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全ての願いが叶う世界がここにあった


『量子もつれ』

あまり聴き慣れない言葉だと思います。

先日、ノーベル賞の受賞者の発表のニュースを見ていたら、この言葉が出てきて、オッと手を止めてしまいました。
今年のノーベル物理学賞の受賞者は、『量子もつれ』の実証をして、それが評価されたんだそう。

 

もちろん、物理学者でもなければ、科学に興味があるわけでもない僕が、
「え?『量子もつれ』の実証をした人がノーベル賞を受賞した!嬉しい〜」
なんて思うはずはないわけで。

僕が”量子”という言葉を知るきっかけになったのは、スピリチュアルの世界からでした。

興味があって聞いているスピリチュアル系の人のクラブハウスの中で、『量子もつれ』の話が出てきたんですよね。

物理学者ではない僕が説明するので、如何せん、頼りないのですが…

そもそもの『量子』とは?

物質を細かく分解して、もっともっと細かく分解していって、もっともっと…
すると、やがて原子や分子という状態になりますよね。
量子とは、原子そのものや、さらに小さな電子や中性子、陽子といったもの。
はたまた、光の粒(光子)、素粒子も量子に含まれます。
大きさでいうと、1メートルの10億分の1くらいのサイズなんだそうです。

このような小さな小さなミクロの世界では、僕らの常識では考えられない不思議な世界?
僕らが学校で習ってきた物理の法則が、まるで当てはまらない法則で成り立っているんだそうです。

この世界が本当に不思議で面白いんです。

量子の世界では、物質は粒子と波動の両方の特性を持っているんですって。

僕らがイメージする粒子と波動は全然違いますよね。
粒子は空間のどこかの場所に ”ある” けれど、波は空間に ”ある” わけではない
粒子同士はぶつかったら跳ね返るけど、波はぶつかったら、重なり合って、強まったり、弱まったりする。
粒子は壁を通り抜けることができないけど、波は壁を通り抜ける。

全く別の性質で相入れないはずなのに、その両方の性質を合わせ持ってるってどういうこと?

よかったらyoutubeで、
『二重スリットの実験』
の動画をご覧ください。
難しいのからアニメでわかりやすいものまであります。
僕はアニメ派。

ものすご〜く簡単に説明するとですね、

ミクロの世界では、誰かが観測をしていない時は、物質は波動として存在していて、波動の性質で運動しているんです。
ところが、誰かがそれを観測しようとした瞬間、波動の性質は消えて、粒子の性質になるんです。

不思議過ぎませんか?
そして、面白すぎる!

誰にも見られていない時は、質量を持たないただの波なのに、誰かに見られた瞬間、”物”になるんですから。

そのような特性を持つのが量子の世界。

 

『シュレディンガーの猫』という実験も面白いですので、ぜひyoutubeでご覧ください。

”観測した瞬間に、物事の状態が決定される”

つまり、観測される瞬間まで、いろんな状態(世界)が混ざりながら同時に存在している。
というのが、量子の世界なんですね。

その延長上にある『量子もつれ』についてですが、
これも ものすご〜く簡単に説明すると、

それぞれAとBの二つの箱の中に一つづつコインがあって、そのコインが超高速で回転しているとします。
ここである仕掛けがあって、観測者が箱の蓋を開けた瞬間に、そのコインは表か裏でパッと静止する。
観測者がAの箱の蓋を開けると、コインは表だったとします。
すると、その瞬間、Bの箱のコインは、裏になるんですって。
もちろん、Aのコインが裏だったら、その瞬間に、Bのコインは表になる。

(あ、この説明はあくまでわかりやすくするためのもので、実際には量子はコインの裏表などというものではありません。)

不思議なのは、AとBの箱がどんなに離れていても…
例えば、Aの箱が地球にあって、Bの箱が月どころか、銀河の果てにあっても、結果は同じになるんだそう。
そして決定される瞬間というのは、一瞬の時差のない、全くの同時なんですって。
AとBの間には時間的、空間的繋がり、関わりが一切ないのに、このような現象が起こるんです。

つまり量子の世界では、時間と空間というものがまるで存在しないかのようなんですね。

 

不思議過ぎて、ワクワクします。
なぜか僕は、量子力学のこういう不思議な話しに心惹かれて、ネットで調べたり、youtubeで見たりします。
そうしていつも、
「やっぱりこれって、お釈迦様が悟りを開いて言ってることと同じだ。」
と思うのです。

 

般若心経の中の『色即是空 空即是色』

Wikipediaで調べると

『目に見えるもの、形づくられたものは、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない。実体のないということが、そのまま一切の事物なのである。』

とあります。

今、僕が見ているもの、触っているもの、パソコンも、可愛い犬も、机も、椅子も、コップも、コップの中の水も、自分自身の肉体も、ありとあらゆるもの全ての物質は、量子的物質から構成されています。
ということは、これらは実は、存在しているわけではなく、これらの本当の姿は波動的存在なのかも知れない。

そして、その波動的存在を誰かが観測することで、3次元で生きている僕たちが ”ある” と実感できる物質に変化したものなのかも知れない。”時間”と”空間”も含めて。

こんなことを空想していると、楽しくて、どんどんといろんな妄想をしてしまいます。

例えば、その波動の状態では、ありとあらゆる可能性の”状態”も内包している。
”可能性”というのは、”思い”とか”願い”という言葉に置き換えてもいい。
それが”パラレルワールド”と言われている世界なんじゃないだろうか?
”思い”とか”願い”が生まれたら、その数だけ波動の状態でパラレルワールドが生まれる。
いろんな可能性の”状態”が混ざりあったりしながら、”今”に同時にたくさんの波動的現実の世界として存在している。

それを観測者が観測した瞬間に、何かの状態に決まって、3次元に”ある”状態になって、僕らはその世界を経験しているんじゃないかと。

じゃあ、その観測者はいったい誰?

それこそが、”本当の自分”とか、”ハイヤーセルフ”と呼ばれている、高次な次元の自分なんじゃないだろうか?

”本当の自分”は、波動の存在なので、波動として存在する全ての”可能性の状態”を観測することができる。
その様々な”可能性の状態”の中で、今、僕たちが自分だと思っている3次元の自分の波動と同調する波動的現実を一瞬一瞬観測し、パラパラ漫画のように一瞬一瞬、3次元的現実化してるんじゃないだろうか?

そんなふうに考えると、波動的な世界の方が本当の、そして自由で広〜い世界で、僕らが現実だと思っている世界は、確かに僕らの”思い”が現実となったものなんだけど、様々な存在する”可能性の状態”の中で、極々一部、勝手に自分が思い込んだ”自分”という枠の中の世界なのかな?なんて思います。

行列を作っている蟻を見たら、随分遠回りしているなあ。こう行けばいいのに…
なんて思うのと同じように、高次の存在の自分から見たら、
「ああ、こんな楽しくて望んだ世界があるのに、なんでそっち選ぶかなあ。」
なんて思っているのかも知れませんね。

僕らはそんな閉じ込められた小さな世界を、あたかも全てだと思い込まされた中で生きている存在なのかも知れません。

 

これがしたい!
こうなりたい!
これが欲しい!
ここへ行きたい!

そんな夢や願望が生まれた瞬間に、波動の世界ではすでにその世界が存在していて、それを自分が体験している世界があるなんて思うと、楽しくなってきます。
そしてそっちを選びたい!
なんて思います。

 

ただ…
これはあくまで僕の仮説なので…

やっぱり仮説は実験で確かめたくなりますよね?
僕は実験大好き!
そこで実験してみたんです!(笑)

この実験は本当に面白くて、凄かったんですよ!
随分長くなってしまったので、この話は次回のお楽しみ!

 

ちょっと話を戻しますね。

2000年前にお釈迦様が世界の成り立ちの真実を指し示した世界に、100年前、ようやく科学者(僕たち人類)がたどり着いた。
そして、お釈迦様が人々の苦しみからの解脱の道を説いたその領域の知識で、科学者たちは原子爆弾という武器を作ったのだから、皮肉でもあり、愚かでもあり、また不謹慎ですが、人間の面白さでもある。

きっと波動の世界には、量子の世界の知識を活用して、人類がものすごく平和に、友愛に満ちて幸せに暮らしをしている世界と、原子力の放射能に汚染されて、わずかな土地を奪い合って、さらなる殺し合いをしている世界、この両方の世界が存在しているのかも知れない。

そのどちらを選ぶかを、今僕たちは問われているような気がする。