正面からぶつかって倒れることによって得られるものが必ずある。
そうやって手に入れたものが、次の扉を開けるカギなんだよ。

娘の卒業式ですら、見に行く事を前日まで迷っていたり、少年団のバスケットの試合も、
ほとんど見に行かないような父ですが、この背中が語るメッセージよ、君に届け。

卒業、おめでとう!


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3/13 ”今出来る事は何だろう?”

3月11日、午後、仕事中、工房の体育館が大きく揺れました。
体験した事が無いくらい長い時間でした。
すぐにラジオを付けたところ、東北地方で大きな地震があった事を知ったのですが、
これほどの被害だとは、想像もしていませんでした。

被害状況は時間経過と共に拡大していきますね。
テレビで見る映像は、とても日本で起こっているとは思えない様な状況です。
被害にあった方、特にご家族の映像を見ると、言葉もありません。

自然の力の前に、人間はなす術も無いという事を改めて思い知らされます。
そして、この天災に輪をかけて恐ろしいのが、原発ですね。放射能汚染です。
この前、ある本で、現在のチェルノブイリの現状、そこに暮らす人々の様子を
知りました。ひょっとしたら、同じ事が起こる可能性があるんだとか。

自然は、人間の想定する災害の規模を、必ず越えてきます。
だとすると、原発のような、危険と表裏一体の電力に頼らなければ維持出来ない
今の僕等の生活は、果たしてどうなのか?

ちょっとだけ、昔に戻る勇気が必要なのかも知れませんね。
そして、その方が実は豊かな暮らしなのかも知れません。
”ちょっとだけ不便”を楽しむ心のゆとりを持ちたいものです。

今すぐに出来る事は何だろう?

なるべく電気を使わない事。
自分自身、災害に備える事。
一人でも多くの被災者の無事を祈る事。

やっぱり無力を感じます。

でも、再会の場面、救出の場面、壊滅した自宅を前に、「生きていただけで良かった。」
という言葉の前に、人間の底力も感じます。

自然は、それを阻止しようとする人間の力を、いとも簡単に越えて行きます。
それでも人間には、助け合って、どんな困難もを乗り越える力があると信じます。
前を向いて生きましょう。一人一人が出来る事を考えましょう。力を合わせましょう。

亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。


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3/9 ”笑顔の輪”

昨日は月が綺麗でしたね〜。(UPが一日遅れたので、一昨日の月になってしまいました…)
僕は満月より、三日月の半分の、その半分くらいの、細〜い線のような月が好きです。
昨日はそんな月でした。

先日、僕が独立してすぐの頃、家具を製作させて頂いたお客様(Hさん)が工房へ来て下さり、
相談を受けました。
家具の相談ということではなく、今やりたい事があって、事業計画を練っていて、そのことについての
相談というか、話しを聞いて欲しい。ということでした。

「いやいや、僕は事業計画のアドバイスなんてとてもとても…」というとこで、
話しを聞くのと、自分の体験をちょこっと話す事にしました。

Hさんのやろうとしていることは、そんな場所ができたら、きっと女の人は喜ぶだろうなぁ。
と思えるもので、何より、それをしようとする目的が、お金を稼ぐ事ではなく(もちろん、
収益は求めるべきものなので、必要以上にという意味。)、自己実現や、そこに集まる人に
笑顔になってもらいたい。そしてその笑顔を見たい。ということで、その考えにはとても共感
できました。

「そんな場所ができたら、すごくいいですね。絶対実現させて下さい。きっとうまく行くと
思いますよ。」
なんか、こうやって文字で書くと、すごい無責任な発言に感じますね(笑)。でも本当に
そう確信したんです。

家具を製作させて頂いたお客様が、このような相談をしてくれることは、とても嬉しいことです。
Hさんは、僕が独立してすぐの頃、まだ札幌のタマネギ倉庫でやってた頃からの僕の歩みを
知っているので、
「そんな須田さんにそう言われると、誰よりも説得力があって、スゴい嬉しい!」
と喜んでくれました。

そして、僕が今進めている事、これからやろうとしている事をお話しすると、
「それ、絶対必要!求めている人、多いと思う。絶対上手くいくと思う。」と太鼓判返し。

人は褒められると嬉しくなって、もっと前へ進もう!という原動力になると思います。
いつの間にか、相談されているのか、しているのか解らなくなってしまいましたが、
お互いの良いところを言い合いながら、勇気と自信を持って、前へ進んで行けたら
良いですよね。

僕は、肝心要のコンセプトとか、考えがしっかりしていれば、計画が多少荒削りであったり、
資金が足りなかったり、多少問題があったりしても、先ず一歩踏み出すことが大事。
一歩踏み出したら、次の一歩を、そして次の一歩…。
幼い子供が、よちよち歩きでも頑張って歩いていると、いつの間にか歩けるようになるのと
同じと思っています。

Hさんは、ある事情を乗り越えて、人生の第二章を歩み出そうとしている真っただ中で、
そんな自分に出来る、人を笑顔に出来る事を探し求めて奮闘しています。
そういう人たちと協力し合いながら、笑顔の輪を広げていけたらいいなぁ。と思います。

小さな笑顔の輪が、他の小さな笑顔の輪とつながっていって、いつの間にか大きな笑顔の輪に
なって、豊かで幸せな世界になる。
大きな事はできないけれど、小さな笑顔の輪を作ることなら出来そう。そのために一歩を
踏み出そう。その勇気は笑顔の中にあるんだと思います。
笑いながらやっていきましょう!


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3/2 ”ポニョ、『旅する木』、だ〜い好き!”

  

今日から3月ですね。
北海道は、春と冬を行ったり来たりしています。
北国に住む人は、長き待ちわびた春を今か今かと待っています。

冬は気分的に人も冬眠状態になるのでしょう。
1月、2月は、工房に人も来ず、電話も一本の鳴らない日も…。
電話が壊れてるんじゃないかと、携帯から工房の電話にかけてみる。。
なんて日もあったりして(笑い)。

2月も後半に入って、何となく、春を感じる日が続くと、ちらほらと、工房へ来てくれるお客様や、
電話やメールでのお問い合わせが来るようになって、いよいよ人が動き出したなぁ。と感じます。

先日の日曜日、今月半ばに宮崎県のお客様の元へコンテナで送られるアイランドキッチンや
キッチン収納、ビーンズテーブル、チェアーなどの撮影をしました。
さすがに宮崎県まで撮影しに行くわけにいかないので、お手伝いのY君に手伝ってもらいながら
撮影しました。

ウォールナットの本体に、白い人工大理石の天板とシンクを乗せると、二人して、
「わ〜!!めっちゃいいっしょ〜。」と思わず感嘆の声。
撮影しながら、Y君、何回も…。
「俺、本当に羨ましいっす。」

いつもそうなのですが、撮影している時、気持ちはカメラマンになっちゃうんですね。
作り手でなくなっちゃうんです。
今回も、このキッチンや家具を全部自分で作った事が信じられなくなって、
「すげ〜なぁ、この家具。欲しいな、これ。」と言いながら、撮影が終わった後も
近くから、遠くから、斜めから、脚立を使って高いところから、寝転んで低いところから、
色んな所から眺めるながら、幸せな気持ちに浸るのです。

先日、お客様のお宅に納品に行った時。
納まった家具をあちこちから見つめながら、「いいですねぇ。いいですねぇ。」と。
するとお客様が、「須田さんは本当に自分の家具が好きなんですね。そんなに褒めているのを
見ると、文句も言えなくなっちゃう。」と大笑いしました。
そうなんです。多分、『旅する木』の家具の一番のファンは、僕自身だと思います。

なので、納品して納めて帰る時、いつもちょっと淋しい気持ちにもなるんです。
別れ難いというか。
それくらいのものでないと、値段を付けられないし、お客様からお金をもらう事も出来ませんよね。

この前、妻が読んでいる自然食の本の中に、こんな人がいました。
大手食品会社で開発をしている人の話し。
ある”白い粉”を使って、様々な美味しい加工食品を製作、販売していました。
その人は、「俺の手にかかったら、この粉を使って作れない食品は無い!」と、次々と新製品を
開発し、売り上げを伸ばしていました。そのことが、会社にも、社会にも役に立つ仕事をしている。
と思っていたそうです

ある日…
自分の幼い子供が、自分の開発した食べ物を食べようとしているのを見た瞬間、「や、やめろ!
食べるな!」と、叫んで、それを払い除けました。
その時ハッと気付いたそうです。自分の子供に食べさせたくないものを、自分は作っていたのか。と。
その白い粉は、それほど有害なものだったんですね。
自分の子供に安心して食べさせられるものを作ろう。と、すぐにその会社を辞めて、自然食の道に
入ったんだそうです。

”正しいことは何なのか?”の判断をする時、自分の仕事や立場や、環境を外したところから
眺めることが大切だと思っています。

実は先日、お手伝いをしてくれているY君がたて続けに失敗をしました。
「須田さん、こうなってしまいました。」と材料を持ってきました。
その箇所はほとんど見えないところ、多分お客様は気が付かないだろう。材料も発注しなきゃいけない。お金も時間も無駄。
そんな時、判断基準は、”旅する木の僕”ではなく、”旅する木のファンである僕”。
「そんな家具、欲しい?」っと自問自答。
すぐに作り直しを指示、材料屋さんに電話しました。

自分の大好きなものをデザイン、製作し、お客様に届けられるということを仕事にしていられる
ということは、とっても幸せなことなんだろうなぁ。

これからもずっと、僕がファンでいられるものを作り続けて下さい。『旅する木』!

って、それは自分の立場を外し過ぎでしょ。。

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2/25 ”そよつむトレー”

今日発売のクナウマガジン発刊『スロウ』vol.26 Winter 2011の通販のコーナーで、
旅する木のカフェ、『cafe工房そよ風とつむじ風』でとても好評な『そよつむトレー』の
オリジナル販売をしております。
スロウでしか手に入りませんよ。
是非、スロウを買って、ご覧になって下さい。
今ならこれまたカフェで「かわいい〜♪」って人気のカトラリー置きがもれなくついてきます。

偶然ですが、同号に、『乳歯入れ』も紹介されています。
昨年紹介された記事を一年経ってまた簡易バージョンで紹介されています。

是非、書店に行って、ご覧になって下さいね。


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2/25 ”ここから始まったんだな〜”

今日、FMノースウェーブ、『CHEER PORT RADIO』に電話で出演しま〜す。
僕の出番(?)はだいたい午後2時30分くらいですって。お時間がある人は
聞いて下さいね〜。

DJの奥かおるさんは、工房の東裏小学校のすぐ横の貸し農園を借りていて、
それがご縁で数年前から知り合いなんです。小学校での、”味噌作り”も一緒にやりました。
また今年も、遊びに来て下さいね〜。

ところで、一昨日、何年か振りに旭川に行ってきました。
旭川高等技術専門学院の後輩であり、修行時代の後輩でもあるKantoの石津君(普段は「石津」)
と呼捨てなのですが…。君付けで書くのも照れくさいので、”君”は省略します…。
石津と、北大の学生で環境経済学の勉強をしている前田君と一緒に旭川へ。

北大の前田君は、前々から『旅する木』のことを知っていて、HPを見てくれていて、
石津に「須田さんに会わせて下さい。」とお願いしていたようで、今日、一緒に旭川に行きながら
環境問題、環境ビジネスなど、ちょっと難しい話をしました。
僕も、木を扱っている以上、環境については考え、何らかの行動を起こしていかなければいけないと
常々思っているので、とても勉強になりました。

旭川では、同じく学院の後輩で独立してやっている、バッカーナの原、そして、やはり学院の後輩で、
原と工房をシェアーし合いながら、独立してやっているGauzy Calm Worksの亮三に会いに、
工房へ。

今の学院の生徒は15期生ということで、300人近い人がこの道に足を踏み入れ、5年後、
木工の世界に残っているのはわずかに2割くらい。
さらに独立してやっているのは、このメンバーくらいのものなんです。
それほど木工の世界は厳しいんですね。食っていくのが。

でも、集まったメンバーは、とても明るく、楽しく、明日を向いて生きています。
”そう生きよう!と決めている”と言う方が正しい表現かも知れません。

石津、亮三、原、たまたまですが、彼らとは10年くらいの付き合いなので、僕も含め、
まだ駆け出しのペーペーだった頃から知っています。
今になって振り返ると、やっぱりその頃から真剣に家具作りに取り組み、高い技術を
身につけようと努力し、そして何より、
夢や希望の見えにくい木工業界にいながら、
何とかそれ等を見つけ出そうとしていた仲間たちなんですね。

だから、数年経って、それぞれ独立し、このような立場になって会って話しをしていると、
何か、心の底から幸せな気持ちと、やる気と、勇気が沸いて来て、「頑張るぞ〜!」という
気持ちになるのです。

その後、ちょうど僕たちの母校、旭川高等技術専門学院の卒業制作展が開催されていたので、
4人で見に行きました。
僕らの時より随分出来の良い作品を見ながら思っていました。

「ここから始まったんだな〜」


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2/22 ”走りながら考える”

もうほとんど製作は終わっているのですが、九州の宮崎県のお客様のキッチン一式と、
ダイニングセットを製作させて頂いています。
一年近くメールでのやり取りをしているのですが、その都度、気候の違いを実感します。
先程届いたメールには、Tシャツ一枚でも汗ばむくらいだと書いてありました。

北海道も少しずつ、春の気配が感じられるようになってきましたが、それでも朝晩は
氷点下ですもんね。
日中融けた体育館の屋根の雪が、晩に凍って氷の塊になって、次の日の日中に
ドッカーン!!と落ちて、ガラスを割ってしまいます。
今日も3
枚もガラスが割れてしまいました…。。

宮崎のお客様は、新燃岳の噴火の火山岩で、車のフロントガラスが割れてしまったんだそうです。
北と南、原因は違えど、自然の力には逆らえません。

ところで、先週の土曜日、『社会的企業人材創出インターンシップ事業』という内閣府で
行っている難しそうな名前の事業の講師を依頼され、1時間半ほど、お話をさせて頂くという
機会をもらいました。
起業を目指している方々に、僕の体験をお話しさせてもらいました。
僕のオリンパスでのカメラの開発時代から今日に至るまで、様々な人生の岐路に経った時の考えや
きっかけ、独立する際、大切に思った事、そして、独立後訪れる奇跡と試練、などをスライドを
交えながら話しました。

なんせこんな機会は初めてなので、思いが伝わったどうか心配だったのですが、先日、
参加してくれた北大に通う女の子からお手紙を頂きました。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

須田 修司様

拝啓 

向春の候 須田様におかれましては なお一層ご活躍のこと 拝察いたしております。
先日はご多忙にもかかわらず ご講演いただき ありがとうございました。

・・・(中略)

そのように働きながら 須田様のように これ!というものを見つけたら
不可能はないものと思って 突き進みたいと思います。そうして訪れる奇跡を楽しみながら
生きたいです。

今後は この講演でご教授いただきましたことを糧にし 日々精進してまいりたく存じます。

末筆ではございますが、須田様の一層のご活躍をお祈り申し上げます。

略儀ながら 書中をもちまして お礼申し上げます。

敬具

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

という、とても21歳とは思えないような、堅く、しっかりした、嬉しいお手紙でした。

たった一人でもいい。僕の人生が伝わって、感じて、前へ進むきっかけになってくれたら、
とても嬉しいことです。

人生で最大の不幸は、やりたかった事を、やらなかったと後悔することだと思います。
僕の考え方は、

時期早々? 結構!
資金不足? なお結構!

頭で考えたって、目の前で起こる神様のいたずら(奇跡と試練)の前には、なんの力もないもの。

そうそう!来月、何年振りに『三鷹の森ジブリ美術館』に行く事になりました。決めました…
僕はジブリ作品の中では、やっぱり『風の谷のナウシカ』が好きです。特に原作が。
いろんな好きな場面があるんですが、と〜っても地味なんだけどこんな場面。

ナウシカが不在の時、正体不明の部族が虫に襲われて風の谷に墜落。長老達は敵か味方か
解らないから助けるか迷っていた時、ナウシカだったらどうするか、少女テパに意見を
聞きます。テパはあっさり一言。
「姫姉様ならもう助けにいってる。」

何か迷った、時々この場面を思い出します。
いろんな後からくっついてくるごちゃごちゃを考える前に、先ず動いてしまう。
走りながら考える。
そうして走っていると、次々と奇跡と試練がやって来て、それを拒まずに、真正面からぶつかって
乗り越えていくことで、より強く、深い人間になれるんだろう。そして、より多くの人を幸せに
する事ができるんだろう。

ジブリの作品で、『風の谷のナウシカ』に負けずに好きなのが、『天空の城ラピュタ』です。
家具の製作で、プレスがなかなか上がらない時、いつも心の中で、「あ〜が〜れ〜!!」と
叫んでいます。さて、何の場面でしょう〜?

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2/17 ”TABISURUKI”

先日、埼玉県にお住まいのご夫婦が工房へ来てくれました。
以前、家具をご注文頂いたお客様が紹介して下さった方で、とても紳士的で
お話しをしていてとても気持ちの良いご夫婦でした。
ダイニングセットをご検討されており、ショールームにある家具をとても気に入ってくれました。

お話している中で、アームチェアー501の背板の一部分(背中が当たる部分)に革を貼ったものを
希望されました。

”おさまり”(専門用語で、職人はよく使う言葉なんです。)は細部の処理がとても大変になり、
どう製作しようか、その方法を頭の中でグルグル考えているのですが、僕はオーダーで家具を製作
しているので、こんな風に、より良くなる苦労はとても楽しいのです。

そして解らない時は、専門の職人さんや、先輩の職人さんに聞いてしまう!
そうすると、意外とあっさり答えをくれるんです。
「あっ、そうか!」なんてことがしばしば。
旅する木の家具はこんな風に、お客様や、いろんな職人さん達に支えられて形になっているんですね。
感謝です。

ところで、そのお客様、その後のメールの中で、

「楽しいひと時でした。ありがとうございました。
廃校の使い方として、特にあの地域で育った人にはこれ以上のうれしい活用法は無いのではないか
と思います。それに応える為にも旅する木が世界的なブランドになってください。」っと。

自分の会社のHPを紹介してくれたので覗いて見ると、なんとすごい大きな会社の社長さん。
海外にも支店があって、その業界において、世界No1を目指しているんだそう。

え〜!?よかった〜、知らなくて。知っていたら恐縮して、ざっくばらんに話せなかったかも。
なんて思いつつ、そんなんじゃあ、”世界的ブランド”になれないですね。

それにしても、”俺は社長だ!”的な雰囲気をみじんも感じさせず、とても穏やかで、紳士的な
態度に、僕自身、とても心地良く、楽しい打ち合わせが出来ました。

今使っている椅子を40年も使っているのだそうで、先日、正式にご注文頂いたのですが、
少なくともそれ以上は使って頂けるものを作ろう!っと誓いました。

そして、”世界的ブランド”という言葉が、ずっと心に残っています。
そこを目指さなければ、近づくことは出来ないわけで、逆に言うと、そこを目指していると、
遥か遥か遠い道のりだとしても、一歩一歩近づく事が出来る。
その一歩には大きな価値と意味があるんだろう。

実際、日本でコアな客層に人気があり、雑誌やドラマにも使われている家具は、イタリアの
小さな家具工房のものだったりするんですね。

『タビスルキ』おっと、カタカナじゃダメですね。『TABISURUKI』が語られ、海外の方にも
喜ばれる。そんな時が来るかも知れない。なんて考えると、WAKUWAKUしてきます。
って、そこはカタカナでいいっしょ!

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2/14 ”思い出の味〜亀田製菓”

今日はバレンタインですね。
娘は何日も前から手作りでチョコレートと格闘していました。
随分たくさん作っているので、
「何個作るの?」と聞くと、
「30個くらい。」
っと。

え〜?!30人もの男の子にあげるの?
こ、こいつ”数打ちゃ当たる”戦法か?
っと思いきや、今は”友チョコ”といって、女の子の友達にもあげるんですって。
遊びに来た娘の友達も、何十個も作ってるんですって。

う〜ん、お菓子業界なのか、デパート業界なのか、この社会的流れを作っている業界の
戦略にまんまと乗せられていますね。

一年に一回、家具を友達や家族にプレゼントする日が出来てくれれば…。。

ところで、僕は甘いものも好きなのですが、上の写真、柿の種が大好きです。
しかもこだわりがあって、”亀田”と決めています。
おやつにいつも一袋。
亀田の”ソフトサラダ”も大好きです。せんべい系は”亀田”が一押しです。
”亀田”には深い思い入れがありまして…。

実は何を隠そう。亀田製菓の工場は僕が作ったんです!!

???

ですよね。

僕は新潟の大学に行ってたんです。つむ通でも何度も書いていますが、学生時代、
学校にはほとんど通わず、生活費や、北海道に遊びに行くお金を稼ぐ為に、
アルバイトばっかりしていました。
家庭教師、大根やスイカ掘り、土木作業員、建築現場、鏡餅の蓋締めなどなど、
いろいろやってました。
その時何ヶ月も仕事をしたのが、亀田の工場。

”亀田の工場”と言っても、お菓子作りの仕事ではなく、まさに、”亀田の工場”
を建てる為の作業員。大〜きな工場の基礎打ちのコンパネ運び、壁のボード運び、
その他資材運び、などなど。
大〜きな大
きな工場なので、来る日も来る日も運んで、何百枚と運んでは壁に打ち付け。
亀田には随分稼がせてもらいました。。
何となく”亀田の工場”は自分が作った的な感覚がありまして。
亀田びいきなんです。
亀田のお菓子を食べる時、いつもその時の事を思い出すんです。

派遣会社に登録していて、毎朝起きれないので、朝5時とかに派遣会社の社長さんが
電話で起こしてくれるんですね。「須田君、今日も頼むね〜。」って。
その社長さんは、北島三郎にそっくりで。随分可愛がってもらいました。

毎月、月末に給料をもらいに行くのが楽しみで。階段を一段飛ばしで駆け上がって、
戸を開けながら、「給料もらいに来ました〜!」って。
「朝はいつも機嫌悪いけど、給料取りに来るときだけは機嫌いいねぇ。」って
いつも言われて。
バブルの全盛期だったので、バイトでもたまにボーナスもらって、めちゃくちゃ
嬉しかったですね。

この柿の種は、あの工場で作ってるのかなぁ?なんて思って食べていると、
やっぱりひと味もふた味も違って感じます。

亀田のせんべい、僕にとっては思い出の味、懐かしい味、そして労働の後の喜びの味。
なんです。


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2/9 ”幸せ=責任”

今朝のHTBの『おは天』、ご覧になりましたか〜?
Bon Vivant(ボン・ビバン)の久保さんが取り上げられ、僕もちょこっと
出させてもらいました。

え?そう、坊主にしちゃいました。髪が薄くなってきたので、思い切って…。
今時期の工房での作業は頭が寒い。。
冴えて良いって?
その範疇を越えています。天気が良い日は、外の方があったかい時もありますから…。
材料搬入などで外に出た時、「今日、こんなに暖かいんだぁ。」って。

ところで、Bon Vivantの久保さんとは、2年程のお付き合いになりますね。
工房に乳歯入れを購入しに来てくれた時、「どうぞ、自由にご覧になって下さい。」と
ショールームを案内して、作業に戻ったのですが、ちっとも帰る気配がない。
どうしたんだろう?と思ってショールームに見に行くと、ある家具の前で腕を組んで
「…」と見つめている。

そして話しを聞いて見ると。
「実は自分はパティシエをしていて、5年前に家族で大阪から札幌にやってきました。
いつか、自分のお店を持ちたいと思っているのですが、この家具を見ていたら、
お店のイメージが沸いてきてました。」
ということで、僕の独立した時の話しや、それからの不思議な出来事の話しなどを
1,2時間くらい話したのかな〜?
「いつかお店を持つ時、信頼する建築家もいるので、何かお手伝い出来ると思います。」
と言って別れました。

それから半年くらい経ってから、「独立を決心しました!お店作り、手伝って下さい。」
という連絡を頂き、建築家の本間さん(本間デザインコンサルタント)と、グラフィックデザイナー
の真野君(Das Family Company)の4人での”Bon Vivant プロジェクト”がスタートしたんです。

毎週一回集まって、イメージ作り。空き店舗を見に行ったり、楽しかったですね〜。
すでに仕事を辞めていた久保さんに、お店の家具作りを手伝ってもらったりして。

そんな感じで昨年の夏、札幌の中島公園の近くに”Bon Vivant”がオープンしました。
パティシエ、そしてショコラティエとしての久保さんの腕は一流なので、オープンしてまだ
半年なのに、いろんなメディアに取り上げられているんです。

「自分の作ったチョコレートを食べて、笑顔になってもらいたい。幸せな気持ちに
なってもらいたい。」という久保さんのもの作りの姿勢には、とても共感できます。
表現するものが、久保さんは”チョコレート”、僕は”木”でというだけで、思いは同じなんですね。

人生の舵を大きく切るきっかけに、僕の作った家具があった。ということは、とても言葉では表現
出来ないような嬉しさと、幸せと、そして責任を感じます。
嬉しさや、幸せは一時のものですが、責任は、これからもず〜っと人生を掛けて背負うもので、
きっと久保さんも僕に対して、同じような責任を感じていると思います。

”嬉しさや、幸せは一時のもの”と表現したけれど、やっぱり違いますね〜。より多くの責任を
背負う事が、嬉しくて、幸せなことなんでしょう。そう考えると、同じ事ですね。

この様な出会いを、これから何回繰り返す事が出来るのだろう。
そして、どれくらいの責任を背負う事が出来るのだろう。

一つひとつの責任をしっかりと背負うため、さあ、今日も仕事に向かおう!


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2/5 ”復活!”

やっとパソコンの修理が完了し、つむ通が復活です。
パソコンが無い生活というのは、落ち着かないですね。
こんなに依存症になっていたとは。。

インターネットに繋げないというのは、「不便だな〜。」くらいなのですが、
メールは困ってしまいますね。特にお客さんとのやり取りは、メールが中心なので。

ということで…

という訳ではないのですが、前々からずっと「いいなぁ。欲しいなぁ。」と思っていた
i pat をパソコンを修理に出しに行ったアップルストアーで、ついつい衝動買い。
あの、指先で、シュッ、とか、親指と人指し指でスーと画面を広げたり、縮めたりするの、
やってみたかったんですよね〜。
意味も無くやって、娘とかに「パパ、すごい〜!」などと本当に薄っぺらな賞賛に
満足していました(恥)。
今ではいっちょまえに、4歳の息子も、シュッとかやってます。

でも、一番うずうずしたのは、やっぱりHPの更新が出来ない事ですね。
特につむ通が。
いざ書けないとなると、書きたいネタがいっぱいあるんですね〜。
文章を書きたくて書きたくて、うずうず状態でした。
「あ〜、これめちゃくちゃいいネタ。パソコン直ったら、ぜったい書こう!」と
思ったことが何度あった事か。

ところが…

酉年生まれの僕は、3歩歩けば忘れてしまう体質(?)で。

昨日パソコンが直ってきて、今朝、さあ、書くぞ〜。とパソコンに向かうと、
「あれ〜?なんだったっけ!」

すっかり忘れてしまいました…。

ということで、とりあえず復活しましたよ〜。ということで、今日からまたネタ探し。
また遊びに来て下さいね。

更新していないと、お休みしていると思うかも知れませんが、仕事はちゃんとしていましたよ…。


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1/22 ”小人?”

またまた雪ネタです。
今年に入ってからの積雪はほんとスゴくて、ここまでくると、恨めしくなっちゃいます。
札幌も多いようなのですが、それでも、当別の比じゃなく、隣町なのに、石狩川を挟んで、
札幌側はピカピカの晴天。当別側は吹雪。って日もあるようです。
よく、お客さんに「札幌までは良い天気だったのに〜。」と言われます。

除雪で心身ともにヘトヘトになっていると、なんだか悔しいんですね〜。
「隣じゃん。なんでこんなに違うの!」って。

小さい人間です…。

ところで、旅する木は、福利厚生の整った、素晴らしい会社なんですよ(笑)。
なんと、保養施設兼、別荘があるんです。
僕の自宅の隣ですが…。。

実は元の教員住宅で、教頭先生が住んでいた住宅が廃校と共に、空き家になってるんですね。
家に友達を呼んで、どんちゃん騒ぎをしたら怒られるので、そんな時は隣でやろう。
なんて話しをしているのですが。

その住宅にこの春入ってくる、新人君が暮らす予定です。
一軒家で家賃はただみたいなものだし、出勤時間は30秒だし、素晴らしい景色だし、
最高なのではないだろうか。
唯一、ボロいのを除けば…。
ってそこ大事なとこなんだけど。。
でもまあ、穴開けようが、塞ごうが、補強しようが、なにしても良いので、良いでしょう。

この教頭住宅にももちろん雪が積もっています。屋根に。1メートル以上。
古い建物なので、潰れちゃうんじゃないかと妻が心配して、

「教頭先生の家、雪下ろしした方がいいんじゃない?」
「え〜?自分の家ですらまだ半分しかやってないのに。」(やりたくないので…)
「でも、潰れちゃうよ。」
「潰れるかな?大丈夫じゃない?」(やりたくないので…)
「潰れてからじゃ遅いんだよ。」

ってな会話があって、しぶしぶ上の写真。
やり出すと、全部きっちり落とさないと気が済まないので、
「もうご飯だよ。」
「まだまだ、ここしか出来てない。」(気がすまないので…)
「家が壊れない程度に、ほどほどやればいいじゃん。」
「全部落とさなきゃ、気分悪い。」(雪に負けた気がするので…)

ってな会話があって、結局まる一日。もうヘトヘト。
娘に「マッサージやって〜。」
「え〜?今宿題やってる。」
「宿題の後やって。」
「バスケットで疲れてるからやだ。」
ってな会話があって、いつの間にか居眠り。

変な時間に寝ると、夜眠れなくなって、寝たんだか寝てないんだか解らないうちに
朝5時半。「寝坊した〜!」(毎朝4時半起床)

こんな経緯、どうでもいいですよね〜。でも、解って欲しいんですよね。新人君には。
「おい、こんな思いをしてるんだぞ!」って。

こんな苦労話しを言わずに、新人君が来た時、

「除雪、大変だったんじゃないですか?」
「まあ、今年はね〜。」

家の回りには雪が大量に残っているのに、屋根に雪がないのを見て、

「屋根の雪下ろし、やってくれたんですか?」
「まあね。ついでにね。」

ってな会話がカッコイイ!と思いつつ、

”彼はすっとぼけてるから、多分全く気付かないんじゃないか?”
”相手が気付いてくれなきゃ、この会話は成立しないしなぁ。”

なんて考えて、このつむ通を書いてしまっています。

小さな人間です…。。


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1/16 ”ホント、どうなっちゃってんの!”

本当に今年に入ってから、連日の猛雪です。
毎日朝起きて、カーテンから外をチラッと覗いて、「…今日もかぁ。…」
この積雪は尋常じゃない。先日、生まれて初めて、”屋根の雪下ろし”をしました。
家がつぶれちゃう!

何を隠そう。僕は高いところが苦手。ず〜っと前、函館の五稜郭タワーに家族で昇った時、
床の一部がガラスになっていて、下が見えるところがあって、子供達は喜んで
ジャンプしたりしながら、「パパもやれば。面白いよ〜。」って。
冗談じゃない!もし割れたら…。というか、下が見えるという事は、今いるところは
塔の柱から出っ張ってるってこと?…え〜?うわ〜!
って感じ。
雪下ろしも、冬休みの宿題をしていた娘を呼んで来て、「下でず〜っと見てて。もし、
パパが落ちたら、近所の人に連絡してくれよ。」っと。
へっぴり腰でやってまいした。屋根の上には1m以上積もっていましたね〜。

ママさんダンプで家の回りの除雪をせっせとやっていると、近所の農家の方が
トラクターで来てくれて、ガー、ガーっと、やってくれるんです。本当に助かります。
ありがとうございます。
学校の除雪も、僕が東裏小学校に来た年から毎冬、近所の農家の方がやってくれています。
僕が家の除雪が終わって、出勤する時には、きれ〜いに除雪してくれてます。
もう、本当に助かっています。ありがとうございます。
家も、学校も、自分でやる事を思うと、毎日除雪で終わってしまうと思います。
本当に感謝してもしきれません。
「良いところだね、ありがたいね。」っと妻と話しをしています。

でも、いつまでも人に頼っているわけにいかないのと、今年の雪の量は、とても
”ママさんダンプ”でどこうなるレベルじゃないので、いよいよ除雪機を買おうと思って、
扱っている機械屋さんに話しを聞いて見ると…。
さすがにこの大雪で予約が殺到。手に入らないんだって。
そういえば昨年の夏、北海道とは信じられないような湿気に、除湿器を買おうと電気屋さんへ
行った時も、「メーカーが在庫を切らしていて、入荷予定は秋だそうです。」ってことが…。

妻に言わせると、「相変わらず、行き当たりばったりだからそういう事になるのよ。」っと。
でもねぇ。昨年は極端に雪が少なかったし、今年に入ってからの雪は、地元の人も経験が無い程の
大雪だそうだし。なかなかそこまで読めませんよ。

でも、この行き当たりばったり、”万が一”を考えない性格を、今年はちょっと改善した方が
よいかな?と思っています。

結婚してもうすぐ20年を迎える妻は、「今さら?無理でしょ!」と言いそうですが。
そして、娘も気が付き始め、いきなりの予定変更も、「また始まった。」と半ばあきらめモード
ですが…。

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1/12 ”もの作りって責任重大!”

ここのところ、毎日大雪&吹雪が続いています。毎朝カーテンを開けて外を見て
うんざりしてしまいます。この前は一晩で80センチ。もう、除雪が間に合わない〜!
本州の日本海側もスゴいことになってますね。
これが雨だったら集中豪雨、ゲリラ豪雨並みのことになってますよね。
もう誰も否定しようがなく、地球がおかしいことになってますね。
今、世間でしきりに騒がれているように、本当にもうすぐ、地球は大変換の時期を
迎えているのでしょうか?
今まで半信半疑だったけど、世界的な異常気象や、立ち行かなくなった資本主義経済
なんかを目の当たりにしていると、これもその序章なのかな?と思ってしまいます。

こんな中、少しでも豊かな気持ちで生活したいですねぇ。
愛着のある道具やものを身の回りに集めて、大切に使うということは、豊かな生活だと
思います。

これ、な〜んだ?

何かを入れそうな感じですよね。コーヒーを落とすとき使う紙?っと答えた人もいました。

ブッブ〜。答えは、お米を計る入れ物。ちょうど一杯で一合なんです。素敵でしょ!

あっ、僕が作ったものじゃないんです。購入したものです。
友達の家具職人の卵、卵と言っても黄金の卵だと僕は一押しの女の子、辻有希さんの作品。
前にも一度、つむ通で紹介したことがありますね。HPもありますので、是非じっくり
ご覧になって下さい。→こちら
女性ならではの感性と、センスの良さから生まれる作品は、僕には出せないものがあって、
ひき付けられます。

建築、家具、小物、クラフト、道具、食べ物など、身の回りに、本当に気に入った愛着のあるものを
集めて、それらを大切に、楽しみながら、生活するということは、とても豊かなことで、
更には、それぞれの生産者の顔が見えるものだったら、そのものの向こう側が感じられ、
より深い思い入れのあるものになるのではないかと思います。

昨日、数年前に家具を製作させて頂いたお客様からメールを頂きました。そよ通や、旅もっくんを
見ていて下さり、自分の家具のこの部分が今こうなっているから、製作している家具に生かして
欲しい。というものとともに、いつも応援して下さっている内容のメールでした。

この様なメールを頂けることは、とても嬉しいことです。
『旅する木』のことを心から応援してくれていて、より良い家具が、『旅する木』から旅立って
行くのを、楽しみにして下さっているのですから。

生産者の顔が見えるということは、こういうことだと思います。
納めたら、はい、終わり!ではなく、そのもののの向こう側に、それが存在している限りずっと、
生産者もひっそりと存在しているわけで、生産者は、自分の人生をかけて、その責任を持つ。
ということ。

例えば、何十年も後に、僕が変な事件を起こしてしまったとしたら、それまでに家具を製作させて
頂いたお客様は、何十年もそんな人の作った家具を使っていた。ということになってしまいます。

逆のこともありますね。子供や孫に、「この家具は須田修司という家具職人が作ったんだから、
大事にしてね。」ということも。

生産者は、自分の人生をかけて、その責任を持つ。
そして、そのようなものを、身の回りに使っていきたい。
それはなんて豊かで幸せなことなんだろう。

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1/9 ”トイレの神様”

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先ずご報告がありま〜す。
『家具工房旅する木』が『合同会社旅する木』となりました。
特に何が変わるわけではないのですが、今春から一緒にやっていく仲間が増えるので、
個人事業ではなく、ちゃんとした(?)会社という組織にしていこうと思ったのです。
会社を大きくしようとは全く考えていないのですが、

多くの人に喜ばれる会社、
社会に貢献できる会社
きちんと存在意味のある会社
僕を含め、働く人が、共に喜び、成長出来る会社

にして行こうと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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植村花菜さんの『トイレの神様』。
良い歌ですね〜。
実は先日の目覚ましテレビの紅白についてのコーナーで知りました。
妻と娘に、「良い歌だね〜。」って言ったら、「知らなかったの???」って驚かれました。
早速 i Tunes で購入。歌詞をちゃんと聞きながら聞いたら、涙がこぼれそうになってしまいました。

そして先日、娘とドラマも見ちゃいました。『トイレの神様』。
娘は泣きまくり。娘の回りにはいつの間にか涙を拭いたティッシュの山。
僕は娘がいるので、一生懸命我慢。あ〜、一人で見れば良かったぁ。
大人になると、大声で泣く事ってなくなっちゃいましたね。娘や、4歳の息子が体いっぱいに
泣いているのを見ると、たまに羨ましい。

トイレに神様って本当にいるのかなぁ?
実は僕も何年も前から、ほぼ毎朝、家のトイレの掃除をしています。
べっぴんさんになりたくて…。。

子供の頃、親や、身近の人に言われた、心に残る言葉や、言いつけ、習慣ってありますか?

僕の父は、毎朝神棚に水をあげて、お祈りしてましたね。母は、炊きたてのご飯を神様に
お供えしていました。特に僕にも「そうしろ。」とは言いませんでしたが、その習慣は
我が家の習慣になって受け継がれています。

実家の神棚には、いろんな神様がいました。近所の神社や、牛伏寺(ごふくじ)、善光寺、
僕が小学校の修学旅行で買って来た鎌倉の大仏、その隣にイエスキリスト…。
いいの?って感じなのですが、父は「神様は喧嘩はしないから大丈夫。そんなんで罰を与える
ようなのは、神様じゃない!」と言い切っていました。

父は小さな精密機械の町工場をやっていました。子供の頃は全然思わなかったけど、
不安だったんだな?と、今になってやっと、その気持ちが解ります。

そんな父は、毎朝僕を連れて、すぐ近くの中学校の校庭で体操をします。幼稚園か、小学校の
低学年の頃だったと思います。
校庭には、校長先生が朝礼をする台が置いてあって、体操が終わった後、僕をその台に乗せて
言わせるんです。
大声で。

「僕は大きくなったら、社長さんになるんだ!
お父さんより立派な社長さんになるんだ!」

って。
これが嫌で嫌でね〜。散歩している人もいるし、回りの家には聞こえるだろうし、
「絶対社長なんかになるもんか!」って思っていました(笑)。

そんなんだったから、『トイレの神様』の歌詞と同じように、中学、高校生になるにつれて、
ぶつかったりして。大学生で一人暮らしを始めると、母の心配する電話がうざったくて
途中で切ったりして。ほとんど家には帰りませんでしたね。

長男なのに、「お父さんの会社は継がない。」と言ってサラリーマンになって、長男なのに、
実家を離れて北海道に来て、長男なのに、おじいちゃんやおばあちゃんが死んだ時、
「修行の身だから。」と言って見送りもせず、息子失格ですね。

ただ一つ、約束を守ったとしたら、

「社長さんになったよ。」

立派ではないけどね…。。


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2011/1/5 ”『心』が変われば…”

いよいよ今日から2011年の仕事始めです。
お正月気分を切り替えなきゃ!

皆さんはどんなお正月を過ごしましたか?って、
今”お正月気分を切り替えなきゃ。”って言った矢先に、これはないですね〜。

僕は、例年の如く、富良野で過ごしたのですが、
”食う・寝る・ノンノの散歩”のお正月でした。
あっ、元旦に、お餅つきと、娘と娘の友達を連れて、スキーをしました。

ところで、新年というのは、気持ちをリセットできて、新しく生まれ変わった自分になって、
昨年までの未熟な部分を克服出来るんじゃないか、そうしていこう!っと思って過ごすのですが、
なかなかどうして…。たった5日間しか経ってないのに、反省することばかり…。

『心』が変われば『態度』が変わる
『態度』が変われば『行動』が変わる
『行動』が変われば『習慣』が変わる
『習慣』が変われば『人格』が変わる
『人格』が変われば『運命』が変わる
『運命』が変われば『人生』が変わる

と言いますが、一番最初のとっかかり、『心』を維持するのって、難しいなぁ。
仙人のように社会から隔離して、たった一人で山にでも隠っていれば良いのだけど、
社会の中で生活していると、”相手”というものがあり、その”相手”が『心』を乱すきっかけを
持ってくるわけで…。


ピ〜!須田君、先ずそこがダメ。”心を乱されるのは、相手のせい。”という考えが×。

え〜?だって…。

だってじゃ無い。すべて自分が引き寄せているの。自分のせいなの。

だって俺何もしてないもん。

何もしてなくない!『心』を変えようと思ったでしょ。だから周りの人が試してくれてるの。
こいつは本当に「心を変えようとしているのか。」って。いろいろなパターンで試して、
何勝何敗って、やってるのさ。

え〜?それじゃあ、『心』を変えようと思わない方が良いじゃん。

小学生みたいなこと言うな!それだと、『人生』変わらないよ。

…。。


って誰と会話してんの?と言われちゃいますね。妄想です。僕の妄想。

前に読んだ本に、こんな内容のことが書いてありました。

アメリカのかなり荒れた刑務所に新しくやってきた所長は、毎日囚人達のファイルを見ながら、
「この人がこんな罪を犯したのは自分にも原因があるんだ。」と。ひたすら心の中で彼らに謝って、
許しを請いて、愛そうと努めたんですって。ファイルに向かってですよ。
そうしたら、徐々に囚人達が穏やかになっていって、荒れていた刑務所が、一年後には綺麗な
穏やかな刑務所に変化していったんですって。
この所長の心が、囚人達の心に伝わって、荒んだ心を癒していったんだそうです。

どんなことが身の回りで起ころうと、全部自分のせいにして、引き受けて、許して、
愛する事が出来たなら、そんな自分になれたなら、確かに人生が変わりそうですね。
そして周りの人の心も癒し、その人生すらも変える力になりそうです。

そんな自分にいつなれるの?どうやったらなれるの?本当になれるの?って感じですが、
少しでも意識していたいと思います。

さあ、仕事始め。
しっかり朝ご飯を食べて頑張るぞ〜!


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2011/1/1 ”元旦の朝の悟り…?”



元旦の夜明け前
そして初日の出
キタキツネの足跡を見つめるノンノ


新年、明けましておめでとうございます。
今、元旦の早朝4時08分。外はまだ真っ暗。
妻の実家、富良野の麓郷にいます。外の気温は何度でしょうね?
マイナス15度近くまでは下がっているのではないでしょうか?

ところで昨日、大晦日に、たまたま手に取った本が面白くて、いっきに読んでしまいました。
有名な”奇跡のりんご農家木村秋則さん”の『すべては宇宙の采配』という本です。
木村さんの身の回りに起こる、目に見えない(木村さんは見えるのですが)世界や、
信じがたい出来事、体験談が、その様な世界に興味のある僕の心を完全に捕らえて、
紅白もそっちのけで、夕食後から夢中に読みふけってしまいました。

昨年末から、今年の目標というか、計画概要を考えながら、何か違うような、違和感をずっと
感じていました。昨年までは同じような考え方でピタッと心に来ていたのですが、今年に関しては、
考えが集中出来なかったんです。とても具体的にやるべきことはあって、目標もはっきりしている
ので、その詳細の計画を詰めようと考えようとすると、
「それは結果だよ。もっと大事なことがあるよ。」と心が言うというか、感じて、集中できない。
その、”もっと大事なこと”のヒントが、この本に隠れている気がして、引き込まれました。
もちろん答えなんてそのまま書いてあるわけもなく、漠然としたもやもやが残ったのですが、
はっきり解ったことがありました。

僕がすべきことと、今年の計画と、そのもやもやの中の真実はどれも一体で、全部をバランスよく
実践していかなければ、先に進めないということ。
円筒の中に、ぼぼ同じ径の丸い板を通す時、一カ所だけ押しても進まず、全体をバランスよく、
少しずつ押して行けば、通すことが出来るのと同じような感じですね。
そして、そのもやもやの中にあるものが、今の僕には足りないものであり、大事なものなんだろう。
と思います。

この世に生まれて、表現する全ての”もの”や、”こと”は、”ある場所”を目指す途中過程での
一つひとつの結果あって、人それぞれの”ある場所”に近づこうとすることが生まれてきた意味
であり、目的なんだろう。

元旦の朝、やっとそこに気付けたような気がします。

辺りはだんだん明るくなってきました。富良野の丘の向こうに、雑木林や、その向こうに山々が
見えてきました。
後一時間もすれば日が昇ります。
2011年、最初の朝の始まりです。

元旦の朝の2番目の仕事、ノンノの散歩をしてきますね。

学生時代からもう20年くらい、元旦をここ、富良野で過ごしています。
新しい朝、白銀の世界、キーンと張りつめた冷たい空気、そして静けさは、とても気持ちが良く、
神聖な気持ちになります。

皆さんにとって、僕にとって、幸せな一年になれば嬉しいですね。


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12/30 ”豊かさと幸せをありがとう!”

昨日、仕事納めで、大掃除をし、午後から、お手伝いのY君と、旭川の修行時代の後輩、
と、餃子パーティーをしました。
Y君は職業訓練校に入る前に飲食関係に勤めていたので、料理が上手なんです。
美味しかった〜。来年早々、今度はスープカレーパーティーを企画しちゃいました。
今から楽しみです。

今年1年を振り返ると、一番の出来事は、やっぱりAKB48の総選挙ですね…。
って、「おい!!」
実は「俺にとって、総選挙といえば、参院選より、AKBだな。」と夢中になっている
友達がいて、「…ん〜残念!」(古い!)と思いました。
かくいう僕も、「”少女時代”いいよね〜。」と夢中になってテレビに見入っていると、
妻と娘から軽蔑の眼差しと、言葉を浴びせられます。…ん〜残念!

今年の『旅する木』の最大の出来事は、やっぱり『cafe工房そよ風とつむじ風』の
オープンです。創業の時から目標の一つでしたし、結婚してから、勝手気ままに
やって来た僕に振り回され(今も)、子供に振り回されっぱなしの妻に、
ステージが出来たことは、嬉しい事です。

お陰さまで、カフェは多くのお客様に喜んで頂き、最初は、「旅する木のHPはいつも
見ていたんだけど、なかなか来ずらかったんです。」という隠れ旅する木ファンの
方が多かったんですが、徐々に、カフェ目当ての方が多くなって来て、しまいには、
「ここ、家具屋さんだったの?」という方まで…。
”旅する木のカフェ”から、”カフェに併設する家具工房”に冠が変わりつつあります。
いずれにしても、お客様に喜んでもらえるということは、嬉しい事で、妻は、とても
真剣に取り組んでいます。

『旅する木』の方も、今年はとてもたくさんの家具やクラフトを製作させて頂きました。
特に、道外など、遠方の方からのご注文が多くなって、わざわざ『旅する木』に来るのが
目的で北海道まで来て下さる方もいて、とても嬉しく思います。

また、前に家具を製作させて頂いたお客様が、「今度はこれを」という再注文や、ご紹介
という仕事が本当に多かったのも、今年の特徴でした。
これは、満足してくれている。喜んでくれている。という証なので、僕にとっては最も
嬉しいことですし、懐かしいお客様に再開できること、味わいが出て来て、すっかりお客様の
家に馴染んでいる懐かしい家具にも再開出来る事は、とても幸せな事です。

旭川での修行時代、苦労して作った家具を、段ボールに包んで、トラックに乗せて終わり。
という仕事にだんだんと面白みを感じなくなり、家具は、家に納まり、空間を決める重要な
役割があり、そこには家族の営みがある。ということから建築に興味を持ち、勉強をし、
建築士を取り、工務店で仕事をし、独立した僕にとって、お客様の喜ぶ顔と、家に納まった
家具、そこでの生活を感じられる時、「あ〜、この仕事をしていて良かった〜。」と実感する
至福の時なのです。

毎朝、工房の体育館に入った時、そして、仕事を終えて帰る時、神様にお礼を言います。
昨日は一年間のお礼をしました。

「今年も一年間、大きな怪我をせずに仕事を終える事が出来た事、感謝致します。
そして今年も多くのお客様に喜んで頂ける家具を製作させて頂きました。この様な時代に
この様な環境をお与え頂き、感謝しております。ありがとうございました。」

そして、同じ事をお客様に対して、そして色んな業者の方に対しても思います。
確かに僕は家具を作れます。でもそれは、家具を作らせて頂くお客様がいるから。そして、
そういう環境を整えてくれる業者の方がいるから。

家具作りを通して、豊かさ、幸せを届けたい。と思っている僕自身が、実は届けるより先に
豊かさや、幸せを届けてもらっているんだなぁ。と。
だからこそ、届けてもらっている以上の豊かさと幸せをお客様に届けられるよう、心を込めて
家具作りをしていこうと、改めて思いました。

今年一年、たくさんの豊かさと幸せを頂きました。心から感謝しています。
ありがとうございました。良い年をお迎え下さい。

札幌のすぐ隣の田舎町、田園風景ど真ん中の小学校
〒061-0213 
北海道石狩郡当別町東裏2796-1 旧東裏小学校
Tel 0133-25-5555 / Fax 0133-25-5557
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