『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。

11/16 ”国道40号は時空を超えて”

先週末、道北の中頓別町の”そうや自然学校”で木育の講師として行ってきました。
僕は通った事のない道を行くのが好きなので、海沿いのオロロンラインをず〜っと北上し、
朱鞠内湖を通って、国道40号に出ました。
好天に恵まれ、気持ちのよい海岸沿いのドライブを楽しみました。

国道40号は思い出の国道なんです。
十数年前、僕が旭川の高等技術専門学院の一年生の夏のこと。
それまでオリンパスで毎日深夜(朝?)まで仕事をしていた僕にとって、職業訓練校での日々は
ほとんど遊んでいる様なものに感じ、もの足りなくて、一分一秒も早く技術を身につけたい、
という思いもあったけれど、とにかく何かものを作りたい!という思いが溢れていました。

一ヶ月もある夏休み、「学院を開放して、ものを作らせて欲しい。コンペに出品する作品を
夏休み中に製作させて欲しい。」
学院の先生に、さんざんお願いし、喧嘩(?
)もしましたが、そんなこと無理に決まってますよね。
今になって、先生の立場になって考えたら、無理もない話しですよ。

そこで、いろいろ調べたら、音威子府村に一般に開放している木工設備の整った施設があるという
事を聞き、学院の仲間3人でキャンプ道具とコンペに出展する作品の設計図面を持って
国道40号をひたすら北上、音威子府に向かったのです。
音威子府のキャンプ場に一ヶ月、キャンプをし、朝から夕方までその施設で製作し、
キャンプ場の温泉に入って、木工話しをする。という生活。

製作したものは、直径1メートル、高さ1メートルの大きなドラム缶の様な円柱の木枠。
その中にいっぱい穴の空いた回転するドラムがあって、その回りに備長炭が並んでいて、
ドラムの穴に差し込んだ鉄柱が、備長炭を弾いて音が鳴る。という仕組み。
大〜きな、大〜きな備長炭のオルゴールです。名付けて『木クル炭(もっくるたん)』
選曲は、僕の大好きな『北の国から』。そう、さだまさしの「あ〜あ〜」ってやつ。

もう、とにもかくにも、めちゃくちゃ楽しい一ヶ月でしたね〜。
僕の木工人生のまさに原点です。
音威子府村入り口にある懐かしいトーテンポールを見て、その時の出来事、会話、
毎日食べたシマホッケの味、備長炭が奏でる不器用な音色、なんかを思い出しました。

キャンプ場の温泉で毎日、仲間と夢なんかを語り合ったけれど、あれから十数年後、
僕が木工の講師として呼ばれて、ここにやって来るなんて、想像もしませんでした。
その事がとても不思議で、嬉しいとかではなく、ただ、人生の面白さというか、つながり
をしみじみと感じていました。
この様な機会を与えて下さった、そうや自然学の皆様にはとても感謝です。

そしてもう一つ、音威子府と言えば、そう、あの子です。音威子府高校3年生、川崎映君。
彼が中学3年生の時に出会い、彼の才能に魅了され、その後、ご両親とも親しくお付き合い
させて頂いています。先日お母さんからお電話を頂き、「今日、映がテレビに出ま〜す!」
そそくさと仕事を止めて、ビデオの準備。
なんと、学生美術全道展で北海道新聞社賞を2年連続で受賞したんだそうです。
せっかく音威子府に来たので、会って行こうと思い、音威子府高校へ。
残念ながら、すれ違いで会う事は出来なかったのですが、電話で元気な声を聞いて、
安心しました。
彼との偶然の出会い、小さな村、音威子府とのつながり、など、人生の深さと、不思議さを
感じながら、初冬の夕暮れの中、最後の峠に向かいました。

この先、どんな不思議なからくりが待っているのだろう。そのからくりは、ず〜っと後に
なってみないと解らない事なんですね。
そう考えると、やっぱり僕らは時間の中を旅してるんですね。メーテルが言ってました。(笑)
僕は、星野道夫も好きだけれど、 星野鉄郎も好きです。
いつまでも心の中に、銀河鉄道999を走らせていたい!

いつの間にか随分長い文章になってしまった最後が、下らないオチでどうもすみません。

コンペの結果?

”メーテル”です。”青春の日の幻影”

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10/20  ”最高の椅子を求めて”


トップページでご紹介していますが、今、Northern Life というギャラリーで
『Chairs・chairs  木工房からの木の椅子展』を開催中です。
旅する木はなんと、4脚もの椅子を出展しています。

”旅もっくんが今日も行く”で新作の椅子を製作している過程を紹介していますが、
その新作の椅子も出展していますので、是非、見に行って下さい。
札幌近郊の木工房の方々が、自慢の椅子を出展していますよ。
もちろん座れるので、じっくり座ってみて下さいね。

旅する木は椅子にものすご〜くこだわっています。
まず、スケッチ、図面を描き、
模型を何回も作って様々な角度から検証し、
次に実寸で試作。座面、背もたれの角度などをちょっとずつ変えて試作を繰り返します。
多い時は30回以上も試作をするんですよ。
だから、旅する木の椅子は、定評があるんです。

半年前、あるお客様が工房へ来られました。「椅子を探しています。」とのこと。
その前の半年、ずっと椅子を探していたそうです。
旅する木の椅子をとても気に入って下さいました。でも、まだ決めかねているようなので、
「是非、いろんな家具屋さんの椅子を座って下さい。」と言って、家具の産地の旭川の
メーカーが揃って展示している会場を紹介しました。

実は、旅する木のショールームに来られるお客様の中に、すごく後悔される方が多くいます。
「もっと早く知っていれば、全部旅する木で揃えたのに…」
とても嬉しい感想です。
でも、そのお宅に残された家具は可哀想ですよね。その後はずっと後悔しながら使われる
のですから。
だから、逆に旅立って行った旅する木の家具がそんな可哀想な思いをしないように、
迷っているお客様には、良いものを作っている家具屋さんを紹介します。

いろんな良いものを見て、最後に旅する木に戻ってきてくれれば、後悔する事はなくなり、
お客様にとっても、旅立った家具にとっても、僕にとっても幸せなのです。
たとえ他の家具屋さんの家具が気に入って、戻って来てくれなかったとしても、
それは後で後悔されながら使われるより幸せなことですから。

先ほどのお客様、その後他の家具屋さんに行って座っては、すぐに旅する木に来て
座って…を繰り返しすこと半年。とうとう決心し、旅する木に戻って来てくれました。
しか〜し、今度は僕が「ちょっと待った〜!」
「もうちょっとで、今ご注文頂いているお客様の新作の椅子が出来ますから、
それを見てからにしましょう。」
結局また一ヶ月待ってもらいました。

そして、新作の椅子が完成し、見てもらおうと、ショールームの戸を開けるやいなや、
奥様が「わ〜っ、ステキ〜!!須田さん、すごくステキ〜!」って勘違いしてしまうような
嬉しい反応。
そして、この新作の椅子をご注文頂きました。

椅子を探し求めて一年。ありとあらゆる椅子に座りまくったそうです。
「一年間、探しに探し、とうとう最高の椅子出会った。」と感慨深そうに語っていました。

えっ?商売下手って?
そうなんです。実は注文下さったお客様によく、そう言われます。
「でも、注文くれたじゃないですか?」っと言って笑います。

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10/12 ”木と語り、会話する”

今、新作の椅子を製作しています。
材料はブナです。
写真ではいまいち判りませんが、白木の表面に小さな斑点模様が綺麗な材料です。

ブナ、漢字で書くと、…
って、出ないですね〜。”木”に”無し”と書くんです。
日本では、役に立たない木の代名詞だったんです。

でも、ヨーロッパでは、昔から家具の材料として使われてきたんですよ。
表面の美しさだけでなく、すごくしなるんですね。曲がるんです。
なので、曲げ木の椅子によく使われています。
世界で一番売れた椅子、トーネットの曲げ木椅子は、ブナで作られているんです。
一昔前の喫茶店には、よく使われていましたね。まる棒がギューっと曲げて背もたれに
なっている椅子です。

メープル同様、扱っていて、すごく女性的な雰囲気を感じさせる素材です。
僕はいつも材料を人に例えて説明するのですが、ブナは、”お母さんの木”ですね。
ブナ林に入ると、目一杯広げた葉っぱから漏れる木漏れ日が優しくて、
立ち木のブナの表面は、白っぽくてツルッとしているんですね。
葉っぱが雨を受けとめて、雫が枝に伝わって、幹に伝わって、根元に流れやすく
なっているんです。
だから、ブナ林はすごく大量の水を根元に蓄えているんです。
夏でも涼しくて、とても気持ちが良いんです。
ブナの森は白神山地が有名ですね、北海道は、黒松内が北限だと言われています。

例えば森を焼き払うとします。そうすると、背の低い植物がそこを覆い、次に
成長の早い針葉樹が支配します。寿命の短い針葉樹は、その役目を終え、やがて
広葉樹がその地を奪い取ります。広葉樹の中でも葉を大きく広げ、太陽の光と水を
多く受ける事の出来るブナが台頭します。それが白神山地ですね。
ブナが何百年という長い年月を独占し、その役目を終え、やがて最後に、
その土地を支配するのが、ナラです。「どうぞ、お先に。でも最後にその土地を
支配するのは俺だよ。」という、どっしりとした包容力がナラにはあるんです。
だから、ブナは”お母さんの木”、ナラは”お父さんの木”なんですね。

その性格は製材し、加工している時も、感じる事が出来ます。
そういうものを感じながら加工をしていると、なんだかとても面白いんですね。
”お母さん”の中にも、色んな人がいて、素直なお母さん、ひねくれているお母さん、
若いお母さん、肝っ玉母ちゃん…。

よく、すごい職人さんは、「木と会話してる」などと言いますが、僕だって負けじと、
「機嫌直してよ。」とか、「大阪のおばちゃんかよ。あめちゃん持ってる?」などと
木と会話をしてますよ。

「木と会話する。」ってそういうことじゃないって!?
トホホ、まだその域には達していましぇーん(涙)。

  

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10/7 ”一点の光になりたい”

工房を始めてから、ちょくちょくと、家具作りに興味のある方、
今、高等技術専門学院に通っている方、すでに仕事についている方などから
相談を受けます。

僕が旭川の木工業界に足を踏み入れた時には、すでに木工業界は低迷、迷走状態で、
どこの家具屋さんも給料はビックリする程安いんです。
若くて腕の良い職人さんが、結婚を期に、生活出来ないという理由で、去って行きます。
多くの工房も、奥さんの収入に頼っていたり、自分の好きな物を作っているのだから、
貧乏でもがまんする。という状況で、それは今でも変わらないと思います。
なので、この道の若者はみんな、将来に不安を感じ、悩んでいるんですね。

そんな中、昨日工房へ相談に来た若者は、ちょっと様子が違っていました。
僕が木工を学んだ、旭川高等技術専門学院の後輩で、まだ20代前半なのに、
自分のやりたい事をしっかりと見据えていて、その思いをと理由をきちんと
言葉にして伝えて来ました。

やりたい事も決められず、ほどんど大学にも行かず、アルバイトばかりしてお金を貯めては
北海道に遊びに来ていたその頃の僕と比べると、「たいしたもんだなぁ。」と感心し、
3時間くらい、語り合ってしまいました。

僕が学院の2期生で、今の学院の生徒さんは、おそらく13,4期生なんですね。
なので、200人以上の若者が木工に脚を踏み入れ、半分以上の人が志半ばで去って行き、
残った人は、先の見えない暗闇の中を手探りで歩いている様な感じなんですね。

なので、独立を決めた時、実に勝手ながら、誰の了解も得ていませんが、
「僕が暗闇の中、微かかも知れないけれど、一点の希望の光になりたい。そういうものを
背負いたい!」と心に決めたんですね。身勝手極まりない…。

まだまだ全く希望の光にはなれていないけれど、それでも僕のずーと後の学院の卒業生や、
今学院に通っている生徒さんが、「旅する木」のことを知ってくれていて、
工房へ来てくれるのは、嬉しいなぁ。と思います。

今、旭川の若き家具職人たちは、溢れるような情熱と思いを持ち、お互い切磋琢磨している
ようです。そんな人たちと、それぞれが抱く夢を表現する過程で、重なり合って行けたら、
すごく面白く、素晴らしいなぁ。なんて四捨五入すれば、20歳も年の離れた若者と
話しをしながら、思っていました。

清く美しい情熱を持ち続けたいものです。

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9/23 ”寒がり屋の家具”

今、新築現場に納めるキッチンを製作しています。
奥様のたっての希望で、アイランドキッチン、その後ろの収納の樹種は
アメリカンブラックチェリーです。

アメリカンブラックチェリーは色の経年変化がすごく激しい木なんですね。
経年どころではなく、刻一刻と変わっていく。と言った方が良いかも…。

例えば、天気の良い日、お昼休み直前、チェリーの天板を仕上げていて、
途中でお昼になったとします。
うっかりカンナを天板の上に置いたまま、お昼にして、一時間後戻って来たら、
天板にはカンナの痕がクッキリ!(涙)
日に当たっていた部分が色灼けして濃くなっているんですね。
たった一時間でですよ。もう、製品としてはダメなんですね〜。
とっても気を使う樹種なんです。

なので、今作っているキッチンも、ちょっと手を離す時は必ず、隙間のないように
毛布をかけるんですよ。完成したキッチンも、納品までの間、毛布に包んで保管。
それが上の写真です。

まだ残暑の中、チェリーの家具達は毛布にグルグル巻き。随分寒がりな家具達?
いやいや、今流行の完全防備の日焼け対策ですね。

木の家具は、時間の経過とともに、深く、味が出てきます。
この家具達も、数年後には、すっかり濃い飴色になって、家に馴染んでいる事でしょう。
たまに日焼けしない扉の内側の色を見てみると、
「昔はこんな薄いピンクだったんだ!」って驚くと思います。

例えばで挙げた上のカンナの痕の例、実は例えばの話しじゃないんじゃないの?

じ、実は修行時代…
どうせだったら全部灼いてしまえば解らなくなるんじゃないかって、外に置いておいても、
その差のまんま、灼けて行くんですね。残念ながら。

先輩に怒られましたね〜。それがトラウマで、必要以上にグルグル巻きにしてしまうのです。

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9/9 ”穫りたて、もぎたてホヤホヤ”

いつの間に北海道はすっかり秋ですね〜。
毎朝、ノンノ(愛犬)の散歩をするのですが、Tシャツでは、肌寒いですもんね。

秋といえば、収穫の秋、美食の秋ですね。
我が家の畑も美味しそうな野菜が出来ています。
初めての畑なので、今年はじゃがいも、とうきび、だけにしようと思っていました。
ところが、夏に長野から両親が来て、一週間滞在したのですが、僕はほとんど
仕事していて、相手が出来ずに帰って行った後、畑には、
枝豆、にんじん、キャベツ、枝豆、トマト、しそ、なんとか豆(?)などなど、
いろんな作物が植えられていました。

忙しくて、あまり世話もしなかったのですが、季節がくると、ちゃ〜んと
実がなるんですね。
キャベツなんて、イモムシを飼ってるようなもんだと思ってあきらめていました。
ところが、そのイモムシたちは、モンシロチョウになって羽ばたいて行ったんですね。
その後、虫食いの後も何もない、立派なキャベツが出来ていて、驚きました。

最近の我が家の食卓には、近所の農家さんから頂いた野菜も含めて、獲りたて、
もぎたてホヤホヤのものばかり。めちゃくちゃ美味しいんです。

その上、生産者は自分であったり、近所の方なので、絶対安心、安全なんです。
どこの誰が作ったのか、どういう経路を経てやってきたのか、何が入っているのか、
何が使われているのか、どのように作られているのか解らないものより、
生産者の顔が見えるというのは、本当に安心できますよね。

家具にも同じ事が言えるんじゃないですか。
旅する木の家具は、正真正銘、僕が一人で作っています。変なもの、いい加減なもの
を作ったら、その責任は、誰のせいにも出来ません。全て僕の責任です。
デザイン、製作している時、いつもこの責任を背負っているつもりです。
だから猫背だったりして(?)

コミュニティーは出来るだけちっちゃく、というのが、僕の、旅する木の考えなんです。
お互いの笑顔が見える、または、感じられる距離で仕事をしたいんですね。
それで、ショップに家具を置かないんです。お話は時々頂くのですが。

身の回りの衣食住を、可能な限り知っている人、信頼出来る人にお願いする。
そういう人たちが集まって、楽しく、豊かな暮らしをする。そんなコミュニティーというか、
ちょっと大袈裟な言葉でいうと、エコビレッジを作るのが、旅する木の最終的な夢なんです。

美味しい野菜から、随分話しが反れてしまいました。
そんな夢を抱きながら、甘〜いとうきびをいただきま〜す!!

  

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8/29 ”Life is …”

”人生とは何かを計画している時、起きてしまう別の出来事のこと”

先日、家具を納めたお客様から頂いたメールに書いてありました。
僕の大好きな星野道夫の友人、シリア・ハンターの言葉です。

とても印象的で、的を得た表現だったので、実は星野さんの本の、この言葉の横に
赤ラインを引いてありました。
僕は、いいなぁ、と思った文章にすぐマーキングしてしまいます。なので古本屋では
売れません…。。

”別の出来事”かぁ。その通りかも知れませんね。
僕が家具に出会ったのは、結婚する前、妻と東京の池袋のセゾン美術館の前を通った時
偶然シェーカー展をやっていたんです。
僕はシェーカーのことを全く知らなかったのですが、妻がアーミッシュキルトに興味が
あり、見ることになったのです。

僕にとっては、何の気無しに入ったはずのシェーカー展、そこで初めて見た
シェーカー家具、壁に掛けられた椅子、そして、アーミッシュの人たちの生活に
衝撃を受けたんですね。「なんて素朴で美しい家具なんだろう!なんてシンプルな
生き方なんだろう。」

それからシェーカーのことを勉強し、ある言葉に出会うのです。
『審美性は有用性に宿る』

この言葉は、いまだに家具をデザインする時、煌煌と僕の頭のてっぺんに居座り
大きな指針となっています。

ちょっと話しが反れちゃいましたね。いつものことですが・・・。

そんなことがきっかけで、家具の世界に入って行く事になるのです。
その後、様々な紆余曲折を経て、現在に至ります。
その辺の過程については、また別の機会に触れようと思います。
僕自身、独立するつもりはなかったものですから…。。

文頭の言葉に戻りますね。

”人生とは何かを計画している時、起きてしまう別の出来事のこと”

一つ一つの出来事を見ると、全くその通りかも知れませんね。でも、
ず〜っと引いて、全体を見ると、ちゃんと意味があって、つながっているんだな。
とも思います。大事な事は、起きてしまった別の出来事を、素直に受け入れる
心ではないでしょうか。
実は、その中にこそ重要なメッセージが隠されていて、そのメッセージを
拾い集める事こそが人生のような気がします。

え?!僕の場合?
もともと計画性のない人生なので、その分、臨機応変だったりして…。

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8/17 ”帰りの車にのっていたものは?”

昨年もそうだったのですが、この時期は”木育”活動のイベントの講師として
いろんなところから声をかけて頂きます。

先日は札幌の旭山記念公園で行われた”親子木づかい教室”で木工教室。
お盆はなんと、500キロも離れた道東の霧多布湿原センターで木工教室を
行いました。

霧多布湿原センターの方からメールを頂いた時には、さすがに遠すぎるのと、
お盆厳守でお仏壇を二つ、製作することになっていたので、断ろうか迷っていました。
でも、僕の基本的な考えに、”乗り越えられない壁は、初めから与えられない”
つまり、”話しが来るということは、出来るといこと”という考えがあり、
引き受けることにしました。

休み返上でお仏壇や、他の家具の製作を終えて、納品、発送を済ませ、晴れて
霧多布へ家族で出発しました。晴天の中、北海道のドライブを楽しみました。
旅行の様子は、おそらく妻がそよ通で触れると思うので、省略しますが、
「霧多布に呼ばれたのは、この為だったのか!」と思えるような、素晴らしい出会いが
ありました。

霧多布湿原センターに到着し、館内を見回すと、木のおもちゃがいっぱい。
可愛らしい動物や、昆虫の乗り物、音の出るおもちゃ、おままごとセット、
中でも2歳の息子の心をガッチリ捕らえたのは、大好きな働く車(重機)。
子供心を捕らえる、細部まで再現した細工が施されていました。
このおもちゃたちに、子供だけでなく、僕も妻も魅了されてしまいました。

話しを聞いてみると、なんとこれらは、霧多布にお住まいの漁師さんが趣味で作って
いるんだとか。
「プロじゃないの〜?!」もう、ビックリです。

旅する木の夢で触れているように、旅する木を創設する時、子供たちが木のおもちゃで
遊べる施設をつくりたい、と思っており、廃校への移転を決心する大きな要素の一つ
だったのです。

教室は無事終了し、その日は霧多布のペンションに泊まり、次の日早速その漁師さんの
工房(?)へお邪魔しました。
見た目は、そう、・・・漁師そのものですよ。しゃべり方も。
でも…
工房にはジャズが流れ、この漁師さんからは想像も出来ないような可愛らしいキャラクター
の置物が並んでいるんです。
倉庫の2階には、次から次へと出て来る木のおもちゃたち。その一つ一つに2歳の息子の
目がキラキラと光り、「ほしい、ほしい。」と。
話しが盛り上がり、2時間近く話しをしてしまいました。

実は不思議なことに、この旅行中、ドライブしながら、「木育の施設、早く何とかしたいな。」
と話していたんですね。
「この為にここ霧多布へ呼ばれたんだ!」と思い、「これと、これと、これと、これと、
これと…、今日、頂いて行きたいです。」と言って、交通費や材料費、講師料など、
今回のイベントで頂いた全てのお金をそっくりそのまま置いてきました。
そして、まだまだいっぱい、漁に出ている暇がないほど製作してもらおうと(どっちが本業?)
頼んで帰ってきました。

こんなことしていたら、ちっともお金なんて貯まらないなぁ。と思いながらも、とても
すがすがしい、なんとも良い気分で帰途に着きました。

帰りの車には、木のおもちゃと、夢がいっぱいでした。

  

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8/11 ”ホロ苦い夏の思い出”

北海道にやっと遅かりし夏がやってきました。
先週から30度近い日が続いていますね。
それでも6、7月が、ず〜っと雨ばかり降っていたせいで、
農家は困っています。新聞やテレビでも騒いでいますが、農作物に
大きな被害が出ているようですね。
今まではどこか遠くのお話、という感覚があったのですが、
ここ、当別町に暮らし始めて、農家の方々と接する事が多くなり、
実際に困った顔を見ると、切実さを実感します。

夏休みに入って、旅する木に来客者が増えています。
HPをご覧になっていて、旅行を兼ねて、道外からわざわざ来て下さる
方もおられます。嬉しいですね〜。

昨日も道外のナンバーの車が止まり、お父さんと男の子が来てくれました。
体育館や、ショールームを案内し、お父さんと色んなお話をしていました。
道外からわざわざ来て下さったので、嬉しくなって、僕もちょっと余計な
ことまで話してしまいました。

お子さんは退屈ですよね〜。せっかく良い天気だし、北海道に来てるんだから、
海とか、山とか、湖とか、行きたいですよね。
そのうちお父さんに「面白くない。早く帰ろ〜。」と言い始め、その親子は
帰って行きました。
僕も、そりゃ、そうだよな〜。と思うので、全く気にせず、作業をしていると、
5分くらいして、さっきのお父さんと男の子が戻って来たのです。

男の子が僕の所に来て、うつむきながら、「先ほどは失礼な事を言って
すみませんでした。」と謝って来たのです。
僕は、「全然気にしてないから大丈夫だよ〜。」と頭を撫でると、男の子は
頑張ってこらえていたのであろう思いが溢れ、泣き始めました。
僕は男の子の頭を、軽く抱いて、「泣きたい気持ちも解る、解る。」と言いながら、
昔の事を思い出しました。

小学校の頃、姉と外で喧嘩してたんですね。姉は二つ上だし、女だし、口喧嘩で
かなうはずがないですよね。確か僕は大声で泣いてたんですね。
そんな時、近所のおばさんが、「どうしたの?男の子が泣いちゃだめでしょ。」
なんて言ったんだと思います。
悔しくて泣いてるところに、そんな事言われ、感情が高まって、つい、
「うるせ〜!くそババア!」って。
その後、謝りに行かされました…。

男の子の頭を撫でながら、すっかり忘れていた遠〜い昔の出来事を思い出していました。
「はい、これで終わり。じゃあ、旅行を楽しむんだよ〜。」と別れました。

「早く帰ろう〜。」と言って帰った時、車の中でお父さんに怒られ、謝って来い!と
放り出されたんだろう。立派な父の姿だと思います。

楽しい夏休み、楽しい北海道での家族旅行、でも、ほんのちょっと、苦い思い出が
彼の心に刻まれたんだろう。
そんな夏の思い出があってもいいんじゃないか。

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