『家具工房旅する木』は豊かな「暮らし」、「心」、「時間」をご提案、ご提供します。


つむじ風通信

実は、学生の頃シナリオライターになりたくて、新聞社のコンペに出展していました。
箸にも棒にも引っかかりませんでしたが‥
文章を書くのは好きなので、妻のそよかぜ通信とともに、日常でのちょっとした出来事を
載せていこうと思います。なんちゃってシナリオライターにお付き合い下さい。


7/17 ”夕方の風が運んできたもの”

朝と夕方のノンノ(北海道犬)と まる(黒柴)の散歩するのに気持ちの良い
気候になりました。

ノンノの散歩コースは、約3キロの農道を一周して、神社でお参りをして、
東裏小学校のグラウンドをつっきって、家に帰るというもの。

ノンノはもう10歳のおばあちゃんで、2年前、大きな病気をして子宮を取ってから
規定の量よりずっと少ない量のエサでも太りぎみなので、のっそのっそと歩いて
散歩をしています。

そんなノンノと草だらけのグラウンドを歩いていると、ノンノが何かを見つけて、
クンクンと匂いを嗅いでいます。何だろう?とみると、野球のボール。

今年中学生になった息子は、卓球部に入って、毎日張り切って練習しているのですが、
小学校の時は野球をやってました。
野球は大好きで、練習を休みたいと言ったことは一度もないのですが、上手いか?というと…。
まあ、足を引っ張ってた方かなぁ。

そんな息子を少しでも自信を持ってプレーできるようにさせてあげたくて、
毎朝、朝練をグランドでしてたんですね。バケツにボールを30個くらい入れて、
僕が投げて、息子が打って、バケツが空になったら2人でボール拾いをするのです。

でも、草むらなので、たまにボールが無くなっちゃうんですね。全部飛んだボールの
行方を覚えていて、その周辺を2人でいくら探しても、見つけられないことが
何度かありました。

眠くて寝てしまいたいのを頑張って起きてやっているので、
ボール探しに時間をかけたくなくて、さっさと諦めて、残ったボールで練習をした方が…。
っていつも思うのですが、きっとボールは見つけて欲しいんだろうな。
今見つけなかったら、一生このグランドのどこかで、ボールとして扱われることなく、
置き去りにされるんだろうな。と思うと、「もうちょっとだけ探そう。」と言って、
息子と1m間隔をあけて、ゆっくりと歩きながら探したものでした。

それでも見つけられないものなんですよね。
それなのに、1年も経って、広〜いグランドの、たまたまノンノの行きたい方向に
任せて歩いていると、ノンノが当たり前のように見つけて、くんくんやってるものだから、
「見つけて欲しかったよな〜。」なんて言いながら、拾いました。

もうすっかり日に焼けて、ヒビが入って野球としては使えないボールを見ながら、
そういえば昔、小学校のころ、こんなことあったよな〜。なんてちょっと、
胸の奥がチクッとしました。

友達数人とかくれんぼしていて、Mという、その子はちょっと変わってる子で、
リーダー的な子が、「Mを置いて家の中でゲームしようぜ。」ということになって、
Mが隠れている間に、みんなでこっそり抜け出したんですね。

中途半端に正義心のある僕は、ゲームも上手くないし、Mが気になって、
1人でかくれんぼしていたところに戻ったんです。
さすがにもういないだろうな。って思っていたら、陰から猛烈な勢いでMが飛びかかってきて、
僕に馬乗りになって殴ろうとしたんですね。
僕は殴られても仕方ないと思って、ぎゅっと目をつぶって、歯を食いしばって、
痛みに耐えようとしたんだけど、痛みがやってこない。
恐る恐る目を開けると、Mはうぉんうぉんと泣いているんです。
それを見た時、僕も涙が溢れ出そうになったんだけど、なんでしょうね〜。
僕が泣くのはおかしいと思ったのか、友達の前で泣くのが恥ずかしかったのか、
とにかく言い訳したかったのか、僕の口からでた言葉は
「Mが悪いんだからな。」

そのあと、僕がMに謝ったかどうかは覚えていません。
だた、自分の口から出た「Mが悪いんだからな。」という言葉が、
Mを置いてけぼりにしたことよりも、僕の心に突き刺さったことは覚えています。

7月の半ばなのに、半袖ではちょっとだけ肌寒い風が、
夕日を背に、古い小学校の校舎の長い影が伸びているグラウンドを駆け抜ける。
そんな風がひょっとしたら、かくれんぼしているこのボールと、そしてMの
「もう〜い〜よ〜。」という声を運んできたのかも知れない。



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7/3 ”魅力的な人ってどんな人?”

『削ろう会』ってご存知ですか?
知るわけないですよね〜。
相当マニアックな大会なので…(笑)
なにを削るかっていうと、そう、木です。
カンナでいかに薄く、均一なカンナくずを出すか。というのを競う大会です。
先日、岩見沢で北海道大会が行われたので、見に行きました。
参加しなかったのかって?

旅する木だってキッチンの天板やテーブルなど無垢の天板はすべて手カンナで
仕上げているので、カンナには自信があります。
なので、もし参加していたら、そりゃ、上位を狙えるさぁ!
なんて思って意気揚々と見に行ったら…

ハンパないですね。
カンナの仕込み、研ぎのこだわりようったら、変態としか思えない。
トップクラスの人のカンナくずは3ミクロンとかの世界。
1000分の3ミリですよ!!1ミリを1000等分した3個ですよ!
しつこい?
いや〜、その凄さが解るので、もう〜、度肝を抜かれました。
今や大工さんも家具屋さんも、仕事でカンナを使う事なんてほとんど無く、
全国の鍛冶屋さんも廃業を余儀なくされ、失われていく刃物の文化に、
これ程までに情熱とこだわりを持って臨んでいる職人がいたものかと、
ちょっとショックと刺激をもらって帰ってきました。

日本の刃物の文化は実は世界に誇れる文化なんです。
刀には波紋があることは知ってますよね。あの波紋って何かというと?

普通、固いものを削ったり切ったりする刃物は、より硬く、硬くするのが
当たり前の考え方ですよね。世界中のいろんな刃物は、硬い鋼(はがね)で
作られています。
でも、日本の刃物だけが、それと全く逆の考え方で出来てるんですね。
刃先の方だけ、鋼を使って、刃物全体の6〜7割を地金という軟らかい鉄を使っています。
鋼と地金をくっつけているんですね。その境目があの、波紋なんです。
刃物全体を軟らかくして、“しなり”を利用して、力を加えずに切って(削って)いくんです。
“柔よく鋼を制す”という考えです。
削ろう会のデモでやってましたが、カンナを親指と小指で持って引くだけで、
薄〜い見事なカンナくずが出るんです。

その他にも、逆目(さかめ:木目の向きで、うまく削れない方向)を止める裏刃(うらば)
という構造など、日本のカンナについて語ったら、1時間くらい語れちゃうほど、
個性的で、神秘的で美しい、世界に誇るべき道具なんです。

でも、きちんと美しく削れるようになるには、仕込み、研ぎなど、
ものすごく鍛錬が必要なんですね。とても繊細な道具なので、
その日の天候によっても仕込みを変えたりするので。

そういうもの作りが、今の効率を優先する時代には合わなくなって、
簡単で誰でもそれなりにできるサンドペーパーでの仕上げに取って代わられて、
カンナを使って仕事することが無くなってきて、鍛冶屋さんが消えて、
カンナを使える職人がいなくなりつつあるんです。

カンナの仕上がりとサンドペーパーの仕上がりは、全く違うんです。
カンナは表面を削るので、表面にキズは全くないんです。
それに対しサンドペーパーは、キズを細かくしていく作業なので、表面を拡大すると、
キズだらけなんですね。
旅する木の木のキッチンは、天板をカンナで仕上げているので、水回りに使っても
大丈夫なんです。そういう技術の裏付けがあって、自信を持って作れるんですね。

今、旅する木で修行をしている若者2人も、仕事の後、カンナやノミの刃物の研ぎを
やってます。やり方、方法、コツは説明するんですけど、「全然上手くいかない!」
と嘆いています。
上達に近道はないんですね。上達するには、失敗を繰り返すこと。ですかね。
失敗から何かを学んで、その何かを改善してみて、また失敗して…を繰り返して、
いつの間にか上達している。ということなんでしょうね。
その過程がその人の技術の深みに、さらには、人間の深みになっていくんだと思います。
ただ、今 “合理化”や“効率化”を追求し、早く結果を出すことが求められる時代には、
合わない方法なんですね。

AIの時代の到来が騒がれている今、家具作りも大きく変わりつつあります。
僕がこの世界に入った20年前、婚礼家具などを作っている大きな家具屋さんが
淘汰される時代でした。
きっと、これから5年から10年の間に、今度は僕らのような家具工房が淘汰される
時代になっていると感じています。
機械化、コンピューター制御されたNC、そしてAIが搭載された機械など、
ちょっと前までははとても手がでないくらいの高額で、量産家具向けだった機械が、
それほど資本の大きな家具メーカーでなくても買えるくらいの価格になってきて、
プログラムも簡単になってきて、単品ものでもそのような機械で作った方が効率がよい。
という時代に突入しています。
そうなると、今まで棲み分けができていた家具メーカーと家具工房の境界線が無くなる
と思うのです。
安くなってきたとはいえ、個人工房レベルでは、まだまだそれらの機械を導入するには、
採算が合わないわけで、これから時代の波に呑まれるのは、個人工房なんだろうな。
と思います。
そんな中でも、生き残る工房は生き残るわけで。その分かれ目とはどういうところだろう?
と考えると、高い技術力を身につけている上での、最終的には“人間的な魅力”“人間力”
が溢れる工房は生き残るんだろうと思うのです。

そして、“人間的な魅力”のある人とは?というと、簡単にいうと、
“自分は何のために生きているのか?という生き方から、
自分は何のために生かされているのか?という域に達した人”
なんだと思うのです。

なんでもいい、一つのことを深く探求していって、ある地点まで到達すると、
人は頂きに到達したつもりで、つい有頂天になります。
「自分はこれをするために生まれてきたんだ!」なんて。
でも、さらにそこからもっと深く入っていくと、底だと思っていたところが、
また新たな入口だったことに気付かされます。そんなことを繰り返えすうちに、
我がなくなって、無になるとでも言うんですかね。
「もう参りました。あなたのしたいことに私を使ってください。」という領域に達すると
思うのです。
そしてその領域で生きている人の穏やかな顔と、発する言葉、かもし出す雰囲気が
人を魅了するんだと思います。
そして、そんな人間的な魅力のある工房は生き残るというか、
ちゃんと役割が与えられるのではないかな。と思うのです。

僕もその領域を目指して、もっともっと、深みに挑んでいきたいと思います。
『世界一美しい木の車椅子』というテーマが、もしかして、僕をその領域に
連れて行ってくれるんじゃないかと、まだ見たことのない心の風景に出会えるのを
楽しみに取り組んでいます。

そして若者たちにも、技術の深みは人間の深み。その道に近道はないよ。地道に前向きに
コツコツと取り組む過程が大事なんだと伝えています。こんな古い考えの僕に、
彼らは嫌な顔もせずついてこようとしている可愛い若者たちです。
といっても、僕からみて、もの足りないところもある彼らですが、
彼らの成長にも近道はないわけで、地道に前向きにコツコツと取り組む過程が大事なんだと、
自分に言い聞かせることも(笑)。
まあ、あまり育児に協力しなかったしっぺ返しが、今頃降りかかっているのかな(笑)?
っと、なんだか話しが反れてきましたね。何の話しでしたっけ?

そうそう、削ろう会。

来年はチーム旅する木で、削ろう会に参加しよう!と思っています。
旅する木がこだわっているカンナの世界でも、さらなる深みを楽しもうと。

目標
3マカロン!
優勝したらマカロン3個!(笑)




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6/14 ”大切な人をどう見送るのか”

”安楽死”

いきなり重い言葉をなげかけてしてしまいました。

ちょっと前になってしまいましたが、NHKで放送された
『彼女は安楽死を選んだ』
という番組を見ました。

治る見込みのない難病になった女性が、安楽死を選び、安楽死を法律で認めている
スイスで家族に看取られながら逝く様子を映したドキュメント番組でした。

50年間生きてきて、人を看取ったことや、人が亡くなる瞬間に立ち合ったことがないので、
ちょっと衝撃でした。
そして”死”について、考えさせられましたね。

この方は、海外で生活するなど、活発な女性でした。
ある日、体調不良で病院で診てもらったところ、やがて体の機能が失われる神経難病で、
今の医学では治療法がなく、いずれ何も出来ず、しゃべることもできず、寝たきりで、
呼吸器を着けなければ息をすることもできなくなることを知ります。
徐々に病気が進行し、病院での生活の中で、何度も自殺を試みますが、
すでに自殺する行為も出来なくなってきます。
そこで、看病してくれている姉妹に安楽死を望むことを告げます。

「安楽死が唯一の希望の光」
「私が私であるうちに死にたい。」

反対していた姉妹も、自殺を繰り返す彼女の姿を見て、悩みます。
彼女は言います。
「自分で死ぬことを選ぶことは、自分でどう生きるか選ぶことと同じくらい
大切なこと。」

刻一刻と病気が進行し、もう彼女には時間がありません。
スイスに行く体力さえももうすぐなくなってしまいます。
「このままでは最も不幸な最期になる。」
とうとう姉妹も安楽死を受け入れ、一緒にスイスに向かいます

テレビに映る彼女はまだまだ、しゃべることも食べることも出来るし、笑うこともできる。
スイスの安楽死を受け入れる病院の先生は言います。
「もしあなたがスイスに住んでいて、長距離の移動をしなくてすむのなら、
こんなに早く
死を選ばなくて良かったはず。2日間、考えなさい。」と。

日本が安楽死を認めている国だったら、まだ彼女には時間があったんでしょう。

2日間、姉妹は悩みます。
「本当にこれでいいんだろうか?」
まだ姉妹は心の中に、安楽死を思いとどまって欲しいと思う気持ちがあります。

それに対して彼女は
「人間なんて、いつ死んでも今じゃないような気がするの。」

そういうものかも知れませんね。
そう考えると、これも一つの寿命のような気がしてきます。

最期の晩餐から当日の朝まで、彼女と姉妹は最後の時間を共に過ごします。

安楽死の施術。
驚いたのは、数分で眠りにつくという薬を入れた
点滴の弁を開くのは本人なんですね。
彼女は何のためらいも無く、弁を開きます。
涙を流す姉妹に、彼女は言います。
「いつも来てくれたから、そんなに辛くなかったよ。」
そして、徐々に意識が遠のいていく中で、最後に。

「…すごく 幸せだった…よ…」


数ヶ月後、姉妹のインタビューでの言葉。

「最後の”幸せだったよ”その言葉があったから、私たちはこれから生きていける。」

自分の尊厳を守るために安楽死を選択した女性と、安楽死という手段だったから
生きていく力をもらった姉妹。

自分と、そして大切な人の”死”について考えさせられる番組でした。

僕たちは命の終わりをどう迎えるのか。
大切な人をどう見送るのか。




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5/24 ”旅木わくわくコミュニティー”

工房の窓は西向きについていつので、毎日夕方、西日が射し
工房はセピや色に染められます。
ちょうど夕方、心地良い疲労感の中、窓から綺麗な夕日が見えたので、
外に出て、ぼんやり日が沈むのを眺めていました。
まるで、今日のこのオレンジに染まった空を映すためかのように、
水の入り始めた田んぼにも、空が広がっていました。
ほんのちょっと肌寒い感じが、夕日を眺めながら黄昏れるには心地いい。

4月から新人のくどけんと太河、そして僕の3人は工房で暮らしています。
僕の世代のもう一つ前の世代の先輩家具職人たちは
、中卒で地方から出てきて、
住み込みの丁稚奉公で技術を学んだんですね。
木工に限らず、様々な職種で住み込みで働き、”親方”と生活を共にし、
技術だけでなく、ものごとの考え方、感じ方、仕事に対する姿勢、しいては
生き方までもを学んだんですね。
師弟関係だけでなく、兄弟弟子の関係の中でも揉まれて鍛えられるわけです。

僕は兼ねてから、”同じ釜の飯を食う”ということに、心の繋がりや絆を築く上で
大きな役割があると思っていて、いつか旅する木はそのようなシステムにしていきたい!
と思っていたんですね。

旅する木のゴール地点は、心豊かなワクワクコミュニティーで、木工に限らず、
心を豊かにするような楽しいこと、ワクワクすることをやりながら、できるかぎり
自給的なコミュニティーを作りたいと思っています。
規律正しいルールなどなくても、それぞれが心地良いコミュニティーになるためには、
『自他同然(あなたはもう1人の自分)』『利他の心』が大切で、
”同じ釜の飯を食う”ことで、十分なコミュニケーションがとれて、
考え方、思考の方向性が似てきて、自然とそのような絆が生まれるんじゃないかな?
と思います。

さらには、マヤ歴などを通じて心の世界を学ぶことで、人との違いを素直に受け入れられる
度量の大きなコミュニティーになって、職種に関わらず、いろんな人がいろんな関わり方で
旅する木に集まって、ワクワクを共有する暮らしができたら最高ですね。

その第一歩が始まったって感じです。
もちろん、仕事はしっかりやります。
彼らにとって、上記のことは、しっかりと旅する木の家具のレベルとしてお客様に
喜んでもらえる家具を作れるようになることを大前提としての話しなので、
厳しくするべき時は遠慮なく厳しく、旅する木イズムを骨の髄まで染み込ませようと
しています。

そうしつつ、朝早く起きて、仕事前に近くの山に山菜を採りに行って、その山菜を
夕ご飯に調理して、美味しくできた時には、飛び跳ねんばかりに喜び合って、
次はああしてみよう!こうしてみよう!こんな事に挑戦してみよう!
などと盛り上がっています。

早朝にタラの芽を取りに山に行って、その後目一杯仕事をして、夕食に天ぷらにして
食べた時のその美味しさと、心の
満足度と豊かさはこの上なく、3人のはしゃぎようを
冷めた女性が見ていたら、ぼそっと、「子供ね〜!」と言われそう(笑)。

そう、本当に心が求めるものは、難しくて複雑なことなど何一つ無く、単純で簡単で、
誰もが子供の時に経験した気持ちなんだと思うんです。
そんな気持ちを共有する旅する木を作っていきたい。




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5/4 ”僕と夢の関係は…”


[令和]という時代が始まりましたね。
世界中の人の心が穏やかで豊かな時代になってくれることを願います。


このGW、北海道はとっても天気に恵まれています。
気持ちの良い晴天に誘われるように、ちょっとのんびりしたくて、近くの生パスタ屋さんに
一人ランチに行きました。
窓際の席に座った僕の目の前には、桜が満開に咲いていました。
写真撮ろう!
とポケットにスマホを探すと…
忘れた〜! 残念…。。

GW直前、『美しい木の車椅子』M様号試作機が完成しました♪
可愛くないですか〜☆
もうずっと、ずっと、ず〜っと見とれてしまいます。
実は完成した日の夜、工房でこの車椅子を前に置いて、久しぶりにお酒を飲みました。
1人で。
自画自賛、感無量って感じで。
車椅子をいろんな角度に変えては一杯って感じで。
まだMさんには乗ってもらっていないのですが、ドキドキとワクワクでいっぱいです。

今年、家具の受注の9割を受けない!という、とても大きな決断をしました
この決断の経緯は → こちら
それで車椅子の試作をすすめており、最初のMさんとの打ち合わせから2年かかって
ようやく完成しました。

車椅子を作っている最中の心の充実感、ワクワク感たるや、僕の体から溢れてるのが
解るくらいなんです。
そして、それは周りにも伝染し、新人2人も「すげ〜!すげ〜!」うるさい!ってくらい
興奮しながら、僕の加工の一つ一つ、そして組み上がっていく車椅子を見ています。

まだこの車椅子、そしてこれから作る5台の車椅子(2年前にfacebookで試作に
協力してくれる車椅子ユーザーさんを募集して、応募してくださった方)は試作ですので、
無償ということで、収入のことを考えると、心配になる気持ちはあるものの、
数年後、「あの時、あの決断をしてほんと、良かったよね〜」なんて話しをしている姿を
想像しながら、不安を吹き飛ばしてやっています。

いろんな人に、
「よくその決断したね。」
とか、
「カッコいい!」
とか、言われるけど、そんな格好のいいものではないんです。

マヤ歴的にいうと、(一応僕、マヤ歴のアドバイザーです)僕は音13(音は1〜13まである)
なので、決断は鈍くて遅いんですね。(音1の人の判断の速さはすごいと感じます)
いつも、判断、決断せざるを得ない状況に追い込まれて、やっと心が定まる。
今回も…。

逆に経営者の方々からは
「大丈夫?」
とか、
「経営的な判断としては間違ってる。」
とか、
「家具を作りながら、空いた時間で進めるべきじゃない?」
という風に言われます。

本来はその通りなのかもなぁ。と思います。

でも、
またまたマヤ歴的に言うと…、
音13のキーワードは”没頭”
あれをやりながら、こっちを進める とか、ダメなんですね。
音13は器用なので、それが出来ちゃうんだけど、だからこそ、一つに絞って
”没頭”した時のパワー、成果はハンパないんです!
だから、僕はこのやり方でいいんだぁ!!(自分に言い聞かせてる?)

一番聞かれるのが
「どういうきっかけで車椅子作ろう!って思ったの?」

実はたいして人に語れるような理由があったわけじゃないんですね。
言っちゃえば、思いつきです。
創業する時、銀行からお金を借りなきゃいけなくて、
担保も保証人もいない僕の何を見るか?というと、
僕自身と事業計画書。
そこで、スケッチブックに夢や、やりたいことを100個
くらい書きなぐったんですね。
その何十番目くらいに、きたない字で
”木の車椅子”
なんて書いたんです。

実際に銀行に提出してた事業計画書には、別のことを書いて出していたのですが、
なんか、頭の片隅からあの、”木の車椅子”の文字が消えることはなかったんですね。

創業して5年くらい経って、事業計画書に書いた内容がほぼ実現して、さて次は?
と思った時、「僕がいるよ〜。次は僕にしてよ〜!」
なんて顔を出してくるものだから、なんとなく、パーツの試作を始めたんです。
この時のブログは → こちら

苦労に苦労を重ねて初号機が完成した時、嬉しさと共に、
なんという困難な道に踏み込んでしまったんだ!と思ったものです。
あれから試作5号機まで作って、今回、フルオーダーの試作1号機まで作ったものだから、
もう後には引けないなぁ。

たいした正当な理由もなく、たんなる思いつきだった木の車椅子。
僕がきっとうまくいく!と収入を断ち切ってまでやるべきこと。と確信を持てるのは、
実は”たいした理由がない”からなんです。
”たいした理由がないのに思いつく” なんて、僕の頭が考えたのではなく、
神様からのメッセージなんだろう!と思うんですね。
だから委ねていれば大丈夫♪
なんて感じに。

生パスタ屋さんでの待ち時間、雑誌でも読んでよう。と雑誌が置いてある本棚を覗くと、
僕が大好きな写真家、星野道夫の『星のような物語』という写真集があったので、
手に取りました。

もう何度も読んでいるのですが、その中の、ある言葉にページをめくる手が止まりました。
写真を撮ろうと思ったのですが、
そうだった、スマホ、忘れたんだった…。

マスターに「すみません。紙と鉛筆、貸してください。」とお願いして、メモしました。
そういえば鉛筆で字を書くなんて、結構久々だったりして。

『もし本当にをやりたいことがあって、少しでも可能性があるならば、
とりあえず力一杯突っ込んでみたい。
もしはね返されたのなら、それはそれで何かを学ぶことができるはずだ。』

『人は生きているかぎり、夢に向かって進んでいく。夢は完結することはない。
しかし、たとえ志し半ばにして倒れても、もしその時まで全力を尽くして走りきったならば、
その人の一生は完結しうるのではないだろうか。』

メモし終わって顔を上げると、窓越しの桜は相変わらず美しい。
ログハウスの下から上に持ち上げる窓を開けると、ひらひらと桜の花びらを舞わせている
風が入って来る。

「うん。車椅子がどうなっていくか解らないけど、それは天に任せよう。
僕は僕の人生を完結させることに夢中になっていればいい。
そして、僕の人生と関係なく、この桜はこの先もずっと美しく咲き続けるだろう。」

心地良い春の風は、軽やかな心を一緒に運んで来る。

人と人、人ともの、人と夢の関係は、これくらいがちょうどいい。




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4/15 ”月と夜と僕”

たまに夜、のんびりしたくて1人で温泉に行きます。
露天風呂の多くが岩風呂や、石造りですが、週末に行った岩見沢の温泉は
ヒバの大きな露天風呂で、ヒバの香りに癒されました。

三日月よりちょっとだけ半月に近い形の月が真上に浮かんでいて、
しばらくボ〜と眺めていると、周りが暗くなってきて、月と夜と僕だけの世界になって、
その境界線のぼんや〜りした感じが心地良かった。


僕たち人間は、何かを伝えたい生き物なんですね。
心が動いたら、それを伝えたい。
解ってもらいたい。
思いを共有したい。
だから、”言葉”がこんなに発達したんだと思います。
それにしては動いた感情を表現する的確な言葉が見当たらないもの。

今日の北海道の空の清々しい青さを見ながら、出てくる言葉と言えば、
「空が青いなぁ。」
なんていうもの。

ところで なぜ空が青いのか、ご存知ですか?

太陽光が大気に入ると、波長の長い青い光が最初に拡散するんです。
だから晴天の時の空は青く見えるんですって。
太陽が低い角度で大気に入ると、波長の短い赤い光が拡散するので、
朝焼けや夕焼けは赤いんですね。

今日のような気持ちの良い北海道の青い空を誰かに伝えたくて、

「今日の空は青いですね。」

と言う時、僕たちは”青”を表現したいのでしょうか?
「この青は、水色より濃くて、藍色よりもは薄い。言うなれば…」
なんてことを言いたいわけではない。
ましてや、「太陽光が大気圏に入る時に、波長の長い…」
など知識をひけらかしたいわけでもない。
青い空を見て動いた気持ちを表現したいんですよね。

もし恋人と一緒だったら、その”青”の中には。
”気持ちが良いね。この清々しさを君と一緒に感じられて、幸せだな”
なんて意味が込められているのかも。

もし気まずい会社の上司と一緒だったら、
”どうしよう。何か話さなきゃ。とりあえず、この晴天の話しをしよう”
なんて意味があるのかも。

もし独り言のように「…空が青い」なんてつぶやいたとしたら、それは
人生がいやになり、何もかも投げ出して、ただただ北を目指し北海道にやってきて、
第二展望台から見下ろした摩周湖の湖面に映る空を見て、
”久しぶりに空を見たな。霧の摩周湖がこんなに晴れやかに姿を見せてくれるなんて、
俺の人生もまだまだ捨てたもんじゃないかもな”
なんて思ってつぶやいた一言なのかも知れない。

おいおい、随分具体的な例だねぇ?
もしかして身に覚えがあるのでは…?(笑)

そして人は、昼間の太陽や青空より、夜空に浮かぶ月の方に、
より自分の心の内を投影しますよね。

百人一首には月が出てくる句が12もあります。
僕も、もの哀し気な月の静けさと、穏やかなその優しさに心魅かれ、
寒さも忘れ、美しい月を見ながらもの思いに更ける時があります。
特に新月の次の日の細〜い月が好き。

もし誰かから、
「ほら、今夜の月、綺麗だよ」
なんて写真付きでメールが送られて来たとしたら、それは
”あなたのことが好きです”
というラブレターなのかも知れない。

もし子供が、
「みんな、外に出てきてよ。月がすごい綺麗だよ。」
なんて家族を呼んで、みんなで見ているとしたら、
”僕(私)は、みんなと家族になれてよかった”
と思っているのかも知れない。

僕たちは、そんな言葉の中に隠された気持ちが伝わった瞬間、無上な喜びを感じる。
人は何かを伝えたい生き物で、そんな僕たちが本当に伝えたいものは、
表現しようのない気持ちなのだから。

僕の気持ちが伝わる家具や、車椅子を作っていきたいなぁ。

週末の夜、露天風呂から夜空に浮かぶ月を見ながら、ぼんやりとそんなことを
考えていました。

スマホではこれが精一杯なんだけど、
本当はもっともっとしっとりと美しかったんだぁ。

「ほら、今夜の月、綺麗だよ」

って、誰に言ってんの?


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4/7 ”北海道に春を告げる使者”

本州では桜が満開だとニュースでやってますが、
北海道はいまだ油断すると雪が舞ったりしてます。

まあ、油断しているから雪が舞うわけでないのですが…。。

それでもこの時期、工房の空や、周りの田んぼにやって来るものたちがいます。。
渡り鳥。
シベリアへ向かうオオハクチョウやカモの仲間たち。

朝のノンノ(北海道犬10才)と、まる(黒柴2才)の散歩していると、
清々しく澄んだ春の青空を、真っ白なオオハクチョウの群れが、
美しいV字を保ちながら飛んでいく姿に、しばらく見とれてしまいます。
そして何十羽のオオハクチョウが、ここ、東裏の田んぼで昨年収穫漏れした穀物を
ついばんでいます。

秋、極寒になる前にシベリアから日本へやって来て、春、暑くなる前にまた、
シベリアへ戻っていく渡り鳥。
数千キロの旅は過酷なんでしょうね。

シベリアまで飛ぶ自信がないのか、怪我でもしているのか、理由は解らないが、
日本で、越冬ならぬ、越夏をするオオハクチョウがいるんだそう。
毎年長旅をするオオハクチョウの寿命は15年ほどに対して、
渡らないオオハクチョウはその倍を生きるという。
渡り鳥にとって、この大旅は寿命を半分にしてしまうほど体力を消耗する旅なんですね。

V字飛行をするのは、羽で気流を作って、後ろの仲間の風の抵抗を減らしてあげるためで、
先頭をいく鳥は、交代しながら飛んでいるという。

夢中になって畑の穀物をついばんでいるオオハクチョウを見ていると、
つい声をかけたくなってしまう。
「暑さを我慢すれば、もっと長く生きられるんだよ。」と。
そんな僕の言葉など届くはずも無く、明日にはまた北に向かって飛び立つのだろう。

ノンノはもう慣れているのか、気にする素振りもないのだけれど、
若いまる は追いかけたくて仕方がない。
柴犬特有の、クルンと丸まった尻尾を振っているところを見ると、
格好の遊び相手だと思っているのだろうか。
僕が握るロープを引っぱって、夢中になって食べているオオハクチョウに
向かっていこうとするので、言いなだめます。
「まる、そっとしていてあげな。
これから数千キロを飛ぶ体力をつけなきゃいけないんだよ。」

そんな犬たちの様子に気が付いた一羽が飛び立つと、周りのオオハクチョウたちが
一斉に後を追う。
体の重いオオハクチョウは、10メートルくらい羽をバタバタさせながら助走をして
飛び立つ。
これが数十羽の群れとなると、結構な音と迫力。
その迫力にビビって、まるは後ずさり。
「まる〜、ビックリしたね。」なんてからかって、空を見上げると、
緩やかな曲線を描きながら、Vの字に船隊を整えて飛んでいる白い点の群れ。

毎年、青空に描かれたV字の白い点の群れを眺めると、ちょっと心が弾む。
それは北国に、春の到来を告げる使者だから。

やっと春がきた!




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3/20 ”北国に春がやってきた!”

北国の春は一気にやってきます。
昨日までが冬で、今日から春。

っという感じ。
北国のこの、季節の変わる瞬間、余韻を引きずらない潔さが好きです。

そんな春を

”春眠、暁を覚えず”(春は気持ちが良くて ぐっすり眠れるので、
夜が明けたのに気付かず、寝坊してしまう。)

と詠んだ詩人もいれば、
枕草子は

”春はあけぼの”(春は明け方がよい。)

と詠む。
この対比がなんとも面白い。

いずれにしても 春の朝は気持ちがよく、ついつい寝過ごしたくなるけど、
日の出前に起きて外に出てみれば、それはそれは美しい風景に出会える。
ということでしょうね。

確かに、朝、明るくなるのが早くなってきて、犬たちが
「外に連れてって〜!」
て、早朝に騒ぎ始めるので、オシッコさせに外に連れて行くと、
上の写真のような感動してしまう美しい風景に出会えます。

こんな朝日をぼんやりと眺めながら、2匹の犬に混じって僕も立ち◯ョ◯を
していると、なんか自分もこの神秘的な大自然の一部になった気がして、
清々しい気持ちになります。

って、おい!
せっかく綺麗にまとめようとしているのに、何を言い出すか!!

失礼しました。。



それにしても僕はなぜ、このつむじ風通信を書いているんだろう。
創業した時から、かれこれ14年、文章を書き続けている。
そして一つ一つが長い!
ほとんどの人がパッと見の長さで面倒になって、読まないんじゃないのかなぁ?
なんて思いつつ、一つのブログを3,4日かけて書くことも。
しかも木工の話しはほとんどしない。
普通、ブログは、売上げを上げるため、自分の家具の素晴らしさとかをアピールする
手段なんだろうけど。

僕がこのブログに注ぐエネルギーはハンパない!

と自分では思ってる。

なぜかって…
つむ通を読んだ前と後で、その人の心の中のなにかが1ミリ動いたら嬉しい。

霧の中、わずかな光が差し込んだように感じたり、
半歩踏み出す勇気が出たように感じたり、
ちょっとホッとして、紅茶でも飲んでみよう。なんて気持ちになったように感じたり、
ケンカしているあいつに100歩譲って謝ってみようかな。なんて思えそうになったり、
あの人を許してあげようかな?なんて一瞬思ったり

◯◯になったように感じたり、思えそうになったり、一瞬思ったり、
ばっかりじゃねーか!
実際にそうならないのかよ。

いやいやそんなもんじゃないですか?
人に与えられる影響なんて。
本当はみんな、心の中では全部を解ってるんだから。
最後、ちょんっ!て背中を押してもらいたいだけなんですよね。

誰かの”ちょんっ”になっていたら、それはとっても嬉しい。
つむ通を読んだ前と後で、その人の心の中のなにかが1ミリ動いて、
その人の1ミリ動いた心で、他の誰かの心が1ミリ動いて、その人の1ミリ動いた心で
他の誰かの心が1ミリ動いて…、
巡り巡って、誰かの1ミリ動いた心で僕の心が1ミリ動いて、その動いた気持ちを
つむ通に書いて…

世の中はそんな風になっているんじゃないのかな?
動く1ミリの向きが幸せだったなら、そんな輪が大きくなっていけば、
世界は一瞬で変わるのかも知れない。

そう、北国の春の様に。



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3/11 ”この道の先”

「自分の命の価値を考えてほしい。
一見、幸せのように思える安定や常識とは別の方向にも道はあるのだと。」

毎朝届くメルマガに書かれていたこの言葉、今の僕の心の鐘を鳴らしました。
「ビンゴ〜ン!」

なんだよその音。
”ビンゴ”と鐘の音”ゴーン”をかけて、ふざけてんの?

すみません…。。
つまらないおやじギャグで。


ジブリ映画が好きです!!


唐突だね〜(驚)。
なにその宣言
みたいなの。

宮崎駿作品のなかで特に好きなのは…

『風の谷のナウシカ』
『紅の豚』
『天空の白ラピュタ』
『カリオストロの城』

が特に好き!

男の子系?冒険系?
ですかね〜。

でも、正月に放送された『耳をすませば』
今まであまり気に留めてなかったのですが、主人公の雫のお父さんの言葉に
また「ビンゴーン!」
と来ました。
(すみません。懲りない性格で…)

受験勉強をそっちのけで小説に没頭している娘の姿を見て、雫の父がかけた言葉。

「自分の信じる通りにやってごらん。
でもな、人と違う生き方はそれなりに厳しいぞ。
何が起きても誰もせいにもできないからね。」

年末に大きな決心をしたからですかね。
こんな言葉たちに心が震えます。

僕は今年50歳になります。
信じられない!
まあ、確かに老眼も入ってきたし、重いものを持てなくなってきたし、
「気力、体力の限界!」(千代の富士引退の時の言葉)
古〜!

そんな瞬間がそう遠くないことを度々感じられるようになってきました。

残りの家具職人としての人生を考えると、せいぜい後10年。
独立して14年なので、それよりもずっと短い時間しかないんですね。
そんなことに気が付いてしまうと、いてもたってもいられなくなるものです。

”世界一美しい木の車椅子”を作ろう!

木の車椅子の試作は、仕事の合間にコツコツと9年続けてきたのですが、
昨年は家具の製作に追われ、結局一台も作れなかったんですね。

いよいよ実際の車椅子ユーザーとの方と打ち合わせをして、その人の体格、障害に
ピッタリ合う車椅子を試作し、モニターとして乗ってもらって、フィードバックし、
ノウハウを溜める段階まで来ているのですが、そのまま、あっという間に一年が
経ってしまいました。
いつも頭の片隅に、そのユーザーさんたちのことが離れず、
モヤモヤした一年だったんですね。


もし、今、余命半年とか、一年と宣告されたなら、僕は何をするだろう?

どうしても須田さんが死ぬ前に、家具を作って欲しい!
という人に家具を作りたい。
それと同時に、木の車椅子を世に出したい。

木の車椅子を世に出すには、まだまだ乗り越えるべきハードルが高いんですよね。
一年じゃ間に合わない。

じゃあ、諦めて、死ぬまでに一つでも多くの家具を作る?

いや、逆です。
高いハードルを乗り越えたい。
残された時間をその為に使いたい。
どうせ死ぬなら、その途上で死にたい。

そんな風に思います。

僕の余命が後どれくらいかは解りません。
でも、職人としての余命はだいたい見当がつく。あと10年。
そして旅する木を立ち上げてからの14年を考えると、
これからの2年がとっても大事だということも。

この2年、家具作りはちょっと横に置いておいて木の車椅子を進めよう。
そんなことを決心し、今年、家具の受注の9割の受付けを中止しました。
といっても、すでに秋くらいまで受注が入っているのですが、
今後の受注を受けないために、打ち合わせやデザイン、図面の作業がない分だけ
時間を作れ、すでにMさんの車椅子の試作に取りかかっています。
目標は来月半ばまでに完成を目指しています。

2年間、収入が見込めないということは、なかなかの怖いことです。
さらに不安なのは、木の車椅子を世に出すとが出来たとして、需要が約束されていない
どことか、そもそもの需要があるか解らないということ。
でも、後になって振り返った時、この決心と、この2年の間に蓄積したものが
どれだけ大きなものとして返ってきてくれるかを信じてみようと思っています。

そして、今年入る新人はそのことを理解して、楽しみにして来てくれます。
彼らの思いもしっかりと受け止めて、責任を負っていこうと。

冒頭の言葉。

「自分の命の価値を考えてほしい。
一見、幸せのように思える安定や常識とは別の方向にも道はあるのだと。」

その道がどんなものか、この目で確かめたい。




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3/3 ”そんな日に限って夕日が綺麗でさぁ”

今日は3月3日、ひな祭りですね。
20歳の娘がいるので、昔からこの季節、あわてておひな様を飾ります。
あわてて片付けるのではなく、飾る?

ひな人形を飾るのって、結構面倒じゃないですか?
年に一回しか飾らないので、奥にしまってるし。
いつもギリギリに飾って、3/3を過ぎてもいつまでも飾ってる我が家の娘の婚期は
おそらく随分先となることが予想されます…。

つむ通の中で、新人のヒロキの話題が出るのですが、残念ながら保たなかったんです。
ものごとを悲観的に考えてしまう性格らしく、
「そんな自分を須田さんの元で変えたいんだ!」
ということで旅する木に来たのが昨年の9月の半ば。

すでに2人の新人がきまっていたので、どう断ろうかと思案しつつ2,3時間話しをした後、
工房の体育館を案内した時、ちょうど晩秋の、オレンジに輝く美しい夕日が
工房の西の窓から差していて、
「まあ、ここでやってみるか。」と言ってから約4ヶ月。

ヒロキとは反対で、ものごとを楽天的に考えてしまう僕には、
繊細な心のケアーができなかったんですね。

性格的に真面目で、素直で、加工のセンスもなかなか見込みがあるのを感じたので、
ついつい多くを望むというか、早いステップアップを期待してやらせていたことが、
本人には喜びでもありつつ、結構なプレッシャーでもあったんですね。

真面目なだけに、ミスした際の自分を責める気持ちが人より強くて、
僕も職人として技術の向上を目指す上で、失敗は失敗としてきちんと叱るわけで。
叱りつつ、心の中の半分は、(新人のミスは仕方がないこと)と思っているのですが、
僕が思ってい以上に激しく落ち込んでいたんですね。
退職することになりました。

人の心の中は目に見えないので、ついケアーを怠ってしまって、
なにもヒロキのことを考えずに接してしまったな。と思いながら、ヒロキが帰った後、
ヒロキがやり残した加工の続きを一人、工房でやっていると、ヘタクソな加工だけど、
いろんなところに一生懸命やろうとしていた跡が見受けられて、急に涙が出そうになりました。
好きなタイプの若者だったんですよね。

たかが数ヶ月しかいなかった新人が…、
ちょっと叱られたくらいで心を病んで、去って行くひ弱な新人がいなくなったくらいで
泣いてたまるか!
ふざけんな!
全然悲しくなんてねーぞ!

なんて言葉を自分に言ってはみたものの、そんな日に限って、
まだ色濃く冬が残っているのに、工房の西の窓から差し込むオレンジ色の夕日が美しくて…。

作業を止めて、夕日が沈むのをそっと見ていました。




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2/21 ”心のトゲとして生きて下さい!”

「この木がここまで育つ何十年を想像してみろ!」

昨年の秋から、見習いとして工房に来ている若者がいます。
名前はヒロキと言います。
23歳です。
イケメンです
(笑)
いや、(笑)ではなく、納品に行くと、お客さんに言われたりします。

ちなみに、僕はかれこれ何百件と納品に行っているのですが、
一度も言われたことがありません
(笑)
ここは(笑)でやり過ごしましょう。

旅する木は100%オーダーで家具を作っているので、仕上げ作業や、単純作業が
朝から晩まで分あるわけはなく、新人と言えど、結構大事な作業だったり、
普通の会社なら2,3年目くらいからやらせるような加工をやってもらわなきゃ
いけなかったりするんですね。
僕自身、この作業を新人にやらせるのは酷だよな〜。と思いながら指導していることも。
ところがこのイケメン、意外と出来るんです。
それでいて、誰でも出来そうなことや、昨日教えたことがスコーンと抜けることもあって、
一昨日も昨日も、失敗したので怒られるんです。

「起こられるんです。」って誰に?

僕に。

あんたが怒ってんのかい!
そしたら、「失敗したので怒りました。」って書けよ!

そう書いたら、いかにも僕が厳しいみたいで印象悪いから、ちょっと柔らかい雰囲気にしようと…。
わかりました。正直に書きます。

僕はお客さんに「イケメンですね〜。」
とは言われた事ありませんが、
「須田さんって、怒るんですか?」
と言われることはままあります。

意外と(?)厳しいんですよ〜。僕。

新人にとっては難しいことをやらせといて、失敗したら怒る。
越後屋みたいじゃないですか。
「お主も悪よのう〜。」みたいな(古〜!)

ヒロキが一昨日、昨日と連続でミスをしたんですね。
これだったら出来るんじゃないかと思って任せた加工を。
といっても、未経験で数カ月の新人に任せるような加工ではないのですが…。

ミスを発見すると、先ず、何とか直せないものか。と考えます。
僕の今までの木工の経験と知識が頭の中で超高速にグルグル〜と回転して、
この方法だったら直せるかも?
とか、このパーツだけの交換で済むかも?
とか、ありとあらゆるパターンをシュミレーションするんですね。
大抵のミスは作りなおさなくても何とかなるものです。

おっと、誤解を招くといけないので、申し上げておきますが、
あくまでお客様第一なので、作りなおさずに修理することにより、家具のクオリティーが
下がったり、バレなきゃいい。という判断に基づく修理は一切しません。
僕の中にある、旅する木の作品として世に出してよいかどうかの判断基準というのは
とても高いレベルで、しっかり持っていますので、ご安心下さい。

ただ、その僕の中にある旅する木の作品として世に出せる基準と葛藤するのが、
”木持ち(気持ち)”なんです。
木には節があったり、白太(丸太の表面に近い部分)は、木の特徴でもあるのですが、
旅する木の作品としては、カットしています。
「もったいないなぁ。」と思いながらカットします。

椅子などの細かいパーツの木取りをする際に、幅の広い、長い木しか残っていない場合、
本当に悩みます。工房の隅々までもっと細くて使えそうな材料がないかどうか探しまわります。
そして最後は木に謝りながらカットします。
「せっかくこんなに太く大きくなったのに、椅子の小さなパーツに切ってしまうけど、
申し訳ない!」っと。

何の話しだっけ?
そう、ヒロキがミスした話し。

新人なりに考えてやった行動での失敗なら、それほど叱らないのですが、
何も考えずに加工して失敗した場合、結構叱ります。
新人に決って言うことがあります。

「この木がここまで育つ何十年を想像してみろ!」

この木はまだまだ生きたかった。
なのに人間の勝手な都合で切り倒されたんだぞ。
その木が巡り巡って旅する木にやってきたんだから、
せめて『こんな家具になるんだったらまあいいか。』って思ってもらえるものを 
俺たちは作らなきゃいけない。
それを失敗して薪になったら、木に申し訳ないだろ!
俺たちが相手にしているものは、生き物なんだよ。命なんだよ。

ということをトクトクと話しながら、頭の中ではどう直すか?を考えるんです。
15分くらい無言の時間。
ヒロキにとっては永遠とも思える時間だったでしょう。
そして伝えた言葉は…

「作り直す。明日の朝までに今の状態までに加工し直しておけ。」

そうしてここまで進んだパーツを僕は切り刻むべく、機械に乗せて、スイッチを入れて
刃物が高速回転し、後は押すだけなのですが、押せないんです。
全然押せないんですね。パーツが刃物に触れるまで1センチもないのに。

というのは…

実は直し方のアイデアは、すでにいくつか思いついていたので。
作りなおさなくても、このパーツを無駄にしなくても済む方法を思いついていたので。

ヒロキに作り直しを指示するまでの時、ずっと考えていたことは、
僕がやれば直せないことはない。多分綺麗に直せるだろう。
でも、ここまで進んだパーツを作りなおすという経験は、スタートしたばかりのヒロキの
職人としての人生において、必要だとも思ったんですね。
でも、その場合、この木は捨てられる。
この木の気持ちは?
100年近く生きて来たであろう木が、僕の勝手な理屈により生かされない。さぞ無念だろう。
その葛藤でなかなか結論が出せなかったんですね。
結局最後は、作りなおす決断をしたんです。

それでもいざ、刃物を入れようとすると、罪悪感に苛まれるもので、心を鬼にして
刃物を進めると、いつもの木をカットする心地よい音が、なぜか悲鳴に聞こえるものです。

切り刻んだ木をヒロキに渡して、伝えました。
「忘れないように家に持って帰って、目立つところに飾っておけ。」

そして切り刻まれた木にも。
「僕とヒロキの心のトゲとして、ずっと生きて下さい。」

次の日の朝、工房に行くと、作りなおしたパーツが置いてありました。



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2/12 ”50目前のおっさんですが…”

週末、いつも劇団の音響、照明を手伝ってくれた僕の旧友の3人で、
岩見沢のメープルロッジというところに泊まりに行きました。
岩見沢の街中からどんどん山の中に20分も入っていた山の中腹にある
大きな大きなログハウスの建物なので、中に入るとなんか外国に来たような雰囲気。
とっても気に入って、ゆっくり、のんびりしました。

1人は大学時代の友達(小林)なので、もう30年の付き合い。
もう1人は木工の世界に飛び込んだ時の友達(信さん)なので、20年の付き合い。
もう気心知れた仲間との泊まりでの時間は楽しいしかないですね。

温泉に入って、フランス料理のコースとお酒を堪能して、ホテルでいうと、
スイートルームの広いリビングで夜中までやったことは…?

『UNO』の続編ゲーム『DOS』

知ってますか?
『UNO』はイタリア語で『1』
『DOS』は『2』の意味なんですって。

3人の中で一番しっかり者の小林が持って来てくれたんですが、
小林はマヤ歴でいうと Kin131 青い猿/青い猿/音1 なので、ひょうきん者の
エンターテイナー。人を楽しませてなんぼの性格で、『DOS』だけでなく、
罰ゲームのフェイスペインティングのペンも一緒に持参。
何時からやり始めたか覚えてないのですが、やる前はこんな3人が。

そろそろ寝るか。
となった午前2時には…

          ↓

こんな風になっていました。
50目前のオッサンですが…(笑)。。

40代後半といえば、それぞれの仕事場では最も忙しい立場にも関わらず、
僕が劇団の公演で裏方を頼むと、ボランティアにも関わらず時間を割いてくれて、
楽しみながら、そして若者たちを導いてくれて、本当に頼りになる仲間です。

損とか得とかそういうものと無関係の時間を共に過ごした仲間というのは
いつ会っても、その当時の無垢な心の状態にもどれる、とても心地良く、
無防備でいられる時間で、子供になれるんですよね。

人生の折り返しを過ぎて、どう人生のゴールのテープを切るのか?
まあそこまで考えないまでも、人生の後半戦をどう生きるか?
ということを考え始める僕らの世代にとって、”子供に戻る”ということは
”心の豊かさ”に結びつく一つの方法なんだろうなぁ。と思います。

好きな事を、好きな人たちと、時間を忘れて没頭するという、子供のときは
当たり前にやっていたことを、いかに心の純度を高くやっていくか。
そんなことを意識して生きていきたいな。
なんて鏡で落書きだらけの顔を見ながら思いました。

そういえば学生時代、北海道を一人旅していた頃、泊まった安い民宿には大抵
同世代の旅をしている人たちがいて、すぐに仲良くなって、真夜中まで
お酒を飲みながら語り合って、そのままゴロ寝して、朝起きると
こんな顔になっていたものでした。




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2/6 ”我が家の鬼は怖くて不気味?”

先日、2月3日は節分でしたね。
”節分”とは?
本来の意味は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことだそうです。
つまり、季節の変わり目を意味しているんですね。
江戸時代から立春(2月4日)の前日を指す場合が多いとのことです。

スーパーには豆と一緒に鬼のお面もついてますよね。
最近のお面を見ると、ゆるキャラ?って感じで恐さの欠片もないと思いませんか〜?
これでは「鬼は〜外!」って言っても、可愛いから中にいてもいいよ〜!
ってなっちゃう。
昔はもうちょっと恐さがあったような気がします。

そうそう、この前テレビでやってましたが、秋田県の”なまはげ”
鬼の仮面と藁の衣装で、各家を回って災いを祓いにやってくるあれ。
子供に恐怖心を植え付けて、その後の教育で、
「悪いことすると、なまはげが来るよ!」
と言ってたしなめたりするんだそうですが、この伝統的な無形文化遺産の行事も
子供が少なくなったという理由の他、トラウマになる、心にキズをつくる、
インナーチャイルドがどうのこうの、って反対する声が大きくなったりして、
行われなくなって来ているんだそうです。
子供心に、めちゃくちゃ怖い未知の存在が一つくらいあってもいいと、僕は思うんだけどなぁ。

という我が家のお面が、上の写真。
とっても怖くないですか〜?
怖い+不気味!
ちょっとヤバい域?(笑)

実は息子が保育園の時に作ったものなんです。
これ、スーパーで豆におまけでついてたら…。。
ん〜、結構な問題になりそう(笑)。
このお面を持って帰って来た時、「こわ〜!」と言いながらも、僕がかぶって
鬼をやったら、6歳の息子はキャッキャ言って、思いっきり僕に豆を投げていました。

そういえば昨年のクリスマス、僕の不注意な会話で、息子はこの世にサンタクロースが
いないことを知りました。

我が家では毎年、年一回、このお面が活躍します。
今年も僕がかぶって、「鬼だぞ〜!」なんてやって、息子に豆を投げられました。
お面の中で思います。
このお面が活躍するのも、後何回なんだろうなぁ。

いつの間にか手加減して豆を投げる息子に言います。

「そんなんじゃ、鬼は逃げないぞ!!」



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2/4 ”昭和だな〜”

工房のある当別町は、札幌の隣町で、札幌中心から20kmくらい。
車では夏道だったら3,40分くらいなのに、冬の天候は全然違うんです。
札幌晴天でも、当別は雪で、工房の周りは吹雪…て感じ。
工房のある東裏は、周りが畑や田んぼなので、すぐに地吹雪になるんです。

そんなホワイトアウトの中、いつも巻きを背負って、勉学に励んでいる男子がいます。
そう、工房の門のところに立っている二ノ宮金次郎。
2,3週間くらいそのままにしておくと、胸くらいまで雪に埋まっちゃうので、
たまに雪をほろってあげます。

あ、”雪をほろう”というのは北海道弁。
標準語では…
”雪をはらう”?
”雪を落とす”?
どっちもニアンスが違うなぁ。

ちなみに、北海道では、”手袋をはく”って言います。
”靴をはく””靴下をはく”は標準語でも言いますが、手袋は”する”ですよね〜。
北海道では”手袋をはく”なんです。
本州出身の僕は、ちょっと違和感がありますね。

話しが反れちゃいました。
雪に埋まった二宮金次郎を発掘しながら、声をかけるんです。
「雪に埋もれさせちゃってごめんね。寒いよね〜。」
なんて。
そして、スコップで固くなった半分氷の雪をガツガツやって、雪を取り除くので、
たまにカツンッって金次郎にの足にスコップの先が当たってしまう。
そんな時は、なんか凍りついた自分の足にやられたような感じになって、
「ごめ〜ん!!今のは痛過ぎたね!ごめん、ごめん。」
なんて感じでやってます。
こんな会話、誰かに見られたら恥ずかしいですね〜(笑)。

二宮金次郎、何をした人かご存知ですか?
かく言う僕もあまり知らなかったので、調べました。Wikipediaで。

徳川11代将軍、家斉(えいなり)、12代将軍家慶(いえよし)に使えたそうです。
徳川家将軍で知っているのは、

初代将軍 家康 (言わずと知れた)
2代将軍 秀忠 (家康の息子ということで)
3代将軍 家光 (諸大名に参勤交代をやらせた)
5代将軍 綱吉 (犬将軍ー生類あわれみの令で有名)
8代将軍 吉宗 (暴れん坊将軍?)
15代将軍 慶喜 (徳川家最後の将軍/大政奉還)

くらいですね。

徳川時代も後半は、政府も諸藩も財政が苦しかったようで、それらを倹約で立て直したのが
二宮尊徳(二宮金次郎)なんですって。
財政赤字を立て直して、余剰金を出すまで回復させても、お礼金を受けた取らなかったそう。
倹約で庶民に我慢を強いているから。
すごい人ですね〜。
カルロス・ゴーン(元日産の社長)に聞かせてあげたい(笑)。。

幼少期は不遇な環境で、親戚の家に預けられたのですが、
夜、ランプの明かりで勉強していると、油がもったいない!と叱られると、
庭の隅に菜の花を植えて、菜種油をとって、勉したんだそうです。

そんな勤勉さを日本の教育に根付かせようと、昔、各小中学校には二宮金次郎像が
置かれていたんですね。

ところが昨今、全国の学校から二ノ宮金次郎像が撤去されてるんだそう。
理由は、”ながら行動”
薪を背負って、仕事しながら本を読むのがけしからん!っと。
道を歩きながら、スマホをいじるのを連想させる。ということだそう。

”ながら行動”がダメよ。という教育と、
学校の門のところに立ってる銅像、誰か知ってる?どういうことした人か知ってる?
その人はね…
という教育とどっちが子供たちの心に届くんだろう。
そう思ってしまいます。
考え方が”昭和”ですかね〜。

まあ、随分偉そうなことを言ってしまいましたが、そんな僕ですが、
真夏の炎天下に立って、触れないほど熱くなっている二ノ宮金次郎の読んでいる本の上で
目玉焼きやったら出来るかな〜?
なんて思ってしまっています…。。

あら〜、僕の方がよっぽど不謹慎じゃん!!

そんな周りのいろんな人の思いを知ってか知らずか、今も吹雪の中、黙々と勉強しています。

そんな姿に、僕は随分励まされているんだよ。
ありがとう。金次郎。


ここは吹雪が多いところだけど、天気が良い日は家の中からこんな朝日が見られます。

ついつい手を合わせて、一日の始まりに感謝したくなります。

考え方、昭和だな〜(笑)。



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1/24 ”Kin91の日”

毎朝起きてすぐにする僕の日課は…。

そう、二匹の犬たちのオシッコをさせに、外へ連れて行きます。
ここのところの寒波で、北海道の朝は寒い。
いつも朝日が登るちょっと前の、東の空がぼんやりと明るくなって来ている時。
キーンと凍てつく澄んだ空気は、冬の朝の、あの匂いがする。
懐かしいようなこの匂い、言葉ではうまく言い表せない。

なぜ言葉に出来ないかって。
実はそんなものはないんだそうです。あの、冬の朝の独特の匂い。
ないって?
寒い匂いなんてないんだそうです。

五感の中で一番記憶と結びつくのが嗅覚で、嗅覚で感じとった寒さという感覚が
脳で冬の記憶として残されて、寒い冬の朝、その記憶が呼び起こされて、
匂いとして感じているんだそう。

本当かなぁ。
今朝、ノンノとまるが気持ちよくオシッコをしている時、したんだよなぁ。
寒くて、澄んでいて、静かで、懐かしくて、美しい匂い。
まあ、確かにあえて言葉にすると、
”寒い”も”澄んでいる”も”静寂”も”懐かしい”も”美しい”も、匂いとは関係がない。
僕の記憶が作り出している匂いなんだろうか…。

今日はマヤ歴でいうと、Kin91(青い猿/青い嵐/音13)の日。
僕のマヤバースデー。
僕が生まれた日と同じエネルギーが宇宙に流れている日。
だから、一年(マヤ歴でいう一年は260日)の中で、一番宇宙と繋がりやすい一日。
宇宙からのメッセージを受け取ろう!
と気を張って臨んでいたのですが、その時点で受け取れるはずないですよね〜。
宇宙からのメッセージを受け取るには、気を張らず、自然体でリラックスしている状態が
一番よいんだろうから。

ごくごく普通の日常が過ぎていき、僕もマヤバースデーだったなんて忘れかけていた夜。

13年前に急性骨髄白血病で亡くなった本田美奈子さんの闘病生活を追ったテレビ番組を見た。
別に本田美奈子さんのファンだったわけでも、当時気になっていたわけでも
なんでもないのですが、数日前に番組の宣伝を見てから、ずっと気になっていて、
絶対見逃さないように!って思っていたんです。

18歳でスカウトされて、一年目で武道館でライブをするほど瞬く間にアイドルとして
一躍スターになった後、低迷期を向かえ、出す歌がヒットもしなくなった時、
アイドルという立場、肩書きを捨てて、心機一転、ミュージカルの一世界に一般応募の
オーディションを受け、1万人の中から主役の座を射止めます。
その後、ミュージカルの世界で大活躍している最中に突然病魔が襲います。
数ヶ月に及ぶ無菌室での入院生活の中で、抗がん剤と副作用、痛み、髪が抜けても
いつも明るく、周りの人を気遣っている素振りを見せながら、日記の中では
苦しく悩む気持ちを書き綴ります。
「歌いたい。歌いたい。歌って、みんなを元気にしたい。
神様、どれほどの苦しみを乗り越えたら、元気に歌を歌わせてくれるのですか?」
無菌室でのシャワーを浴びながら歌う歌声が、彼女の最後の歌声だったそう。

この純粋な気持ちが、今の僕の心に響きました。
この「歌いたい。」という気持ちの中には、なんの俗世的な欲はなく、
ただただ、自分の心から沸き上がる気持ち。
そんな気持ちに従って生きたいな。と思うのです。

僕らは生まれた瞬間から、死に向かって歩んでいる。
肉体が動いているその間をどう生きるのか?
その生き方こそが ”その人”または、”自分”というものなんだろう。

生きているその間に、いったいどれくらいの選択を純粋な心の声に従っているのだろうか?
年を重ねるに連れて、純粋な心の声がかき消されて、頭で考えること、周りの情報、
世俗的な欲、世間体、常識、正しさ、固定観念、…、を意識的に、無意識的に分析して、
選択することが多くなっていると思うのです。

そんなことより、なんかわかんないけどやってみたい。
なんかわかんないけどこっちの方が気になる。
なんかわかんないけど好き!
そんな、”なんかわなんないけど”が ”心の声”で、頭では理由や説明が出来ないから、
反対したり、躊躇したり、不安になったりするんだと思うんです。

僕たちは生まれた瞬間から、死に向かって歩んでいる。
ただ、そのことを普段あまりに意識していない。
何らかの事情で ”死”と直面した時、初めて気付くのかも知れない。
「今まで大事だと思ってきた価値感よりも、もっと大事なものがある。」と。

明日、当たり前に生きているとは限らない。

”明日死ぬとしたら…”

はちょっと極端過ぎて、「なにもしない。」になっちゃうと思います。

”あなはたあと半年生きられます。存分に生きなさい。”と神様に言われたら

僕はなにをするだろう。
誰といるだろう。
どう生きるだろう。

毎日の選択を、そんな風に思って選んでいきたいな。

Kin91の日。
僕が生まれた日に流れていたエネルギーの日の夜。
なんかわからないけど気になったテレビの中の本田美奈子さんの姿と言葉を見て、
思いかけずそんなことを感じた夜でした。
そんな神聖なエネルギーに後押しされながら、今感じていることを書き始めて、
ふと時計を見たら…。。

もう午前0時過ぎてるじゃん!!
Kin92(黄色い人/黄色い人/音1)の日になっちゃってんじゃん!

1/25〜2/6までは「黄色い人」13日間です。
人にも自分の頭にも束縛されず、”自由意志”を意識して過ごしてみましょう〜。


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1/17 ”新人くん”

旅する木に、今年、3人の新人が入ってきます。
といっても、そのうちの一人、ヒロキは、昨年の秋ぐらいから
見習いとしてきています。

ヒロキは旅する木に来る前に、ある木工会社に職人希望で入社したのですが、
営業担当になり、その仕事に馴染めなくて心のバランスを崩しちゃったんですね。
ヒロキが旅する木に面接希望で来たタイミングが最悪で、
ちょうどその前日に、新人2人の採用を決めて、伝えていたんですね。
「タイミングの悪い男だなぁ。」
なんて思いながらも、2時間くらい木工のこととか、旅する木のこととか話しをしました。

話しの最中、ヒロキが
「自分はものごとを悲観的に考えちゃう性格で…」
ということを話してきたんです。
僕は”自分は運がいい”と思っている人じゃないと一緒に仕事をしたくない。
ましてや、ものごとを悲観的に考えるなんて、こいつは絶対にないな。
と思いながらも、何となくフィーリングが合ったので、彼のこれからの人生で、
今日、旅する木に来て、僕と話しをして、なにか変わるきっかけの糸口でも見つけてくれたら
いいな。なんて思って、僕なりの人生観なんかを話しました。

そろそろ話しを切り上げようか。どうやって話しをまとめようか?
なんて思っていた時、ヒロキが、
「今日話しを聞いていて、ここで働きたい!須田さんの元で、自分は変わりたい!
自分の人生を変えたい!と心から思いました。」
と言ってきたんですね。
殺し文句ですね。
「須田さんの元で自分は変わりたい!人生を変えたい!」
なんて若者に真剣に言われたら…、言わざるを得ないじゃないですか。
「そうかぁ。じゃあ、やってみるか。」

お金のこと、何にも出来ない新人が3人もいること、彼らを指導、指示しながら、自分も
家具を作り、打ち合わせをして、デザインを起こし、雑務をこなし…
なんて考えたら、雇えるわけないんです。いや、雇わない方がいいんです。
せめて、今年は1人、来年余裕があったら1人っという感じで、こちらも余裕をもちながら
育てていった方がいいに決まっている。
でも、成り行きで…。
旅する木はいつも成り行き経営です。。

ちなみに、先に決めた2人も…。
僕は今年の採用は1人と思ってたのですが、2人が仲良しで、今年の春から時々
工房に仕事の手伝いに来てくれていて、彼らがほぼ同期に、
「旅する木で働きたいです!」と言って来て、どっちか1人を選ぶのがしのびなく、
2人一緒に面倒みるか…。。
という経緯です。

旅する木はいつも成り行き経営です。。
成り行きでこうなったということは、それはもう、僕のせいではなく、神様の意思。
神様の意思といことは、今の僕には解りませんが、彼らが旅する木にとって
必要だというこということで、困った時には神様が助けてくれるはず。
そう、きっと神様がたすけてくれるはず!!
神様に念を押しておきます。
神様がたすけてくれるはず!!(笑)
旅する木は”神頼み経営”でもあります…(笑)

そんなこんなで昨年の秋ぐらいから旅する木にやってきたヒロキですが、
一回も遅刻せず、休まず、休みの日に急に呼び出しても嫌な顔せず来るんです。
そして技術を身につけることを楽しそうに、真剣にやってます。
僕が求めるのは、ただ一つ、”素直さ”です。
僕は技術的なことよりも、精神的なことや、心の持ち方、ものごとの考え方
目に見えない世界の話しなんかをスタッフにはするようにしています。
そのようなことを素直に聞いて、実践していれば、木工の技術なんておのずと
身に付くと思っています。速い遅いはあるとしても。

僕のそういう怪しい(?)話しにも、ヒロキは食いついてきて、納得したり、質問したり
してくるので、ちょっとは見込みがあるのかな?なんて思って、しっかり育てていこうと
思っています。

そんなヒロキに指導しながら二人で作って、完成したのが、上の写真。
小清水町という知床の手前の町に住むお客様のキチン作業台。
完成に近づくにつれて、ヒロキのテンションが上がり、完成した時には
撫でたり、写真を撮ったり、花輪君に感想を求めたり…。
嬉しそうなんです。

僕が修行時代の時はどうだったかなぁ?
もう忘れちゃったなぁ。
でも、きっとこんな風に嬉しかったんだろうなぁ。
なんて思いながら、
「ほとんど俺がやったじゃねーか!」
なんて言いながら笑いました。

この時期、北海道でのロングドライブ、峠超えは避けたいので、発送しようと
思っていたのですが、自分が初めて手がけた作品をお客様に届けて、
お客様が喜んでくれる姿を実際に見るのは、彼の木工人生において、
忘れ難い思い出となり、そしてなにか悩んで向かう先が解らなくなった時、
一つの方向を示す指針になるような気がするので、旅木号(ハイエース)に積んで、
お届けしようかな。なんて思っています。
ついでに知床で一泊して、温泉にでも浸かって。

そのことをヒロキに伝えると、
「やった〜!それ、最高ですね。」なんて気楽に喜んでいるけれど、
ハイエースは保険が35歳以上で設定しているので、片道約7時間の運転をするのは、

俺じゃねーか!!



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1/9 ”新しい年号の時代”

 

年末までは雪が少なくてよかった。
なんて思っていたのですが、このお正月中はほぼ毎日が雪で、結局
帳尻を合わせてくるものです。
すでに工房の校舎の窓は雪で埋まりそうです。
除雪をしている横で、ノンノ(北海道犬)とマル(黒柴)は大喜びでジャレ合ってます。

このお正月、なにかと”平成最後の◯◯”という言葉が飛び交ってましたね。
平成元年。
僕は学生で、実家の長野から新潟に向かう最中に昭和天皇の崩御を知った記憶があります。
そして、小渕さんが『平成』と書かれた額に入った文字を掲げてる姿も覚えていますね。
今調べたら、同じ日の出来事なんですね。
1987年1月7日。
ちょっとビックリですね。

次はどんな年号になるんでしょうかね〜。
年号って外国にはないんだそうです。
日本だけ、西暦とは別に、年号を使っているんですね。
年号があるおかげで、その時代をとてもイメージしやすいですよね。

『昭和』生まれの僕は、ついつい『昭和』と言う時代をひいき目に見てしまうところがあります。
”古きよき時代”的な。

『平成』はなんか日本だけでなく、世界全体がどこに向かうべきか解らず、
混沌として、意識が個人に向いている時代だったような感じがします。
すでに世界は変わり始めているのに、古い考え方、やり方を変えるのが
恐かったり、世の中を動かしている人たちが、既得利権にしがみつき、手放そうとせず
世の中のシステムがうまく行ってないような感じ。
それに伴って、人の意識も含め、様々な”もの”や”こと”が完全に2極化して、
水面下で戦っているような。
そして個人の心の中でも同じことが起こっている気がします。
もちろん、僕自身もですね。

次の年号の時代は、きっとその二極化された古い考え(今の常識)の方が淘汰されて、
新しい価値感や、考え方、意識を基に作られていくんだと思います。

物質ではなく心の時代の到来。
心と心の境界がなく、友愛とか、利他の考え方が当たり前の時代。
悟りの境地に至った賢者たちが説いた世界。
”私はあなたであり、あなたは私”の世界。

多くの書籍などでこのような時代の到来が語られています。
本当のところは僕には解りません。

最新の物理学では、「意識が自分が見ている世界を創っている」といことが証明されて、
その概念は当たり前とされ、それを基に研究がなされているそうです。
一昔前にスピリチュアル系の人が感覚的に言っていたり、悟りの境地に至ったが
言っていたことが、科学的にも立証されたんですね。

「意識が自分が見ている世界を創っている」
ということは、今、目に見えるすべての人、物、自然、風景、起こっている出来事は
自分の意識が作っているということで、だとすると、
”自分”とか”私”とは、普通に僕たちが”自分”だと思っている部分も含め、
今、この瞬間に認識している世界そのものなんだということになります。
つまり、憎たらしい相手も、愛すべき自分。
避けて通りたい出来事も、愛おしい自分。
とうことは、やっぱりこの世界は”愛”そのもので満たされていることに誰もが気付く。
そんな時代なのかも知れませんね。

こんなことを書きながら、僕はまだまだ知識でしかなく、腑に落ちていないので、
本当にそんな時代がくればいいなぁ。という感じです。

あ、だめだめ。
「意識が自分が見ている世界を創っている」
とすると、
「そんな時代がくればいいなぁ。」
と意識すると、
”そんな時代がくればいいなぁ。”という、そんな時代がいつまでも来ない環境が
創られてしまう!

のかな?

なんだか訳わからなくなってしまいますね。

この世界が僕が作り出している世界だとすると、愛で満たされた世界がいいな。
そしてその僕の世界に登場してくれる人たちと、楽しくてワクワクしながら
暮らしていきたいな。

「次の年号の時代、そんな世界を創るぞ〜!」

そんなことを思いながら過ごしたお正月でした。



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2019/1/1 ”勝手に旅する木”

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年末の挨拶を書こうと、大晦日にPCを前にしつつ、
今年の紅白の面白さについ夢中になって、気が付いたら除夜の鐘を聞いてました…。
昨年も皆様に支えられて、無事年を越すことが出来ました。
本当にありがとうございました。

紅白の話し。
最後のサザンの盛り上がりはすごかったですね〜。
桑田圭祐、すご過ぎです!
頭も気持ちもクニャクニャに柔らかいんでしょうね〜。
歳を重ねると、頭も気持ちも固く、頑固になる人が多く、僕も例外ではないので、
この様な人を見ると、いいなぁ。こんな風な人になりたいな。と思います。

ちなみに桑田圭祐のマヤ歴を調べてみたところ、
Kin9 赤い月/赤い龍 でした〜。←知ってる人いる〜(笑)!
赤い月の人のキーワードは、”新しい流れ””浄化”
常に音楽会をリードして、新しい流れを作り続けているので、40年前の曲
『勝手にシンドバッド』が、こんなにも新しく、盛り上がるんですね〜。
僕が 青い猿/青い嵐 なので、Kin9の赤い月/赤い龍とは、クロスの反対キンなんですね。
自分の持っていないものを持っているの人なので、なにか魂が魅かれるんですね。

今年は旅する木に新人が3人も入ります。
20歳が二人、23歳一人。ともに男性。
せっかく若者に囲まれるわけなので、頭を柔らかく、気持ちを若々しく
アメーバのようにどんな形にもなれて、シャボン玉のように、風に任せてフワフワと
飛んでいるような中年オヤジを目指します!
これが新年早々の僕の所信表明?…です。

つむ通を昔から読んでくれている人は、須田さん、変わってきてるな〜。って思う方も
いるんじゃないかな〜?
昔は、こうなりたい!ここを目指したい!旅する木をこうしていきたい!こんな男になりたい!
など、筋の通った一本気のような感じが好きで、そうありたいと思っていました。
でも、最近は、”目標”とか”かくありたい”という自分を縛り付ける固いものは
できるだけそぎ落として、あるがまま、なすがまま、流されるままに生きていきたい。
と思うようになっています。

ある意味、”開き直った人生”ですかね〜。
それは向上心がないということではなく、人生を神様に委ねてしまうというか。
「僕という人間を使って、神様が表現したいことを自由に表現して下さい。」
という感覚です。

自分の意志と反して起こる出来事に
それに抵抗せずに受け入れて乗っていくと、結局後から振り返ると、
その出来事が起こってくれたおかげで、人生が望んだ方向に開かれていくんだろうな〜。
行き先、目的地の解らない航海を、怯えて不安に思うのではなく、楽しんで
それに伴う喜怒哀楽をそのまま感じることが人生の目的なんだろうな〜。
っと思うようになってきたのです。

だから、どんな出来事が起こっても、喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで
クニャクニャにいろんな形に変形しながら、その時の風に乗って自由に飛んでいこう!

サザンの『勝手にシンドバッド』の盛り上がりをみながら、こんなことを考えていました。

そんな今年の新しい『勝手に旅する木』をどうぞよろしくお願いいたします。




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