『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


4/20 ”犬のしっぽが欲しい〜!”

トップページで告知しておりますが、GW初日、4月29日(土)に”旅木祭り'2017”を
行いますよ〜。
HPで紹介している家具やクラフトだけでなく、今、スタッフが、それぞれ自分の作品を
作っていて、それらも格安で販売してします。
僕の感性とはまた違ったセンス、感覚のデザインの小物がたくさん出来て来ます。
なかなかいいですよ〜。
是非お楽しみに♪
”旅木祭り'2017”

ところで、気になって連絡を下さる方もいて、感謝しております。
余命一週間宣告をうけた愛犬のノンノ(北海道犬)。宣告を受けてから一ヶ月以上経過しました。
もうすっかり以前より元気になったんじゃない?ってくらい元気になりました。
獣医さんには、こんな奇跡は初めてだと言われています。

元気になったノンノは、家族の誰かが帰ってくると、一目散にやってきて、
しっぽがくるんっと上を向いて、ブルンブルン振って喜びを表現します。
もう音がするんじゃないかってくらい。
こっちも嬉しくなって、「ノンノ〜!」と言って抱きしめちゃいます。

でも…
何かいたずらをして怒られている時は、ショボンっと下に垂れ下がって、
悲しみを表現します。
闘病中、薬を飲ませたいんだけど、全然飲んでくれなくて、スポイトに入れて
口を開けてピュッやると、しっぽを垂れて、トボトボと部屋の隅っこに行って、
落ち込むのです。

犬のしっぽって、感情のアンテナなんですね。
すごくいいなぁ。人間にもそんなしっぽがあったらなぁ。

人間は感情が複雑過ぎる。
複雑で、しかも、自分にウソをつく。
本当は悲しいのに笑ってみたり、
本当は淋しいのに、大丈夫っていってみたり、
本当は飛び跳ねんばかりに嬉しいのに、そうでもない振りをしてみたり、
本当はやりたくないことをやっていたり、
本当は思ってないことを、口に出したり、
本当は怒っているのに、平然を装ったり、
本当は…。。

まだまだいっぱいありますね。
対人関係だったり、プライドだったり、見栄だったり、良い人気取りだったり、
カッコつけだったり、優等生であるべきなんていう勝手な思い込みだったり。
そいうった、本当は邪魔で重たい鎧をいっぱい身につけて、さも自分を守ろうとしている。
本当はそういうものが、自分を苦しめているのにね〜。

だから、人間にも犬のしっぽがあったらな〜。って思う。
口で何言っても、顔が笑顔でも、悲しそうでも、おしりの方でしっぽが本当の気持ちを表現しちゃう。
そしたらいいですよ〜。

例えば上であげた例。

【本当は飛び跳ねんばかりに嬉しいのに、そうでもない振りをしてみたり】編

シーン117 大学の合格発表掲示板前。番号があるたけしと、番号がないよしお。
よしお:「…」
たけし:「…」
よしお:「…おめでとう。よかったな。」
たけし:「あ、うん、ありがとう。でも、なんか、あんまり嬉しくないっていうか…。」
よしお、チラッと
たけしのしっぽを見る。
ブルンブルンと回りまくっているたけしのしっぽ。
よしお:「めっちゃしっぽ、振れてるぞ。」
たけし:「いや、違うんだ。これは…。」
必死にしっぽを押さえようとするたけし。
よしお:「同情される方がつらいんだよ。いいじゃねーか。素直に喜んじまえよ。」
たけし:「そう?そうだよな。そうだよな!
やった〜。やったど〜。合格したど〜!
   めっちゃ嬉しいど〜♪?☆

よしお、たけしをどつく。
たけし:「なんだよ。お前が同情されるのはつらい。素直に喜べ。」って言ったんじゃねーか。
よしお:「喜び過ぎなんだよ。程度ってもんだあるだろ!でもなんか吹っ切れたわ。
     あ〜、吹っ切れた。
たけし、おめでとう!

ほら、よかったじゃないですか〜。
変な思ってもいない同情される方がいやですよね。
正直で良いんです。

次は。

【本当は淋しいのに、大丈夫っていってみたり】編
シーン91 ***12月初旬、札幌の天窓のある喫茶店。よしおとはなこ。高校2年生。

喫茶店に流れている音楽『主よ、人の望みの喜びよ
はなこ:「映画、面白かったね〜。」
よしお:「うん。」
はなこ:「あそこ、意味よく解らなかったんだけど解った?瀧と三葉が初めて会うとこ。
     彗星が落下したところで。」
よしお:「うん。」
はなこ:「解ったの?」
よしお:「…え?ごめん。なに?」
はなこ:「聞いてなかったの?あそこ。瀧と三葉が初めて会うところ。彗星が落ちた…」
よしおの語り 「実は、映画のことはあまり覚えていない。そんなことより、今日、これから
        話すことを、どう、はなこに伝えようか。伝えたら、どんな反応をするだろうか。
        そのことを考えていた。」
はなこ:「ねえ、よしお、聞いてるの?さっきから。」
よしお:「はなこ、…実は俺さあ、年開けたらイタリアに行くことになった。イタリアで勉強して、
     最高峰の技術を身につけたいんだ。」
はなこ:「え?!」
よしお:「…最低でも3年間。」
はなこ:「年明けって、もうすぐじゃん。イタリアって…。いつ決めたの?」
よしお:「夏くらいから動いてて、受け入れ先が決まったんだ。」
はなこ:「なんで言ってくれなかったの?もっと早く。」
よしお:「ずっと言おうと思ってたんだけど、悲しむと思って言えなかった…。」
はなこ:「…」
よしお:「ごめん…」
はなこ:「そう。そうなんだ。」
よしお:「…ごめん。」
はなこ:明るく「大丈夫だよ。大丈夫だよ、私。いいじゃん!イタリア。絶対いいよ。
    きっとすごい経験出来るよね。こっちでは経験出来ないような。私、応援する。」
よしお:「…ありがとう。」

シーン92 *** 街を歩いているふたり。小雪が降っている。
音楽、続いている。
よしお:「…」
はなこ:「イタリアの何て言う街にすむの?」
よしお:「ミラノ」
はなこ:「どんなところだろう?よしお、イタリア語しゃべれるの?なんとかなるかなあ?
    ジェスチャーとかで。でも、イタリア人って大袈裟っぽいよね、大胆に
    身振り手振りやらなきゃ、解ってくれなそう。大袈裟に。こうやって、こうやって。」
両手を振り上げて、おおきくジェスチャーの真似をしているはなこ。
よしお そっと、はなこのしっぽを見る。
一生懸命上げようとしているのに、すぐに下がってしまう、はなこのしっぽ。
ちょっと上がったと思ったら、またダラーっと垂れてしまうはなこのしっぽ。
その様子をじっと見ているよしお。はなこが自分の顔を見ていることに気が付かない。
はなこ、手袋をした左の手の平で、よしおの頬をふれる。ピンクの水玉模様の手袋。
交差点の真ん中で立ち止まるふたり。
音楽とまる。
はなこ:「そんなにしっぽ、見ないでよ。…バレちゃう。」

突風がふたりを襲う。
はなこの長くて美しい髪が風に揺れる。
よしお、突然はなこを抱きしめる。
風景の全てが停止。静寂。
よしお:「淋しかったら、淋しい。って言っていいんだよ。泣きたかったら、
     泣いていいんだよ。」
再び静かに音楽イン『G線上のアリア』
揺れているはなこの髪。
はなこ:「…淋しいよ。」
よしお:「うん。」
はなこ:「…泣きたいよ。」
よしお:「うん。」
はなこ:「バカ!」
よしお:「うん。」
はなこ:「私、待ってないからね。」
よしお:「うん。」
はなこ:「ほんとに待ってないからね。」
よしお:「わかってる。でも、また戻ってくる。はなこのところに。」
はなこ:「…うん」

思いっきりベタな恋愛ドラマですね〜(笑)。
でも、強がらなくていいんです。
空元気や、応援されるより、素直に「淋しいよ。」って言ってくれた方が
男の心には届くんですね。

逆もまた、然り。
特に男の方が強がったり、カッコつけたりして、弱い自分を出せないものです。
でも、本当の心のうちは解って欲しい。

「そんなもん、解るかっつーの!!」by 篤子(妻) 

僕にも犬のようなしっぽがあったらなぁ(笑)。

感情をそのまま素直に表現してみたら、もしかしたらきっと、あなたが心配している
ようなことにはならないかも。

なんだよ。本当は悲しいんじゃん。
なんだよ。本当は淋しいんじゃん。
なんだよ。本当はそんなに嬉しいんじゃねーか。
なんだよ。本当はやりたくないのかよ。
なんだよ。もっと早く言ってくれよ。
そりゃ、怒るよな。当然だよ。

そんなものかもしれないですよね。

単純に、気取らず、飾らず、できるだけ裸の自分で生きていこう!
ノンノから教わったことの一つ。

それにしても、やっぱ脚本を描いている時、めっちゃ楽しい。
時間があって間に過ぎちゃう。

そうそう、僕が脚本を書いて、娘が人を集めて、昨年公演した『丘の上の桜の木に』
の公演当日の様子をアップしました。是非ご覧下さいませ〜。

『丘の上の桜の木に』



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3/30 ”奇跡真っ最中!”

ノンノ(愛犬の北海道犬)のこと、多くの人が心配してくれています。
本当にありがとうございます。

ノンノ、生きてます!
今、まさに奇跡が起きている真っ最中です。
この前も動物病院で看てもらったら、先生が言ってました。
「これは奇跡としか言いようがない。最初の様子では3日もつ状況ではなかった。
こんな例は今まで経験がない。」っと。

ノンノの病気は、内蔵に爆弾を抱えているようなもので、それが爆発したら、
数時間で死んでしまう。だから、症状が出たら、一分一秒も早く手術をしなきゃいけないんだけど、
極度の貧血状態(数値で言うと、通常の3分の1程度)で、この状態で全身麻酔をしたら
間違いなく意識が戻らない。
だから、体力が回復するのをただただ待つしかない。
そして、3分の1しか血液がないのに、体力が回復するはずがない。
時限爆弾は刻一刻とリミットに向けて、カウントダウン。

まさに、座して死を待つしかない。
そして、僕らはそれを看取るしかない状態でした。

僕に出来ることは、3/15のブログで書いたように、ノンノがこの病気になって、
何を僕たち家族に、特に僕に何を伝えたいのか?そのメッセージをしっかりと受け止めること。
それだけしか出来ません。
だから、毎日苦しそうに、ただじっと動かないノンノと一緒にいて、自分の昔からのことを考えて、
問いかけていました。

余命宣告をされてから3日目、先生に、もって3日。と言われたその日の夜。
真夜中にノンノの横のソファーで寝ている僕の上に、ノンノが飛び乗ってきたんです。
ジャンプする体力なんてあるはずがないのに。
そして、それぞれ家族が寝ている寝室にトボトボ歩いて行くのです。
ちょっと元気が出てきたのかも?と思っていたら、その朝、あまりにもグッタリしていて、
パソコン仕事をしている僕の近くで横になっているノンノが、フラフラと僕の足元にやってきて、
僕の脚にもたれかかるように倒れました。

そうかノンノ。昨日の夜は最後の挨拶をしたんだね。ありがとう。
溢れる涙を拭いながら、出かけようとしている娘に言いました。
「夜まで生きられないと思うから、最後の挨拶をしてから行きな。」

仕事をやめて、それからずっと、自分の中で気付いたこと、腑に落ちたことをノンノに伝え、
命をかけて、そのことを伝えてくれて、本当にありがとう。とそっと抱きしめました。

すると、それから少しずつ、元気になってきたんです。
毎日少しずつ。
そして、たまたま出会う人や友達が、次から次へと照らし合わせてリレーをしているように、
ノンノを生かそうとする情報を伝えてくれて、それを一つ一つ実行しているうちに、
本当に元気になってきているんです。

貧血の数値もその他の絶望的な数値も全部、改善方向に向かっているんです。
手術をせずに、こんなふうに数値が元に戻りつつあることは、あり得ないんだそう。

独立してから、目には見えない何か大きな力に守られている感覚がいつもあって、
そういう本を読んだりしているんだけど、まだまだ知識でしかなく、心から実感して、
腑に落ちているわけではなかったことが、今、目の前で起こりつつあるこの奇跡を
目の当たりにして、ああ、やっぱり本当なんだ。

心の世界が、本当の世界で、今現実だと思っているこの世界は、心の世界の結果なんだ。

今、ようやくこのことが心から腑に落ちています。

それからというもの、現実の世界で次々と良いことが起こり始めています。
そして、心がクリアーになると、これからの僕にとって必要なものとそうでないもの、
がはっきり見えてきて、いろんなものがきちんと整理されていく不思議な感覚です。

今朝、散歩している時、本当に強い力で引っぱるノンノ、
晴天の青空に、白いV字のラインを描いきながら、毎年この季節にやってくるオオハクチョウの群れ、
広い田園風景の向こうに見える東裏小学校。

いつもの当たり前だった風景が、やけに今日は美しく、新鮮で、清々しく感じました。
これが心の世界を映し出す鏡なんだな。と思ったら、心の底から喜びの感情がわいてきて、
つい大きな声で叫んでしまいました。

「わ〜、ありがとう〜。ありがとう〜」って。
叫んだ後、確認しました。
誰もいないことを…(笑)。。




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3/15 ”ノンノ、命をかけたメッセージ”

久しぶりに愛犬ノンノ(北海道犬)を工房に連れてきました。
いつものポジション、ステージの上の毛布の上でお昼寝しています。
4年くらい前、出産して育児中に、不意に来たお客さんを噛んじゃってから、なるべく工房には
連れて来ないようにしていました。

ノンノ、ここ一ヶ月くらい食欲と元気があまりなく、昼間は妻が、夜は僕が看病していたのですが、
先日医者に、もって後一週間くらいだと言われました。
まだ8歳なんですけどね。
まだ僕は受け入れられないなぁ。

僕との散歩が何よりも好きで、今だってグッタリしているのに、僕が上着を着ると
ムクッと立ち上がって、しっぽ振ってドアに向かって歩き出します。
僕と同じで性格なのか、飼い主に似たのか、後戻りするのが嫌で、散歩も来た道を戻るのが嫌で、
帰ろうとすると足を踏ん張って抵抗し、いつも前に進もうとします。
弱って歩くのもやっとの今でさえも…。
どこにこんな力が残ってるんだろう?って思うくらいの力で。
ロープから伝わるその力を感じると、まだまだ生きるんじゃないかって、願ってしまいます。

ノンノは工房が大好き。
散歩の時もスキあらば工房に入ろうとするし、毎日連れてきていた子供の頃は、いつもステージか、
薪ストーブの前で昼寝をしていました。
オシッコ行きたくなると、僕に吠えて教えてくれます。

昨夜、スタッフに申し訳ないけど、明日は仕事を休みにさせて欲しい。と伝えました。
今日は昔みたいに、工房で二人で一日中過ごしたかったから。

そして今、工房でノンノと二人っきり。
久しぶりだな〜。
赤ちゃんの頃、工房のそこら中でオシッコとウンチをして、僕に怒られていたよね。
木っ端をかじっては散らかしていたよね。でも不思議と作品だけはかじらなかった。
今日も相変わらず毛布の上で寝るんだね。

やっぱり受け入れられないよ。
もうすぐ死んじゃうなんて。

一か八か大学病院で、高額な治療を受けるという選択もあるけど、須田家の考え方として、
できるだけ自然に近いかたちで… と考えながら、苦悩しています。
そして、振り返るといろんなことを後悔しています。
「誰もが始めてのペットの死は、後悔と懺悔の念でいっぱいのものだよ。」と言うけどね。
ほんと。
でも、後数日だと知っているだけでも、それまでを精一杯濃い時間にできるからね。

僕ら夫婦は、何か出来事がおこると、その出来事により、どうのこうのってことよりも、
これはいったいどんなメッセージなんだろう?って考えます。

北海道犬は飼い主にしかなつかないというけど、ノンノは比較的社交的なタイプ。
でもやっぱり、僕のことは特別大好きなのが伝わってくる。
きっと、今の僕に、そしてこれからの僕に一番大事なメッセージを伝えるために
自分の存在をかけているんだろう。

昨夜、ほとんど眠らずに考えた。
やっぱり大学病院で一か八かの手術をしよう。って。
でも、工房でノンノと二人で向き合っていて、今、考えが変わってきている。

ノンノが僕に伝えたいそのメッセージを、僕が完全に理解して受け止めれば、
奇跡が起こるだろう。だって、そのメッセージを伝える必要がなくなるから。
もし奇跡が起こらなかったら、ノンノは死をもって、僕の骨身にメッセージを伝えようと
するんだろう。
だからそれを僕はしっかり看取ってあげて、ノンノが伝えたかったメッセージを受け止めよう。

ノンノ、僕はちょっとわかってる。何を伝えたいのか。

僕には心の一部分に、人に対して優しさや思いやりが欠けているところがある。
人には誰しも、そういう部分が多かれ少なかれ、あると思っているけど、僕がこれから
作り上げていこうとしているコミュニティー作り、そして子供が育っていって、
夫婦二人になっていくこれからの人生においては、その部分があっては、そんなことは
出来ないよ。上手くいかないよ。って言いたいんだろ?

ここ一ヶ月、ノンノを看てきて、自分の心のその部分がすごく癒されてる。
この癒されてる感覚、昔にもあった気がする。
そう、ノンノの赤ちゃんの最初の子が未熟児で産まれて、手のひらに乗るくらいの小ささで、
でも一生懸命生きようとしていて、僕も毎晩手助けしてた時。
結局僕の膝の上で、ミルクを飲ませている時に、死んじゃったけど。

あの時、気付けばよかった。
あの時、変われれば…。

ノンノ、今度こそ、わかったから。ちゃんと伝わったから。

だから、死なないで。死なないで。


でも、もし、もし死んじゃうとしたら、どうか神様、その時は、せめて安らかに
逝かせてあげて下さい。



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3/6 ”アイドルに疎い僕ですが…”


AKB48、SKE48、HKT48…
ぱっと言えるのはこれくらいか?
おっと、いきなりつむ通らしからぬアイドルグループの名前が出てきましたね。

◯◯◯48という秋元康プロデュースのアイドルグループ、いろいろありますね。
僕の世代ですと、おニャン子クラブ全盛期でしたので、時代は繰り返すんだな。と思いますね。
そして、おニャン子クラブの時もアイドルに恋愛禁止を求めておきながら、
ちゃっかり自分は高井麻巳子と結婚してんじゃん!と思ったものです(笑)。

すっかり最近のアイドルグループの情報にうとくなってしまった僕ですが、
先日、キラッと光る記事を見つけて、とても興味を持ちました。
乃木坂46の橋本奈々未さん、知りませんでした。
彼女が卒業というか、芸能界を引退するそうですね。
ネットで検索してみると、とても可愛いじゃないですか!
って、興味を持ったのはそこじゃない!
彼女の卒業コンサートでのコメント。

「みんなの声を見ていると『もっと早く出会って、もっとたくさんななみんに会いに
行けば良かった』とか
『もっといろんなななみんを見るために、もっといろんなことを
しておけば良かった』とか、そういう声もたくさん聞いたし見ました。
けど、それは違うなと思ってて。
人は必要な時に必要な人と会うと思ってます。だから足りないと思ってて、
その足りなさがきっと今後の人生において、大事になってくる想いになるんじゃないかと
思います。だから足りないということも多すぎる、ということもないと思います。
ちょうど良かったんだと思います。
だから私は自分を信じるし、皆さんも自分を信じて。これからもお互い!」

橋本奈々未さん24歳。
アイドルになった理由は、
弟の学費と、実家の家計を助けるため、そして、ロケ弁が食べれるから。
という理由だったとか。
後に母から、「今までごめんね。無理しないで好きなことをして下さい。
弟も自立してきたし、私も私で生活出来るから。」という手紙が届き、弟も大学に入学し、
学費が免除され、卒業を決心したのだそうです。

心のベクトルが外に向いているからこそ、世間や、周り、芸能界に流されず、
自分の価値感を貫いて、納得する人生を歩んでいけるのだと思います。

足りないことに満足し、その足りなさが未来につながる希望になっていく。
だから、いつでもどんな状況でも、今、この状況は、今の自分には最高のもので、
そう思えるから、自分も、そして人も信じて生きていこうよ。

そんな彼女のメッセージに、どれだけの人が励まされたことでしょう。
そして、僕も励まされた1人です。

僕も、あなたも、そう、今犬の散歩している君も、春の農作業に向けて融雪剤を撒いている
あなたも、病気で寝込んでいる君も、今、その状況が必要で、必然で、最高!!



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2/23 ”才能と運命と…”

「片手の5本はまだ分かるが、両手の10本は想像がつかない。」

先日、ある記事を読み、心にズシンと残りました。

神様は得てして、たぐいまれなる才能を与える代わりに、それに見合う壮絶な運命をも
一緒に背負わせるものだと思うことがあります。

今、プロ野球はキャンプ後半にさしかかって、オープン戦の情報が気になります。
北海道といえば日本ハム。いつも話題の中心は大谷選手ですね。
投手として日本最速の163キロには驚きました。
いったいどこまで進化するんでしょう?

でも、ちょうど100年前に誕生し、球速160キロは出ていただろう。と言われる大投手がいたんです。
そう、シーズン終了時、最高のピッチャーに送られる『沢村賞』に名を残した沢村栄治投手。
もちろん、その当時、測定する器械がないので、正確には解らないそうですが。

『沢村賞』

Wikipediaで調べると、戦前のプロ野球黎明期において、豪速球投手として名を馳せた
沢村栄治の栄誉と功績を称えて制定。
その年に活躍した先発完投型の投手から選考される。

とあります。
”沢村栄治”という名前は聞いたことがありますが、どんな人だったのか、どれほどの投手
だったのか、全く知りません。
通算成績は63勝22敗。

え?!そんなもんなんだ。たいした事無いと思いますよね。
プロ野球では200勝投手が24名もいるんですから。
それは、沢村栄治という人の壮絶というか、野球人としては悲運の人生が絡んでいるんです。

沢村投手は17歳のとき、ベーブ・ルースのいる大リーグ選抜を相手に快投。0-1で敗れたが、
ベーブ・ルースも沢村投手を賞賛したという。

巨人に入団し、史上初のノーヒットノーランを達成。翌年の成績は24勝・防御率0.81。
この数字、どれくらいすごいかというと、ヤンキースで活躍している田中将大投手が、
日本での最後の年、2013年楽天が優勝した時、もうこんな投手、現れないだろうと言われた
時の成績が24勝・防御率1.27ですから。
あの神がかってたマーくんよりも防御率は低いんです。(防御率は低い方が良い)

しかし一回目の徴兵により左手を銃弾貫通で負傷。肝心の右肩も、手榴弾を投げさせられたことで
傷めてしまいます。帰国し巨人に復帰後、豪速球のオーバースローを捨て、肩の負担が少ない
サイドスローに転向。抜群の制球力で、再びノーヒットノーランを達成します。

しかしその後2度の召集により、選手生命は断たれ、2度目の召集でフィリピンに向かう途中、
台湾沖で戦死。享年27歳。
実際にプロ野球に籍を置いたのはたった5年。

皮肉な運命を感じさせる記事がWikipediaにでています。

++++ Wikipediaから抜粋 ++++++++++++++++++++

京都商業学校卒業後には慶應義塾大学への推薦入学がほぼ決まっていたが、
正力松太郎(当時、読売新聞社長)が強引に口説いて同校を中退させて巨人入りさせた。
正力は「一生面倒をみる」とまで言ったという。
しかし、巨人は戦地から負傷して帰った沢村を解雇し、約束は守られなかった。
また、2度も召集を受けたのは学歴が中等学校(旧制)中退であったからという説を
とれば、中等学校を中退しての巨人入りは沢村のその後の運命を左右してしまったと
言える。
沢村は巨人から解雇を告げられた際、さすがに気落ちし、父親に「大投手などと煽てられ
ていい気になっていた、わしがあほやったんや」と語ったが、自分を責めるだけで正力や
巨人に対する恨みごとは言わず、入営時には笑顔を見せていたという。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

戦争が沢村栄治という秀でた才能をもった若者の、希望と栄光へ導かれたであろう人生を
一変させてしまった。

今、世界中が混沌とし、安倍首相が進める政策も、戦争へと導かれている。というジャーナリスト
もいます。本当のところは解りません。
でも、そろそろ、国家とかそういうくくりではなく、みんな”地球人”という意識を持つべき時が
来ているのではないでしょうか。

沢村栄治投手の人生を知り、どう思いますか?

今年も活躍した投手が、『沢村賞』に選ばれます。
そんな時、心のすみっこで、沢村栄治投手の人生に思いを馳せて欲しいな。と僕は思いました。

それにしても戦争のない今、そして設備やトレーナーの整っている現在だったら、
いったいどれくらいの成績を残したんでしょう。

文頭の言葉
「片手の5本はまだ分かるが、両手の10本は想像がつかない。」

指を10本すべて脱臼したという。
尋常高等小、京都商業を通じて5年間、捕手として沢村栄治投手の球を受けた人である。
受ける左手はともかくも、ミットの裏に添えた右手まで無事で済まない。

どれほどの豪速球だったのか。



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2/9 ”夢の叶え方”

  

昨日まで静岡にいました。
温かくて良いですね。北海道から来た僕はコートがいらないくらい。

娘が倉本聰脚本の演劇『走る』に出演しており、いよいよ全国公演真っただ中で
スケジュールを見ると、全国を縦横無尽に公演行脚しているようです。

なぜ僕が静岡にいるかというと…。

わざわざ静岡公演を見にきたわけではありませんよ。もちろん、見ましたけどね(笑)
目的はそれではなく、
娘は高校生なので、後期の試験を受けないと卒業できない。
でも全国公演真っ最中で学校には通えない。
そこで、学校が寛大な処置として、僕がテストを持って現地に行き、僕の監視のもと、
試験を受けさせて、それを学校に提出する。ということを認めてくれました。

娘は今高校3年生。
普通だったら今年は受験か、就活なんだろうけど、鼻っからそんな気はなく、
自分の好きなこと、好きな道を進もうとして、受験勉強も、就活も興味無し。
僕が、卒業したらどうする?なんて気にかけていたそんな矢先、『走る』の
オーディションのチラシを見つけてきて、
「パパ〜、見て見て!富良野塾の演劇のオーディションやるんだって。受けてみる!」
と言って、とても綺麗とは言えない字で、一次試験のレポートを書いていました。

オーディション当日も、僕の方が気になって気になって、帰ってくるや否や、
質問攻めにしたくらいですが、当の本人は、「倉本先生に褒められた。」と
すでに受かった気分。
そして、本当に受かっちゃうんですね。

娘は4,5歳のころから演劇が好きで、母親とよく札幌の近くの地域の劇場に見に行き、
小学生に入った時にその劇団に入って楽しんでいたのですが、僕が工房を当別に移すことに
なって引っ越しをしたので、劇団をやめざるを得なくなったんですね。
劇団のない当別で、バスケット(ミニバス)をやり始めました。
中学になったら、札幌の劇団に入って、電車で通う!と張り切っていたのですが、
廃部の危機で、ミニバスをやってたメンバーはそのまま中学でもやらないわけにはいかない。

ところが、中2の夏、練習試合中に膝の靭帯切断という大きな怪我をしてしまいます。
医者には完治3ヶ月。バスケットの出来るには1年半は無理。という宣告。
ということは中2どころか、中3の中体連への望みも絶たれてしまったんですね。

さぞ落ち込んでると思いきや、
「これで堂々とバスケ部辞められる!札幌の劇団入るわ。」と半ば喜んでいる感じ。
退院するや、劇団に入り、毎週電車で1時間かけて通い始めました。

すると、その劇団での大きな公演で主役をやることになったのですが、この時は
かなり悩んでましたね。演劇の素人の僕には理解出来ない範疇で、もがいていました。
この経験は、今回の『走る』の演技では、とても役に立っているようです。

そして高校の選択の時。
娘の中学での成績は、いたって普通。ど真ん中ってとこだったので、まあ、普通の高校の
普通科に行けたのですが、志望校の説明会に行った時、校長先生が「社会の常識やルールを
きちんと守れる生徒教育をします。」というようなことを言ってたのが、むしょうに
面白くないと感じたのと、演劇はやり切った感があって、「ダンスをやりたい!」
と言い出し、私立のダンス科のある高校を選びました。

その高校は、その生徒の過去は問わない(成績も内申書も)学校で、高校説明会で
校長先生が「目立ってなんぼです。周りが黒髪なら、金髪にしなさい。周りが金髪なら
黒髪にしなさい。」と親の前で平気に言うような学校なので、
中学校の先生たちから
「そこしか行けないなら仕方ないけど、そうじゃないんだから、とりあえず普通高校に
行った方が賢明だと思いますよ。」と随分言われました。
が、僕ら夫婦は、(娘が行きたいっていうんだったら)逆に、成績が普通中の普通なんだったら、
特徴のある学校の方が面白いよね。ということで、迷いもなく、今の高校を選びました。

”過去は問わない”というのが、ある意味、娘には裏目に出たというか…。
ダンス科の他の生徒は、みんな子供の頃からダンスをやってた人たちばっかり。
娘だけが未経験者だったようで。
過去は問われなかったので、合格できたんですね。
その代わり、ついて行くのに必死でしたね。
「来年はセンターで踊れるようにがんばる!」と必死に家でもストレッチをやってました。
高2になるとまた、「来年はセンターで踊れるようにがんばる!」と同じことを言って
頑張ってました。他の人は子供の頃からやってるのだから、なかなか追いつくのは
難しいのでしょう。

そして『走る』のオーディションに合格し、厳しい稽古が始まると、
あまりに過酷な『走る』の演劇は、故障者続出で、(全国公演が始まった今でさえ、
途中リタイヤする役者が出たりして、毎回急遽台本が変わるんだそうです)せっかく
オーディションに合格したのに、脱落していく人が多い中で、
厳しいダンスの練習で身に付いた体力、筋力で、「みんな、びっこ歩きしてるけど、
私は今のところ、全然平気。」っと。
そして、ダンスでは、2,3回人の動きを見て、それを真似ることをやってきたので、
「倉本先生がこうやってって見せてくれる動きを、すぐに出来ちゃって褒められるんだ。
ダンスやってたお陰だわー。」と。

そして、今の高校じゃなかったら、12月から3月まで、高校に通えない娘は
留年か、退学のどちらかしかなかったんですね。
僕の監視のもと、テストを現地で受けて良いなんて、普通はあり得ないですよね。
本当に今の高校で良かったと親子で思っています。

中学校の演劇で悩んだことも、とても役に立っているようで、僕はそういう話しを
うん、うん、言いながら聞いているのが嬉しくて嬉しくて。

帰りの新幹線の中で、娘の小さかった時からのことを思い出すのです。
まだまだこの先、長い人生が続くんだろうけど、そして、演劇という簡単ではない人生を
選んだ娘には、傍から見たら大変だと思うこともあるんだろうけど、
『走る』の舞台の中でも語られるように、娘が舞台『走る』に出られたことを
「あれも一つのゴール(夢が叶った瞬間)だった。」(おじいさんのセリフ)
とするならば、

夢が叶う方法として、娘はいつも、

人生の選択は頭で考えず、心がワクワクする方を選ぶ。

そして選んだら、

その場所で一生懸命頑張る。

ことをしてきたんだな。と思います。

舞台『走る』のパンフレットの中で、最年少の娘は、役者のなかで一番最後、
ゼッケン39番で紹介されています。
そして一言の欄に書かれていることは、

『与えられた場所で咲くこと』

いつの間に、こんなことを言うようになったんだろう?

やっと全国公演の半分を終えたそうです。
残り半分、精一杯その場所で咲いて来い!!

最終日の富良野公演、成長した姿を見るのを パパはとても楽しみにしている。





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2/2 ”100億円の価値って?”

やったど〜。ロト6で100億円当たったど〜。
よっしゃ〜!何しよう?

100億円あったら、あなたは何をしていますか?

若者は悩みますね。旅する木にも悩める若者がいます。
この3月で旅する木を去ることになりました。
木工はね〜、好きだけではやってかれないけど、好きじゃなければもっとやってかれない。
半分は彼に木工の楽しさを伝えられなかった僕の責任でもあります。

彼のまだまだ長い、これからの人生を考えると、何かやり甲斐のある、これってものを
見つけて欲しくて、ことある毎に僕の人生や経験、考え方なんかを話しています。
僕の人生がすごいわけでもないし、見習って欲しいと思っているわけでもないけど、
20年くらいの人生の先輩として、何か感じてくれて、人生の選択の時に、それが
ささやかに背中を押してくれたらいいな。と思います。

「須田さんは選択の時、いろいろ頭で考えるより、心がワクワクすることを選ぶといいよ。
って言うけど、ワクワクが見つからないんです。どうしたらワクワクすることを
見つけられますか?」
先日、しみじみと尋ねられました。

「そうだね。100億円あったら、何してる? 今、頭の中を占めている悩んでいることが
そっくり無くなったら、何する?そんな風に考えたら、何かヒントが出てくるんじゃない?」

100億円あったら、あなたは何をしていますか?

僕?
やっぱり旅する木をやってますね。
楽しい仲間と家具作ってる。
最高に美しい木の車椅子作ってる。
子供たちの木工体験プロジェクトをもっと大々的にやってる。(今年もやりますよ〜♪)
旅木劇団をやってる。しかも劇場作っちゃう。
旅木農園で楽しく、こだわりの農業をやってる。(目指せ!半仕事半農)
こんな活動を楽しそうって集まってくる人たちと、自給自足のコミュニティーを作ってる。
カヌーポロ(カヤック乗りながらの水球のようなマニアックな競技)のチームを作って遊ぶ。
カヌーポロ専用のプールも作っちゃう。子供のチームも作って、指導して、日本代表を育成する。
これらのことを、夏は北海道で、冬は四万十川の近くでやる。

ワクワクしますね〜。とっても。
どれもこれも、今の暮らしの延長上にあるということは、視野が狭いのかな?
いや、幸せなことですね。

先日、お客様からこんなメールを頂きました。

「私は、終のすみかに須田さまの創ってくださった家具があって欲しいです。」

こんなことを言われたら、やっぱり僕は100億円あっても、家具を作ってます。

足が不自由な人がいて、その人が、
「この木の車椅子のお陰で、人生を一歩踏み出せた。」
なんて人がもしかしたらいるかも?って考えただけで、やっぱり僕は車椅子を作っているだろう。

でも、ひとりは淋しいな。楽しい仲間と楽しみながらやっていきたい。
今、旅する木のスタッフと、新たに加わろうとしている人と、今以上に楽しく
やる気とやり甲斐とワクワクしながら、精一杯自分を表現し、仕事と暮らしをしていける
システム作りを話し合っているところです。
上に羅列したようなことを一緒にやっていきたいって人〜、興味あるって人〜、
旅する木の仲間になりませんか?

おっと、去って行く若者を励ますつもりが、つい勢い余って、そのまま募集に
なっちゃいました(笑)。

悩める若者へ。

喜び や 楽しみは、苦しみ や 辛さ を乗り越えた先にあるものだとは思わないし、
すでに今は、そういう時代ではないと思います。
”今ここ”を十分楽しむその延長上に、さらに楽しい”今ここ”があるんだと思います。
そしてそのためには、”今ここ”を楽しもうと一生懸命取り組むこと。
向いてない とか、楽しくない と判断出来る者は、それを全身全霊で一生懸命取り組んだ者
だけなんじゃないかな。
そして、一つのことを全身全霊で一生懸命取り組んでみたら、大抵のことは
面白く感じるものなんじゃないだろうか。
僕はこんな風に思います。

旅する木を去って行った人が、どこかでワクワクを見つけて、それに真剣に取り組み、
それを活かして自分を表現しようとする時、どこかで人生を交差できたらいいな。
と思っています。
旅する木はこれから、いろんな人と、ワクワクするような交差点を作って行こうと思ってる。

君は去って行くかもしれないけど、仲間には変わりない。




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1/28 ”心の旅”

今、愛媛県松山市にお住まいの方とキッチンの打ち合わせを進めています。

話しは変わりますが

っていきなり?
すみません。行き当たりばったりで。

小学4年の息子がちょうど都道府県、県庁所在地を覚えています。
僕も一緒になってクイズをしたりしているのですが、
長野県出身で、北海道にしか興味の無かった僕は、関西から南は弱いんですね〜。
三重県の津、滋賀県の大津とかって、浮かびませんね〜。
場所もイマイチ解らないです。
すみません。お住まいの方。

それでも最近、受注の半分以上は本州の方からなので、打ち合わせの時、
日本地図を見たりして、ここに住んでる方なんだ。などと思いを巡らしたりしています。
そして、なかなか旅行では行かないところだったり、自分では行こうと考えない地域に
お住まいの方からキッチンなど、取り付けが絡む家具のご注文は、また違った意味で
ワクワクしちゃいます。

今までにも青森県の方のキッチンの取り付けで五所川原に行った時、
そもそも五所川原という地名も知らなかったのですが、車で行くので、地図を見ると、
間に別の町を挟んで、完全に二つに分離しているのに、五所川原市という一つの市なんですね。
”飛地”というらしいです。
普段、まずもって、日本酒を飲むことはないのですが、お客さんに勧められて、
『田酒』というお酒を頂きました。
始めて日本酒を美味しいな。と思いました。
そして太宰治記念館を訪れて、羽織を来て写真を撮って、珍しい立佞武多(たちねぷた)を
見たりしましたね。
五所川原にお住まいのお客様と出会わなかったら、もしかしたら一生知ることも、行くことも
なかったかも知れません。

おっと、なんだか遊びに行ってる感じですね〜。
取り付けがたまたま、早く終わったから、残った時間で観光した次第です(笑)。

最近は横浜へも打ち合わせや、取り付けでちょくちょく行っていたのですが、
大都市だと思っていた横浜も、意外と電車で数個の駅を過ぎると田舎なんだな〜。と感じたり、
湘南海岸の美味しいホットドック屋さんでランチをして、早朝に湘南海岸を散歩して、
冬なのにサーフィンを楽しんでる人たちを見たり、ちょっとビックリしたのが、
湘南海岸近くの家に停まっている自転車には、サーフボード用のアタッチメントが
付いているんですね。あんなの北海道では見ることないですからね。

こんな風に、お客様を通じて、その土地の土地柄とか、生活感とか、文化とか歴史とかを
感じらる機会をもらえることが楽しみのひとつになっています。

そして、天気予報を見ると、あ、◯◯さんは大丈夫かな?とか、地震速報などで
近くにお住まいの方に大丈夫でしたか〜?なんてメールを出したりすることで、
その土地がなんとなく身近に感じられたりすることが嬉しかったりするんです。

そうそう、今、愛媛県松山市にお住まいの方とキッチンの打ち合わせを進めています。
冒頭に戻りました。

愛媛と言えば、子供の頃から見慣れたみかん箱が真っ先に浮かびます。
僕の実家は自営業で精密機械の町工場をやっていたので、細かい部品を箱に入れていました。
小学生の頃、学校から帰ってくると、家の隣の工場に「ただいま」を言う為に
いつも顔を出すのですが、積み上げられた箱に、『愛媛のみかん』って書いてあったのを
思い出します。
みかんそのものではなく、箱を思い出すのも不思議ですね。

親工場への納品は、いつも手伝って、部品の入ったみかん箱をいくつも台車に積んで
運びましたね。
一箱に何千個という小さな金属部品が入っていて、父親に1個いくらなの?と聞くと、
50銭とかそういう単位の返事が返ってきて、1円より少ないんだ。と子供心ながら、
一箱一杯にする苦労を思うと、気が遠くなったものです。
それでも父親は、プレスで抜く型を作れる職人だったので、型を工夫して、
「普通だったら2工程のところを1工程で出来るようにしたんだ。」というようなことを
自慢げに僕に話してきました。
多分、今の僕と同い年くらいだったんだろうなぁ。
息子に、自分の仕事の誇らしさを伝えたかったんでしょうね。
仕事はこんな風に工夫してやるものなんだ。っていう感覚が、こんな感じで僕の中に
染み付いていることは、今思うと本当にありがたいことだと思います。

可笑しいですね。
愛媛県の方との打ち合わせで、愛媛、という3次元的な場所ではなく、時間を越えた
心の旅ができるなんて。

これからも一つ一つ、お客様と良い出会いを積み重ねていきたい。





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1/24 ”走ったど〜”

    

今年は出来るだけつむ通を更新しようと思います。
三日坊主かも知れませんが…。。

昨日、走ってきましたよ〜。
倉本聰脚本の舞台『走る』のサラリーマン走り。

戦後の日本を、社会を、家族を支える為に、ひたすらに走った日本のサラリーマンたちの
姿を舞台の上で表現すべく、エキストラとして40名ほどのスーツを着たおじさんたちが、
約2分半、その場走りをするんです。

僕は子供の頃から倉本聰の作品が大好きで、テレビドラマから本まで、読みあさってました。
『北の国から』も大好きだったけど、それ以上に好きだったのが『ライスカレー』という
TVドラマ。
このドラマに触発されて、大学を休学し、単身、カナダにログハウスを建てに行きました。
カナダから帰ってきて就職活動をしなきゃいけないんだけど、今度は脚本家になりたい!
なんて富良野塾への入塾を希望したんですね。
結局その夢は果たせなかったのですが、その後も倉本作品、特に演劇は大好きで、ずっと
見てきました。

今回の『走る』の舞台が倉本聰の最後の舞台なんだそうです。
一年前にそのオーディションがあるという情報を、娘が偶然、違う演劇を見に行った時に
もらったチラシの中に入っていて、応募したんですね。
東京組も含め数百人という応募者でオーディションを繰り返し、なんと娘が合格したんです。
娘以上に僕が嬉しくて嬉しくて。

そして富良野演劇工場のHPを見ていたらなんと!!!
『サラリーマン走り出演者募集』
という妙に気になる文字を発見。

募集条件:30歳以上の男性
内容:戦後「豊さ」を求め走り続けた日本人の姿を描く『走る』の本番の後半で、舞台の上で
   走る演技をして頂きます。
定員:先着40名

ばっちりドンピシャじゃないですか!
まさに僕の為の役じゃないですか!!

応募開始当日、朝一で電話して申し込みました(笑)。

それで先週の日曜日、富良野に行ってきたのですが…。

公演が始まってから、ロビーにサラリーマン走りに出る人が集まって、指導を受けるんですね。
その場走りって、実際に走るより結構ハードなんですよ。
股を上げて、後ろ脚を大きく蹴り上げて、腕を後ろまで大きく振って…。

サラリーマン走りに出る人を観察していると、ほとんどの人が富良野市の役場の職員みたい。
借り出された感じなんでしょうね。
どうやら張り切って、遠方からわざわざ来るもの好きは僕くらいらしい(笑)。
これはセンターをとってやる!なんて意気込んでいたら、
「戦後を一生懸命走り抜けてきた感じなので、老けて見える方、前でお願いします。」っと。
おっと、そんなこと言われたら、センター取るのはちょっと心境的に微妙じゃないですか(笑)。
結局2列目のセンター確保。

そしていよいよ本番。
まあ40人もいるし、セリフがあるわけじゃないし、それほど緊張してはいなかったのですが、
スタンバイする幕の後ろは真っ暗なんです。当然ですが…。
そこに立つと、ちょっと緊張。
老人役の役者の心を打つ長セリフがあって、音楽イン。
オーケストラの威風堂々、サビの部分。
幕の後ろで少しづず足音をさせながら走り出します。
足音が段々大きくなっていって、
そしていよいよ幕が開けます。

ドキドキしますよね〜。
照明がこっちに当たっているので、こっちからは何も見えない。
でも、富良野演劇工場は何回も来ているので、想像ができます。
見上げる最上段まで満席。みんなが見ている。

最初は疲れたサラリーマンらしく、うつむきながら走っているのですが、
威風堂々(音楽)が盛り上がってきて、やる気が充満し、
さあ、家族のため、会社の為、日本のため、明るい未来の為に走ろうじゃないか。
うつむくのをやめて、上を向いて客席に向かって走り出します。

その時、込み上げてきちゃうんです。僕は。
すっと憧れの倉本聰の舞台に自分が立っている。というこの瞬間と、盛り上がる音楽に
グッと来ちゃうわけです。

ダメダメ!涙流してる場合じゃない。エキストラとはいえ、演じる側なんだから!!!
必死に涙をこらえて上を向いて走りました。
あっという間の2分半でした。
気持ちよかったですね〜。

幕が閉じて引き上げる時、役者の溜まり場(出番を待っているところ)で、娘が
「パパ〜」って声をかけてくれて、満面の笑顔でハイタッチ(笑)。

今回の『走る』の舞台が倉本聰の最後の舞台なんだそうです。
娘も僕も、間に合った。ぎりぎり間に合った。という思いでした。

と、ここで終わっていれば、楽しくてパッピーエンドだったのですが…。

全ての演技が終わった最後、役者が舞台に並んで礼をして、拍手をもらう、
倉本聰曰く、一番おいしい、カーテンコールに僕たちサラリーマン走りのエキストラたちも、
並ぶんです。

舞台が最終にさしかかり、役者たちがフラフラになりながらゴールを切った後、
最大の見せ場のクライマックスに入った時、僕たちもカーテンコールのために並ぶ準備をします。

その時、何か変だぞ?頭がぼーっとするぞ?心臓がドキドキしてるぞ?あれ?

20年見続けてきた憧れの倉本聰の舞台に立った高揚感なのか、滅多に着ないスーツで
ネクタイをしめて、張り切って走ったせいなのか、汗がふき出して、フラフラしてくるでは
ないですか。

もうちょっと、もうちょっとで舞台が終わって、ステージに並んで4秒頭を下げれば
全て終わるから。

すでに舞台裏でスタンバイしているので、あたりは真っ暗。捕まるところもない。

もうちょっと頑張れば終わるから。何とかそれまで…。
あれ?なんか宇宙に浮いてる感じ。 …あれ? 宇宙に吸い込まれて… 気持ちいいなぁ。

気が付くと演劇工場の事務所に寝かされていました。
どうやらスタンバイの直前に気を失ってしまったみたいで…。。

ある意味、ギリギリセーフ。舞台の上だったら大変な惨事でした。
ホールに出て来ない僕を心配して娘から電話が。

娘 「どうしたの?今どこにいるの?」
僕 「パパ、倒れちゃった…。」

情けないですね〜。
娘は最年少で立派に演じているというのに。

僕の初舞台は、こんなオチがつきました。
まあ、あまりに情けない僕ですが、これでめげない図々しさとういか、そういうところが
僕にはありまして…。

次の週(一昨日)もちゃっかり富良野に行って、今度はしっかりとお役目を果たして来ました。
もちろん、一番美味しいカーテンコールも。
気持ちよかった〜。

ということで、明日25日の札幌公演でも、サラリーマン走りで出演します!!
観に行く方、探して下さいね〜(笑)。




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1/21 ”始まりました舞台『走る』”

遅れまして、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

前につむ通で書きましたが、娘が倉本聰脚本の演劇『走る』に出ることになり、
昨年末から富良野で指導を受けているんですね。
その一般公演が15日から始まりました。

僕らは心のどこかで、走らなきゃいけない。人より早く、一生懸命走ってなきゃ。
そうすれば、きっといい人生が待ってる。
なんて脅迫感なのか、焦燥感なのか、不安感なのかわかりませんが、
そんなものに突き動かされているようなところがあるんじゃないのかな?

何のために、走るのか?どこに向かって走るのか?
確固たる答えが見つからないまま、ただ見えないゴールを目指して走り続けている。
このゴールの先に”幸せ”があるんじゃないかって。
そしてそのゴールにたどり着いたら、また次のゴールを目指して走りだす。

倉本聰脚本の舞台『走る』は、ひたすら走ろうとする我々の行動を
ある種の肯定感と疑問の中で、様々な年齢、性格、状況、立場のランナーたちの
それぞれの心境を描いています。

この『走る』の演劇は、20年前に富良野塾の卒塾公演の時に見たことがあります。
まだ20代の僕には、正直、その意味が解りませんでした。
でも、そんな僕も40代後半になり、いつの間にかいろんなものを背負い込み、
思い込み、やはり自営業の父親の作業着の油の匂いと、洗っても落ちない汚れた手が
僕の骨身に染み付いていて、人生を走っていなければ安心できないというのか、
ヘトヘトなのに、まだやれる!というところに美学を感じるところがあり、
先日、富良野で『走る』を見た時は、泣けましたね。

11年前、独立してからというもの、無我夢中で走ってきました。
旅する木を走らせる為に走っていたつもりが、いつの間にか、旅する木に走らされて
ここ2、3年、苦しいなあ。という時期が続いてましたね。

ヒマラヤを登るグループには、現地ガイドがサポートにつきます。
彼らのことをシェルパと呼びます。
天候に左右される登山では、出来るだけ早く頂上アタッックポイントまで登りたい。
だからついつい急ぎたくなる。
ある日、荷物を担いでいたシェルパの人たちが、動くのを止めたんだそう。
「なぜ動かないんですか?」と訪ねると、
「我々は急ぎ過ぎて、心を置き去りにしてきた。心がこの場所に追いつくまで
しばらくここで待っているのです。」      

”心が追いつくまでしばらくここで待っているのです。”

舞台『走る』の走者の中にも、心を置いてけぼりにしている人たちが、そのことに
目をつぶり、走っています。

倉本聰は問います。
”あなたは何のために走るのですか?”
”あなたは何に向かって走るのですか?”

走ることに疑問を呈しながら、同じ口でこうも言います。

”感動を創る者は走らなければならず、
 感動を得るだけなら座しても可能だ
 走るか、座るか
 覚悟を決めなさい。”

倉本聰の舞台は、いつもテーマが深く重いので、いつも心の奥の深い部分に
ドンと来て、それが僕にとっては心地良いところなのですが、
今回の『走る』は特に今の自分と重なるところがあって、
いや〜、生きるって苦しいなぁ。なんて思いながら見ていると、

盲目で最年少のランナー役の娘が、印象的なストップモーションで叫びます。

「だって私、走りたいんだもん!」


そうだよね。
何のために走るのか?
何に向かって走るののか?
それはよく解らないけど、一つだけ解っていることがある。

僕は”感動を創る側でいたい”


倉本聰脚本の舞台『走る』
いよいよ全国公演が始まります。
きっと何かが心に残る舞台だと思います。是非ご覧下さいね。

ちなみに僕は今、富良野にいて、このつむ通を書いています。
明日、富良野での最後の舞台で、サラリーマン走り というエキストラ役に応募して、
出演します!
憧れの倉本聰の舞台、そしてなんと、親子共演(笑)。

走って来ます!



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12/20 ”形 に 祈り を込めて”

   

いよいよ年の瀬が迫ってますね。
旅する木も、ラストスパートで、スタッフ一同、頑張ってますよ〜。

先日は神奈川の湘南海岸のお客様のところに、キッチンの取り付けに行ってきました。

3メートルを越える、大きな人工大理石の天坂のキッチンです。
遠方での取り付けは、トラブルが発生した時、対応するための道具の有無がとても心配。
でも、大きなトラブルも無く、順調に取り付け終わり、時間があったので、
湘南海岸の散歩や、鎌倉観光を楽しみました。

この時期なのに、湘南海岸では多くの人がサーフィンをして、楽しそうでしたね。
北海道では信じられない!
暖かいっていいな〜。とひなたぼっこをしながら、見ていました。

海岸から向こうに、富士山が大きく見えるんですね。久しぶりに富士山を見ると、
やっぱりちょっと気持ちが高ぶりますね。
美しいな〜。といつまでも見とれてしまいます。

そして日中向かったところは、やっぱり大仏!!
小学校の修学旅行で見て以来。

小学生の想像ってすごくて、修学旅行に行く前に、鎌倉の勉強をするわけです。
もちろん、写真で大仏も見て、その歴史なんかも知識として入れておくわけです。
そういう写真は、撮り方を上手いから、下からダイナミックに撮ってあるわけで。
そんな写真を見た長野県の田舎の小学生は、大仏は巨大で、天にそびえ立つような
大きさなんだと、勝手に想像しているわけです。

そして、いざ、鎌倉。いざ、大仏を目の前にして僕ら小学生たちが思ったことは…。。

「ちっちゃ!大仏ちっちゃ!」

修学旅行で訪れた、僕ら小学生の団体の口々から
「ちっちゃ」
「ちっちぇ〜」
「鎌倉の大仏って意外と小さいんだ」

失礼ですよね〜。

小学生の僕の記憶に残っている修学旅行の思い出は、鎌倉の大仏よりも、
その晩、江ノ島のホテルから見た、パトカーに追いかけられて逃げている暴走族でした。
「なんで警察に追われてるのに、逃げるの?」
田舎の真面目な小学生たちには、警察に追いかけられて、逃げる という行為が
信じられなかったんですね〜。
当時の僕の旅行記には、その時の状況が詳しく説明してありました(笑)。

さて、先日。
大人になって訪れると、やっぱりいいですね。
遠方からは目をつぶっているように見えたけど、正面の真下に立つと、
睨まれるんですね。心を見られるようにじーっと。

驚いたのは、大仏の中に入れて、背中に窓があるんですね。
正面の凛々しい姿も良いですが、後ろの丸みのある大きくて優しい背中が特に良いと思いました。

大仏を見に行く際に乗った、鉄道マニアにはたまらない(?)江の電も味わいと、
愛嬌があって、いいなぁ。と思いました。

美しい富士山の形、優しい大仏の背中の形、愛嬌のある江の電の形。

形にはエネルギーがあります。
だから時を越えて、人の心に届くのでしょう。
ただ、形に執着し過ぎると ”我”が入ります。
すると、とたんにエネルギーが失われます。

形の本質にあるのは目に見えないエネルギーです。
時にそれは”思い”であり、”希望”であり、”喜び”であり、”願い”であり、
”祈り”などといったものなんでしょう。

僕の仕事は、お客様と打ち合わせをした家具を”形”にすること。
本質を見極め、それと向き合いながら、”形”を考えるようにしています。

そして、それは製作過程においても同じで、図面の奥にひっそりと佇んでいるものを
丁寧に築き上げること。それが職人の仕事です。

図面を正確に形にすることが出来る職人はたくさんいるけれど、それではまだ半人前。
もの作りをしている人は心が大事で、だから完成したものから放たれるエネルギーには
違いがあるんですね。

”思い”、”希望”、”喜び”、”願い”、”祈り”

いろんな装っているものを一つ一つ取り除いていった最後に残るものが、
そういったものであるような家具を作っていきたい。
そして、そんな旅する木を作っていきたい。



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11/4 ”ツルツルなんだけど…”

題名を見て、北海道にお住まいの方は、道路が?って思いますかねから。
いよいよ北海道は雪が降り始め、確かに道路も今朝は凍ってましたね。
でも、違います。
久しぶりに家具のこと。
家具屋のブログなのに、家具のことはとんと触れてない…。

旅する木の工房に来てくれたお客様のほとんどの方が、テーブルの天板のツルツルさに
驚いて、さすっていきます。

旅する木の家具は、他の家具屋さんと何が一番違うの?と聞かれたら、
迷わず、「テーブルなどの無垢の天板を手カンナで仕上げています!」
と答えます。
なので、天板は塗装前の方が、鏡のように向こうの景色が写っているんですよ。

ところが先日…、、、

これからキッチンの製作をすることになっている、横浜にお住まいのお客様(ご主人)が
来てくれました。
今までメールでの打ち合わせだったので、旅する木のキッチンに触れるのは今回が始めて。
そして天板を触りながら、
「すごいですね〜。ツルツルですね。これ、感動します。」
とおっしゃって下さいました。

キッチンの製作は決まっているのですが、ダイニングテーブルをどうしようか?
と、奥様と話しをしているそうで、奥様のこだわりの樹種があるんだそうです。
ただ、その木は導管が太く緻密な木ではないので、カンナで仕上げても、旅する木でいつも
使っている木ほどにはツルツルにならないので、僕はあまり積極的に使う樹種ではないのです。

その旨をお伝えすると、
「ちょっと、妻に電話して聞いてみます。」っと。

そして横浜にいる奥様と電話しているのですが、

ご主人 「すごいぞ。ほんとにツルツルなんだよ。その木だと、こんな風にならないんだって。」
奥様(電話の向こう)
ご主人 「それだったら、旅する木さんで作ってもらう意味ないから。せっかくカンナで仕上げて
     もらうのに、木の特性でこんな風にならないんだったら、どっか違うその辺の家具屋さんで
     その木を使った安もんのテーブル買えばいいって話しだよ。」
奥様(電話の向こう)
ご主人 「いや、この感触を解ってないからそんなこと言えるんだよ。ほんと、すごいぞ。」
奥様(電話の向こう)
ご主人 「だから、それだったら、カンナで仕上げる意味がないから、旅する木さんじゃなくて
     いいってことじゃん。」

というやりとり。

いやいや、え?そうなっちゃう…?

最高に評価されていて、嬉しいんだけど…、
ん〜?
嬉しいような、悲しいような。

電話を切った後、ご主人、
「実際に見て、触ってないからそんなこと言えるんだよ。これ触っちゃったら、絶対これだよ。
妻の希望する木だったら、ここで作る意味ないですもんねぇ。」

僕 「え、…ええ。まあ、そうですよね〜…。。」

といことで、結論は…、

キッチンを納めて、奥様に触って頂いてから判断してもらうことになりました。

これはいつもにも増して、ツルツルにしなきゃ!!!(笑)

ちなみに、カンナで綺麗に仕上げる為には、カンナの刃の研ぎの技術がとても重要。
旅する木の職人たちは、こんな信じられないほどの研ぎの技術を習得しています。
究極的に研ぎが上手くいった時に起こる、奇跡の現象です。
とくとご覧あれ!!


写真をクリックすると、動画が始まります。





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10/10 ”心のままにすすめ”

 

あの衝撃のニュースから20年経ったんですね。
僕がまだ、オリンパスに勤めていた頃、先輩から聞かされました。
「星野道夫が熊に襲われて死んだ。」

その日、暗室でのカメラの実験だったんだけど、ぼーっとしてましたね。
なにかとても大事なものを無くしたような感じで。

『旅する木』は、大好きな写真家、星野道夫のエッセイ『旅をする木』から
とらせてもらったもの。

没後20年といことで、先日北海道新聞で特集が組まれ、なぜか僕が取材されました。
人生の節目や、大きな選択の時、いつも『旅をする木』を読んできました。
どんな自己啓発本を読むよりも、静かに、大きな力で、僕の背中を押してくれます。

「思いわずらうな。心のままにすすめ。」っと。



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9/30 ”人生はからくりに満ちている”

”人生はからくりに満ちている”

僕が人生で影響を受けた人の1人が、間違いなく脚本家、倉本聰です。
子供の頃から『北の国から』が大大大好きで、北海道に憧れましたね。
僕と純がほぼ同い年だったので、『’初恋』の頃は恋心を抱いていた人がいたり、
『’帰郷』のころは、親離れの時期であったり…と、
人生とちょうどリンクしていたので。

学生時代は「人生の意味を見つける!」などと大義名分をかかげて、
実のところ、れいちゃんを探して北海道を旅していました(笑)。

蛍ちゃんがはじめて恋をして、勇次(緒形直人)と一緒に歩いたダムに沈む町、滝里の
空知川沿いの、勇次が持っていたナイフで HとYの文字を木に彫った、その木を
どうしても見つけたくて、ダムに沈む直前、無人駅の滝里駅で降りて、空知川のほとりを、
一本一本木を見ながら、一人、歩いたものです。
今思うと「なんの為?」って感じですが、
きっと、あの頃の僕には、それを見つける必用があったんでしょう。

『北の国から』以上に好きだったのが、同じく倉本聰脚本の『ライスカレー』
時任三郎、陣内孝則、布施博、中井貴一などが、出始めた頃の昔のドラマ。

かつて、甲子園を目指して野球に没頭していた若者が、高校を卒業して就職したものの、
心が熱くなるものがなく、日々を過ごしている。そんな若者に、カナダで板前をしている
大先輩(北島三郎)が「カナダでライスカレー屋をやるから、カナダに来い。」と誘う。
その誘いに、カナダ行きを決意し、カナダへ旅立つが、空港に迎えに来るはずの北島三郎は
来ない。英語もわからない、土地勘もないカナダに放り出され、流れ流れて、ログハウスを
建てる仕事をすることになる。
いろんな人に出会い、いろんな出来事が起こり、打ちのめされて、喧嘩別れして、心が
折れそうになりながらも、異国の地でそれぞれの夢に向かって奮闘する。という話し。

これが大学で勉強することに意味を見いだせなく、フラフラしていた僕にピッタリと
ハマったんですね。
ログハウスを建てに、カナダに行こう!

ライスカレーのケン(時任三郎)やアキラ(陣内孝則)に負けず劣らずの、
苦しくてつらい、カナダでの生活でしたね。
今となってはめちゃくちゃ笑い話ですが…。

ケンが言います。
「ほんと言うと、何でもよかった。ライスカレーじゃなくたって。とにかく夢中になれる
ものが欲しかった。」

倉本聰が作り出す作品の中に、僕は何かその答えがあるんじゃないかと感じたんでしょうね。

その倉本聰脚本の演劇『走る』の来年の公演にむけて、役者を一般募集するという
情報を娘がどこからか聞いてきて、オーディションを受けたんです。
そして、見事合格!!

あ!僕じゃないですよ。娘が(笑)。娘は演劇女優を目指しているので。

今は月一のペースで、富良野に行って、稽古をしています。
そして12月からは富良野に行きっぱなしで稽古。
来年1月から3ヶ月間、全国公演行脚に出ます。

富良野での稽古の後、僕はいつも娘にその日の出来事を根掘り葉掘り聞くのです。
怒られたとか、褒められたとか、何をどう怒ったとか、そよりちゃんって呼ばれてるんだ…
とか、いろいろ。

娘は高校生なので、12月からほとんど学校へ通えなくなるので、卒業までの最後の
学校生活を送れないことや、友達と会えないことを惜しんでいるのですが、
僕にとったら、「そんなことはちっぽけなことだ。今のその状況がどれだけ幸せなことだと
思ってんの!」と思うわけですよ。

ここ15年以上、毎年倉本聰脚本の演劇を富良野で見ています。見終わった後、ロビーで
倉本聰が握手をしてくれるのですが、妻とか娘は結構平気で話しを出来るのですが、
僕は好き過ぎて、憧れて過ぎて、人生を左右され過ぎて、話せない、目を合わせられない、
手を握れない。という感じ。
僕の倉本聰暦は40年ですからね。重いんです。
だから、僕はきっとこれからも、これ以上近づくことが出来ないし、それでいいと
思っています。

学生時代、大学を辞めて、富良野塾に入ろうと真剣に考えた時期があった時も、
現状を捨てるその勇気がなかったというよりも、やっぱり倉本聰という人に近づけなかった。
というのが本当のところだった気がします。

あれから20数年経って、今、娘が倉本聰脚本の演劇に出ることになり、直々に稽古を
してもらっているなんて、不思議だな〜。って思うんです。

自分の身体から意識がピョンっと飛び出して、自分の人生の流れをず〜っと引いた目線で見て、
自分と家族や友達などの人間関係も、ず〜っと引いた目線で見て、さらには友達とその友達の
関係までをずっと引いた目線で見て、とうとう今の人生だけでなく、前の人生、次の人生
までを引いて見れたなら、全ての出来事に意味があって、全部繋がっていて、
起こるべくして起こっている。
出会うべくして出会っている。

そんな風に考えると、どんな人も、どんな人生も、大丈夫。きっと上手くいっている。
そんな風に思えて、ワクワクしてきます。

”人生はからくりに満ちている”

一生のうちで、そのからくりを一つでもたくさん見つけたい。
それが
人生の豊かさに繋がっているような気がする。



そうそう、HとYの木?
見つけましたよ。


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9/26 ”僕が作りたい家具”

も〜、つむ通の更新が全然出来ていません。ごめんなさ〜い。

え?別にいいって?そんなこと言わないで〜。

いいもん!(逆切れ)
先日、家具を納品した時の奥様。
「この日を待ちわびてました。本当に嬉しいです!」っと、とても喜んで下さり、
「旅する木のHPは毎日見てます。つむじ風通信も楽しみにして、過去のを読んでます。」っと。

もう、この奥様のために書きますから!

ウソです!
皆さんに読んで欲しくて書きます。お願いですから読んで下さい(笑)。

秋分の日も過ぎ、北海道は冬へのカウントダウンが始まりましたね。
回りの農家さんは、稲刈りを始めました。新米の季節です。

「君の名前は?」

唐突ですね。
でもわかりますよね〜。
映画『君の名は』のラストシーンの二人のセリフ。
ご覧になりましたか?
昨日、2回目見に行きました。

新海誠監督の作品にハマったのは、何年前でしょう。
『秒速5センチメートル』
『雲の向こう、約束の場所』
いい歳して、何度も見ていました。

根底に流れている、人の純粋さ、優しさ、哀しみを表現した新海誠監督の世界観に、
僕はとても魅かれます。

純粋か、そして優しいかどうかは別として、いえ、純粋で優しかった(笑)、
僕も高校から大学時代は、なにか心の根底にいつも、”哀しみ”のようなものがあって、
1人でその世界に浸っているその感覚がとても好きで、授業をさぼっては、
お気に入りの川にカヤックを浮かべては、ぼんやりと青空を流れる雲を眺めながら
ハーモニカを吹いたり、一人暮らしのアパートの出窓に座って、好きな音楽を聞きながら、
たばこをふかしたりしていましたね〜。

こんなふうに言うと、なんだか恥ずかしいですね(笑)。

心の中のその哀しみが導いていたのか、それともその哀しみを埋めようと
していたのか、よくわからないけど、その気持ちが、何度も何度も北海道に行こう。
と導いた原動力だった気がします。

そして今、僕はここにいる。

新海誠監督の作品に触れると、あの頃の自分を思い出して、胸がキュンとなります。

『秒速5センチメートル』では、
ああ、この二人は…そうなんだ。っと胸が苦しくなったけど、
『君の名は』のラストシーンは、またか?って思ったけど、よかったですね。

年齢を重ねるにつれて、忘れてしまったり、失ってしまう心の中の哀しみを
新海誠監督の作品は思い出させてくれて、純粋で優しい心を取り戻すことができる。

映画を見終わった後、

こんな気持ちになれる家具を、僕は作れないものだろうか?

と、いつも考えてしまう。


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7/12 ”旅木コミュニティー”

つむ通、すっかりご無沙汰してしまいました。
え?生きてたのかって?
元気ですよ〜。

 

 

たびもっくんの方で紹介していますが、今年、旅する木は”旅する木の畑”をやっています。
普段、建物の中で仕事をしているので、畑作業をしていると、気持ちが良いんですよね〜。

ジャガイモ、トマト、キュウリ、かぼちゃ、キャベツ、レタス、ほうれん草、ラディッシュ、
とうきび、ズッキーニ、ブロッコリーなどなど、いっぱい。
100坪もあるので、全部ちゃんと育ったら、もうスタッフとその家族だけではとても食べきれない…。

ほうれん草が立派に育ち、スタッフと歓喜の収穫してすぐに、ほうれん草とベーコンのパスタや、
ほうれん草のカルボナーラを作って、ランチタイムを楽しんだりしています。

そうそう、実は料理初心者の僕が最近、料理に目覚め、毎日お昼ご飯は工房のカフェの
キッチンで作っているんですよ〜。
毎週火曜日は『うっきっき〜ゴハン』なんて名のお料理会を開いちゃったりして。

まったく旅する木、何やってんの!?と思われちゃいますね。

でも、旅する木を立ち上げた時から、僕の中にはこんなイメージがあったんですよね。
20以上前、オリンパスに勤めていた頃、たまたま池袋の西武美術館の前を通りかかった時、
シェーカー家具に出会い、魅かれてこの家具の世界に入ったので、旅する木のゴールは
決して有名な家具屋さんになるとか、売上げなんぼのショップになるとか、全国にショップ展開
をするとか、そんなことではないんです。

”可能な限り自給できるコミュニティーを作る。”

そのコミュニティーは、シェーカーの様な厳しい規律があるのではなく、一人一人の自立した
精神性に任せた、ゆる〜くて、楽し〜いコミュニティー。
そこには色んな職業の人がいて、色んな能力を持った人がいて、それぞれがそれぞれ人の為に
その能力を発揮して、支え合いながら楽しく暮らしている。
そんなコミュニティーが旅する木のゴールなんですね〜。

この先、どんな風な展開をすることになるのか僕にも解りませんが、目の前の楽しいことを
みんなで楽しみながらやっていく先に、楽しいコミュニティーの世界の入口が見えてくるのかな?
と思います。

そして、そんな小さなコミュニティーが日本中に、そして世界中に出来てきて、
コミュニティーどうしの物々交換のような、紙幣ではない経済交流が盛んになるような時代が
もうすぐそこに来ているような気がしています。

政治、経済、人災、天災が増々混沌としてくるであろう、その先に、そんな世界が待っている!
そんなことを空想すると、とてもワクワクしてきます。

旅木コミュニティーはあくまで、ベースは”家具”になります。ここは一切変えるつもりも、
ブレる気持ちもありません。
だから、農業やったり、お料理会やったり、イベントやったり、一見、地に足付いてないな〜。
なんて思うかも知れませんが、毎日しっかり家具作りに向き合ってますよ〜。


先日納めた家具たちです。

 

今朝、工房に来てメールチェックをすると、先日お仏壇を納めたお客様から、こんなメールが
届いていました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

お世話になっております。
先日は納品ありがとうございました。
何とか無事に2階に搬入できて良かったです。

納品されてから1週間程経ちましたが、
自分の予想を超えた出来上がりの素晴らしさに毎日感動しております。
自分が死ぬまでは妻の遺骨も身近に置いておきたいという希望を
叶えるために、妻が落ち着ける場所を作ってあげる事が出来て
やっと少しホッとできました。

とても大きく立派な仏壇ですが、女性らしい柔らかさも持っていて
何とも品のある素敵な雰囲気がとても気に入っております。

納品時にお手伝いしてくださった従業員の方々にも宜しくお伝えください。

私が今回こうして仏壇製作を依頼する事になったのも何かの縁だと
思っております。
これからもお世話になることもあると思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

この度は本当に素晴らしい仏壇を製作頂きありがとうざいました。
ご家族、従業員の方々、そしてご自身の為にも心と体の健康を何よりも大切にしてください。

これからの益々のご活躍を願っております。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

嬉しいですね〜。
このような嬉しい言葉をもらうことが、僕たち旅する木の仲間たちの励みになります。

喜ばれる家具作りという、しっかりとしたベースに、本物の素材、道具に囲まれ、
より楽しく、心豊かな暮らしを先ずは自分たちがしていく。
そんなことを意識して、楽しいコミュニティーを作っていきたい。

今、僕はそんな風に思ってます。



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3/24 ”丘の上の桜の木に”

 

 

「脚本家になりたい。」
「自分が描いた脚本を作品にしたい。」

28年前の夢が、叶いました。娘、集まってくれた中高校生たち、妻、支えてくれた
スタッフたちが、僕の夢を叶えてくれました。

2年前の娘の誕生日に、僕が娘にプレゼントした演劇の脚本、『丘の上の桜の木に』
の初公演を無事に終えました。
見に来て下さった200名近いお客様のほとんどの方が目を赤くして、
「感動した!」
「絶対またやって!」
「2作目も楽しみにしてる!」
という言葉をかけてくれました。

今のこの気持ちをどう言葉にすればよいのか。
僕にはそれを表現する言葉が見つかりません。

実は僕は今まで、嬉し泣きってしたことなかったんです。
3回目の公演を終えた時、胸がいっぱいになって、張り裂けそうでしたね。
いろんな思いが込み上げてきて。

その気持ちをどうつむ通に書こうか?
そんなことを考えていたら、見に来て下さった方が、全てを言葉にした感想を
メールしてくれたので、それをそのまま載せようと思います。

++++++++++ お客様のメール ++++++++++++++

あまりのすばらしさに、うまく文章に表現できるか心配です。

とにかく感動しましたし、レベルの高さに驚くばかり。
期待はしていましたが、私の想像をはるかにこえる内容であり、演技でありました。
めったに涙が出るようなことは無いのですが、さすがに涙をこらえるのかたいへんでした・・・


★脚本について

すばらしいお話でした
前半はどんな展開になるのか想像できませんでしたが、途中からわかってきました
その深い意味を感じたとき、震えを感じるくらいの思いがしましたし、展開が読めても
その場面での感動はものすごいものがありました。

どうしてもお母さんに見せたかった桜
どうしてもお母さんと見たかった桜
それを、それにふさわしい魂の持ち主である「はるか」の目を通して見ることができた颯太

すべてのことは繋がっている、ということなど、この作品のテーマの表現方法として、
これ以上のものがあるのだろうかと思いました。

須田さん、天才です!!

★演技について

そよりが最初にケータイ電話の注意を何度もしていました
その中で、「大事な台詞があるので聞こえなかったらたいへん」というようなことを言っていました。
その言葉がすごく心に残りましたし、一つ一つの言葉をしっかり聞き取ろうという気持ちになりまた。
そして、この作品をすごく大切に演じようとしていることが見る前から伝わってきました。

高校生たちのセリフはセリフに聞こえませんでした。
それぞれの子たちが自分のことばで話しているように聞こえました。

演技はかなり上手だったですが、演技がうまいとかそういうレベルではなく、
なんか、人間がそのまま表現されていたような感覚でした。
1人1人がとても素晴らしい人間性をもった子たちであり、それを引き出す脚本であり、
演出であり、演技であったと思います。

★内容について

見えることで見えなくなるもの、見えないことで見えるようになるもの

私も霊感とかそういうのは皆無ですが、見えないものの存在は確かにあると思うというか、
無いはずはないと思っている人間です。
そういうものの存在が人の心を豊かにしていくと思うし。

すべてのことは繋がっている
すべてのことは必然といいますが、まったくその通りと思っています
意味のない出来事は決して起こらない。
どんないいことも悪いことも、必ず意味がある。
その意味を考えて次につなげることができるかどうか。
それが現世での私たちの中にある魂の課題

わかっているけれどなかなかできないことがたくさんあり、反省しながら見ていました

みんなすごかったですが、改めてそよりのすごさを感じました。
霊性の高さ、徳の深さや大きさ・・人間レベルの高さに改めて驚きました。

そして、こういう子に育っていく環境(お父さん、お母さん)のすばらしさ。

誕生日に自分の書いた脚本をプレゼントするなんていう、こんなオシャレなことをする
お父さんが他にいるでしょうか?

そしてそれを発表しようと行動する娘
それを全力サポートするご両親、周りの人、友だち

須田さんご夫妻の出会いや結びつきの必然性はもちろんのことですが、
そよりの魂は、このお父さんとお母さんを選んで生まれてきたんだなと
改めて強く感じました。
将来が楽しみでしかたありません

そして、その魂に惹かれて集まってきた子たちもまた素晴らしい子たちだと思います。
みんなの将来もとても楽しみです

そんなことを思いながら、自分はなんてちっぽけな人間なんだろうという思いがわいてきました
ずっと前にそよりから監督話をいただきましたが、監督なんてやっぱり絶対むりだった〜
と思いました…笑
でも、ちょっとでも気にかけて声をかけてくれたこと、今でも感謝しています。

この舞台は、これで終わりなのでしょうか?
いろんな流れがあって、このときを迎えて、そしてあの舞台がつくられる
そう考えると、次にやったときにはどんな感じになるかわかりませんよね
でもそれが演劇の魅力なのかもしれませんが

それでも、身近な人たちにもぜひ見せたい、もっと多くの方に見てほしい
だからできたらまたやってほしい

そう心から思ったひとときでした

本当にありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

その他にもたくさんのご覧になった方からの感想メールを頂いております。
皆さん、本当に喜んで下さって、そのメールを読むだけで、いまだに目頭が熱くなります。

僕は霊能力者ではありません。
まだオバケも見たことがない(笑)。
だから、本当に目に見えない心の世界があるのかなんて、正直わからない。
でも、人生を肯定して生きていこうとすると、そういう世界の存在があるんだろうなぁって思う。
きっと僕たちは誰も、そのことに薄々気が付いているんじゃないのかな?
もしそんな世界が無いんだとしたら、この演劇を公演できるなんてあり得ないですもん。

家具屋の親父が20年も前に捨てた”脚本家になりたい!”なんていう夢を、娘が
思い出させてくれて、娘の誕生日にプレゼントした脚本を、なんとか公演しようと娘が呼びかけ、
宝石の原石のような若者が集まって来て、妻が彼らを温かく、時に厳しく応援し、
自分たちで全部構成、演出を考えて練習を重ね、公演の日を迎えられたなんて…。

そう、そうなんだ。きっとあるんだ。目には見えない不思議な世界が!

洋子(登場人物)のことばを自分に贈ろう。
「目に見えない世界が実はあるのかもって想像してごらん?心がすごく豊かになれるものよ。」



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2/15 ”僕を使って下さいませ〜♪”

年末にスタートしたクラウドファンディング、
【温かくて素敵な、木の車椅子を作りたい】プロジェクト、
皆様の温かいご支援を頂き、先日正式に成立致しました。

3号機までの試作に、かなりの時間とお金と労力を注ぎ込んでやってきて、
まだまだ完成度を上げる為には、先の長い道のりだな〜。っと思ってたところ、
ひょんなことからクラフドファンディングのことを知り、実際のお金を出してくれる
支援なんて、集まるものなのかな?難しいだろうな。という気持ちで始めました。

ところが、ふたを開けてみると、スタートから一日で目標金額を達成してしまいました。
本当にビックリしました。
こんなに期待されているんだ。この車椅子を世の中に出して欲しい。と思ってくれている方が
いるんだ。と思うと、感謝の心が沸き上がってきました。そして、その感謝の心と
比例するように、もう”後には引けない”というプレッシャーも。

この木の車椅子、今までは言ってしまえば世の中に出せなくてもよかったわけで。
注文が入っているわけでもなく、需要があるわけでもなく、誰かに期待されているわけでもなく、
まだ世の中にはこの様な車椅子は存在していないので、あくまで僕個人の趣味の領域の中での
出来事だったんです。
もちろん、趣味で終わらせるつもりはなく、真剣に取り組んで来たものの、
クラウドファンディングの成立で、今まで自分に甘んじてた部分があったんだと、改めて感じました。

そして先日、岩見沢の施設を伺い、実際の車椅子ユーザーの方に試作3号機に乗ってもらい
感想や意見を聞かせてもらいました。
僕なりによ〜く考えて、既存の車椅子の構造を研究し、今までの家具作りの知識を結集して、
完成した試作3号機なのですが、車椅子ユーザーの方からの意見を聞くと、
まだまだ健常者の考えの範疇から出ておらず、心底、使う人のことを考えられていなかった
部分があり、とても貴重で、難しい意見を聞かせてもらいました。

それでもみなさん、こんな車椅子があったら、嬉しくてワクワクしちゃう。とか、
ぬくもりがあって、ずっと触っていてくなる。とか、人に見せたくなる。など、
僕がどうして美しくデザインされた木の車椅子を作りたいと思ったのか。という根本の部分を
きちんと感じてくれていたことは、本当に嬉しかったです。

また、旅する木の家具を使って下さっているお客様の中にも、医療関係のお仕事をされている
方がおり、すでにいろいろと協力して下さっているのですが、さらに今回訪れた施設で働いている
理学療養士や、作業療養士の方々もとても興味を持って下さり、開発に協力してくれるという
ことをおっしゃって下さり、心強い協力者が増えました。

そして、もうすぐ放送される予定ですが、NHKの番組でも開発の様子を取り上げて頂き、
先日、撮影をしました。
さらに、これはまだ発表出来ないのですが(本当は言いたい〜!)、もし決まれば、
全国の方に木の車椅子のことを知ってもらえる衝撃的な出来事になり得るかも知れない
お話をもらいました。

車椅子の試作を始める時、模型をコンペに出したのですが、その時、3年前のつむ通 の題名は
『奇跡の目撃者になれる!』なんていう大反れたことを堂々と綴っておりますが、
あの頃(今でも)、全くどうなっていくのか解らなかった木の車椅子プロジェクトが、
ここに来て、僕の力では及ばない大きな力に導かれて動き始めたような感じがしています。

今年の年始の挨拶で、
『今年、旅する木は僕の思考から解放し、僕自身も含め、神様というのか、宇宙的な存在というのか、
根本の存在に身を委ねてみようと思っています。
言葉にするならば、旅する木を通して、僕を通して、旅する木のスタッフを通して、
神様が表現したいことを表現してもらう。そんな感覚に近いかも。』

と書いたのですが、あれこれ戦略や指針や目標を持たず、委ねることにしたところ、
大きな力が動き始めたような感じがしています。
そしてその大きな力というのは、全部素晴らしい出会いを通じて、人を通じて導かれているもので、
ただただ感謝せずにはいられません。

神様がどんなものを僕を通して、旅する木を通して作ろうとしているのか、今、僕はそれを
楽しみにしています。

実はこんな風に思えるのは、毎週末練習している、旅木演劇工房の演劇の影響が凄く大きいのです。
一昨年の娘の誕生日に、僕が娘にある脚本を書いてプレゼントしたのです。
その脚本を、娘が一年かけて中高生の有志を集めて、練習しています。
昨日、頭から終わりまで通して稽古をしたのですが、終わった時、演じている子供たち、
そしてスタッフの大人たち、感動して涙を流していました。

この脚本は、はたして本当に僕が考えたのか?このセリフは、本当に僕が考えたのか?
この子たちは、本当に半年前まで、どうしようもなかったあの子供たちなんだろうか?
僕も含め、誰一人本格的に演劇をやったことの無い素人集団が、ここまで人の心を動かす
演劇を作れるものなのか?
僕らは一体何者なんだ?

決して、凄いだろ?っと言ってるわけではないのです。
むしろ全く逆で、自分が、自分たちがやっていることが、自分たちの能力ではなく、もっと大きな
存在の能力を、自分たちを通して表現しているだけに過ぎないという感覚なんです。

きっと人はみんな同じなんだろう。

だから僕は、「神さま、どうぞ、自由に僕を使って下さい。旅する木を使って下さい。
あなたの表現したいものを自由に表現して下さい。」と思って、さて、木の車椅子、
演劇、どんなものが出来上がるんだろう?と楽しみにしているのです。

木の車椅子はまだまだ先が長いですが、旅木演劇工房の演劇、
【丘の上の桜の木に】
の公演は、

3月20日(日)、21日(月・祝日)

です。
神様がどんなことを表現したかったのか、是非見に来て下さいませ。

って、作品の良し悪しを神様のせいにしようとしているな(笑)?



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2016/1/19 ”旅する木が目指すもの”

新年のご挨拶が遅れまして、すみません。
仕事始めと同時に、旅する木スタッフはトップスピードで家具作りをしています。
毎日、スタッフみんなで 少しでも早く、楽しみに待って下さっているお客様に家具を
届けられるように頑張っています!

毎年年末に、来年の目標なんかをイメージして、年末年始にそれらを固めて、
計画を練る作業をしています。
そして年始にスタッフに発表して、「頑張ろう!」と勢い良くスタートし、
2,3月の雪と寒さに意気消沈し、4月の新年度でまた新たに気持ちを入れ替えて、
6月くらいに中だるみし、お盆前の慌ただしさに目標どころじゃなくなり、
秋になって、「やばい、このままじゃ何もしないで今年も終わってしまう!」と
気持ちを入れ替えたものの、年内の納品に追われ一年が終わる。
そして山口君や花輪君と「いや〜、一年速すぎだな。年始に目標を掲げたのが、まるで
ついこの前じゃん。」という感じですかね。ここ数年。

まあ、だったら最初から目標や計画を立てなきゃいいじゃん。って?
そうなんですけど…。

僕はずっと、目標を掲げて、計画を練って、そこを目指して頑張る。その頑張って苦労
している姿に自己満足しているところがあるんですね〜。
「いつ、どこでどんな風に死のうとも、その時は目標に向かう道の途上でありたい。」なんて。
昭和の人間ですね。

ところが、2年くらい前から何だか調子が変なんです。苦しいんです。辛いんですね。
そんな自分が。

昨年、マヤ歴の超〜凄い先生に教わり、勉強をしました。そして年始にその先生の勉強会が
あったので参加しました。
マヤ歴、ご存知ですか?聞いたことはありますよね。
古代マヤ文明は天文学が現代よりも遥かに進んでおり、マヤ歴は宇宙の法則、リズムにあった
暦で、それぞれ誕生日ごとにその人の持つリズム、特性を意識して過ごすと、宇宙に応援され、
宇宙の采配に則した出来事や出会い(シンクロ)が起こるというものです。

怪しいと思うでしょ〜?怪しいと思ったら、やってみて下さい。凄いんですから。
深いんですから。
僕の過去の人生を照らし合わせみました。その頃はもちろん、マヤ歴に出会っていなかった
のですが、オリンパスを辞めて木工の道に入った時、独立を決心した時、当別に工房を移転した時、
そのどれもが、結果的に僕の生まれ持った特性と、宇宙のリズムに合ったタイミングだったんです。

結局はインスピレーションに従って生きていれば、宇宙のリズムと一致しているのですが、
日々の生活に追われ、感覚が退化した僕らはインスピレーションがよく解らない。
そして判断、行動を起こす際、僕らはついつい頭で考えてしまう。色んな条件を並べて。
マヤ歴は、そんなタイミングや、宇宙の応援を、目に見える形で表現してくれるんですね。
今年、もっともっと深く、マヤ歴を勉強したいと思っています。

ちなみに、NASAの結構深い部分で働いていた人が言っていたのですが、NASAの中では、
現在の暦(グレゴリオ暦)ではなく、マヤ歴で動いているんだそうですよ。

ちょっと話しが反れましたね。
今、マヤ歴的には僕は大きな意識の変換期に来ていて、何が起きるかわからない。
何が起きてもおかしくない。予期せぬ出来事が起こりうる時期なんだそうです。
宇宙との繋がりがとても強く、思ったことがそのまま現実として起こるので、それだけに、
本当に心を磨いて、良い思いを持って生きることが大事なんだそうです。

意識の変換期ということは、今までの考え方、生き方、自分の中の常識や固定観念、こだわりを
全部手放して新しい何かを構築しなければならないんですね。その準備が2年くらい前から
始まっていて、今までのやり方を手放せない僕は、何か苦しいんですね。
傍から見ればそんな風には見えないかも知れませんが、ここ数年、苦しみの中にいます。
そういう姿を見せない。というのもまた、今までの僕の生き方なので。

昨年あたりから、身近の人、たまたま出会う人の口から語られる言葉、出会う本などから
伝えられることに、共通性があるんです。不思議なくらい。
そしてその内容は、僕の今までの考え方や生き方とは異なるもので、困惑していました。
いたってシンプルで、ずっと昔から知っていたこと。

でも、夢を実現させたり、目標をめざしたり、自分の存在意義などというものを考えた時、
僕は別の方法を選んでいました。
よく言われる、具体的にイメージをするとか、引き寄せの法則とか、因果応報とか。
これらはもちろん、すごく成果はあり、あるところまでは導いてくれるのですが、
そこから先を指し示すものではなく、迷路に迷い込んでしまった。そんな感覚があるのです。

今、僕が導かれているいたってシンプルなこととは…?
言葉にすると、ほんと簡単な一言。

”ゼロ”の状態になりなさい。

そんなこと?っと思うかも知れませんが、これが出来ないんですね。なかなか。
思考や感情は、僕が気付くより速く僕を支配してしまうので。
今までの経験、習慣、思考、常識、教育、擦り込み、観念、…などがどれだけ自分を
がんじがらめにしてきたことか。
それらを一つ一つを手放し、ゼロの状態に近づけば、限り無い宇宙の叡智(インスピレーション)
が流れ込み、その叡智に従ってする行動は、その人の才能を最大限に発揮し、その人の役割を全うし、人も自分も幸せにするのだと。

本来、僕たちは完全な存在なはずなのに、いろんな要らない衣で身を包み、一生懸命
あれこれ頭で考えて判断をし、行動することで、予期せぬ結果をもたらし、その結果に
右往左往、一喜一憂し、要らぬ学びをし、その学びから観念が生まれ、データーが積み重ねられ、
そのデーターを元にまた次の判断をして…、ということを繰り返している。

今年、旅する木は僕の思考から解放し、僕自身も含め、神様というのか、宇宙的な存在というのか、
根本の存在に身を委ねてみようと思っています。
言葉にするならば、旅する木を通して、僕を通して、旅する木のスタッフを通して、
神様が表現したいことを表現してもらう。そんな感覚に近いかも。

こんなことを年末年始に考えていて、仕事始めの日、このことをどうやってスタッフの
山口君や花輪君に伝えようか考えていました。
「須田さん、怪しい宗教にハマったんじゃないの?」とか、「目標を立てないって、会社として
大丈夫なの?」とか、「モチベーションをどうやって保てばいいの?」なんて思われるんじゃ
ないかな?と心配していたのですが、そこはさすが優秀な旅する木のスタッフたち。
それぞれの思うところと重なる部分があったようで、すんなり理解してくれました。
素晴らしいスタッフたちだな。といつもながらつくづく思います。

もし魂にレベルと言うか、進化の度合いを表す基準があるとしたら、彼らは明らかに
僕より進んでいると思います。偉ぶることなく、いつも謙虚に淡々と僕を引き立てる影役として
仕事をしてくれて、その事に喜びを感じている。
僕はまだその域に達していないんですね。
そういうところも手放していきたいと思う。

今までいつも目標をたて、それに向かって進んでいることで、安心感とか、充実感とか、
満足感を得ようと思ってやって来た僕が、神様などと言う得体の知れない存在に全てを委ねる
ということは、大きな意識の変換です。
僕はもともと実験とか好きなので、この結果がどう出るのか、楽しみです。
まあ、結果を期待する時点で、ゼロの状態では無いのですが…。

11年目を迎える今年の旅する木は、またゼロからの出発、もとい、ゼロを目指す出発です。
今までは目標があったのでイメージ出来ていたのですが、これからの旅する木は、
どこに向かうのか、どうなるのか、何が起こるのか解りません。まさに神のみぞ知る領域。
その世界を旅する木がどう表現し、人を幸せにしていくのか。その過程で何が起こるのだろう?
マヤ歴の先生曰く、「起こるどんな出来事も、須田さんが本当に自由で喜びみに満ちた自分に
なる為に起こることなので、安心して味わって。宇宙はいつでも、応援してくれているから。」

嬉しいこと、大変なこと、そんな起こる出来事に心揺さぶられること無く、いつもゼロの状態
でいられる心の強さを身につけたい。
強いて言うなら、これが今年の僕の目標です。



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