「これでいいのだ」が連れて行ってくれる場所 | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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「これでいいのだ」が連れて行ってくれる場所

「これでいいのだ!」
最近、『天才バカボン』にハマってまして…(笑)

工房の玄関とトイレの掃除が、僕の毎日の一番最初の仕事。

玄関掃除のほうきは、そう、レレレのおじさんと同じ、柄の長いやつ。
ちょっと前までは、普通の柄の短いものを使っていたのですが、レレレのおじさんと同じやつを使いたくて、わざわざ変えました(笑)。

そして、玄関掃除の時にかけている曲は?

もちろん、天才バカボンの主題歌。
そう、あれですよ、あれ。

♪これでいいのだ〜 これでいいのだ〜
ボンボンバカボン バカボンボン♪

これを大きな音でかけながら、歌いながら、掃除をしているので、近所の人には、「旅する木さん、どうしちゃったんだろう?」って思われてるかも(笑)。

 

昔、なんかの面接の時、
「尊敬する人は誰ですか?」
と聞かれた時、答えられなかったんですよね。

でも、今は即答ですね。
「レレレのおじさん!」

知ってますか?
レレレのおじさんのモデルになった人。

なんでも、お釈迦様の弟子のチューラパンタカって人なんですって。

チューラパンタカはとても頭が悪く、すぐに忘れてしまう。なんと、自分の名前すらも忘れてしまうほど。こんな愚か者の自分は、これからどう生きていってよいのかと途方に暮れていると、お釈迦様が言います。
「自分の愚かさに気が付いている人は智慧のある人です。自分が賢いと思っている人こそ、本当は愚か者なのですよ」と。

そしてチューラパンタカに一本のほうきを手渡すと、
「塵(ちり)を払わん、垢(あか)を除かん」と唱えながら、掃除をするようにと教えます。

物覚えの悪いチューラパンタカですが、お釈迦様の言われた言葉をちゃんと唱えながら、来る日も来る日も掃除をしました。
1年、2年…10年。

するといつしかチューラパンタカの心の中で、ある思いが芽生えます。
「真に払い除くべきものは、自分の心の中の塵であり垢なのだ。それは私の心の執着心ではないか。」

そうして誰よりも愚かだったチューラパンタカは、とうとう悟りを得たんだそうです。

 

人の心の不平、不満、不安、迷い、苦痛、嫉妬、憎悪、葛藤…
僕らが抱く負の感情のほとんどは、人に、物に、お金に、夢に、自分に、所有しているものに、手に入れたいものに…
それらに執着があるからなんだろうと、僕の師匠が教えてくれました。
師匠って誰だ?って話ですが…(笑)。。

それから僕は出来る限り執着をなくしていきたいと思っていて、そのタイミングで、たまたまレレレのおじさんのことを知り、一瞬で、レレレのおじさんに魅かれてしまいました。

それで、先ずは形からでも!っと、同じほうきにして、毎朝、天才バカボンの主題歌を聞きながら、「塵を払わん、垢を除かん。」と言いながら、玄関掃除、トイレ掃除をしているんですね〜(笑)。

”悟り”といえば…。

毎朝、5時半くらいにノンノ(北海道犬)とまる(黒柴)の散歩に行きます。

こんな美しい朝日の中を、可愛い犬と散歩できるのは、幸せだな。なんて感じながら。


俊敏に自転車に乗っている僕を引っ張って走るまる。3歳♂ カッコイイ〜(笑)。


のっそのっそと僕に引っ張られながら歩くノンノ。13歳♀ 可愛い〜♪

最近、めっきり朝、寒くなってきて、起きるのがちょっと億劫になってきたのですが、カーテン越しにオレンジの朝日が差し込むのを見ると、この美しい風景を見たくて、すぐに着替えて散歩に出かけます。

すぐに朝日を見たい気持ちをグッと抑えて、最高の景色のところで見ようと、そこまでは見ないようにしています。
そして一直線の道路の、家が見えなくなったところで顔を上げます。
すると、

こんな風景が広がっているものですから、毎朝感動して、誰もいないことを確認して、朝日に向かって、
「ありがとう〜!」と叫んでしまう。

黄金色の光を浴びて、朝の冷え込みから解放された稲穂たちは、その垂らした穂に露をためる。その露たちが朝日を反射させて、田んぼが一面、キラキラと輝いている。
空も大地も黄金色に輝いていて、本当に美しい。
ああ、世界はなんて美しいんだろう。なんて思いながら道路に目をやると…
残念なことに、毎日ゴミが捨てられている。

でも、こんな美しい朝は気分がいいので、ゴミを美しく撮ってあげよう。
なんて思って、朝日をバックにできるだけ美しく落ちてるゴミを撮ったのですが…、。
まあ、やっぱりゴミはゴミですね(笑)。。

今までは、「ラッキー!今日も徳が積める!」
なんて思って、ゴミを拾ってきたのですが、レレレのおじさんと出逢ってしまった僕は、一味も二味も違う。

「拾っても毎日大小なんらかのゴミが僕の前にあるということは、これは僕の心の中に、毎日執着が生まれているからなんじゃないだろうか?
このゴミを拾うごとに、僕の中の執着心が、一つ一つ消えていくんだろう。そうして、僕の心の中に、人や、物や、お金や、夢や、自分や、所有しているものや、手に入れたいものへの執着がなくなった時、きっと僕の前からゴミが消えて、僕の本来のあるべき姿に、いるべき場所に、望むべき世界に導かれるんだろう。」
なんて思ったのです。

ということは?

ここにゴミが落ちていて、完璧じゃないか。
ゴミが落ちているから、僕は自分の執着心に気づける。

空と大地の黄金色に輝ける美しい風景の中心にいることも完璧じゃないか。
僕の心の中に、こんなにも美しい風景があって、いつでもこの美しい風景の中を、好きなペットや人と散歩をしている姿を思い浮かべることができる。

やっぱりこの世界は完璧だ!
今置かれている状況、起こる出来事、全てが完全に心の投影で、それは喜びと幸せに満ちた、本来の自分になるための、完璧な仕組みなんじゃないか。っと。

そして、このことに気づいた僕は、
「もしかして俺、悟ったんじゃね?」
なんて一瞬頭をよぎるのですが、
「悟ったんじゃね?って思う時点で、悟ってないから!」
なんて自分で自分にツッコミを入れて笑ってしまう。
そしてすかさず、「これでいいのだ!」なんてフォローも忘れない(笑)。。

 

天才バカボンのことをもっと知りたくなって、ネットで調べていると、面白い記事を見つけました。

タモリさんは、赤塚不二夫さんの家に居候して、芸能界にデビューしたんですって。
え?有名な話ですか?
知らなかったです。

そんな縁もあって、赤塚さんの葬儀の弔辞をタモリさんが読んだそうです。
その際に「これでいいのだ」に表される境地について話しています。

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち、「これでいいのだ」と。

「これでいいのだ」を考えた赤塚不二夫さんも凄いけれど、タモリさんの解釈と表現する言葉も、実に見事ですね。
すべての人、もの、出来事があるがままに受け入れられた時、「過去」や「未来」から解き放たれ、「現在」に意識がフォーカスされる。それによって、今、この瞬間が輝きを帯び、変えられない過去や、まだ起きてもいない未来に起因する無駄な悩みがなくなって、目の前にある幸せを感じられるようになる。

 

”悟り”とは、遥か遠い、深淵なところにあって、限られたごく一部の達人がたどり着ける特別な場所でなない。
全てのものをそのまま肯定し、受け入れた時、それは目の前にある。

愛してる