僕、失敗しないんで! | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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僕、失敗しないんで!

今、『サラとソロモン』という本を読んでいます。
とても良い本なので、お勧めです。

サラという少女に、フクロウのソロモンがいろいろと教えていくんですね。
ソロモンのこんな台詞があります。

ソロモン「サラ、君が望んでいることは何かについて、考えること。君が望んでいることを本当に感じられるまで、練習するんだ。」

 

木工家の僕は、時々陶芸家が羨ましいと思う。
どんな時かと言うと…

女性がロクロを回している後ろから、包み込むように男性が一緒にロクロを回して、指が重なりあって…って映画『ゴースト』か!
羨ましいのってそこかい!!

違う、違う!

まあ、確かに、木工の場合、秒速何万回転しているめちゃくちゃ危ない刃物むき出しの機械を前にして、ラブシーンにはどう考えたって発展しない。

って、結局そこが羨ましいのかい!!

違う、違う!違います!全然そんなの羨ましくないです!(笑)

 

粘土をロクロで回しながら、形を作っていくじゃないですか。
でも、途中で思うような形にならなかった時、「えーい!こんなんじゃない!」(あくまでイメージ)なんて言って、グチャグチャにする。
そうしてもう一度粘土を丸めてやり直し。
この、粘土を丸め直して、もう一度やり直し。ってところが羨ましい。

木工の場合、一度切ってしまったり、穴を開けてしまった木材を、間違ったからって、元に戻すことは出来ません。

先日、スタッフのくどけんがある程度加工が進んだ段階で、加工を間違ってしまったんですね。
やり直しを指示したのですが、木材も取り直し。ミスした木材は…冬の薪ですかね〜。

そんな時、木材を見ながら、これが粘土だったらなあ。
なんて思うものです。(僕は陶芸をやったことないので、多分に想像でしかありません。)
もしかして、陶芸家の方には失礼な表現かも知れません。ごめんなさい。

 

先日ある主婦の方と話をしている中で、こんなことを言っていたんです。
「私、全てのものに魂があると思うんです。10年使っていたうちの洗濯機が壊れかけてしまって、買い換えようと思ったんですけど、もしかして…?って思って、その洗濯機を「今までありがとうね。動いてね。」っと思いながら念入りに掃除したら、なんと、普通に戻ったんです!」っと。

魂って、人とか動物だけじゃなくて、モノにもあるんでしょうね。もしかしたら、石っころ一つにも魂ってあるのかもしれないなぁ。思うのです。

僕は家具を作るのが仕事なので、木材を機械を使って切断したりするわけです。
経験があるせいか、木を持った瞬間に、なんとなく、その木(樹種によるものではなく、個々の木片そのもの)の性格なのか、気持ちのようなものを感じることがあります。

ああ、こいつ本当は切られたくないんだな。とか、ちょっと強気の奴なら、切れるもんなら切ってみろ!って思ってるな。とかとか。

でも、切らなきゃいけないわけです。
もっと僕がすごく優しくて、精神性が高ければ、その木片の気持ちに寄り添えて、その気持ちを尊重するような木製品を作れるんだろうけど、あいにくまだまだ学びの途上で、エゴの海の中で泳いでいるようなものなので、自分で描いた図面の寸法を優先することに迷いがない。
だから、狙いの寸法に切断していく。

すると、やっぱり彼らは必死で抵抗するわけです。
高速回転している刃物を止めようとする。
僕は「ごめんね。痛いよね。」と思いながら、押したり引いたりしながら、できるだけ痛みを感じない(僕が思っているだけですが…)ように加工する。

機械も苦しそうな呻き声を上げる。
木の痛みを感じながら、機械にも「わかってるよ。苦しいよね。もうちょっとだから。お願い!」なんて祈りながら、少しでも機械の負担を減らすように、材料を押したり引いたりしながら、少しずつ前に進めていく。

こんな風に切断された木片の切り口は、黒く焦げていて、時には焦げ臭い匂いさえもすることもある。
「ごめんね。申し訳ない。」なんて声をかけて、台車に並べていく。

とてもカッコつけた言い方をすると、木と機械と僕の3者のそれぞれの想いの重なる部分を探しながら加工をしている。

可笑しいかも知れないけど、僕は木材を加工している時、こんなことを思っているんですね。
だから、機械場の体育館を離れてPC仕事をしている時、体育館から機械の苦しそうな声が聞こえると、最初は我慢してるんだけど、その呻き声が悲鳴になった時、いてもたってもいられずに体育館に行って様子を見る。
加工しているスタッフが、同じような思いを持ちながら加工している様子が見られたらいいんだけど、そうでない場合、「機械加工する時は、自分が木になって、自分が機械になって、木の痛みと機械の苦しみをわかってあげて、それを感じなから加工するんだよ。」と言います。

俺、何言ってんだろ?果たして伝わるんだろうか?と思うのですが、花輪君にしても、くどけんにしても、その辺の感覚は似ているので、解ってくれます。

 

そうそう、先日、面白いことがあって、僕は大笑い、くどけんは苦笑い(?)したことがあります。

くどけんが加工途中の材料を作業台の角にぶつけたんですね。
「ゴンッ!」と音がした瞬間、すぐ近くで作業していた僕は、その瞬間を見ていたわけでもないのに、間髪入れず「イテッ!」と叫んだんです。
自分で自分にビックリしました。
くどけんが材料をぶつけた瞬間、僕はその材料になって、痛みを感じたんですね。

モノに魂があるのかどうか?は、僕にはわかりません。
話をしたこともなければ、感じたこともない。上で書いたことは全部、まあ、言ってみれば僕の思い込みなので。

でも、この仕事をしていて、他の人にはない能力が僕にはある。

それは、「僕、失敗しないんで!」

いやいや、そんな大見え切っちゃっていいの?ほんと〜?(笑)

昔からなんですけど。
木片をカットしたり、穴あけしたりする時、図面から寸法を拾ったり、読み取ったりして、機械の定規を狙いの寸法に合わせて、木片を機械に乗せて、スイッチを入れて、刃物が回転し始めて、安定した高速回転になって、さあいよいよ木片を刃物に近づけて、あと数ミリで刃物が木片に当たる…

この瞬間に、
!!!
何かおかしい、違和感を感じる。

そうして一旦機械を止めて図面を見直すと…?

寸法が間違ってるんですね〜。
こんなことが数回じゃないんです。もうどれくらいだろう?何十回か、100回以上。
まあ、この時点で、威張ったことじゃねーじゃねーか!って言われそうですが(笑)。。

この前もあって、
「あっぶね〜!またミスる寸前だったよ。よかった〜!」なんて叫んだら、
くどけんに
「またですか〜?欲しい〜、その能力」と羨ましがられます。

木片はある意味、命を削られているわけですから、必死なわけです。

だって、本当は大地に立って、天高く伸びていたかったのを、人間の勝手な都合で切り倒されたわけで。まあ、こんな家具になるなら仕方ないか。なんて諦めて切り刻まれて、こんな小さな木片にさせられて。
「ああ、あの青空と白い雲が懐かしい。」なんて思っている矢先に間違えられて、ゴミ箱行きじゃあ、たまったもんじゃない。

だから加工されるべき寸法が解っていて(感じていて)、間違った加工をしようとしているアホな人間に、「違〜う!そうじゃな〜い!気付け〜!気づいてくれ〜!」なんて木片魂が叫んでいるんだと思うのです。

人よりちょっとだけ、木や機械の魂に寄り添おうとしている僕は、声は聞こえないけど、なんとなくの違和感として、その魂の叫びを感じてるのかな?なんて思います。

だから、洗濯機の話、ちょっとわかるような気がするんですよね〜。

 

あ〜、今回も長いブログになってしまいました。ごめんなさい。
ここまで読んでくれてありがとうございます。

僕はブログの最後のオチ?締めくくりにこだわってて…。
そのオチが見当たらなくて、ブログに3日とかかけることも(笑)。。

このブログも書き始めたのは4日前。
ちょうど機械加工をしていて、失敗を未然に防いだ時、あ!これ、ブログに書こう!と思って、魂の話を織り交ぜて書き始めたわけです。

なんか自分、すげ〜出来る感満載の内容になってるなぁ。どうしよう。
なんて思って、どんなオチにしようか。なんかいいオチ、ないかな?なんて迷っていて、日にちが経ってしまいました。

失敗を未然に防いだ時、相変わらずくどけんが、「須田さんのその能力、ホント欲しい〜!」
なんて言われるもんですから、ついつい調子乗って、
「俺、失敗しないんで!」
なんて得意になってたんですね。

ところが…

昨日、未然に防いだ失敗よりも、もっと大きなミスを発見!(恥)
辛うじて、作り直さなくても修正できるミスだったからほっと一安心。

花輪君とくどけんに、
「いや〜どうしよう。今さぁ、『僕、失敗しないんで!』っていうブログ書いてるんだけど〜。こんなミスしたら書けねーじゃん。」なんて言ったら、
花輪君、「オチにしたらいいんじゃないですか?」

マジかよ〜。オチを探していたら、リアルにオチがついたじゃね〜か〜。

!!!

ソロモン 「望んでいることについて話し始めたら、そしてもっと大事なのは、望んでいることを感じることができた時、すぐに望んでいるようになっただろ?」

愛しています。