神様が仕掛ける、”時のトリック” | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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神様が仕掛ける、”時のトリック”

神様が仕掛ける、”時のトリック”は本当、すごいなあ。と思います。
そしてそれは、人生に希望を与えてくれる。

サッカー、ワールドカップ、盛り上がってますね。
『ドーハの悲劇』を知っている僕らの世代には、日本サッカーにこんな日が来るなんて、ちょっと信じられません。
そして、『ドーハの悲劇』を知っている僕の世代は、考えさせられるものがあるんですね。

 

『ドーハの悲劇』
あの時の日本中の落胆たるや、なかったですもんね。
当時、大学でサッカー部だった僕も、心も体も崩れ落ちたのを思い出します。

マスコミでも”『ドーハの悲劇』が『ドーハの歓喜』へ”などと騒がれていますので、皆さんもその経緯はご存知かと思います。

ちょっとだけ説明しますと、
1991年にJリーグが発足し、日本サッカーは空前の盛り上がりだったんですね。
そして誰もが日本のW杯出場を夢見ていました。

1994年のW杯アメリカ大会出場をかけてのアジア予選。
ワールドカップ出場経験のない日本が、ようやく、悲願のワールドカップ出場の切符を目の前に手繰り寄せたんです。
最終戦、勝てば、W杯出場が決まるイラク戦。
2-1でリードしたまま、後半45分が過ぎます。。
誰もが歓喜の瞬間を待ち望む残り数秒というところで、イラクがコーナーキックを得ます。
これをしのげは試合終了。
日本中の祈りを嘲笑うかのように、ショートコーナーからイラクの選手が頭で合わせたボールが描く放物線は、無情にも日本ゴールに吸い込まれました。

手のひらに乗っていたW杯の切符は、スルリと飛んでいってしまったんですね。
試合終了5秒前の出来事。

日本ゴールに吸い込まれるボールを眺めているしかできなかった。と語るのは、森保監督。
そう、まさにこのピッチに立っていたのは、現役時代の森保選手だったんですね。

あれから28年後、同じカタールで、ドーハで、W杯という大舞台で、ドイツ、スペインという世界屈指の強豪を逆転という形で破って、グループトップで決勝に行くのですから。
さらに、その指揮官を務めるのが、ドーハの悲劇の真ん中にいた選手なのですから。

神様の仕掛ける”時のトリック”を感じずにはいられません。

 

神様の仕掛ける”時のトリック”で思い出すのは。
スポーツで言うと、
リレハンメルの冬季オリンピック。スキージャンプ団体。
2位のドイツに55 点もの大差で勝っていた日本。
最後のジャンパーは日本の絶対的エースの原田。
105メートル飛べば金メダルという、原田にとっては、ごくごく普通に飛べば、余裕の距離。
観客も、テレビで見ている日本中の誰もが金メダルを確信して、観客は若干お祭りモードの中、飛び出した原田。
まさかの失速。97.5メートルという大失敗ジャンプで銀メダルに終わったんですね。

それから4年後の長野オリンピック。
悪天候もあって、原田の一本めはなんと70m台という失速ジャンプで日本は4位。
僕も含め多くの日本人が「またかぁ。」と、リメハンメルの二の舞を思い浮かべます。

あまりに悪天候のため、2本目を行わず、1本目で終わらせようかという判断になりかけます。
そうしたら日本は4位でメダルすら逃す状態。
ここで競技を続けられるか続けられないかの判断をするためのテストジャンパー達が踏ん張ります。
長野で行われたので、テストジャンパー達はもちろん、日本人。
「テストジャンパー25人全員が無事に飛べること」が競技続行の条件。

原田たち日本選手をもう一度飛ばせるために、大雪でほとんど視界が無い中で、テストジャンパー達は飛び続けます。
このテストジャンパーの中には、リレハンメルで原田と共に団体で飛び、長野では代表に選ばれなかった西方がいました。

心の葛藤、嫉妬にも近い感情を持ったまま、テストジャンプに望もうとしている西方に、原田が声をかけます。
「アンダーシャツを貸してくれ。」

”お前と一緒に飛びたいんだ”
という原田の思いを感じ取った西方は、テストジャンパー最後の25人目として、K点超えの大ジャンプを見せ、競技続行が決まります。

そうして2本目のジャンプが再開され、あの、原田の大ジャンプ、日本の大逆転の金メダルが決まるのです。

 

こんなに大きな話ではないけれど、僕の人生にも、”時のトリック”な出来事がありまして。

学生の頃、僕は脚本家になりたかったんですね。
大学を辞めて、倉本聰氏の主宰する富良野塾に入ろうと思っていたのですが、一歩踏み出す勇気がなくて、国立大学だとか、上場一部企業への就職だとか、そういうものと天秤にかけ、諦めてしまったんです。

それから20年ほど経ちました。
どういう風の吹き回しか、娘は人前で演じるのが好きで、中学の頃から舞台女優になりたくて、劇団に入って、演劇活動をし始めます。

そんな娘の演じている姿を見ていたら、すっかり忘れていた脚本家になりたかったという昔の夢が、ふつふつと湧き上がってきて、なんだか書きたくなってきて…
16歳だったかな?娘の誕生日にプレゼントした作品が、『丘の上の桜の木に』。

すると娘が劇団(『旅木演劇工房』)を立ち上げて、SNSなどを使って演者を募集して、素人だけど情熱のある若者が集まってきて、1年後、初公演をしたんですね。
嬉しくて、公演後、生まれて初めて嬉し泣きをしました(恥)。。
それから4作品ほど書いて、年2,3回のペースで公演をしていました。

その中の一つ『葦船』は、YouTubeでアップしているので、よかったらご覧ください。

 

とっくの昔に諦めた脚本家の夢が、20数年経って、叶ったんですね。

 

量子物理学の世界では、過去も未来も存在せず、全てが今この瞬間にエネルギー(波動)として存在しているらしいのです。

全てがエネルギーだとしたら、もしかしたら、僕たちが不幸だと思える出来事(エネルギー)が発生した時、それとバランスを取るように、反対のエネルギーの出来事が、同時に存在するのではないかと思うのです。

3次元の世界で生きている僕ら人間は、時間という一方向の流れの中でしかそのエネルギーを感じたり、体験することができないので、4年だったり、時に28年という時間を経て、感じたりしているのだけれど、それは確かに存在しているのかも知れない。

この”時間(時のトリック)”は神のみぞ知る、神様の気まぐれや、はたまた遊びなのかな?なんて思います。

でも、今、夢が叶わなかったり、不幸だな。なんて感じている出来事に遭遇しているとしたら、今この瞬間、夢が叶っている世界や、幸せを感じている世界が存在していて、どこかの、何かのタイミングで、現象として現れてくれると思うと、ちょっと安心しませんか?希望を持てませんか?

”ドーハの悲劇”が”ドーハの歓喜”に変わったように。