『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


3/5 ”古代の叡智”

[kin91、青い猿、青い嵐、音13]。
さて、なんでしょう?

答えは僕のマヤ歴での紋章です。

マヤ歴、ご存知ですか?
2012年に地球が滅亡するとか何とかで、一時、うわさになりましたね。
地球が滅亡するというのは、間違った解釈が先行してしまったらしいです。
マヤ暦の長期周期の終わりが2012年だったといことなんですって。
新しい時代の幕が開けたんですね。

自然環境も世界情勢も、政治も経済も、混沌としていて異常さをきたしているのは、
時代が大きく変化する荒波に翻弄されているんでしょうね。
その変化に合わせて、心も考え方も変えていかなければ、いつまでもこの混沌とした
世界から抜け出せないということです。

マヤ歴に限らず、いろんな先人達の知恵を信じる人達や有志の人達が、昨年、今年中に
僕たち人間の心がエゴの支配を捨て、友愛に満ちた心に変化していかなければ、
今の文明は滅びる。その分岐点が今年までで、すでに折れるタイムリミットギリギリの
ところまで来ているということを言っています。
マヤ、アステカ、ムーやアトランティスなど、地球に誕生したいくつもの古代文明が、
結局は破滅の道を歩んで来たように。

どの文明も、化学の進化に精神の進化が追いつかなかったんですね。本当は心の進化が
先行しなければいけなかったのでしょう。
そういった意味では、アイヌ、エスキモー、インディアン、原住民と呼ばれた人たちの方が
人間としてよほど進化していたんだと思います。
彼らが後に化学を手に入れたとして、はたして僕らと同じ道を歩んだのだろうか?
僕らは彼らを滅ぼすのではなく、彼らから学ばなければいけなかったんですね。

こんなことを書くと、宗教的に思われるかも知れませんね。。
僕は宗教は好きではなく、あくまで石ころ一つにも(魂)神が宿っていると思っています。

どういうわけか、僕のまわりにはやたらとマヤ歴に詳しい人が集まっており、
僕も感化され、一昨年、マヤ歴インストラクターの講習を受けました。

上記の
[kin91、青い猿、青い嵐、音13]
には意味があるんですね。

古代マヤの人たちは、時間を”意識のエネルギー”と見ていて、その周期で暦を作ったんです。
特に突出して天文学に精通していたマヤの人たちが考えたマヤ暦は、宇宙の法則にも則った、
かなり信憑性のあるものだと思います。

昨年、旅する木で自主上映会をした『かみさまとの約束』の中で、前世や、中間世(死んでから
次に生まれかわるまでの魂の世界)、生まれる瞬間の記憶を持った子供たちが語っていたのですが、
生まれる前に、目的、果たすべき役割などを決め、何時、誰の元に生まれるのかを選んで
産まれて来るのだそうです。
そうだとすると当然、生年月日には意味があるもので、それぞれの日にちの持つエネルギーを
暦としたマヤ歴に照らし合わせると、その日を選んで生まれた自分の特性が解るのです。

マヤ歴は占いではないので、当たるとか、当たらないというようなものではないんですね。
その日(特性)を選んで生まれた自分を、きちんと表現出来ていると、自然と人生が上手く
好転する。というものなんです。だって、その特性を自分で選んで生まれて来たんですから。

僕の回りのマヤ歴に興味のある人たち(圧倒的というより、全て女性)は、生活にマヤ歴を
取り入れて、活き活きと自分のしたいこと、すべきことを全うしている人たちがいて、
彼女達は本当に楽しそうに自分の人生を生きていますね。

マヤ歴、もし興味が湧いて、自分のkinを調べて欲しい!という方がいましたら、
まだまだ勉強をして、場数を踏まなければなりませんが、一応僕もマヤ歴を調べて
アドバイスをすることが出来るので、ご連絡下さいませ〜。

ちなみに僕は、kin170と、kin221の方に出会いたいと思っています。
あ、私!!
とか、知り合いにいる!!
という人、いませんか〜?


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2/20 ”ノートラック最高!”

間は身勝手な生き物ですね〜。
除雪している時は、「もう、雪なんていらない!」
なんて言ってるくせに、スノーシューを履いて森に入っていくと
「ふかふかの新雪サイコ〜!」なんてはしゃいでいます。
そう。それは僕です…。

先日、友人が誘ってくれて、旅する木スタッフと旭岳の森の中をスノーシューを
履いて、トレッキングしてきました。
プロのガイドさんに連れいていってもらったので、ただ、歩くだけでなく、
いろんな知識を教えてもらったり、雪遊びを楽しんだりして、北海道のサラサラ、
ふっかふかの雪を堪能しました。

なにより、夜の森を歩いたのは、初めての体験で新鮮でしたね。
前日までの暴風はウソのように、その日の夜は、そよ風も吹かない無風、晴天で、
真っ暗の森の中に、スノーシューを履いて、ヘッドライトを付けて入っていくと、
そこは、動物だけが入ることを許されたおとぎ話の世界に迷い込んだようでした。

クロテンの足跡を追っていったら、雪原の途中で突然足跡が無くなっている。
え〜?なんで?と最後の足跡を覗くと、雪の中深く奥まで穴があいているんです。
きっとその雪の下に巣がるんでしょうね。

太いトドマツの幹に無数についている並んだ3本線のキズ。
ガイドさんが、「これはヒグマがこの木に登った時に爪でひっかけた後ですよ。」って。
今は冬眠しているんだろうけど、夏のある日、大きなヒグマがこの木に上っている様子を
想像しました。

そして、回りに木が無いちょっとした空間が広がった場所があって、そこでヘッドライト
を消して空を見上げると、森の中、ポッカリと開いた空間に無数の星々が、
まるで手に取った砂を空に向かってバラまいたかのように広がっていました。

みなさん、『ノートラック』って言葉、ご存知ですか?
ガイドさんに教えてもらいました。
誰も踏み入れていない新雪のこと。
北海道の中でもさらに標高の高い旭岳の森の中の、ノートラックをスノーシューで歩いていると
その柔らかさに感動します。
羽毛布団のようにふかふかなんです。優しく包まれているかのよう。
天気も良く、歩いて火照った体をふっかふかの新雪に、まるで布団のように寝っ転がると
ふわっと体を包み込んでくれて、スキーウェアーの上から伝わる心地良い冷たさを感じながら
しばらく青空を見上げていました。

「今日は火曜日かぁ。平日だな。平日に仕事を休んで森をトレッキングするなんて、
今までの俺だったら、考えられないことだな。」

青空に雲がゆっくり流れていて、そんな空に向かって高く、真っすぐ伸びた黒エゾマツに
積もった雪が、わずかな風に乗ってサラサラと舞うように降ってきます。
その舞っている粉雪に日の光が反射して、キラキラ光っています。
こんな風に真っ白な優しい雪に包まれていると、思えてきます。

「こんな日もあってもいいかぁ。」

気持ちがふんわりとした無の状態。

「ああ、心の中、ノートラック」



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2/7 ”月光”

先日、東京に行って来ました。
遊びに?
遊びじゃありません。これから製作する家具に、32種類の樹種を使うので、
その木の買い付けに。
と言っても結構時間が余ったもので…。
「そうだ。スカイツリーを見に行こう!」
と行き当たりばったりで行ったものの、ものすごい人、人、人…。。
しかも、予約しなきゃ上れないんですね。展望台まで。
でも、『東京ソラマチ』って言うんですか?タワーの横にショップやレストランなどが
いっぱいあるとこ。そこの30階のまで上って東京を見回してきました。

東京をこんな風に上から見たのって、ひょっとして、小学校の修学旅行で上った
東京タワー以来かも…。
改めてこうして見ると、地図ではちっぽけな東京、でも目の前に広がる東京は広かったですね。
そして本当に地平線の向こうの向こうまで、果てしなく家やビルが密集しているんですね。
一体どんなにたくさんの人がここに住んでいるんだろう。

泊まったのは日本橋の近くの天然温泉付きのビジネスホテル。
真夜中、一人で露天風呂に入っている時、ビジネス街なので、夜はほとんど人気が無くて、
「本当にさっき見下ろした東京なの?」と思うくらい、静かでした。
誰もいないので、ザバーっと顔まで潜った後、フ〜と顔を出して空を見上げると、
ビルに囲まれた隙間のど真ん中に月があって、そっと僕を照らしていました。
「東京でもこんなに綺麗な月が見えるんだ。」
美しい月は、なんだかしんみりとしていて、もの悲しさを感じます。
美しいと感じるものにはどこか、愛おしさの中に悲しさが含まれているものです。
この”心地良い切なさ”のような感じは、心を優しい気持ちにさせてくれて、僕は好きです。

あんなにたくさんの人がいて、同じ瞬間を生きているのに、そのほぼ全ての人と僕らは
出会うことは無い。
言いかえると、人と人が出会って、言葉を交わし、友達になったり、家族になったり
することって、なんていう奇跡なんだろう。

人生に設計図があって、生まれる前にその設計図を描いて生まれてくるのだとしたら、
その設計図というのは、何が起こるのか、誰と出会うのか、そしてそれはいつなのか。
ということが書き示されているんだろう。
これが運命というもので、きっとこれは個人の力では変えられないことなんでしょうね。
悲しいけれど。

やがてその出来事が起き、その人と出会い、どう感じるか。
この部分がそれぞれ個人の意思や意識で変えられるんですね。

ハッピーな出会いや出来事ばかりではないけれど、その一つ一つが奇跡なのかだら、
「あなたに会えて、本当によかった。」
と思える出会いを重ねていきたいし、そう思ってもらえるような自分でありたい。

工房から家に帰る時、道路の真っすぐ向こうに見える大きな月は、当たり前に綺麗だけれど、
東京のビルの合間から期せずして見えた月は、悲しくて、美しかった。



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1/27 ”全部読んじゃって!”

先日、旅する木に札幌近郊の木工家が集まってお餅つきをしました。
餅つきは気持ちが高ぶって、盛り上がりますね。
妻の作った雑煮やあんこにつけて食べるつきたてのお餅は最高です。

旅する木では、餅つきの他、いろんなイベントをやります。
コンサートや自主映画の上映会、木工教室、昨年はオーロラの上映会などなど。
どのイベントでも大活躍するのがスタッフの山口君。
旅する木の彼の名刺には“イベント担当”と記載されています(笑)。

先日の餅つきでも、僕は来てくれた木工家達とおしゃべりに夢中になっている裏で、
山口君や、今月から新たにスタッフに加わった清奈、そして妻がせっせと裏方の仕事を
してくれていました。
表舞台に立つのは僕なのですが、いつもその裏でスタッフが気を効かせて自主的に
動いてくれるので本当に助かっています。

イベントということで発表しちゃいます。
まだ日時もやる内容も決まってないので、発表出来る段階ではないのですが、
この際、勢いで…。。

今年は旅する木にとって記念すべき年なんです。
なんと、旅する木創設10周年!!!
いや〜、真っ暗でどこに進んで行けばよいのかも分からずに漕ぎ出した船出だったので、
10年も続けられているなんて夢のようです。
心底信じられない。というのが正直なところです。
10年を振り返るのは、別の機会に。

ということで、今年の春〜初夏くらいに、『旅する木10周年祭り』をやります!
内容を今、スタッフと雑談しながら話しているのですが、楽しいものにしようと思っています。
そしてもちろん、豪華景品も!
『カルトQ』テーマ”旅する木”的なクイズ…
ふる〜!!知ってますか?『カルトQ』
うじきつよしが司会のテレビ番組。
超マニアックなクイズを出題して、その分野のマニヤの人がカルトキングを目指すやつ。
僕が大学生くらいの時やってたから、20年くらい前ですかね〜。
好きで見ていました。
「カルト キュ〜」って言いながら、右手を左の側頭部に、左手を顔の前でクネクネさせながら
”Q”の文字を作って、友達にマニアックな問題を出したりしていました。

おっと、話しが反れてしまいました。
そんな旅する木のマニアックなクイズを出して、見事、カルトキングになった人には、
豪華景品を。
旅する木のクイズで豪華景品って言ったら…?
「今でしょう!」
いやいや、使い方間違ってる。しかもちょっと古いし。
「家具でしょ!」
そう。家具をプレゼントします!
椅子?テーブル?

問題は…
そうですね〜。このHP、しかもつむ通、そよ通が中心になるんじゃないかな?
つむ通、そよ通には、旅する木の10年の歩みと、その時々の出来事や思いが綴られています。
たまに昔のものを読み返したりして、懐かしい出来事や、その時の気持ちを思い出して
初心に立ち返っています。

自分のブログでありながら、いいな〜。と心に染みるような文章が結構あるんです。
昔のものだと、
2009/8/11 ホロ苦い夏の思い出
2008/2/11  長い旅の途上
2009/4/27 ハルニレの最後の叫び
とかは、いいな〜。と思います。
そして、今でもちょっと思い出してしみじみしてしまうのは
2008/
4/7  ちびっこ助っ人
ですね〜。

おっと、この辺からも出題されるかな〜?
是非、今から旅する木のHPをくまなくチェックしておいて下さ〜い。
そして、プレゼント家具をGetしちゃって下さいませ〜。



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1/12 ”覚悟を決める”

 

遅れまして、あけましておめでとうございます。
仕事は5日から始めていたのですが、なんせ工房のある当別は豪雪地帯。
そして今年は例年に比べ、はるかに多い雪で、屋根の雪下ろしとかに追われて参っています。
すでに工房は屋根からの落雪、そして降り積もる積雪で完全シェルターになりそうです。

今、富良野にいます。
昨日、そして今日と、富良野演劇工房で上演される、倉本聰、脚本・演出の演劇
『ノクターン』を見に。
内容ももちろんですが、役者の作品を演じることに対する覚悟のようなものがストレートに
伝わって来ます。
倉本聰の演劇を見るといつも、もの作りに対する姿勢と覚悟を見せられ、心を律せられます。

身の回りの大部分のものが、感動を与えるレベルまで達していないもので溢れいる世の中で、
ちょっと抜きん出たものでも、そこそこの感動を与えることで、十分満足してしまっている。
心の底をズドーンと打ち抜かれたような感動を与えるものを作るには、やはり、どこまで
”覚悟”を決められるかにかかっていて、それはつまり、どれだけのものを犠牲にできるか。
ということに言い替えられるのかも知れない。
毎年この時期、こんな風に感じられる倉本聰の演劇を、富良野で見られることは幸せなことです。

ところで、新年が明けて、我が家には大きな変化がありました。
娘が家を出て、一人暮らしを始めました。
高校1年なので、ちょっと早いですよね。
娘はダンス科のある高校に通っているのですが、回りの友達は小さな頃からダンスを習っている
人たちばかりで、全くついていけず、入学したばかりの頃、とても悩んでいました。
それでも努力し、学校が終わった後、習い事のダンスに通い、年末に行われた学校祭では
端の方ですが、堂々と見劣りしないくらいに踊っている娘の姿をみると、目頭が熱くなりました。

そして、「来年はセンターで踊る!」とダンスの習い事と、そのお金を稼ぐ為、バイトを増やし、
札幌から約1時間かけて当別まで帰ってくると、毎晩真夜中になってしまって、その時間が
もったいない。と、自分で下宿を見つけて来て、「札幌で一人暮らししたいんだけど…」
となった次第。

初日、「行ってきま〜す。」と多分、初めての一人暮らしにワクワクしながら家を出たのでしょうが、
夜、電話が来て「なんかめっちゃ淋しくて泣きそうなんだけど…。」っと。
僕は、泣き笑いです。
そんな娘が可笑しくて、切なくて…。。

親なんて無力なもんですね。
そして、子供はたくましい。
いつの間に、こんなにたくましくなったものなのか。
いつも僕の布団に入ってきて、自分の身体のどこかを、僕の身体に触れていなければならない
かのように密着しながら毎日寝ていたのがついこの前のことのようなのに…。

まあ、僕と同じような性格の娘は、前もって準備とか周到な計画など練ってから行動するタイプ
ではないので、案の定、一人暮らしを始めてから、いろいろかかる費用を計算したらしく、
「パパ、びっくり。計算したらすごい数字になってしまった。」とかかる費用を書いた紙の
写メを送ってきました。
事後報告…。

毎年富良野に演劇は、娘と見に行きます。昨年は『明日、悲別で』
今回の『ノクターン』も。
本物を見て、自信を失ったり、やる気が湧いてきたり、心があっちこっちにぶつかっている様です。

高1で親元を飛び出してダンスをやりたいというのは、それなりの”覚悟”はあるのだと思います。
厳しい見方をすると、飛び出すまでは誰にでも出来ること。
これからダンスの為に、どれだけのことを”犠牲”にできるのか?
僕にも言えること。
旅する木は物を作っているのではなく、物語りを作っていると思っています。
そしてその物語りは、お客様の創造を遥かに越える感動を与えられるもの。

その覚悟の為に犠牲にするものと、犠牲にしてはならないものとのバランスがとっても難しいと
思う今日この頃です。
でも、若い頃、10代〜20代は何もかも犠牲にして打ち込むのがいいのかな?
そうすれば、30代は余裕を持って全体を見ることが出来るようになって、
40代はそれまでに構築したものを元に、さらに成熟・
発展させることができると思います。
僕の場合、スタートが20代後半だったので、まだまだ多くのものを犠牲にしている最中ですが。

10代でやりたいことを見つけ、夢中にやろうとしている娘は、すごいなぁ。と正直思います。
駅に迎えに行って、車に乗り込むなり、
「パパ、お金ヤバい。荷物もって1時間歩いてきた。しかもご飯食べてないし。」

ついついお小遣いをあげたくなるところですが…。
学生時代の貧乏生活も、またそれはそれで必要なことなのかな?

がんばれ、むすめ。
いつでも応援しているよ。


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12/31 ”粉雪の舞う夜に”

年末ギリギリに納める仕事がようやく納まり、ホッとして、先日工房の大掃除をして
仕事納めをしました。

今年もたくさんの家具を製作させてもらい、たくさんの笑顔を頂きました。
本当にありがとうございました。

家具を製作させて頂いた方にはもう届いていると思いますが、年末のお礼状を先日、出しました。
その年に、新たに家具を製作させて頂いたお客様分が毎年増えていきます。
いつの間にか、数百枚に達するお礼状の一枚一枚を見ると、納めた家具とその時の様子を
思い出します。
営業らしい活動を一切していない旅する木に、偶然巡り会って下さったご縁の一つ一つに
嬉しさと、感謝の心が湧いて来ます。
今年も一年間、乗り切ることが出来ました。
本当にありがとうございました。


クリスマスが終わった瞬間に、テレビもお店も年末、そしてお正月モードですね。
クリスマスネタのつむ通を書こうと思っていて、あっという間に今日になってしまいました…。。
そんな世間の流れに乗らず(乗れず)、マイペースにクリスマスネタを書きますね。

皆さんの家にはサンタさんが来ましたか?
息子のベッドのところに、

「サンタさんへ
僕は◯◯が欲しいです。
サンタさん、一回だけ見てみたいです。
おりがみ、もっていっていいです。」

という手紙と共に、金メダルの折り紙が置いてありました。

我が家には息子のところに来たようです。
普段、起こしても起きないくせに、午前2時くらいから一時間置きに起きては、ゴソゴソと
枕元を確認していました。
足元に置いておいたので、起きる度に僕のふとんに入って来て、
「サンタさん、まだ来てない。」
と起こされました。

ところで、サンタさんからもらったクリスマスプレゼント、覚えていますか?
いろいろ毎年もらったと思うんです。僕も。
でも、全然覚えていないんです。
ただ、一つを除けば…。

お〜!、良い表現ですね〜。
こういう表現の仕方、好きです。

女性に、
「世の中の男なんてみんな、粗野で単純でデリカシーの無い生き物よね。
そう、あなたを除けば…。」
なんて言われたら、僕はイチコロです…(笑)。

話しが反れてしまいました…。。

僕の記憶に残った唯一のクリスマスプレゼントとは?

なんて言うのでしょうか?
『おきあがりこぼし』っていうのかな?
ビニールで出来てて、空気を入れて膨らませて、パンチやキックして倒しても
起き上がってくるやつ。
たまにお店の商品の宣伝とかで商品の前においてあるやつ。

クリスマスの朝、起きたらベッドの横にあれが置いてあったんです。
ドーンと。
しかもキャラクターでも何でも無いやつ。

「???」
ですよね。
ある意味衝撃映像でした。

もらって嬉しかったのか、これで遊んだのか、全く覚えていません。
ただ、クリスマスの朝、起きたらこれが置いてあったことだけ、覚えています。

なんだったんでしょうか(笑)?
うちの親はどうしてこれを選んだんでしょうね〜?

僕が生まれた頃に独立して、家と工場を建てて、母は僕を段ボールに入れて精密部品を作る
プレス機械の横に置いて、仕事をしていたんだそうです。
数千万円の借金を、1個1円もしないプレス機械で抜くパーツの積み重ねで返済していくのは
大変で、家計的に苦しかったのか?
はたまた、友達と遊ぼうとせず、来る日も来る日もただひたすら一人、積み木で遊ぶ僕に、
パンチしたり蹴ったりして、多少なりとも男の子っぽく遊んで欲しかったのか?

このクリスマスプレゼントに要らぬ意味付けをするとしたら、そんなとこだったんだろか?

ただ、言えることは、毎年もらっていたであろうクリスマスプレゼントの中で、今
覚えているものといったら、あの『おきあがりこぼし』ただ一つということ。
記憶に残るサンタさんからのプレゼントでした。

クリスマスプレゼントは覚えていませんが、毎年クリスマスの晩、アイスクリームケーキを
家族で食べるのが楽しみで、クリスマスが近づくと、何日か前に買ってあるアイスクリーム
ケーキの箱が冷蔵庫に入っていて、それを見つけてはワクワクしていたのを覚えています。

今、外はサラサラと雪が振っています。
気温が冷え込んでいるので、雪は一つ一つが結晶のまま、ゆっくりと静かにダンスをしながら
舞っている感じ。
ちょっと外に出て空を見上げたら、僕が夜空にゆっくりと吸い込まれていく錯覚になります。

子供の頃、サンタさんにもらったプレゼントや、クリスマスの晩、家族で過ごした時間、
成長して好きな人にあげたクリスマスプレゼント、自分が親になって、眠っている子供の枕元に
クリスマスプレゼントを置く時のこと、置いてある子供の手紙、朝起きて喜んでいる子供の姿、
なんかを思い出すには、こんな粉雪の舞う夜は最適です。

ただ、今日が大晦日だということを除けば…。。



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12/11 ”ふるい”

今年は雪が遅くて、もしかしたら雪が降らないかも…?
なんてあり得ないことを願ったりしていたのですが、ちゃんとその季節はやってきます。
当別はもう、ここ3日間で70センチは雪が降りました。
雪囲いを忘れていたところがあって、慌ててやりました。

いよいよ本格的な冬がやってきます。
その中に美しさや、楽しさや、温かさを見つけられるか?
厳しい冬の北海道が、そこで生活する人を”ふるい”にかけるのです。

”ふるい”といえば…
今年の春、「家具職人になりたい。」と、やって来た若者が、先日退社しました。
こちらが募集した条件に何一つ当てはまっていないにも関わらず連絡してきた彼に、
面白さと、今までのスタッフとは別の期待をしていたのですが…。

「旅する木に何も不満は無いのですが、家具職人という仕事を一生していくことに迷いが
出て来ました。」っと。
「12月末までは一生懸命働く。」と言っていたにも関わらず、ズル休みを繰り返す彼に
僕が怒って「もう来なくていい!荷物も玄関に置いとくから、工房には一切入るな!」
っとなった次第。

残念ですね。
なにが残念だって、家具職人になりたい。といって旅する木にやって来た若者の心に
火をつけられなかったことが。

僕的には、旅する木はかなり真面目に、真摯に家具作りに向き合い、仕事に精神性をも要求し、
魅力的で面白いものを作っている工房で、家具職人を目指す人にとってみれば、結構憧れる
工房だと思っているのですが…。。

え?自分で言うな!って?

僕にとって旅する木は、僕とは”別の人格”というか、”崇高なブランド”的な感覚があって、
いつもそこに追いつきたい。そこに見合う自分でありたい。と、旅する木に所属していることに
誇りを感じるているような、そんな存在なんです。
なので、ついついそういう目線で語ってしまいます。

職人という仕事はどんなものでもそうだと思いますが、数年間は下積みの期間があり、
木工の場合、来る日も来る日も仕上げをやらされたり、同じことの繰り返しであったり、
技術の習得からは遠いように感じる作業をやらされたりするものです。

ちょっと話しが反れます。
僕は、家具作りの一番大事な作業は、一見簡単で、実は難しい、糸面を取る(カットした面の
とがった部分をほんの少し削って触っても痛くないようにする)作業だと思っています。

僕が他の会社や工房の家具を見る時、何を見るか?
先ずは全体のデザインやバランスですね。
でも、これは好みがありますから。
僕が良い!っと思っても、他の人は、「そうでもない。」と感じることもあります。
もちろんその逆も。

次に糸面ですね。
糸面をとる作業は大抵、新人の作業です。
ということは、その会社の一番の弱点なわけですね。
糸面がビシッと均一に取れていたら、「うん、ちゃんと丁寧にものを作っているな。」と感じます。
そしたらもうそれ以上見る必要がないものです。細部もちゃんとしていることが解りますから。
逆に、糸面が斜めだったり、フニャフニャしていたりしていたら、
「なんだ、カタログには大層なこと書いてあるけど、こんなものか。」と感じます。

話しを元に戻しますね。
来る日も来る日も、仕上げや面を取る作業、先輩が加工した材料を仕上げる日々。
うんざりしますね。こんなことはもう出来るから、もっとすごい加工をやりたい。
はやく機械加工をやりたい。

ここで家具職人という職業が、その新人を”ふるい”にかけるのです。
単純で地味で疲れる仕上げ作業に面白みを感じられるか。
それが出来ないとしたら、その段階で辞めた方がいいんですね。
向いていませんから。

そして、その作業で何を学び、どう活かすか。
それがその先の職人としての技量を決めるんです。

退社した彼が、その”ふるい”にかかって辞めていったのか、本当のところは解りませんが、
旅する木での半年で体験したこと、仕事に対する心構え、精神的なことなど、
何か感じ、心に残ったものが、次の自分探しの時、役に立ってくれればいいと思います。

最後、厳しいことを言って、結局はこっちから首にしたような格好ですが、本当は
僕は、社員には辞めてもらいたくない。
家族のようなものですから。ずっと一緒にやっていきたい。
「辞めます。」と言われた時は、やっぱり淋しかったですね。

だから僕は、お客様だけでなく、スタッフにとっても、旅する木をもっともっと、
楽しく、魅力的で、崇高なものに築き上げていかなきゃな。っと思います。



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11/27 ”豪華プレゼントありますよ!”

 

先週の金曜日、STVの『どさんこワイド』の『アトリエの窓』というコーナーで
僕の仕事を特集して頂きました。
当日、スタジオに家具を搬入しに行って、スタジオに案内されたら、なんと…
スタジオにドでかい僕の顔写真が!!
ビックリしましたね〜(笑)。
あんなデカイ自分の顔、初めて見ました。

久しぶりにまじまじと自分の顔を見ましたね。
う〜ん、なかなか良い顔じゃない(笑)!
え?!どこが?って?
自分で言うな!って?

誰も言ってくれないからじゃない!!

おっと、失礼。

そんなわけで、すかさずディレクターの方に
「このパネル、もらっても良いですか?」
と、ちゃっかり頂いて来ました。

とりあえず家に持って帰って来て娘に見せながら、
「パパ、なかなか良い顔だよねぇ。」と聞くと、
「うん、結構いい顔だよ。嫌な印象を感じさせない顔だわ。」となかなかの高評価。
高校生の思春期の娘にこう言われるのは、嬉しいものですね。

実は、最近の自分の顔、結構好きだったりして(恥)。
職人らしい、深みと味わいのある、良い面構えにやっとなって来たなぁ。
と思うわけであります(笑)。

数年前家具を納めたお客様の家を訪問することがあり、大事に使われている家具を見ると、
やっぱり深みと味わいがあるんですね。
すっかりその家に馴染んでいて、無くてはならない存在になっているんです。
もちろん、キズがついていたり、生活のシミがあったり、お子さんが絵を描いていてはみ出した
クレヨンの後が残っていたりするのですが、それら全部が歴史となって、深い味わいに
なっていくんだな。と感じました。

時と共に、家具が味わい深いものになるのは?
自分が作った家具だから。
無垢の家具だから。
デザインが良いから。
心を込めて作ったものだから。

ということではない気がします。
もちろん、そういう要素はあると思いますが、一番は、
”大事に使われているから”
ですね。
”その家族の暮らしのある部分を支えている、無くてはならない存在なんだ”
という重みなんだろうな。と思うのです。

今月末、45歳になります。
この先、時を重ねるごとに増々味わい深い良い顔になっていくには…
食事に気を付ける?
高級なせっけんで洗顔する?
保湿?
パック?
化粧?
エステ?
美顔マッサージ?
整形?
おいおい、だんだん外れてきてるぞ〜。

やっぱり”自分を大事にする”ことですね。
”自分を大事にする”=”心を綺麗にする” ですね。

歳を重ねるごとに、人相が顔に出てくるものです。
心の世界で起こっていることが、現実の世界に現れるように。
心を綺麗にして、増々深みのある、いい顔になっていきたいな。と思います。

心を磨いて、エステに行って。

おい!結局エステには行くのかい?

そうそう、今日はなんと、豪華プレゼントがあります。

家具のご注文を下さった方で、「どさんこワイドを見ました。」とお伝え下さった方、
先着3名様にもれなく、飾ったとくだけでグーんと運気が上がる幸運のパネルを
プレゼントします!!

ま、まさか、そのパネルって…?

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11/14 ”死に場所”

 

一昨日、昨日、今日と、『どさんこワイド』という北海道のテレビ番組の密着取材中です。
日々の仕事や、木工教室、そして、喜んで使ってくれているお客さんの様子、
そして取り組みはじめていることなど、旅する木の魅力をきちんと伝えてくれるような
内容なので、どんな風に編集されて、放送されるのか、とても楽しみです。

ただ、常にカメラが回っている中での作業なんてものに慣れているはずも無く、
毎日緊張しているので、家に帰ってくると、以外とグッタリしていて
ここのところ、夜9時台には寝てしまいます。

インタビューもかなり長く撮りました。何を聞かれるか解らないので、緊張しますね。
放送されるか解りませんが、質問の中で、
「また新たな夢を持って取り組まれているようですが、それが実現したと思う瞬間があるとすれば、
例えばどんな時ですか?そして、その夢が実現したら、また新たな夢を見つけるのですか?」
という内容のものがありました。

最近、どういう訳か、夢を持って歩き始めようとしている10代、20代の若者、特に女性と
出会ったり、相談に来てくれたりすることが増えています。
まだまだ偉そうなことは言えないのですが、彼ら、彼女達の倍くらいの時間を生きている僕が、
不安の中、そっと背中を押してあげられたらな。と思って、経験してきたことや、
思っていることを言葉にして伝えています。

先日、僕が留守にしている時、旅する木の家具や工房をご覧になり、いてもたってもいられなく
なったそうで、次の日また、突然工房に、女子高生が話しをしに来てくれました。
進学校に通う彼女は、回りの人と違う人生を選択しようか迷っていました。

最初の一歩、なかなか出ないですよね。
自分の人生を生きよう!と決めた瞬間から、目の前は暗闇ですから。
今まで何人もの人が通った、明るくしっかりと踏み締められた大通りではないのだから。
暗闇の中、恐る恐る踏み出した1歩目が、底なし沼かも知れない。って考えますよね。
でも、大丈夫なんです。
ちゃんと神様がその一歩を支えてくれるんです。そして次の一歩も。

僕はいつも思っています。
”夢は頭の中で叶えるものではなく、心の中で叶えるものなんだ。”
”頭は行動を抑制するように働き、心はそれを突き破る。”
そして、”神様はいつも自分の心の中にいる”っと。

最近出会う若い人たちが、それぞれの夢を見つけて、最初の一歩を踏み出してくれればいいなぁ。
っと思います。
そして、僕も。

インタビューの質問に対する答え。

どのようにして死んだとしても、その場所は必ず、夢の途上でありたい。」

・・・

突然のインタビューで、こんなカッコいいこと、言えるわけないじゃん…。


ちなみに、放送日は11月21日(金)、STV『どさんこワイド』の『アトリエの窓』という
コーナーだそうです。
実際に僕がどんな風に答えたか、ご覧になって下さいませ(笑)。。

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10/28 ”旅する木に泊まろう!”

いよいよ10月も終わりに近づいてきましたね。
先日朝起きたら、庭に霜が降りていて、一面、白くなっていました。

先週末をもって、今年のカフェは冬期休業になりました。
そして、最終日、オーロラメッセンジャーの中垣さんによる、上映会を工房で
行いました。
30名近い方が見に来てくれて、極寒の真冬の北極圏で撮影した素晴らしいオーロラの動画や、
アラスカの野生動物達の様子を、大きなスクリーンで見ました。
中垣さんが雰囲気に合わせて、のんびりと2時間も解説付きで上映してくれました。
改めて9月初旬に行ったアラスカを思い出しました。 様子は → こちら

上映会の後、調理室に改造した元理科室で、みんなでいろんな鍋を作って食べました。
参加者の中には、旅する木の家具を使ってくれているお客さんも多くいたのですが、
こんな風に料理している姿や、鍋をつつきながらおしゃべりする機会は無かったことなので、
とても新鮮で楽しい時間でした。
中にはこの日の為に、キッシュを焼いてきてくれた奥様や、ご主人が趣味のチーズケーキを
焼いてきてくれたりと、わざわざ手作りのものを作ってきてくれて、
楽しい時間に、さらに彩りを添えてくれて、本当に嬉しかったです。

その後は宿泊する人達で、深夜までお酒を飲みながら、これまた楽しいトークタイム。
中垣ワールド全開で、楽しい時間を過ごし、音楽室に畳を敷いて、みんなで雑魚寝を
したのは、夜の3時を回っていましたね〜。

旅する木には、家具職人 兼 料理人の山口君がいるので、食事はとても美味しいのです。
ちなみに上の写真は朝食。キッシュはお客さんが作ってくれたもの。
美味しそうでしょ〜?

昨年、今年と、ほとんどイベントらしきことを出来ていなかったので、久しぶりのイベントに
僕ら社員一同、なんだか張り切って準備をしたり、当日は、自分たちが主催者だということを
忘れて、楽しんでしまいました。

教室で上映会をしたり、理科室で自炊をしたり、ベートーベンやモーツアルトの肖像画が
見つめる音楽室で雑魚寝をしたりと、僕はすっかり慣れてしまいましたが、参加者の
皆さんにとってみれば、とても新鮮であり、懐かしくもある体験に、ちょっと興奮気味でした。
そして、皆さんが驚いていたのは、ズラ〜っと旅する木の椅子が並べられて、その椅子に
座って上映会を見られること。
そう、旅する木には、ショールーム、カフェの椅子をかき集めると、40脚くらいの椅子が
あるんです。
「この椅子に座って、オーロラの映像を見られるなんて、すごい贅沢〜♪」
「2時間座っていても、全然疲れなかった。」と
皆さん、喜んでくれていました。

こんな風な楽しいイベントを企画出来るのだから、閉校になった小学校を工房にして
本当に良かったとつくづく思いますね。

そして、お酒が入って上機嫌の中垣さんに、
「是非、旅する木での上映会を毎年の恒例にしましょう!」
と約束させてしまいました!(笑)

なので、今年参加出来なかった方も、参加されて楽しんで下さった方も、来年も
オーロラ上映会&宿泊宴会をやりますので、楽しみにしていて下さい。

そして、せっかくこんな素晴らしい閉校になった小学校を使えるのだから、
仕事ばかりしてないで(笑)、どんどん、いろんなイベントをやっていきたいなぁ。
と思っています。

先日泊まった方や、お客さんの中には、
「オバケとか出ないんですか?」
と聞かれることがあります。

どうでしょうかね〜?
門のところには二ノ宮金次郎が立ってるし、音楽室には偉大な音楽家達の肖像画が
かかっているし、理科室には謎の扉があるし、物置の部屋や、体育館には
秘密の地下室があるし…

まあ、どこの小学校にもある怪談話に出てくる有名なものは、一通りありますね〜。
確かめに来て下さいませ。。

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10/16 ”面倒な、幸せな時間”

秋の夕焼けは美しいですね〜。
遠くの山が燃えてるんじゃないかと思うくらい。
こういう風景が毎日目の前にあるというのは、本当に心を豊にしてくれます。
田舎暮らしの良いところですね。

ただ、田舎暮らし、当然、良いことばかりじゃありません。
面倒くさいこともあります。
それは何かって?
子供たちの送り迎え。

高校生になった娘は、自転車で駅まで通っているのですが、雨や強風の日は
自転車を旅木カー(ハイエース)に積んで、送迎。
最近、小2の息子は、週末、学校の友達と遊ぶようになりました。
友達の多くは当別の街に住んでいます。
遅ればせながら、今年やっと自転車に乗れるようになった息子を、車がびゅんびゅん飛ばす
国道や、農道をフラフラしながら行かせる訳にいかず、旅木カーに自転車を積んで、
街まで送迎。
妻はロングのハイエースを運転出来ないので、自転車を積む場合は、いつも僕が送迎
しなければならず、これが結構面倒くさい。
まあ、素晴らしい環境で暮らしているのだから、仕方ないな。と思いながらも。

週末遊びに行く息子には、
「遊び終わって迎えに来て欲しい時は、駅前の公衆電話から電話するんだよ。」と、
30円と、僕の携帯の番号をメモった紙を持たせています。

この前、一応5時30分に約束していたので、その時間に駅に迎えにいきました。
すると、案の定、公衆電話のボックスの中に、電話をかけている息子の姿が。
わざと少し離れたところで僕は待機しています。
ところが、ちっとも携帯が鳴らない。

僕に似て、1学年下と比べても、まだ小さいくらいの身長の息子は、
受話器を耳と肩に挟みながら、片方の手で10円を入れて、もう片方の手でメモの紙を持って、
そして10円を入れた方の手で番号を押すのに、相当苦戦している様子。

何回も受話器を落としてしまっては、それを拾って、もう一度戻して、
十円を取って、また受話器を取って、ダイヤルを押して…、を繰り返しています。
そして多分上手くいったんでしょう。ダイヤルを押し終わった後、しばらく受話器を耳に当てて
待っている様子。
でも僕の携帯は鳴らない。
しばらくしてまた受話器を戻してやり直している。
きっと押したつもりのダイヤルが、押さされてなかった(北海道弁)んでしょうね。

毎日、家にいる息子としか接したことのない僕は、そんな息子の姿を見ていたら、
急に愛おしく感じてきて、なんだかジーンと来るのです。
自分の携帯を見つめながら、「どうか繋がってくれ〜。」と携帯を握る手に、自然と
力が入ってしまう。

とうとう繋がった携帯電話に出ると、
何ともなかったような声で、「パパ〜、迎えに来て〜。」
「もう後ろにいるよ〜。」と言うと、
いつの間にか、随分乗り馴れた自転車に乗って、ニコニコ顔でこっちにやってきます。

「誰と遊んだの?」
「何して遊んだの?」
「どこ行ったの?」

なんて、稲刈りが終わったばかりの田んぼの中の農道を走らせながらする
たわいもない会話が、以外と幸せな時間だったりして。

急に息子が
「うわ〜、すごいよ〜。夕焼け。」

バックミラー越しに後ろを見ると、燃えるようなオレンジに輝く夕焼けが
地平線に広がっていました。



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10/8 ”わ、若い!!”

音威子府村役場に勤めた友人が、広報を整理していた時見つけた、
17年前の広報の表紙の写真を送ってくれました。

僕が高等技術専門学院1年生の夏休み、1ヶ月間、音威子府キャンプ場でキャンプしながら、
コンペに出展する作品を製作していた時、取材された写真。

木工に対する情熱を、蓋をして押さえても吹き飛ばして溢れて、自分でもどうしようもなく、
回りの迷惑とか、気持ちとか顧みず、突っ走っていた気がしますね。

ちなみに作っているものは、備長炭が木琴替わりになって、音を奏でる、大きなオルゴール。
関西のコンペに出展。北海道らしさを出そうと、奏でた曲は『北の国から』(笑)
結果は選外。
悔しくて、納得出来なくて、「どうして?どこが?」と主催者を問いつめたものです。

大好きな星野道夫の言葉、
「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」

木工の世界に入ったばかりの最初の夏、この音威子府での1ヶ月が、その後の僕の木工人生に与えた
影響は、計り知れない。

思いがけず友人が送ってくれた若かりし頃の写真の僕が、今の僕に強烈なメッセージを送って
くれているような気がしました。

それにしても髪が多い(笑)。。

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10/1 ”僕の道具箱”

上の写真は、僕の道具箱です。
カンナとかノミとか、仕事で使う、主に手工具が目一杯入っています。
この道具箱、旭川での修業時代に作ったもの。
その会社ではルールがあって、2年目になったら自分の道具箱を持つことが許され、
自分でデザインし、勤務時間外で各々製作することになっています。
なので、かれこれ十数年前に作ったものですね。
もちろん、いまだバリバリの現役で大活躍中。

この道具箱、いろんな思いが詰まっています。
せっかく自分の道具箱を作る機会をもらったのだから、普段の仕事では使わない技術を
使おう!難しい技に挑戦してみよう!
と、最高級の仕口(蟻組の表し)を使って組むようにデザインしたんですね。
当時、僕が尊敬する家具作家さんの作品には、よく使われていたんです。
「かっこいいな〜。スゲ〜な〜。」なんて思って見ていました。

ちなみに、感覚というか、好みは、本当に人それぞれなんですね。
その尊敬する家具作家さんの作品展を、当時、妻と一緒に見に行くと、
僕はしきりに感激しまくってるんです。
感激して妻に、「いいだろ〜、これ。スゴいだろ〜、これ。」なんて思いを伝えようとしてるのに、
妻は「難しいんだろうな〜。というのは解るけど、別にいらない!」
とバッサリ。
この辺の感覚は後の僕の作品作りに結構影響を与えてたりして…。

家具作家はついついやり過ぎちゃうんですね。
見せ場を作り過ぎちゃうんです。
「俺はこんなことも出来るんだ。こんな難しいことが出来るんだ。どうだ!」
と言わんばかりに。

僕が家具をデザインする時、”やり過ぎない”ということを結構考えています。
”やり過ぎず、やらな過ぎず”というところのバランスを。

まあ、当時は貪欲に技術を身につけようと必死だったので、とにかく全てを蟻組で組むことに
挑戦すべく、みんなが帰った後、一人黙々と蟻加工をしていたんです。
でも、木工業界に入って一年足らずの僕には、難し過ぎましたね。
全然上手くいかない。
手直し、手直しを繰り返しているうちに、どんどん隙間が大きくなっていって、
とても組める状態じゃなくなってしまう。。
結局、加工で刻んだ部分を全部埋め直して、簡単な加工に切り替えて製作しました。

その思いというか、やり残した感、敗北感がずっと残っていて、いつか蟻組の表しの仕口をやりたい!
と思って、提案するのですが、当然難しい仕口なので、金額も張ってしまう。
なかなかチャンスがないのですが、それでも今まで何回か蟻組の表しの仕口を使った仕事を
させてもらいました。
その中でも思い出深い仕事がこれ。
お賽銭箱です。
詳細は → こちら

 

木工関係者が見たら、鼻血が出てしまうような、超〜高度な技術と、その技術を持ってして
可能になった遊び心が表現されていて、
「自分を最も表現した作品はなんですか?」
と問われたら、この作品を答えるんじゃないかな?と思う作品です。

話しが反れちゃいましたね。
だから、この道具箱の至る所に、失敗した加工を埋め直した痕跡が残っています。
その痕跡を見る度に、ちょっと残念な気持ちと、未熟なりに果敢に挑戦し、敗れ去った
潔さというか、若さのようなものを感じます。

”若さ”というのは未熟なくせに、エネルギーに溢れていて、前に進む推進力になるんだと
思います。
敗れ去ったものの、時間外、みんなとっくに帰ってしまった暗い工房で、当時の自分の技量の
及ばない加工をしてみようと思った、そのエネルギーがあったから、後に、僕の中でもっとも
自分らしい作品と思える作品に出会えたわけですから。

毎日手に触れる道具箱には、こんな思い出が、失敗した刃物の痕と共に刻まれているのです。

 


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9/20 ”アラスカ、心の旅”

まだ本州の天気予報を見ると、27、28℃とか言ってますが、北海道はすっかり秋らしく、
朝晩は上着がなければ寒くていられません。
天候も不安定で、豪雨と青空を分刻みで繰り返している感じです。
お陰で車で走っているとしょっちゅう美しい虹のアーチを見ることが出来ます。

そして昨夜、北海道に帰ってきて久しぶりに星空が見れました。
ぼんやり空を見上げると、アラスカの夜を思い出します。
北極星がほぼ真上にあるアラスカの空。
9月のアラスカは、北海道でいえば11月末くらいで、夜の気温は氷点下です。
それでもオーロラを見逃すまいと、毎晩テントの外、地面にマットを敷いて、
シュラフにくるまって、顔だけ出してアラスカの夜空を一晩中見上げていました。
顔の真上に北極星があるんですね。
「こんな真上に北極星がある!ここは北極圏だ。アラスカなんだ!」と実感します。

8月末から約2週間、アラスカのフィールドを旅してきました。
オーロラと大自然、野生動物を巡る旅。
その時の様子を納めた写真は → こちら 

アラスカの大地に寝転んで一晩中オーロラを待っていたり、昼間、フィールドに
入ってブルーベリを摘んだり、大きな岩に座って果てしなく続く、真っ赤に紅葉した
ツンドラを眺めていると、いろんな事を考えたり、見えてくるものです。
普段日記など書かない僕ですが、ついついその心の移り変わりや、心境を書き留めたく
なるものです。

アラスカの旅で感じたことなどを上手く書こうと思って今、写真や日記を見返してみたのだけど、
やっぱりアラスカの大自然を目の前にして、その瞬間に感じたことを乱筆で書きなぐった日記を、
そのまま書くのが一番伝わりそうですね。

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9/5  朝8時 雨

昨夜から降り出したシトシトとした雨は、一晩中降り続いた。
結局オーロラは見られなかった。
こんな日もあるさ。
自然にはどうやったって逆らえない。

昨日はキャンプ地の道路から、ツンドラ地帯の中に歩いて入っていった。
ツンドラの中はフカフカのスポンジの上を歩いているようで、足首まで沈んでしまって
歩きにくい。

足元には、地衣類やコケ類が敷き詰められ、低灌木が地面を這い、ブルーベリーやラズベリーが
いたるところに生息し、所々にカリブーやムースのフンが落ちている。
朝食はブルーベリーをカップ一杯に摘んで、パンと一緒に食べた。

真っ赤に紅葉した秋のツンドラの鮮やかな彩りがどこまでも続いていて美しい。
このツンドラの広がりの中に、双眼鏡でカリブーの姿を探したが、探せど、探せど見当たらなかった。

広大な自然は、誰の為でもなく、それぞれの生のためだけに息づいている。
オーロラさえも。
ポツボツとテントに当たる雨の音の中で目をつぶっていると、この雲の上ではきっと、
オーロラが美しいダンスを踊っているんだろう。と、その姿を想像する。
誰の為でもなく、誰に見せる為でもなく。

ああ、自然とはそういうものなのだ。

憧れのアラスカの大地にいるのだと、叫び出したいような高揚とは裏腹に、何か寂しさというか、
悲しさというか、そのようなものをいつも感じている。
これはなんだろう?ずっとそのことを考えている。
通信機器が使えないことによる孤独感なのか?
いやそうではない。
人恋しさなのか?
それも違う。
僕がどれだけ想いを寄せようと、アラスカの自然は無表情にそこに存在するだけ。
そのスケールが、僕の心のスケールを越えているからなのだろうか?
今ここにある風景は、何千年も同じ歩みをただ繰り返している。ということもより一層
その気持ちを募らせる。
言い換えれば、自分の存在の小ささを身をもって感じているのだろう。

他の誰の為でない。いつ、誰に対しても同じ。
それは強さであり、優しさでもある気がした。

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何もない、誰とも繋がらない世界というのは、ある大きな力を秘めています。
想像力という。
日常に流されず、誰かや、必要のない情報に惑わされず、真っすぐに自分の心と向き合う時間を
持てたことは、僕にとって、大切な時間でした。

そして今、思い出してみると、美しいオーロラよりも、壮大なアラスカ山脈よりも、
黙々とブルーベリーを食べているグリズリーよりも、とても優しい目をしていたオオカミよりも、
氷点下の寒さの中、アラスカの大地で、シュラフに潜り込んで、顔だけ出してオーロラを待った
その時間こそが、今回のアラスカの旅の中で、最も重要な意味を持つ出来事でした。

星野道夫の著書『旅をする木』の中の、こんな一文を思い出しました。

「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」


僕が2週間、アラスカを旅している間、旅する木は、山口君、花輪君、大志、妻篤子が
しっかり守ってくれていました。
出発前、それぞれが「今までご苦労様でした。仕事のことは一切心配せず、アラスカを楽しんで
来て下さい。」
と送り出してくれました。
みんなのお陰で、とても素晴らしい時間、経験をすることが出来ました。

アラスカの大自然の中、霧のようにまとわりつく寂しさと悲しさを感じていた時、
その霧を晴らす答えを見つけました。
簡単なことでした。
”楽しいことをして行こう!”

それは、自分勝手に、自分だけ、ということではなく、自分を取り巻く環境の中、
身近にいる人たちと”共に”。
家族や社員たちが楽しく暮らし、楽しく仕事をできるような、そんな環境をみんなで作っていこう。

わざわざ北極圏のアラスカまで行って、たどり着いた答えは、こんな簡単で当たり前のことでした。
でも、僕の目に映る、いつもの見慣れた世界は、確かに今までより色鮮やかに、瑞々しく感じます。

新しい旅する木のスタイルが生まれそうな、そんな確かな感覚が僕の中で育っている。

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写真で見る、アラスカの旅 → こちら


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8/22 ”悠久の時間を感じたい。”

  

お盆が過ぎてしまいましたね〜。
北海道はお盆を過ぎると、一気に秋の気配がしてきます。

このお盆休みは息子と二人でキャンプに行きました。
南富良野の山の中に。
キャンプ場でもなんでもないところなので、息子と二人っきり、
真っ暗闇の中で焚き火をして、花火をして、テントで寝ました。
電灯も、町の灯りも何もない、あるのは月の光だけ。という山の中で、
過ごすというのは、なんだか贅沢な気持ちになりますね。
この世界を独り占めしたかのようで。

まだ息子は7歳で、焚き火をしながら二人で語り合うという歳ではないのですが、
もっと大きくなって、そんなことが出来たら嬉しいですね。

昼間は南富良野の落合という部落を流れているシーソラプチ川〜空知川にかけて、
ラフティングをしました。

昔、バカのようにカヤックをやっていた頃、ここはホームゲレンデにしていたところ。
独立前なのでもう10年くらい昔の話しですね。
全ての川の流れや、瀬、落ち込みが頭に入っていたコースですが、10年の間の
増水などで、川の流れや、倒木の位置などが変わってはいますが、相変わらずの
水の綺麗さ、冷たさ、風景の美しいさ、ダイナミックな瀬や落ち込みの迫力に
懐かしさが込み上げて来ました。

独立して9年になります。
ただひたすら、無我夢中で仕事と、仕事に繋がる為の、結果的に無駄?なことをして来ました。
毎週のように通っていた川にも一切行かなくなり、家族サービスもせず、
年間の休みも10日ほど…。という9年間。
その間に社員が増え、それぞれ家族がいて、僕は絶対そうならない!と
思っていたのですが、やっぱり背負うものが多くなり、自分の楽しむゆとりのある時間が
ないと、精神的に追いつめられたりして、心が疲弊してくるものです。
大事なものを大事にすることが出来なくなってきて、「一体何の為に仕事をしているのか?」
「何の為に生きているのか?」という根本的なものを突きつけられいます。

それでも毎日家具作りをしています。
木と向き合っていると心が落ち着き、癒されるのを感じます。
究極の精度を求めていると、無心になれます。
ただ、文章を書く気持ちになれないのです。
言葉が出て来ない。
心は痩せ細っていきますから。
なかなかパソコンに向かおうという気持ちになれくて、今年はつむ通も
随分間隔が空いてしまっているのは、そういうことなんです。

”遊ぶ為に仕事”をしていた僕が、生き甲斐とか、やり甲斐とかを求め独立したのに、
いつの間にか仕事に呑み込まれて心のバランスを崩し、そんな自分に気付かないくらい
自分を顧みない生活をしていた僕の心に、シーソラプチ川の澄んだ水が染みて来ました。

「やっと帰って来たね。待ってたよ。また一緒に遊ぼうよ。」
と言っている気がしました。

心がこんなにも自然を欲していることにハッとしました。
仕事も大事だけど、その中できちんと自分の時間を作って、またカヤックを復活したり、
森に入ったり、山に登ったり、身近な自然を感じようと思います。

”身近な自然”とは別に、”圧倒的スケールの大自然”の中で自分を見つめ直したい。
という思いも強くなり、決心しました。
「アラスカに行こう!」

『旅する木』という社名をつけたのも、写真家、星野道夫が写真や文章で表現するアラスカに
魅かれて、彼の本『旅をする木』から取らせてもらったもの。

僕が毎日時間に追われて仕事をしている、その同じ時間に、アラスカの大地には、動物達には、
どんな時が流れているのか?感じてみたいと思います。

突然ですが、9月初旬の2週間、僕はアラスカにいることにしました。
札幌在住のオーロラの写真家、中垣さんの撮影に同行する。というもの。
ホテルに泊まるわけではなく、街をぶらつくわけでもなく、ずっとフィールドを転々とし、
撮影ポイントでキャンプ。
アラスカの大地を全身全霊で感じたい僕にとっては、願ったり叶ったりの旅です。

本当は、全てが心の中にあるのだから、自然の中にいなくたって、アラスカに行かなくたって、
きちんと自分の心と向き合えば、そこに答えがあるのだろうけど、でも、テレビもラジオも新聞も、
パソコンも携帯電話も無い、壮大な自然の中で、溢れる情報に惑わされること無く、ただそこにある
自然を感じ、自分を内観出来る時間を持てることは、今の僕にとってはあまりに贅沢で貴重で、
必要なことのような気がします。

もう出発まであまり時間がなく、準備も何もしていないので、ちょっと焦っています。
相変わらずだな〜。と笑ってしまいます。

アラスカの大地に流れる太古の昔から変わることの無い”悠久の時間”の中で、
僕は何を感じるのだろう。

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札幌のすぐ隣の田舎町、田園風景ど真ん中の小学校
〒061-0213 
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