それぞれの生き方 〜強さってなんだろう?〜 | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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それぞれの生き方 〜強さってなんだろう?〜

ニュースでは桜前線の話題が聞かれるようになってきましたね。
北海道もようやく春を感じさせる天候になってきましたが、それでも工房の周りはまだこんな感じです。
この冬は本当に雪が多く、工房は積もる雪と、屋根から落ちる雪で、建物がほぼ埋まりました(驚)。

上の写真は工房の体育館のすぐ裏に立っているイチイの木。
高官の笏(シャク)に使われたので、”一の位”の意味として、イチイの名が付いたんですって。

あ、ちなみにアイヌ語ではオンコというので、北海道ではみんな「オンコ、オンコ」と呼んでます。

僕はこのイチイの木が工房の守神のような気がしています。
何年も前、生後すぐに死んでしまったノンノ(北海道犬)の赤ちゃんのレオは、このイチイの木のすぐ下で眠っています。

今年の災害級の積雪で、このイチイに1mくらいの雪の塊が積もって、凍りついて、その重さで枝が完全に垂れさがって地面についていました。本来上に向いている枝は、完全に真逆の下向きになって、それはそれは苦しそうに見えました。

僕は枝が折れてしまっては大変だと思い、スコップで雪を降ろそうとしたのですが、もうすっかり氷になっている雪に歯が立ちません。
「折れないでね。」とお願いして春を待っていたところ、一番上の写真の様に、見事折れずに持ち堪えてくれました。

すごいですよね。
以前のブログ『秋は哀しいわけじゃない!』で書いたのですが、僕が家具作りで使うナラとか桜とか楓やクルミなど広葉樹を中心にする落葉樹は、硬くて丈夫なのですが、その分、枝や葉っぱに雪が積もると、その重さに耐えられず、バキッと折れてしまうのです。
なので、冬が来る前の秋、雪が降る前に競うように自ら葉を落とすんですね。

それに対しイチイや、トドマツなどの常緑樹は秋に葉を落とさないんです。
それはこんな風に冬、枝に雪が積もっても、しなやかさを持ち合わせているので、折れずに枝をしならせて重さを逃して耐えることができるんです。

知ってはいたのですが、ここまでしなやかだとは!

考えさせられます。
”強さ”ってなんだろう?

常緑樹が多い針葉樹を「柔らかいから家具ではあまり使えないんですよね。」と言ってきた僕は、なんとなく”針葉樹=弱い”というイメージを持っていたような気がします。
いつも扱っている硬くて丈夫な紅葉樹を”強く優れている”というような。

でも、体育館の裏に立っている、大きな氷の塊に押し潰されて、地面に頭を垂れた状態で数ヶ月も耐えに耐え、そして春になって雪が溶けたら、見事に青空に向かって枝を跳ね上げるイチイの木に、本当の強さを感じました。

ある言葉を思い出しました。
『本当の強さとは、転ばないことではなく、転んでも転んでも、立ち上がることだ。』
誰が言っていたかは忘れましたが。

自然の摂理の偉大さを感じます。

同じ木なのに、ナラはイチイにはなれない。
ナラは自分は硬くて丈夫だけど、その分、柔らかさ、しなやかさがない。ということをちゃんと知っているので、秋、自ら葉に栄養分を届けなくして、紅葉し、落葉する。そうして雪が積もらないようにして自分を守るんですね。

僕ら人間は、ついつい物事を二極に分けて、こっちが優れていて、こっちは劣っている。だから、自分はこっちになろう。自分の子供はこっちにしたい。あの人にこうなってもらいたい。なんて言って、ナラをイチイにしたり、トドマツを桜にしようとしたり、そうなるように願ったりする。
でも、ナラがイチイの振りをしたら、冬、折れてしまうんですよね。
トドマツが桜になるように期待されたって、花は咲かせられない。

でも、人間は木ほど単純じゃないから、自分を知るって難しい。
もちろん、他人を知るってもっと難しい。
だから、許せる人になりたいと思う。
自分を許して、人も許せる人になりたいと思う。

雪に潰されそうなイチイの木を助けようとスコップで立ち向かったけど、あえなく諦めて、後ろめたい気持ちで背を向けた僕は、イチイの木に許してほしいと願ったような気がする。
「折れないでね。」とかけた言葉は、「許してね。」と言い換えてもいいのかも知れない。
だから、青空に濃い緑色の枝を伸ばしているイチイの木を見て、とっても安心しました。
そして、思ったんですね。そんな人になりたい。

工房の周りには、柏や白樺、楓などの落葉樹も立っています。
まだ葉はなく、幹が剥き出しで寂しげな彼らも、早く自らを淡く新鮮な黄緑色に着飾ろうと、雪の下の土の中にはい巡らせた根っこでは今、一斉に雪解けの水を吸い上げているのだろう。

目には見えない春がもう始まっている。