秋は哀しいわけじゃない! | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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秋は哀しいわけじゃない!

北海道は一気に寒くなってきました。
今朝の犬たちの散歩は、落ち葉を踏みつけて歩く、サクッサクッという秋の音の中で。

神社のイチョウも、工房の敷地内の白樺も、前の家のもみじも、昨日と今朝とでは、色合いが違う。刻一刻とイチョウと白樺は黄色味が、もみじは赤味が増していく。
その光景を美しいと心を奪われるのは、そこに儚さが含まれているからでしょうね。

晩秋は寂しさと一緒にやってきます。
これは百人一首の時代からの決まり事のよう。

中学時代、百人一首の丸暗記なんて、なんの意味があるもんか!
と嫌々覚えていたものですが…
なんだか年齢を重ねると
「この美しい秋の風景を、1000年前の歌人たちはどんな風に言葉にしていたんだろう?」
なんて思って、
”百人一首”、”秋” なんて検索してしまう。

昔暗記した句の意味を知って、
「あ〜、なんかいい〜。」
なんてあれから30年以上経って、やっと心にしみ込んだりして(笑)。

”奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき”
<訳>
奥山で、散った紅葉の葉を踏み分けながら鳴いている鹿の声を聞くときこそ、秋はもの悲しいと感じる

”ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 唐紅(からくれなゐ)に 水くくるとは”
<訳>
神代の時代にさえこんなことは聞いたことがありません。竜田川一面に紅葉が散って、流れる水を鮮やかな紅の色に染めあげるなどということは。

これは有名な句ですよね。映画の題名にもなりました。
中学時代、枕詞、倒置法、修辞法などの例として、覚えさせられたこの句。
実は密かに別のこんな意味が込められていたんですよ。好きな人に書くラブレターは、こんな風に手の込んだ言葉や技法で思いを伝えるといいよ。
なんて教えてもらっていたなら、僕は喜んでその世界に浸っていたと思う。

〈私の燃える想いが、竜田川の流れを真っ赤に染め上げてしまうほど、今でもあなたを愛しています〉

ん〜。ジャッキー・チェンにどハマりして、休み時間はカンフーごっこをしていた中学生の僕には、やっぱりこの世界は解らなかったな…(笑)。。

 

木々たちの最後の着飾りや、風に吹かれて散っていく落葉(らくよう)を、人間の僕らが見ると、寂しいような気持ちになるけれど、はたして木はどんな風に思ってるんだろう?

全く別の”秋”が見えてくるんです。

木はどうして紅葉すると思いますか?
そしてどうして落葉すると思いますか?

元々イチョウの葉っぱは黄色なんです。
もみじの葉っぱは赤色なんです。

ところが、葉っぱの役割は、光合成ですよね。光合成をするのに必要な葉緑体が緑色なんです。
だから葉っぱは緑色に見えるんだけど、秋になって木々は冬支度を始めます。
木々の冬支度とは、冬眠の準備。
光合成をやめた葉っぱは、葉緑体がなくなり、本来の色が現れるんです。
これが紅葉なんですね。

ちょっと人間に似てる。
生きてくために精一杯家族のために仕事してきたけど、定年退職して、やっと本当に自分がやりたいことをやる。
みたいな。

じゃあ、どうして落葉するのか?

寒さに当たる面積をできるだけ小さくしようとしてるんですね。
環境の厳しい極寒地帯や、豪雪地帯では、それは命に関わるんです。

マイナス20°を下回る様な北海道の森では、突然バーンと鉄砲のような大きな音がすることがあります。
凍裂の音。
木に含まれた水分が凍って、木の幹が裂けるんですね。
さらに、しなやかさを持ち合わせていない固い広葉樹は、枝に積もった雪の重さで折れてしまう。
だから冬眠するのに最小限の水分以外、早く水分を抜くこと、そして枝に雪が積もらないようにすること。
これらのために、晩秋の木々は、必死に葉っぱを落としているんです。
肌寒い秋風に吹かれて、葉が落ちてしまうんじゃなくて、木は自ら葉を落としているんです。

太古からあまたの人間が、寂しく、もの哀しげに歌ってきた風景も、もしかしたら木々たちは、
「よかった〜。今年も間に合った〜♪」
「やっベー、俺も早く落とさなきゃ〜!」
なんて喜んだり、焦ったりしてたりして。

そんな風に考えると、秋のつむじ風にくるくると舞っている落ち葉たちも、冬支度の済んだ木々を祝福している風にも見えてくるから可笑しい。
そして、カサカサという音も、
♪よカッサ、よカッサ(よかった、よかった)♫
なんて声に聞こえてくる。

僕に歌心があって、1000年前にそんな木々の喜ぶ秋の句を書いたとしたら…
100選には選ばれなかったか(笑)。

 

やっぱり秋は人恋しい季節。
そして、哀しげな月は、澄んだ秋の夜空によく似合う。
百人一首で秋を謳ったものの中には、そんな句が多い。

”今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな”

<訳>
「今から逢いに行くから」の嬉しい言葉に、秋の月を眺めながらお待ちしていたのに、夜明けの月が空に昇ってもお出でにならないとは。

”月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど”

<訳>
月を眺めていると、さまざまな想いに物哀しくなるのはなぜでしょう。秋は私ひとりに切なさを運ぶわけではないでしょうに。

今夜はちょうど半月。
明後日くらいが三日月。

秋の夜長に空を見上げて、誰かを想いながら、どっぷりと秋に浸るのも趣があっていいかも知れませんね。
まあ、そんな誰かがいない人は、
”百人一首”、”秋”と検索して、1000年前の歌人たちの身心に触れるとしますか。
僕は完全、こっちですね。

 

 

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