伝統的な叡智と技の行方 | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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伝統的な叡智と技の行方

僕はあまりブログに家具のことや、技術がどうのってことを書かないんですよね〜。日々の出来事とか、僕が思っていることとか、そんなことばかり。
なぜかって…。

旅する木がお客様に届けているものは、家具という形をした物語りなので。
世の中にたくさんある家具、そして家具屋さんの中で、旅する木に出会って、何かを感じてくれて、オーダーで家具を依頼するお客様の、その心が欲しているものは、旅する木の家具のその後ろにある背景なんだと思っています。
なので、僕という人間が思っていること、感じていること、考えていること。それを一番伝えたいと思っています。

勝負所が技術ではない。でも、それでいて技術も頭ひとつ抜きに出ている。
それが粋ってもんじゃないですか?
なんて思っているもので。

でも、今日はちょっと、”技術”というものを語らせてください。
なぜかって?

札幌のJRタワーで開催されている竹中工務店主催の『木組分解してみました』展を見に行ったもので。

『木組み』という言葉である程度どんなものか判るかと思います。
木と木を強固に接続するために、接続部を複雑な形に加工して、組み合わせる技術の総称を『木組み』と呼びます。
残念ながら今時の家作り、家具作りではあまり使われなくなっています。
旅する木では、強度とデザインと付加価値の意味合いを込めて、できるだけ使うようにしています。

建築における『木組み(仕口)』の種類は、数え切れないほどあって、建築図面から、どこそこにはこの仕口っと、適材適所の仕口を使う柱や梁に墨付けするのが棟梁の仕事だったんです。
”だった”というのは、今時、そんなことをしている大工さんは、宮大工を除いて、ほとんどいません。今はプレカットですから。現場に届く柱や梁は、プレカットで、すでに仕口の加工が施されたものです。機械が仕口の加工をするので、仕口の種類もほんとうに僅かで簡易的なもの。

昔は…
昔、と言っても、ほん3,40年前の話なんですけどね。
それぞれの柱や梁に、適切な仕口の墨付けをするのが棟梁の仕事。それが棟梁の威厳。その墨に従って、のこぎりやノミで切り込みをするのが、手下の仕事。
そして、向上心のある者は、使われる仕口、使い方、形状、位置などをこっそり覚えていく。手下がこっそり覚えていっているのを、棟梁がこっそり見ていて、簡単な現場の時「おい、お前、墨付けしてみたいか?」「え?いいんですか!」「やってみろ!」なんていうのが通例だったんでしょうね。

『木組み分解してみました』展で展示されている木組みは、本当に高度な技術で、ビックリしました。そして同時に、廃れゆくこれらの技術を、もったいなく、そのような今、そして、これからの時代を恨めしく思いました。

会場に流れているビデオを見ていると、僕の好きな仕口である金輪継(かなわつぎ)について、大工さんが語っていました。
”金輪継”と言っても形状が解らないと思うので、イメージがわかないかも知れません。興味がある方は、調べてみてください。簡単にいうと、斜めに刻まれた柱と柱を繋いで、栓をして、外れなくする、かなり手の込んだ仕口。

僕はデザインとして、かっこいいなぁ。という理由で、好きな仕口だったのですが、ビデオの中で大工さんが、金輪継の理由を語っていて、眼から鱗でした。
金輪継は栓を外すことで、3センチ浮かすことができる。上物を3センチ浮かすことで、土台を交換できるんですね。そのための仕口が金輪継なんだそうです。木造建築で一番痛むのは、土台なんですね。建物を建てて、2,30年経って、土台が痛み始めたら、上物を浮かして、土台を交換する。そうやって建物を100年、200年と長持ちさせる技術だったのです。
そのような宮大工の技術を駆使して、法隆寺は世界最古の木造建築として1000年以上も顕然と立っているんですね。

ところが、このような技術は、加工する人の技量によって、強度が左右されてしまう。強固な仕口も、下手の職人が隙間だらけに加工をしたら、全く強度が出ず、むしろ脆くなってしまう。それでは標準化できない。法律化もできない。
この人はいいけど、この人はダメ。う〜ん、この人は時々良い。なんてわけにはいきませんもんね。
それで金物とボルトで建物を構成し、誰がやっても一定の強度が出せる方向に技術が進むわけです。その工法に基づいて、建築基準法が制定されます。

水分を含む木と、水分で腐食する金属が相性がいいわけがない。
建築基準法が制定されて、これを守っている日本の建築寿命は25年〜30年。
ビデオの棟梁が言ってました。
「今の建物は、土台が腐る前に建物が壊される。」
そんな建築に、上記で説明した金輪継など必要なわけがない。
そうやって、時代と人間の都合に合わせた技術革新は、伝統的な叡智と技を、忘却の彼方に追いやってしまうのです。

便利さとか、安さとか、速さを追い求める今の技術革新は、実は、技術を誰にでも出来る、低いレベルの方に合わせる方向の技術革新だということが多いのです。技術的には後退している。

建築を例にすれば、木造で1000年持っている、世界に誇れる法隆寺を建てる技術があるのだから、標準をそちらに近づける努力をすればいい。

そんなことをしていたら、家一軒の金額が、いったいいくらになるの?

確かに、そういうことになる。
でも、もし自分が建てた家が1000年持つとしたら、単純計算で、40世代に一度、家を建てればいいことになる(笑)。
ん〜、笑い話ではない。
親も、自分も、子供も、孫も、家を建てなくて良ければ…
これは結構自由に使えるお金が余ったり、もしくは、今ほど仕事に追われる生活をしなくてもいいのではないですかね?
自分らしく生きるため、本当に好きなこと、したいことをすればいい。

なんて単純なことではないのだろうけど、職人の立場から世の中を見ていると、この技術や道具、そして職人そのものがいらなくなっていく時代背景に憂いを感じてならないのです。

旅する木のこだわりの、無垢の天板の手カンナ仕上げも、今どき手カンナで仕上げている家具屋さんて、そうそうあるものじゃないんです。ほとんどが技術のいらない、手間のかからない、機械でできてしまう…などなど、様々な理由でサンドペーパーで仕上げている。
旅する木では、一日かけて、天板の裏表の手カンナをかけるのに、ワイドベルトサンダーという大きなサンドペーパーが回っている機械に天板を通せば、ものの3分くらいで仕上がってしまう。

でも、全然違うんです。
サンドペーパーはキズですから。サンドペーパーを拡大して見たら、砂利ですからね。木を砂利で擦ってるんですから、木はキズだらけです。

試しに、サンドペーパー仕上げとカンナ仕上げの無塗装の天板に水をかけてみると…?
サンドペーパー仕上げの天板は、一拭きで表面はザラザラです。
一方、カンナ仕上げは水を弾いて、ツルツルのままです。

旅する木の木のキッチンは、水回りでも手カンナで仕上げているから10年経っても全く問題ない。ツルツルのままです。

今も2年目のくどけんは、洗面台でカンナの刃を研いでいます。
旅する木はレベルの低い方に標準を合わせることはしない。
”速い” ”簡単” ”便利” ”楽” ”誰でも” … の方向には行きません。

それは、

時の試練を超えたいから。法隆寺のように。
世代を超えて使ってもらいたいから。思い出と愛着とともに。
あなたが自分らしく、本当にしたいことをするための、ささやかながら背中を押せたなら。

旅する木の家具の背景には、こんな思いがあるのです。

かなり長く語ってしまいました。
日本が誇る高い木工技術を見て、つい興奮冷めやらずのまま思いの丈を綴ってしまいました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

ああ、言われる前に言っておきます。
”安い” 方向にも行きません(笑)。