『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


12/26 ”クリスマスの妄想と思い出”

クリスマスが似合う都市といえば?
やっぱり札幌かな〜。

イルミネーションはきっと、どこの都市のものも綺麗だと思います。
でも…

札幌のクリスマスは、特別なんです。

初めてのデートの時、そのイルミネーションの明かりに照らされて、
いろんな色に彩らながら舞い降りる粉雪が、見とれている彼女の頭にいつの間にか
うっすらと積もっていて。


彼氏(心の声)「可愛い〜。あ〜、頭に積もった雪を、そっとほろってあげたい。
        でも、いきなりじゃあ、びっくりして、嫌がられるかな?」
そんな彼氏の葛藤に気付かず、イルミネーションに見とれている彼女。
イルミネーションを見てるふりをして、彼女が気になって仕方がない彼氏。

彼氏(心の声)「今だ!俺、勇気を出せ!大丈夫だって!いや、10秒後。10、9、8、7
        …2、1、あ〜、ちょ、ちょっと待った。手袋を取った方がいいのかな?
        でも、いかにも狙ったみたいで、自然じゃないか。さり気なく、だな。
        つい手が出ちゃった。って感じで、さり気なっ。」

彼女、自分の体に積もった雪をほろう。ついでに頭に積もった雪もほろう。
彼氏(心の声)「あ〜、だめだめ。しまった〜。チャンス逃した〜。」
彼女、彼氏の頭の上に積もった雪を見て、
彼女  「◯◯くん、頭に雪積もってるよ。」
彼氏の頭にうっすらと積もった雪を素手でほろってあげる彼女。
彼氏  「あ、…ありがとう。」
彼女  「すっごい綺麗だね。」
彼氏  「うん。」
彼氏(心の声)「…。よし、次こそは!10、9、8、7…2、1、0」

イルミネーションを見上げている2人。
周りの音楽、そして街の雑踏も消える。
彼氏の手がそっと彼女の手を包み込む。

彼氏  「…」
彼女  「…」

イルミネーションを見上げている2人。
彼女、その手をそっと握りしめる。
永遠と思えるような静かな時間。
イルミネーション。

彼女  「実はさっき、◯◯くんの髪の雪をほろうの、すごいドキドキしちゃった。」
彼氏  「ごめんね。」
彼女  「なんで謝るの?」
彼氏  「なんでもない。僕はもうちょっと強い男にりたい。◯◯さんを守れるように!」

って、どんな妄想よ!
あれ?なんでこうなったんだっけ?
そうそう、クリスマスは札幌が似合うって話し。

やっぱりクリスマスには美しいイルミネーションがあって、キーンと張りつめる寒さの中、
結晶のまま、雪が舞うように降ってなきゃ。
そんな都市は、やっぱり札幌ですよね〜。

僕がクリスマスは札幌が似合うって思うのには、理由があるんです。
子供の頃から『北の国から』が大好きで、ずっと憧れていた北海道に、行こう!
と青春18きっぷで新潟から鈍行列車に飛び乗ったんですね。
僕が19歳の冬。当時、僕は大学の一年生でした。

『北の国から』で北海道の冬の厳しさは知っていたものの、
それはあくまでドラマの中の出来事で、なめてましたね〜、北海道を。
だって、宿泊先を決めずに、テントとシュラフを持って、野宿をするつもりだった
ものですから。
狙ったわけではないのですが、鈍行を乗り継いで、2日かけて札幌に到着したのが、
12月24日の夕方。

何をしてよいかわからぬまま、大通公園のホワイトイルミネーションを見に行き、
何となく行列に並んでみると、その行列は、テレビ塔に上るのエレベーダーで、
満員のエレベーターの中は、僕以外はみんなカップルで、そんな中、
大きなリュックを背負って一人ぼっちの僕は、とっても恥ずかしくて、
下を向いてましたね。

でも、エレベーターのドアが開いた時、目の前には、
真っ白の世界にイルミネーションの光がず〜っと向こうまで目映いように輝いていて、
あまりに美しくて、カップルたちがとても楽しそうで、
「これが札幌かぁ。これがクリスマスかぁ。」っと、
僕の心に深く印象付けられたんですね。
だから、僕にとって、クリスマスが似合う街は、札幌なんです。


その後、妄想のような出来事は起きたのかって?

残念ながら。

大通公園の端の方にテントを張ってたら、見回りの警察官にとめられて、
警察官 「君、なにしてるの?」
僕   「ここにテント張って、泊まろうと思ってます。」
警察官 「旅行者?」
僕   「はい。」
警察官 「死ぬよ。凍死するよ。」
僕   「寝袋に入れば、大丈夫かな?と思って。」
警察官 「いやいや、凍死するよ。」
僕   「でも、お金もないし、ホテルも取ってないので。」
警察官 「無謀だわ〜。」
僕   「どうしよう。」
警察官 「そしたら、安いカプセルホテルに泊まりな。」

なんてやり取りがあって、なんと、パトカーに乗せてもらって、
すすきののカプセルホテルに連れて行ってくれたんです。

クリスマスの夜、札幌で最も人でにぎわってるすすきのにパトカーが止まったら、
ちょっとした人だかりができますよね。
そんな中、大きなリュックを背負ってパトカーから降りる僕は、とっても恥ずかしくて、
やっぱり下を向いてましたね。
小声でお礼を言った僕に警察官は言いました。

警察官「メリークリスマス!」

やっぱり札幌はクリスマスがよく似合う。




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12/17 ”あれは神様だったんだろうか?”

先日、ある飲食店に入ったんです。
駐車場に車を停めて、お店に入ろうとした時、
なんと、店員さんが外まで出て来てくれて、暖かいおしぼりをくれたんです。
寒い夜だったので、僕はとても嬉しくて、温かい気持ちでカウンターに1人座ってたんです。
そしたら1人の60歳くらいのおじさんが僕の隣の隣に座ったんですね。
そしてバイトの店員の女の子、多分高校生くらいじゃないかな?
に、
「わざわざ外に出てくることないんだよ!そんなサービスいらねーんだよ!
自分のしてるサービスが一番だと思ってるんじゃねーよ!」
なんてことを、かなりしつこく言ってるんです。

そんな場面に出くわして、そんな文句を聞かされたら、
こっちも気分悪くなるじゃないですか。

その子は、「すみません。すみせん。不愉快な思いをさせてしまって。」
って何度も謝ってるんです。僕は、偉いなあ。と思いながら
「関係ない。関係ない。これは僕には関係のない出来事。」
と自分に言いきかせ、自分をなだめていました。

実は僕はこういうの、黙っていられない質なんですね。
それなのに、そのおじさん、結構しつこく言ってるんです。
とうとう我慢できなくなって、
「あんたねえ、素晴らしいサービスじゃない。このサービスが気に入らないんなら、
あんたが来なきゃいいだろ!」
って言おうと立ち上がろうとした寸でのところで、そのおじさんとバイトの子の
やり取りが終わったんです。

今さっきまで、「関係ない…」と自分を抑えていた僕ですが、
さあ言おうとした時に終わってしまったので、あ〜、言いそびれた〜。
っとモヤモヤした気持ちだけが残ったんですね。
その後も、何かこのおじさんがその子にねちっこく言い始めたら、
言ってやりたい!ってチャンスを伺ってたんだけど、結局そういうことにはならなくて。
その後もその子はお客さんを外に出迎えたり、食器片付けたり、一生懸命やってるわけです。

僕は食べ終わって、お会計をするために、レジのところに行ったら、
2組がレジに並んでて、ちょっと待つことになったんですね。
待ってる時、その子が一番奥の席のお皿とかの片付けをしてたので、
ちょっと勇気を出して、そばまで行って、声をかけたんです。
「君、偉かったね〜」って。
その子はちょっと面食らった顔してて、
「僕は嬉しかったよ。外まで出迎えてくれて。」って言ったんです。
そしたらすごく嬉しそうにしてて。
僕はそのままUターンしてレジに向かったので、
その後その子がどうしてたか知らないんですけど。

そしてレジを終えて外に出たとろで、その子が外まで来てくれて、
「わざわざありがとうございます。また来てください。」
って言ってきてくれたんです。

なんか急に恥ずかしくなって、
「ああ〜、いえいえ、はい。」
なんてしどろもどろになりながら返事をして、車に向かった僕の心は、
なんかとっても気持ちよくて、清々しくて。

車のドアに手をかけながら、空を見上げると、氷点下に冷え込んだ夜空を、
ふわふわと舞うように降りてきた雪が、僕の心をすーっと吸い上げて、
あの広い夜空に広がっていく感覚になりました。

結局、あの時、本人に、「あんたねえ、…」って、正しさや正義の刀を振りかざして、
相手をやっつけて、気持ちよくなっているよりも、何倍も、何十倍も気持ちよくて、
晴れやかで、幸せな僕の心に、自分がちょっと驚いてしまいました。

運転しながら、ん?!!!
僕の横にあのおじさんが現れなかったら、こんな気持ちになることもなかっんだよなぁ。
もしかしてあのおじさん、実は神様だったんじゃないだろうか?
神様って、こんな風に目の前に現れるのかな。
え!?もしかして、いつでもこんな対応がとれたら、世の中、神様だらけってこと?
あ〜、そうだったのかぁ。あの人が神様になるのか、ただの悪人になるのか、って、
僕の心と行動次第だったんだ。
そう思うと、今まで僕は、数々の悪人を作って来たなぁ。悪いことしたなぁ。
なんて、今まで考えてもみなかった考えが浮かんできました。

結局のところ、どんな出来事も、どんな出会いも、自分が試されているんでしょうね。

あの人を神様にして良かったなあ。
そういえば、神様っぽい白いヒゲ、はやしてたし…(笑)。




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12/3 ”境界線はどこにある?”

 



先週末、中学校の同級会があり、実家の岡谷(長野県)に帰省しました。
中学ですよ。卒業して35年経っているわけです。
僕は高校卒業してすぐに実家を出ているので、ほとんどの人が35年振り。
なんか、会うのが嬉しいような、僕の、そしてみんなの変わりようが恐いような、
ちょっと恥ずかしいような、そんな気持ちでの里帰り。

夕方の同級会まで時間があったので、日中、諏訪大社を巡るドライブをしました。

諏訪大社、ご存知ですか?
多分、皆さんの家の近くにも諏訪大社と呼ばれている神社があるのではないでしょうか?
全国に25000もの諏訪大社があるのですが、その総本社がここ、諏訪にある諏訪大社なんです。

う〜ん、この説明の方が解りやすいかな?
山から切り出した、大〜きな丸太に勇敢な男たちが股がったまま、崖から落ちる姿を
ニュースで見たことありませんか?

御柱(おんばしら)祭という、7年に一度行われるお祭りは、
諏訪大社の敷地内に建てる御柱を、山から切り出して、崖から落とし、
それぞれのお宮まで、引っぱって運んで、敷地を囲うように建てるというもので、
諏訪大社総本社のお祭りなんです。

“それぞれのお宮”というのは、諏訪大社は大きく二つ、上社と下社に分かれており、
さらに、上社は本宮と前宮に、下社は春宮と秋宮があり、全部で4宮あるのです。
そのお宮をそれぞれ4本の御柱で囲うのだから、全部で16本の御柱を崖から落とすこの
御柱祭りの盛り上がりたるや、すごいんです。
毎回怪我人は当たり前で、死者も出るので、木落しの崖の下には救急車が待ち構えている
というもの。
太古の時代から、そんなお祭りをするのが、諏訪大社なんです。って、
この説明じゃあ、野蛮人の集まる神社っぽいですね。
古事記にも記載されている、1500年も歴史のある日本最古の神社の一つなんですって。

ここに住んでいた頃は、あまり興味がなかったのに、今、こんな風に4宮を、
それぞれの歴史と意味を追いながら巡るなんて、これが35年という僕の歴史なんだなぁ。
なんて少し笑ってしまいました。

懐かしいという感じではなく、ちょっと観光地に来たような気持ちで巡りながら、
秋宮の鳥居をくぐった時でした。
鳥居をくぐってすぐ左脇に、うっそうと茂る木々の向こうに小さな池を見つけました。

思わず「あ!」と声が漏れて、ある思い出がフラッシュバックしました。

僕が幼稚園か、小学校低学年くらいですかね。
お祭りで買ったのか、釣ったのか忘れましたが、亀を飼っていたんです。
その亀が意外と大きくなって、家の水槽では飼えなくなったのかな?
理由は忘れましたが。
それで、この秋宮の池に放したんですね。

僕の両親は大の温泉好きで、月に2,3回は家族で諏訪の温泉に行ってました。
その際に秋宮の横を通るんですね。そんな時、たまに車を止めてこの池に行って僕が
「お〜い、来たよ〜。」と亀に声をかけるのです。
すると、亀が底から上がって来て、水面に顔を出すんです。
いや、顔を出す時もあった。かな?そんな時は大興奮でしたね〜。

鳥居をくぐって、池を見た時、そのことを思い出して、思わず池の方に駆けて行って、
池のほとりのちょっと大きい平の石の上に立って、池を眺めてしまいました。
それぞれの神社は、懐かしいというよりも、改めて長い時をかけて培われた深さに、
新鮮な気持ちで魅了されたのですが、この池はなんだかとっても懐かしくて、
僕の心を一瞬で40数年前に引き戻しました。

もしかして…、もしかして?

あ!あの頃も、こんな気持ちだった …のかな?

夕方の少し薄暗くなった、木々に囲まれた昔のままの池のほとりの石の上に立って、
亀の姿を探していると、なんかとても不思議な感覚になってくるのです。

この世界には、過去とか、未来とかそんなものはなくて、今この瞬間に全部存在していて、
神様からは、50になる僕と重なるように、あどけない僕も今、この石の上に立って、
もしかして?って同じことを、同じ瞬間に思ってるんじゃないかと。

見回すと、周りには人がいないので…
池に向かって、声をかけてみました。

「お〜い、来たよ〜。」

池はシーンと静かなまま。

「今日は出てこなかったね。」
なんてあどけない昔の僕に、心の中で話しかけながら、しばらく池を眺めていました。

その晩、35年振りにあった同級生は、当たり前のように容姿は変わっていたけれど、
みんな中身は昔のままで、一瞬で打ち解けて、盛り上がりました。

変わっていくものと、変わらないものの境界線はいったいどこにあるのだろう。



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11/17 ”幸せな旅木祭り”


旅木スタッフとmakicomさん


makicomさんのライアーコンサート


旅する木もくクイズ3位、頑張りました〜♪

以下、恒例のお餅つき大会〜♪
 


くどけんが作ったトレをどうしても欲しいって!嬉しい〜♪

この前の週末、旅木祭りが大盛況で終わりました〜。
11月にしては異例の寒さにも関わらず、6,70名ほどの方が来てくださり、
「とっても楽しかったです!」と声をかけてくださり、とても嬉しかったです。
ありがとうございました。

旅木祭りは気軽に来れるように、予約制とかじゃないんです。
なので、いったい何人の方が来てくれるんだろう?と不安になりながら、
準備をしています。

一番困るというか、迷うのは…。

そう、お餅つきをするのですが、餅米を前日に水にうるかさなきゃいけないんですね。
その時に、何キロの餅米をうるかそうか?と。
足りないのはまずいので、多めに…。でも、多過ぎたら。
旅木祭り一回目、わけもわからずうるかせすぎて、次の日、
スタッフと一日中2人でお餅つきをした悪夢が蘇るわけです(笑)。
もうヘトヘトになりながら。

そんなんで迎えた当日、多くの方が来てくださり、ほっとしました。

Makicomさんのライアーコンサート、ジブリの曲をおりまぜ、お子さん達も
聞き入ってしまうような癒しの音色に、会場が一つにまとまった感じで、
その後の旅木クイズ、お餅つきと皆さん、楽しんでくれました。

僕が家具をデザイン、製作する際にいつも思い描いていることは、
そのお客様に、二度と同じ機能の家具を買わせない。ということ。
つまり、一生使える。ということ。ということは、家具を作らせてもらった
お客様が他の家具が必要にならないかぎり、再会することがないことが多いのです。
用事もないのに、「納めた家具、どうですか?」と毎年訪問するわけにもいきませんし。

でも、今もこうして家具を作っていられるのは、その時に支えてくださった方々の
お陰であるわけです。
そこで、旅木祭りという感謝祭を開催し、懐かしいお客様が来てくれたらな。
と思ってやっています。

なので、昔懐かしいお客様が来てくださると、本当に嬉しいんですね〜。

今回も、打ち合わせの時に奥さんのお腹の中にいた子が、納品の時に産まれていて、
いつの間にか弟さんがいて、すっかりお姉ちゃんになっていたり、
あるお子さんは、「うちにこれと同じようなテーブルあるよ〜。」っと。
「あ、それ、僕が作ったんだよ〜。」「え〜?そうなの〜?」なんて会話が嬉しくて。

そして今回、新人スタッフのくどけんと太河という若者が、旅木祭りに
新しい風を吹き込んでくれて、やたら子供たちに人気で。
販売している小物は、彼らが作ったものもあり、あるお子さんは
「くどけんが作ったトレーをどうしても欲しい!」といって、
お母さんのおねだりしている姿も、とても嬉しく、微笑ましく思いました。

ついたお餅の付け合わせで妻の作ったお雑煮や、あんこもとっても好評で、
お餅を食べながら、いろんな話しで盛り上がりました。

皆さんが帰った後、夕日が差し込む工房と、僕らスタッフの心には、充実感と、幸福感と、
ちょっとした淋しさが残っていて、後片付けをしなきゃいけないんだけど、
ついぼーっと思いにふけってしまうのです。
でも、そんな時間がいいんですね〜。

こんな風にこれからも一人一人のお客様と向き合って、家具作りをしていこう!
と思いました。
参加された方、本当にありがとうございました。



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10/27 ”心の中のわすれな草”


ノンノ(北海道犬♀)とまる(黒柴♂)の散歩が毎朝の僕の日課。
まるは2歳で、元気過ぎるので、自転車に乗って全速力で漕いでいる僕を引っぱって、
先頭を走り続けます。すごい体力と運動能力だな。と関心してしまいます。

かつてのノンノは、そんなまるの上をいくくらいのスピードと瞬発力があったように
思うのですが、それも遠い昔の記憶。
今では自転車をのんびり漕いでいる僕に引っぱられて、すぐに休みたい。ってふう。

それでも朝は時間がないので、つい引っぱって小走りさせてしまう。
可哀想だと思いながら、自分の時間を優先させてしまいます。

散歩の時はいつも、音楽を聞いています。
今、YouTubeで1曲目だけ好きな曲を選ぶと、何となくその人の好きそうな曲を
勝手に選んでくれて、流してくれるんですね。
これがなかなかいい選曲だだったりするからすごい。

今日は日曜日なので、自転車を押しながら、ノンノのペースで歩いて散歩しました。
自転車での散歩で感じる風は自分で作ったもの。
でも、歩いての散歩で感じている風は、自然が作ったもの。
なんか優しい感じがするんですね。
心もそんな風になります。

自転車に乗っていると、あまりノンノに声をかけず、ついこの後の仕事の事を考えて
しまうのですが、ノンノのペースで歩いていると、急に立ち止まるノンノに、
「何か見つけたの?」とノンノがしきりに匂いを嗅いでいるところを僕も
覗き込んでみたり、道路を渡っているカタツムリを見つけたら、
「そのペースだったら草のところに辿り着く前に、ひからびちゃうよ。」
と言って、草のところに連れて行ったり、おばあちゃんになったノンノのペースで
のんびり散歩をしていると、今まで気が付かなかったいろんなものを見つけて、
お、こんなことにこんな風に思う自分がいるんだ。なんて改めて気が付いて、
ちょっと笑ってしまう。

産業革命以来なんて言ったら、大袈裟ですかね?
スピードを求めて、自動車、電車、新幹線、飛行機、ロケット、リニアーモーターカー
などを発明してきた人間は、いったいどこへ向かおうとしているのだろう?

そのスピード感は、いろんなものを便利にしてくれて、
世界を小さくしてくれているけれど、
それと引き換えに、目の前の小さな囁きや幸せを
無音に、見えなくもしているのではないだろか。

経済的な豊かさを求めて、僕たちはどんどん人生を加速して来たけれど、
もしかしたら心の豊かさとか、本当の幸せというのは、
その反対の方向にあるのかも知れない。

自然の風を感じながら、のんびり歩いていると、スマホから流れてきた曲は、
尾崎豊の『勿忘草(わすれなぐさ)』

学生時代、授業をさぼっては、のんびりとカヤックに乗って、川に浮かびながら、
よく聞いてた曲。
空の青さと、波がカヤックに当たった時に足に伝わる水のノックのような感覚と、
はじける水音を思い出して、胸がぎゅーっとなる。
当時の僕には、わかるような、わからないような恋の歌だったけれど。

♪♪♪

初めて君と出会った日、僕はビルのむこうの

空をいつまでもさがしていた

君がおしえてくれた花の名前は

街にうもれそうな 小さな わすれな草

♪♪♪

そういえばこの辺りの土手には、青く可愛い わすれな草が咲いてたっけ?
なんて探してみたものの、すでに冬の気配が感じられる北海道では、
その面影さえも見つけることができない。

そう、わすれな草の花言葉は…?

“私を忘れないで”

「ごめん。来年は忘れないからね。」

そして

「ノンノ、来年、一緒にわすれな草を見つけよう。」

のんびりした時間と穏やかな自然、そして年を重ねたちょっと太り気味の愛犬が、
僕の心の中にひっそりと咲いていた わすれな草を思い出させてくれる。

『forget-me-not 』尾崎豊


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9/20 ”まったく残念な人ですが…”



ノンノとまるの朝の散歩を、薄い長袖を羽織るようになったこの季節、
朝日に照らされて、稲刈り前の稲穂は、金色に輝いています。
そんな黄金の草原の上を、つながりとんぼがい〜っぱい、キラキラと羽を輝かせながら
仲良さそうに飛んでいます。

なぜでしょうかね〜。春夏秋冬、巡り巡る季節の中で、この風景を見た時に毎年、
「今年もこの季節がやってきたか。」と、ちょっともの哀しいというか、
しんみりした気持ちになります。
この感じが好きです。

そして、夏の暑い時期は、のんびり歩くノンノを「早く、早く。走れ!」なんて
強引に引っぱっていたのですが、この時期はなぜか、「まあいいか。ゆっくり行こう。」
とのんびりノンノのペースに合わせて立ち止まっては、
涼しげに揺れる稲穂をぼんやり眺めるのです。
秋には、人の心を落ち着かせる気配がありますね。

秋といえば、先週、中秋の名月でしたね。

一年に12、13回ある満月のうち、秋の満月だけは特別扱いです。
何となく日本人には、しみじみと秋の気配を楽しむ情緒が昔からあるんでしょうね。

そんなことを思いながら、ちょっと調べてみると、
徒然草の中に秋の月について触れている一文を見つけました。

「秋の月は、限りなく素晴らしいものである。いつでも月はこのようなものだろうと、
他の季節の月と区別がつかない人は、まったく残念なことである。」

あらら、いつの季節の月も美しく、秋の月が特別違うとは思わない僕は、
兼好法師曰く、“まったく残念な人”ですね〜。

でも、夕焼けは秋が一番だと思います。
遠く水平線に沈む夕日に照らされて伸びる長い影も、
つがいをみつけられなくて、独りぼっちで飛んでいる赤とんぼも、
ねぐらに帰るあのカラスたちも、
夏になれた身体と心を引き締めるような肌寒い風も、
いつの間にかカエルの鳴き声もしなくなって、静けさに包まれた田んぼも、
そのどれもに、ちょっとだけもの悲しさがあって、そんなもの悲しさのハーモニーが、
なんだか人の心を穏やかに、優しくしてくれるような心地良さがあるんですね。

そういえばほら、哀愁っていう字、哀(悲しい)秋の心って書くんですよね。

僕はちょっと哀愁を感じられる男になりたい。なんて憧れを持ってます(笑)。
が、
マヤ歴でも、数秘でも、「あなたは典型的な子供です!」と言われる僕は
”まったく残念”であります。



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8/31 ”夏の夜、工房にいたものは?”

夏の夜の廃校の小学校の校舎と言えば…

もうぶるぶるっと寒気がしますか?

って、僕たちは(僕と新人の太河とくどけんの3人)は、そんな廃校の校舎で
暮らしてるんですよ!週末なんて、彼らが家に帰るので、僕は1人で寝てるんですよ!
50を目前の年にもなると、トイレも近くなり、夜2時くらいに起きて、
長〜い廊下を歩いてトイレに行くんですよ。
なにプチ切れしてるの?

 僕は全く霊感とかないので、旅する木の工房の旧東裏小学校の校舎で、
オバケや、それらしきものを見たことや感じたことはないですね。
よかった〜。

ところが…、

先日、工房で新人のくどけんと太河と僕の3人で、いつものように夕飯を作って
食べながら談笑していると、玄関の方からかすかに、低い男性の声が聞こえました。
夏の暑い夜、9時くらい。
こんな時間にお客さんが来るはずがないんです。
3人の会話が一瞬とまって、シーン。静寂。
「なんか、声しなかった?」
「なんか、しましたよね。」
「こんな時間に、お客さん来るはずないし。」

気のせいだろうと思っていると、再び「し〜つ〜れ〜い〜し〜ま〜す〜…」

ドキドキしながら廊下に出てみると…
誰もないんです。

って、それじゃあ、怖い話になっちゃう。
僕はそういう話し、弱いので。

ちゃんと、2人の男性が立っていました。足もついてます(笑)。

「一年くらい前、『北海道の楽しい100人』というイベントで講演された時の
須田さんの話しがとっても印象的で。こっち方面に来たので寄らせてもらいました。
見学させてください。」

なぜこの時間?って思いつつ、ショールームを案内するため、長い廊下を歩いていると、
「ロマンあるな〜。」っと。

ショールームの家具などを見ながら
「『北海道の楽しい100人』の講演の須田さんの話しの中で、
“とにかく夢中になれるものが欲しかったんだ”って言葉がずっと、心に残っていて。
自分たちは元々、公務員だったんですけど、辞めて 今、デザートを作る会社で働いています。
こういうところで、自分のお店を持ちたいと思って、いろいろ探しているんです。」っと。

うん、確かにあの時、そんな話しをしたんですよね。僕は倉本聰脚本のドラマ
『ライスカレー』がとても好きで、ドラマに触発されて、学生のとき、カナダに
ログハウスを建てに行くんですが、その『ライスカレー』の中で、若かりし
(もう、30年以上前のドラマ)時任三郎が言うんです。
「別にライスカレーじゃなくたってよかったんだ。ただ夢中になれるものが欲しかったんだ。」

この言葉は、今でも僕の人生の指針になっているんですね。それで、講演の最後に
「別に家具じゃなくたってよかったんだ。ただ夢中になれるものが欲しかったんだ。
それを探すのが人生で、そういうものを探す人生は、からくりに満ちてくると思う。」
という言葉で締めくくりました。

話しの大部分が『ライスカレー』や『北の国から』の話しだったんですけど、
そんな一年も前の話しを心に残してくれていて、こんな時間に迷惑も顧みず(笑)
突然思い立って尋ねてくる人に、若者はこうでなくっちゃね。僕もそうだったなぁ。
と思うのです。

人の迷惑とか、恥ずかしいとか、どう思われるかとか、そういうものを
置いてきぼりにして、突っ走ってしまう。そして後から、申し訳ないことしたな。
とか、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん。とか、迷惑かけちゃったんじゃないかな。
なんて後悔する。
それが許されるのは若いうち。逆に若者はそれくらいがちょうどいい。
そして、自分が年配になった時、そんな若者を温かく向かい入れれば、
それがあの時の恩返しなんじゃないのかな?
なんて昔迷惑をかけた後ろめたさを、拭おうとしてますかね〜(笑)。

人は誰も、それぞれの人生の表現者なんだと思います。
せっかく表現者なのだから、その表現したものを体験、体感した人の心を1ミリ
幸せの方向に動かせたら嬉しい。僕も旅する木も、そんな表現者でありたい。
と思っています。
なので、一年も前にたまたま声をかけて頂き、話しをした時の言葉を、彼らがずっと心に
残してくれていて、一歩踏み出す背中をわずかでも押すことになったことは、
とても嬉しいことです。

工房の体育館を見せた時も、興奮気味に、
「すげ〜、ロマンあるな〜。」と。

よかった。60年も前の古い建物だけど、彼らが感じてくれたものが、
オバケではなく、ロマンで。

ロマンのある人生を。

昨年講壇させてもらった、『北海道の楽しい100人』の時の動画です。

よかったら見てみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=TjMIUjTUJD4&feature=youtu.be

 



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8/11 ”30年の時空を超えて”




『父親が抱く、息子との憧れの光景ランキング』のトップは?

ジャカジャーン!
“息子とキャッチボール”

違いますかね〜。でも上位であることは 間違いないと思います。
僕の場合、ずっと前から思っていた光景、それは
息子とカヤックで釧路川を下ること。

僕の学生時代、暇さえあれば北海道に来てた頃、当時はそんな風に一人旅をしている
学生がいっぱいいて、安い民宿とかユースホステルとかで、そんな若者が仲良くなって、
お酒を飲みながら、ふざけ合ったり、時には夢を語り合ったりしていたものです。

そんな中に、一つ二つ上の先輩で、カヌーで北海道を川下りしながら旅をしていた
人がいて、なんかカッコいいな。て思ったんですよね。
「一緒に行きたい!」なんて言って天塩川を一週間くらいキャンプしながら
下った時の夜、焚き火をしながら
「須田君、こんな風にキャンプしながら川下りしたら、もうこの川は、友達じゃないか?」
なんて言うものだから、僕はもう、しびれちゃったんですね〜(笑)。
このセリフは、後々、度々僕も使うことになります(笑)。

そして大学2年の夏に、一人で釧路川を下る計画を立てるんです。
なぜ釧路川かというと、日本にたくさん川がある中で、上流から海までダムがなく
下れる川は、3本しかないんです。釧路川、長良川、四万十川。
北海道ということと、原始の森と、とてつもない大きな自然の中をゆったりと流れる
釧路川に魅力を感じたんでしょうね。
ろくに大学も行かず、バイトに明け暮れて貯めたお金で、組み立て式のカヤックを
買うんです。15万円。
それ以上の重さを感じながらカヤックを背負って電車でアパートに帰る時の誇らし気で、
すべての人に、「これはカヤックなんだぞ!俺はこれで来年の夏、釧路川を下るんだぞ!
1人で下るんだぞ!」
なんて叫んでしまいたいくらい高揚したのを覚えています。

当時はまだ、情報があまりないので、国土地理院の1/50000の白地図の屈斜路湖から
釧路市までの釧路川の部分を買って、一人暮らしの狭い部屋に広げてテープで張り合わせ、
一日に漕げるのはだいたい15kmだからこの辺まで行けて、その辺りで等高線の広そうな
ところはキャンプに適してるから…

なんてワクワクしながら計画を練って、バイトがない日は、信濃川や阿賀野川
(僕は新潟大学に通っていたので)にカヤックの練習に行って、カヤックでしか
いけない川の中州の草むらに寝転んで、青い空と流れる雲を見ながら
釧路川とはどんな川ぞ?
僕はその旅で何を見つけるんだろう?
などと思いを巡らせたものです。

そしてカヤックを担いで、両手にキャンプ道具を持って“青春18きっぷ”で鈍行列車を
乗り継いで北海道に向かう僕の気持ちは、今思うとたいしたことではないけど、
その当時はこれはもう結構な冒険だったんですね。

いざ当日。

出発の様子なんかは全然覚えてないけど、鮮明に覚えているのは、屈斜路湖は湖なので、
流れがなく、漕がなければそこに浮いているだけなんだけど、湖から流れ出す釧路川に
近づくと、知らぬ間にカヤックがスーッと静かに吸い込まれるように橋(眺湖橋)に
吸い寄せられる。その時の恐怖感と“始まる”という感覚に戸惑っているうちに、
カヤックは眺湖橋をくぐり抜け、次の瞬間、すでに原生林の中にいるんです。

屈斜路湖の終わり、釧路川の始まりにかかるこの眺湖橋の下は、そ〜っと、静かに人を
のみ込んで、原始の森の世界に誘ってくれる異次元への入口で、この時間的にも空間的にも
一瞬で別次元に吸い込まれる感覚は、なんだかとても神秘的であり、そこから先は
神聖で、畏怖の念すら感じる場所だったのを覚えています。
それを全身、全心で感じながらゆったりと下ればよいものを、怖くてここから
逃げ出したかったのだろうか、それとも早くなにかを見つけたかったのだろうか、
とにかく必死にパドルを漕いだような気がします。

その後、カヤックの技術の向上と共に、より激しい川、増水した激流、滝などに
魅力を感じて、釧路川とは縁遠くなっていくんだけど、僕も年を重ね、
成長する息子と毎年夏、キャンプに行くと、息子が大人になる前に、
釧路川を一緒に下りたい!と思うようになったんです。

ただ、肝心な息子は全く興味無し!数年前から言っているのですが、
息子 「フルーツ狩りの方がいい。」
僕  「フルーツ狩りにはロマンがないけど、釧路川にはロマンがある!」
息子 「ロマンいらないし。」
僕  「男にはロマンが必要!」
息子 「ひっくり返ったらやだ。」
僕  「パパはカヤックのスペシャリストだから大丈夫!」
息子 「信用できない」

などと実にくだらない経緯を踏みつつ、何とか説得して先週末、
一緒に釧路川を下ったんですね。

異次元の入口、眺湖橋に吸い込まれる感覚、そして現れる原始の森と川は、
30年前と何も変わってなくて、今がいつなのか、錯覚するようでした。

唯一変わっているのは、僕の前に息子がいること

当然ながら、自分で何かを見つけようとして準備をし、生きるか死ぬかの覚悟を持って
臨んだ二十歳の僕と同じものを感じるわけもなく、ただのレジャー感覚で、
無邪気に喜んでいる息子と、その姿を見て満足している僕を、釧路川は、
ゆったりと優しく包みながら、僕らをゆっくりと下流へ運んで行くのでした。

原始の森の中、うっすらと緑がかった美しい川に浮かびながら考えていました。
30年前、僕が探していたものと、見つけたもの。それはなんだったんだろう。

それは禅問答のような、これといった答えなど最初からないものなんだろう。
もし答えがあるとしたら、「30年後の君が僕だよ。」ということ。

30年前と何も変わらない風景の中でそんなことを考えていると、
もしかして20歳の僕と、30年後の僕は、“今”とうい同じ瞬間にいて、
のんびりと下っている僕の後ろから、必死に探しものを見つけようとしている
20歳の僕がやってくるんじゃないか?
なんていう気持ちになって、たまに後ろを振り返ってしまうのです。


そういえば、30年前、息子と2人乗りのカヤックに乗っている親子に出会って、
僕が追い抜こうとした時、そのお父さんが僕に声をかけてくれた。

その人はこう言ったんだ。

「よい旅を」



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7/17 ”夕方の風が運んできたもの”

朝と夕方のノンノ(北海道犬)と まる(黒柴)の散歩するのに気持ちの良い
気候になりました。

ノンノの散歩コースは、約3キロの農道を一周して、神社でお参りをして、
東裏小学校のグラウンドをつっきって、家に帰るというもの。

ノンノはもう10歳のおばあちゃんで、2年前、大きな病気をして子宮を取ってから
規定の量よりずっと少ない量のエサでも太りぎみなので、のっそのっそと歩いて
散歩をしています。

そんなノンノと草だらけのグラウンドを歩いていると、ノンノが何かを見つけて、
クンクンと匂いを嗅いでいます。何だろう?とみると、野球のボール。

今年中学生になった息子は、卓球部に入って、毎日張り切って練習しているのですが、
小学校の時は野球をやってました。
野球は大好きで、練習を休みたいと言ったことは一度もないのですが、上手いか?というと…。
まあ、足を引っ張ってた方かなぁ。

そんな息子を少しでも自信を持ってプレーできるようにさせてあげたくて、
毎朝、朝練をグランドでしてたんですね。バケツにボールを30個くらい入れて、
僕が投げて、息子が打って、バケツが空になったら2人でボール拾いをするのです。

でも、草むらなので、たまにボールが無くなっちゃうんですね。全部飛んだボールの
行方を覚えていて、その周辺を2人でいくら探しても、見つけられないことが
何度かありました。

眠くて寝てしまいたいのを頑張って起きてやっているので、
ボール探しに時間をかけたくなくて、さっさと諦めて、残ったボールで練習をした方が…。
っていつも思うのですが、きっとボールは見つけて欲しいんだろうな。
今見つけなかったら、一生このグランドのどこかで、ボールとして扱われることなく、
置き去りにされるんだろうな。と思うと、「もうちょっとだけ探そう。」と言って、
息子と1m間隔をあけて、ゆっくりと歩きながら探したものでした。

それでも見つけられないものなんですよね。
それなのに、1年も経って、広〜いグランドの、たまたまノンノの行きたい方向に
任せて歩いていると、ノンノが当たり前のように見つけて、くんくんやってるものだから、
「見つけて欲しかったよな〜。」なんて言いながら、拾いました。

もうすっかり日に焼けて、ヒビが入って野球としては使えないボールを見ながら、
そういえば昔、小学校のころ、こんなことあったよな〜。なんてちょっと、
胸の奥がチクッとしました。

友達数人とかくれんぼしていて、Mという、その子はちょっと変わってる子で、
リーダー的な子が、「Mを置いて家の中でゲームしようぜ。」ということになって、
Mが隠れている間に、みんなでこっそり抜け出したんですね。

中途半端に正義心のある僕は、ゲームも上手くないし、Mが気になって、
1人でかくれんぼしていたところに戻ったんです。
さすがにもういないだろうな。って思っていたら、陰から猛烈な勢いでMが飛びかかってきて、
僕に馬乗りになって殴ろうとしたんですね。
僕は殴られても仕方ないと思って、ぎゅっと目をつぶって、歯を食いしばって、
痛みに耐えようとしたんだけど、痛みがやってこない。
恐る恐る目を開けると、Mはうぉんうぉんと泣いているんです。
それを見た時、僕も涙が溢れ出そうになったんだけど、なんでしょうね〜。
僕が泣くのはおかしいと思ったのか、友達の前で泣くのが恥ずかしかったのか、
とにかく言い訳したかったのか、僕の口からでた言葉は
「Mが悪いんだからな。」

そのあと、僕がMに謝ったかどうかは覚えていません。
だた、自分の口から出た「Mが悪いんだからな。」という言葉が、
Mを置いてけぼりにしたことよりも、僕の心に突き刺さったことは覚えています。

7月の半ばなのに、半袖ではちょっとだけ肌寒い風が、
夕日を背に、古い小学校の校舎の長い影が伸びているグラウンドを駆け抜ける。
そんな風がひょっとしたら、かくれんぼしているこのボールと、そしてMの
「もう〜い〜よ〜。」という声を運んできたのかも知れない。



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7/3 ”魅力的な人ってどんな人?”

『削ろう会』ってご存知ですか?
知るわけないですよね〜。
相当マニアックな大会なので…(笑)
なにを削るかっていうと、そう、木です。
カンナでいかに薄く、均一なカンナくずを出すか。というのを競う大会です。
先日、岩見沢で北海道大会が行われたので、見に行きました。
参加しなかったのかって?

旅する木だってキッチンの天板やテーブルなど無垢の天板はすべて手カンナで
仕上げているので、カンナには自信があります。
なので、もし参加していたら、そりゃ、上位を狙えるさぁ!
なんて思って意気揚々と見に行ったら…

ハンパないですね。
カンナの仕込み、研ぎのこだわりようったら、変態としか思えない。
トップクラスの人のカンナくずは3ミクロンとかの世界。
1000分の3ミリですよ!!1ミリを1000等分した3個ですよ!
しつこい?
いや〜、その凄さが解るので、もう〜、度肝を抜かれました。
今や大工さんも家具屋さんも、仕事でカンナを使う事なんてほとんど無く、
全国の鍛冶屋さんも廃業を余儀なくされ、失われていく刃物の文化に、
これ程までに情熱とこだわりを持って臨んでいる職人がいたものかと、
ちょっとショックと刺激をもらって帰ってきました。

日本の刃物の文化は実は世界に誇れる文化なんです。
刀には波紋があることは知ってますよね。あの波紋って何かというと?

普通、固いものを削ったり切ったりする刃物は、より硬く、硬くするのが
当たり前の考え方ですよね。世界中のいろんな刃物は、硬い鋼(はがね)で
作られています。
でも、日本の刃物だけが、それと全く逆の考え方で出来てるんですね。
刃先の方だけ、鋼を使って、刃物全体の6〜7割を地金という軟らかい鉄を使っています。
鋼と地金をくっつけているんですね。その境目があの、波紋なんです。
刃物全体を軟らかくして、“しなり”を利用して、力を加えずに切って(削って)いくんです。
“柔よく鋼を制す”という考えです。
削ろう会のデモでやってましたが、カンナを親指と小指で持って引くだけで、
薄〜い見事なカンナくずが出るんです。

その他にも、逆目(さかめ:木目の向きで、うまく削れない方向)を止める裏刃(うらば)
という構造など、日本のカンナについて語ったら、1時間くらい語れちゃうほど、
個性的で、神秘的で美しい、世界に誇るべき道具なんです。

でも、きちんと美しく削れるようになるには、仕込み、研ぎなど、
ものすごく鍛錬が必要なんですね。とても繊細な道具なので、
その日の天候によっても仕込みを変えたりするので。

そういうもの作りが、今の効率を優先する時代には合わなくなって、
簡単で誰でもそれなりにできるサンドペーパーでの仕上げに取って代わられて、
カンナを使って仕事することが無くなってきて、鍛冶屋さんが消えて、
カンナを使える職人がいなくなりつつあるんです。

カンナの仕上がりとサンドペーパーの仕上がりは、全く違うんです。
カンナは表面を削るので、表面にキズは全くないんです。
それに対しサンドペーパーは、キズを細かくしていく作業なので、表面を拡大すると、
キズだらけなんですね。
旅する木の木のキッチンは、天板をカンナで仕上げているので、水回りに使っても
大丈夫なんです。そういう技術の裏付けがあって、自信を持って作れるんですね。

今、旅する木で修行をしている若者2人も、仕事の後、カンナやノミの刃物の研ぎを
やってます。やり方、方法、コツは説明するんですけど、「全然上手くいかない!」
と嘆いています。
上達に近道はないんですね。上達するには、失敗を繰り返すこと。ですかね。
失敗から何かを学んで、その何かを改善してみて、また失敗して…を繰り返して、
いつの間にか上達している。ということなんでしょうね。
その過程がその人の技術の深みに、さらには、人間の深みになっていくんだと思います。
ただ、今 “合理化”や“効率化”を追求し、早く結果を出すことが求められる時代には、
合わない方法なんですね。

AIの時代の到来が騒がれている今、家具作りも大きく変わりつつあります。
僕がこの世界に入った20年前、婚礼家具などを作っている大きな家具屋さんが
淘汰される時代でした。
きっと、これから5年から10年の間に、今度は僕らのような家具工房が淘汰される
時代になっていると感じています。
機械化、コンピューター制御されたNC、そしてAIが搭載された機械など、
ちょっと前までははとても手がでないくらいの高額で、量産家具向けだった機械が、
それほど資本の大きな家具メーカーでなくても買えるくらいの価格になってきて、
プログラムも簡単になってきて、単品ものでもそのような機械で作った方が効率がよい。
という時代に突入しています。
そうなると、今まで棲み分けができていた家具メーカーと家具工房の境界線が無くなる
と思うのです。
安くなってきたとはいえ、個人工房レベルでは、まだまだそれらの機械を導入するには、
採算が合わないわけで、これから時代の波に呑まれるのは、個人工房なんだろうな。
と思います。
そんな中でも、生き残る工房は生き残るわけで。その分かれ目とはどういうところだろう?
と考えると、高い技術力を身につけている上での、最終的には“人間的な魅力”“人間力”
が溢れる工房は生き残るんだろうと思うのです。

そして、“人間的な魅力”のある人とは?というと、簡単にいうと、
“自分は何のために生きているのか?という生き方から、
自分は何のために生かされているのか?という域に達した人”
なんだと思うのです。

なんでもいい、一つのことを深く探求していって、ある地点まで到達すると、
人は頂きに到達したつもりで、つい有頂天になります。
「自分はこれをするために生まれてきたんだ!」なんて。
でも、さらにそこからもっと深く入っていくと、底だと思っていたところが、
また新たな入口だったことに気付かされます。そんなことを繰り返えすうちに、
我がなくなって、無になるとでも言うんですかね。
「もう参りました。あなたのしたいことに私を使ってください。」という領域に達すると
思うのです。
そしてその領域で生きている人の穏やかな顔と、発する言葉、かもし出す雰囲気が
人を魅了するんだと思います。
そして、そんな人間的な魅力のある工房は生き残るというか、
ちゃんと役割が与えられるのではないかな。と思うのです。

僕もその領域を目指して、もっともっと、深みに挑んでいきたいと思います。
『世界一美しい木の車椅子』というテーマが、もしかして、僕をその領域に
連れて行ってくれるんじゃないかと、まだ見たことのない心の風景に出会えるのを
楽しみに取り組んでいます。

そして若者たちにも、技術の深みは人間の深み。その道に近道はないよ。地道に前向きに
コツコツと取り組む過程が大事なんだと伝えています。こんな古い考えの僕に、
彼らは嫌な顔もせずついてこようとしている可愛い若者たちです。
といっても、僕からみて、もの足りないところもある彼らですが、
彼らの成長にも近道はないわけで、地道に前向きにコツコツと取り組む過程が大事なんだと、
自分に言い聞かせることも(笑)。
まあ、あまり育児に協力しなかったしっぺ返しが、今頃降りかかっているのかな(笑)?
っと、なんだか話しが反れてきましたね。何の話しでしたっけ?

そうそう、削ろう会。

来年はチーム旅する木で、削ろう会に参加しよう!と思っています。
旅する木がこだわっているカンナの世界でも、さらなる深みを楽しもうと。

目標
3マカロン!
優勝したらマカロン3個!(笑)




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