時間が止まればいいのに | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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時間が止まればいいのに

はい!ここで問題です。

最近、めっきり日が短くなってきているのを実感していることと思います。
保育園に子供を迎えに行く奥様は、「ついこの前までは外で遊んでいたのに。」なんて思っていることでしょう。

帰宅電車から、ビルの窓に反射する夕陽を見て、「あ〜、今日も頑張ったな。美味しいビールが楽しみだ。」なんて眺めていたサラリーマンも、今は外を見ることもなく、スマホの画面を見ながら揺られていることでしょう。

仕事が終わって、空も大地もオレンジに染まった世界で、

ノンノ(北海道犬)と日が沈むのを眺めながら想いにふけっていた僕も、今は暗い中、「ノンノ、もう寒いから帰ろ?」なんて途中で引き返していることでしょう。って、自分のことだろ!

そんな想像はいいから、早く問題を出せ!って?

かしこまりました。
「ここで問題です。めっきり日が短くなってきている今、日の出、日の入りは、1日どれくらいずつ、短くなっているでしょうか?」

「え〜?1日に?そんなこと考えたことない。」

「1分です。」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って!早いって!まだ考えてるから。問題出す前の前おき長いくせに、答え出すの早過ぎでしょ!」

「1分、考えてください。」

「ああ、考える時間が1分ってことね?紛らわしいわ!
え〜、でも、ついこの前まで7時近くまで明るかったのに、もう5時には真っ暗だから。1日に4,5分くらいじゃないかな?そんなに変わらないか。2,3分?いや、たった1日だから、30秒くらい?え〜?わかんない。」

「正解は?… 1分です。」

「やっぱりさっきの、答えだったんかい!」

 

すみません。
くだらないコントになってしまいました(笑)。

そうなんです。
この時期、日の出日の入りは、それぞれ前の日より1分ずつ短くなってるんですって。
1分ってたいしたことないような気がしますが、1ヶ月で1時間も日照時間が短くなっているんですね。

ちなみに今日の札幌の日の入りは16時12分。7月は19時台だったので、3時間も早くなってしまった。

 

1日の仕事を終えて、工房に西日が差し込んで、オレンジのセピア色に染まった機械たちが、のんびりしている雰囲気がとても好きで、そんな休んでいる機械たちの邪魔にならないように、静かに眺めている時間もまた心地いいんですね。

そして工房に礼をして、そっとドアをしめて、夕陽を背に受けて、僕と犬の長い影を眺めながらの散歩もまた、心が安らぐ時間。
でもこの時期は、仕事が終わる頃には外はもう真っ暗ですもんね。

 

”時間”ってなんなんだろう?

僕たちが普段意識している”時間”って、時計時間ですよね。
地球は自転していて、一周する時間を”1日”として、それを24等分した単位を1時間、1時間を60等分したのが1分。さらに60等分した単位が1秒。
これを正確に刻むのが機械時計。

そして僕たちは子供の頃から、親にも先生にも「時間を守れ。」と言われ続けてきた。
ここでいう”時間”とは、”機械時計”のことなんですよね。時計の針がどこを指しているかということが重要で、それまでに何をする。それから何かをする。
こうやって僕らの生活は全て、機械時計に支配されているんですね。

僕は思うのです。

”時間は感じるもの”だって。

 

文頭の質問。日の出、日の入りが短くなっていく話。
それでは
「一体なぜ、日の出日の入りの時間が変わるのでしょうか?」

この質問は、

「日本にはなぜ、四季があるのでしょうか?」

と言い換えてもいい。

そう。地球の地軸が23.4度傾いているからです。
(詳しくいうと、地球が太陽の周りを回っている公転軸に対して、地球が自転している自転軸が23.4度傾いている。)

これは宇宙の仕組みなんですね。
きっと、この宇宙が作られる時に何かしらの大きな意思があって(偶然とか、奇跡ということも含めて)、地軸が傾いたんだと思います。
そしてさらに、この地軸の傾きによる四季の変化は、赤道付近から南北に離れた地域の方が、より顕著に感じることができる。
ただ、あまりに離れすぎると厳しすぎる。
そういう意味では、日本は絶妙にほど良い四季を感じられる国なんですね。

僕たちは、人が作った規則正しく刻む時間(機械時計)ではなく、この、宇宙の仕組みによって生まれた日照時間とか、春夏秋冬という季節の時間に暮らしを合わせる方が、本当は自然で、心が豊になるんだろうな。なんて思うのです。

機械時計が発明されたのはいつなんだろう?
調べみると、15,6世紀なんですって。
日本でいうと、機械時計が普及したのはなんと明治時代以降なんですって。
たかだか150年前なんです。
明治時代って、人類の歴史からみたらついこの前じゃないですか。

びっくりしたのですが、それまでの日本の時間って、さっき僕がそうだったらな。って思っていたそのまんまの感覚だったんです。

つまり、日の出、日の入りが時間の基準。
日の出から日の入り、そして日の入りから日の出をそれぞれ6等分して、その1/6単位を一刻(いっとき)と呼んだんだそう。
『不定時法』といって、季節によって、一刻の長さは変わるんです。
夏の一刻は約2時間30分となり、冬の一刻は約1時間40分なんですって。
江戸時代までの日本は、暮らしの基準が自然で、それに人間が合わせていたんですね。

今、僕も含め多くの人が規則正しく刻まれる時計時間に縛られ、そして振り回されていると思います。
心の豊さ、豊な暮らしを考える時、時間の考え方を、時計時間から自然時間にシフトして考えてみるのも大事なのかな?なんて思います。

なんでこんなことを思ったかと言いますと…?
ま、外が暗いのに、仕事をしているのがちょっと嫌なだけなんですけどね(笑)。

 

”時間は感じるもの”

子供が夢中になって遊んでいる時、人が夢中になってものを作っている時、心が奪われるような美しい風景を目の当たりにしている時、本や映画の中に陶酔している時…。

僕らは時計が刻む時間の束縛から解放され、本当の自分の時間を感じていると思うのです。
心が解き放たれている時間と言ってもいい。
それは時計時間で測りうることはできない。
だから、一瞬でもあり、永遠でもあるのだろう。
この時間のことをギリシャ語でカイロス時間と呼ぶらしい。

日々の生活の中で、少し意識して自分の心を、時計時間(クロノス時間)から解放させ、カイロス時間を増やしていきたいなあ。と思う。
それが豊な心を育み、豊な暮らし、豊な人生に繋がっていくんだと思うのです。

 

そんなことを考えながら、沈みゆく夕陽を見ていました。

それではここで問題です!
「日が沈む時、太陽の下の端が山にかかって、太陽の上の端が山に沈むまでの時間はどれくらいでしょうか?」

「え〜と…」

「2分だそうです。」

「だから、答え言うの早いって!」

この風景を見ながら、
「なるほど、これが2分か。」
なんて思うわけがない。

この2分は、一瞬でもあり、永遠でもある。
そして最後の一点が消える瞬間、僕は思う。
「時間が止まればいいのに。」

でも止まらないから、この瞬間が、永遠を求めるのと同じくらいに貴重なんだと思う。

あなたとの時間が止まればいいのに。
『点描の唄』
https://www.youtube.com/watch?v=JVZCRtChnB0