僕の腰痛は織田信長のせい? | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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僕の腰痛は織田信長のせい?

実は…

バレンタインで1個もチョコをもらえない…(涙)。。

って、そんなことはどうでもいいんです!別に!!(笑)

実は…、

年末に腰の調子が悪くなり、そのうち良くなるだろうっと、
そのままだましだまし生活していたのですが、ちょっと前からひどく悪化して…、
寝ても立っても歩いても、
ヒーヒー言ってます。
これには思い当たる節があり…。

織田信長です。

腰痛と、織田信長、なんの関係あるの?!
と思いますよね。

ちょっとその前に…。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康

同じ時代を生きた、全く性格の異なる、偉大なる3人の武将の特徴を言い表した俳句は、
きっと誰もが知っていますよね。

“鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす”:信長
“鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす”:秀吉
“鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす”:家康

どの人も、自分はこの3タイプのどれかに近い性格だな。なんて思うものだと思います。
自分がどのタイプか、または、どのタイプが好みか、などの判断は別として、
男性は信長の生き様、性格に多少なりとも魅かれるところがあるのではないかな?
なんて思います。

とくだん、織田信長が好き!というわけでもなく、憧れているわけでもなく、
むしろ、織田信長が上司だったら最悪!なんて思っている節がある僕ですが、
歴史ドラマなどで語られる、善悪、常識非常識関係なく、堂々と自分の意思を貫く
信長の生き様には、魅かれるところがあります。

子供の頃から親が時代劇ものが好きで、僕も一緒に見ていたんですけど。
主役か、主役じゃないかに関わらず、戦国時代の時代劇、映画、ドラマでは
“本能寺の変”は欠かせない場面ですよね。

どの武将もなし得なかった全国統一を目前に、信長の力が絶頂期だったその日、
本能寺は異様な気配に包まれます。
明智光秀率いる1万3千の兵が本能寺を囲い、一気に攻め入る。
京都近隣に敵などいるはずがないので、信長はすぐに、誰かの謀反だと悟り、
欄丸に尋ねる。

信長 「如何なる者の企てぞ?」
欄丸 「明智の軍勢と見受けます」
信長 「是非に及ばず!」

この“是非に及ばず ”の解釈がいろいろあって、面白いんですね。
一般的な意味としては、“諦めた”という意味なので、明智光秀の頭の良さ、
用意周到さを知っている信長は、“もう無理だ。逃げることは出来ない。”
という意味だとされるのですが、
もう一方で、“是非”は“良し悪しの判断”や“道理にかなうことかなわないこと”
という意味があることから、“是非に及ばず ”は、
“それが本当かどうかなどどうでもいい。今すぐ戦うぞ!”
という意味だという説もあります。
僕は後者だと思います。
いずれにしても、「是非に及ばず」が信長が交わした最後の言葉となります。

いつになったら信長と腰痛が結びつくのか!って?
すみません。
そういえば腰痛の話しでした。
歴史が好きなので、こういう話しはついつい夢中になって…。
腰の痛みも忘れてました…(笑)。

もうちょっとお付き合い下さい。

明智軍との壮絶な戦いの中で、負傷した信長は、ここで本当にこれ以上は無理だと悟り、
持っていた槍を捨て、奥の部屋に入ります。
信長が自害する最後の時に、能を舞います。味わいのある低音で信長が詠います。

「に~ん~げ~ん~ご~じゅう~ね~ん~」
「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」

歴史が一夜にして変るこの場面、そして織田信長は、いつも良い役者が魂を込めて
演じるわけで、この能を舞うシーンは、子供心ながら、心打たれるわけです。
自分が死ぬ、その時に、能を舞う!!!
この世に男子として生を受けた以上、このような死に方をしたい!というように、
えらく衝撃というのか、感銘というのか、何か心に来るものがあるわけです。

実は昨年の11月末日に、僕は50歳になりました。

僕の中で50歳というと、このシーンと唄の言葉がイコールで繋がってしまうのです。
世間では平均年齢が80何歳だの、寿命100年時代を迎えただの騒いでいますが、
僕には「人間50年…」というのが、なんか脳裏に焼き付いているというんですかね?

実際に本能寺の変は織田信長が49歳の時の出来事で、なんか、50歳というと、
「ああ、織田信長を越えてしまったか。ここまで生きてしまったか。」
という気がしてしまうんですね。

そんなことで、50を迎える心の準備がなかなかできずに、
“随分年を取ってしまった”という気持ちが先だって、それに引き寄せられるように、
腰痛が僕の体をのみ込んだんじゃないか?
なんて思ってしまうわけです。

って、腰痛までに随分遠回りしましたね~(笑)。
すみません…。
しかもあくまで推測だし。

しかし…!

このブログを書き始めて、ちょっとネットで調べたのですが…。

信長が詠った「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり」
の本当の意味は、
“人間の人生は50年”ということではなく、
(人間界の50年というのは、天界の1日だということで)天神の時間と比べれば、
人の世の50年なんて、一睡の夢程度でしかない。

という意味なんですって!!!

え~!ほんと?
じゃあ、子供の頃からず~っと、間違った認識だったじゃん!その間違ったままを信じて、
50になるのを恐れてて、そんな気持ちで50を迎えたら腰痛になっちゃって~。
え~?その意味、ほんとにほんと?

須田 「是非に及ばず!」(そんなことはどうでもいい。とっとと腰痛を直せ!)

も~、信長の最後の「是非に及ばず」に比べて、言葉と人間のスケールが小さ過ぎる!