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それは小さな小さな成功体験の証
工房の東裏小学校の校庭は、年に二回、初夏と晩夏に地元の方々が集まって、草刈りをしてくれます。
とても自分たちではできないので、ありがたいです。
先日、草刈りが終わった後の校庭を歩いていたら、ボロボロになった野球のボールを見つけました。ずっと草の下に隠れていたんですね。懐かしくて、思わず手に取りました。

「こんなんだったのになぁ。いつの間にあんな風にたくましくなったんだろう?」
今、姉弟で力を合わせて『風鈴ちりり』を経営している息子は、小学校の頃、野球をやっていました。
息子は超未熟児で生まれたので、小学校の頃は、どう見ても2学年くらい小さな身体で、野球もそれほど上手くいない。人数の多いチームなら、補欠なんでしょうけど、9人ギリギリというチームなので、そんな息子もレギュラーでサードを守っていました。
本音は来て欲しくないと思っていたのでしょうね。
「サード来い!」という掛け声も小さめで、監督に「声が小さい!」と怒鳴られていたものです。
それでも野球は大好きで、やめたいと言い出したことは一度もなく、練習も一度も休んだことがないんじゃないのかな?
少しでも自信を持ってプレーして欲しくて、毎朝この校庭で、息子と2人、朝練をしました。
何十個ものボールをカゴに入れて、僕が投げて息子が打つ。
当たり前ですが、守備をしてくれる人はいないわけで、一球一球打ったボールを取りに行くのは面倒なので、大体の場所を覚えておいて、カゴの中のボールが無くなったら、手分けして探して、ボールを集めるっという感じで練習をしていました。
何十個ものボールの行方を全部覚えていられるわけもなく、しかも10〜20センチも伸びた草の影に隠れてしまうので、見つけられないボールもある。
今日見つけたボールは、その時見つけられなかったボールなんだと思います。
息子はちりりの仕事の後、スタバにバイトに行っています。
こんなに繁盛してるんだから、金銭的にはアルバイトをする必要は全くないわけで、理由を聞くと、
「ちりりを店舗展開していきたいと思ってて、スタバのシステムを、中に入って色々と学びたいから」っと。
あのカピバラみたいにのんびり、おっとりしていた子が、いつの間にこんな風になったんだろうっと、僕が一番驚いています。
今日見つけたボールは、今のちりりの店舗の窓の近くにありました。
(ちりりの店舗は、旅する木の工房である、旧東裏小学校の一つの教室で営業している)
そもそも僕のコントロールが悪くて、ストライク入らないし、たまに入るストライクを、息子は空振りすることの方が多いので、ほとんどのボールはバックネットの方に転がっていく。
このボールがレフト方向の結構深いところ、今のちりりの店舗のすぐ前にあったということはきっと、まぐれの大当たりだったんだろう。
その当時(7年前)に書いたブログ『サード来い!』を読み返したところ、こんな一文がありました。
『いつか、野球でなくても、息子がやりたいことの中で、成功体験を重ねていって、”ここ”って場面で力を発揮してくれたらな。と思います』
このボールは、僕と息子の朝練の中の、息子が打った数少ない、成功体験の証なのかもしれない。
息子は今、18歳。事情があって、僕は息子が多感な中学校時代、ほとんど教育はしていません。なので、こんな風にたくましく育ててくれた別れた妻には感謝しています。
娘のそよりは幼いことから演劇をやっていて、中学生の頃から、舞台女優になりたいという夢を追って役者をやっていました。
そんな娘の演じている舞台を見ていると、学生の頃、脚本家になりたいという夢を持って新聞社のコンペに作品を投稿していた僕の心に火がつき、娘の16歳の誕生日に、一つの作品を書いてプレゼントしました。
娘がいろんな人に呼びかけて、少しずつ人を集め、『旅木演劇工房』という劇団を作って稽古をやり始め、2年後に初めてその作品の公演をしました。

(前列中央にいるのが娘のそより、その左にいるのが息子の紬です。2016年)
それからコロナ前までに4作品を書いて、娘の劇団で公演をしました。
中学、高校生という、父親離れをする時期に、一緒に演劇という生物の作品を作り上げるという経験ができたことは、本当に嬉しいことで、今でも僕の財産になっています。
稽古途中でコロナ禍に突入してしまい公演できず、YouTubeで公開している作品があるので、よかったらご覧ください。演劇としては珍しく、一言のセリフもなく、ダンスで表現しているの”葦船の女神”が娘です。
『葦船』
その後、コロナで演劇ができなくなり、また、演劇で生活をしていくのは難しく、結婚を期に、娘は演劇から離れました。
僕としては、いつかまた、娘が演劇に復帰して、一緒に作品を作れたらなぁっと思っています。
いつまでも子供だと思っていた2人が、いつの間にか成長し、僕が好きで、子供たちが小さい頃から年末は一緒にお餅つきをしていたことが影響したのか、突然、「パパ、工房でお餅やさんをやりたい」っと言い出した時は、やっぱり嬉しかったですね。
こんな田舎でお餅やさんをやったって、あまり人来ないんじゃないかな?その時は、旅する木のお客さんに声をかけて、お餅も食べて帰ってもらおう。なんて思っていたのですが、いざ蓋を開けてみたら、大繁盛で、ちりりのお客さんがついでに旅する木の家具を見てくれて、オープンしたばかりの木の器のショップ『ナヌークのおくりもの』で、お皿を買って帰ってくれる。っというのは、嬉しい誤算ですね。
子供たちが幼い頃、その痛みとか、悲しみを変わってあげたいっと思ったものです。でも、我が子と言えど、親は、子供の心を同じ大きさで感じることはできない。
そんなもどかしさを感じていたのが、ついこの間のようなのに、そんな僕をさっさと置いてきぼりにして、前へ進んでいく子供たちに、今は必死について行こうとしている自分に、もどかしさを感じたりして(笑)。
でも、このもどかしさは、どこか幸せにつながっている。
たまたま見つけた、小さな小さな成功体験の野球のボール。
商売をしていたら、良い時もあれば、予期せぬ出来事も起こるもの。
何かにつまづいて、先が見えなくなって、ぼんやりと校庭を歩いている時にふと、このボールを見つけたら、もしかしたら僕の言葉よりもずっと力強く、息子を励ましてくれるのかも知れない。
このボールはここにあることに意味があるんだろう。
何年ぶりに見つけてもらえて、喜んでいるのかも知れないボールに、「君にはまだ大きな役割があるんだよ。ごめんね」と声をかけて、元あった場所に置いた。

今年の北海道は秋がなく、夏から一気に初冬になったかのような寒い日々の中、今日は珍しく穏やかな優しい風が、東裏小学校校庭を包んでいる。
PS
息子には怒られるかも知れませんが、このブログを書いている途中、昔の紬ってどんなだっけ?っと、20年書いている昔のブログを見返したところ、こんなブログを見つけました。
先生に「オシッコ」すらも言えない子だったのになぁ。
そのブログです。
よかったらこちらもお読みください。





