世界一美味しい甘酒の作り方 | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

PAGE TOP

BLOGブログ

世界一美味しい甘酒の作り方

 

僕の自宅は元保育園。
40年前に建てられたボロボロの閉校になった保育園をフルリノベーションしたんですね。
なので、とっても広いんです。広いのはいいんだけど…。。

この時期、北海道は屋根の雪下ろしをしなきゃいけない。
これが辛い。
特に今年、北海道は雪が多くて…。

僕はいろんなことにおいて、ついつい没頭してしまう質でして。
休憩もせず、ぶっ通しで5時間、せっせと屋根の雪下ろしをしてました。
そんな僕の気持ちを支えていたものは?

そう、実家の長野の父が作って、毎冬送ってくれる甘酒。米麹の。これが終わったら、甘酒であったまるぞ〜!って。

今までもブログ『それはふるさとの味だった』でたまに触れたましたが、僕が子供の頃から、毎冬、父が麹から甘酒を作ってました。
精密機械の町工場を営んでいた父は、自宅の隣の工場から戻っては、アンカのコタツに入った甘酒をかき混ぜて、また工場に戻っていく。
僕も楽しみで、かき混ぜる口実で、コタツから取り出しては、薬指ですくって、ペロン。
その優しい甘さに、ポワ〜っと幸せを感じていました。

その後、大人になって、神社の出店の甘酒を飲んでも、成田山の坂道にあるお店の甘酒を飲んでも、浅草の糀屋さんの甘酒を飲んでも、父の甘酒に勝ることはありません。
今でも毎冬、実家から届く父の甘酒は、僕の身体と心を温めてくれるんです。

ところが、よりによって冷凍していると思っていた、その甘酒がない…。。
そういえばこの前、最後の一袋を解凍して、飲んじゃったんだ!
あ〜、芯から冷えて、疲れ切った体に流し込む甘酒は最高なのに〜(涙)。

どうしても甘酒が飲みたくなって、でも、父に作ってもらって、送ってもらったのでは、届くのに一週間くらいかかってしまうので、
「よし!自分で作ってみよう!」
と思い立ち、
「どうせ作るなら、絶対に父の甘酒と同じか、それ以上のものを作ってやる!」っと。
「そのためには良質な麹じゃなきゃ!」
なんて思って、車で4,50分かかる麹専門店にわざわざ買いに行って来ました。

ネットで調べて、全く同じように作ったのですが…。
全然違う。
ネットで紹介しているものとは同じものが作れているのですが、父の作るものとは、父の味とは全然違う。

また麹屋さんに行って、いろいろ質問して、最高の生麹を買って再挑戦したのですが、やっぱり全然違う。
改めて父の作る甘酒の凄さを痛感したのです。

別に父に作り方を聞くのが嫌とかで聞かなかったわけじゃなく、僕の知る父は、結構適当にやっちゃう人なので、どうせ聞いても、分量とか適当にやってるんだろうな。って思ったので。
でも、こうなったら聞くしかない。何か秘密兵器があるのでは?と思って、実家に電話すると、滅多にすることなどない息子からの電話に大喜びの母は、コロナはどうの、寒さはどうか?雪は多いか?雪道の車の運転は大丈夫か?仕事はどうだ?の質問攻め。
たま〜にの電話で喜んでいる母に、すぐに「お父さんに変わって。」っていうのもねえ。
急ぐ気持ちを抑えて話を聞き、そして父に変わってもらいました。

僕 「甘酒の作り方、教えて?」
父 「そしたら作って送ってやるわ。」
僕 「うん。でも俺も甘酒作りたくなったから、どうやって作るか、教えて。」

すると、父から思いがけない言葉が返って来ました。

父 「俺に出来ることは甘酒送るくらいしかないから、どう、作って送ってやるわ。待ってろ。」

 

そういう土地柄なのか、父が特別だったのか、僕はもの心ついた頃から「長男は先祖の墓を守っていくのが役割だ。後を継いで、家を守っていけ。」と言われ続けてました。
これが嫌で嫌で。
早く家を出たくて、地方の大学を選び、家を出ました。
大学4年間で実家に帰ったのは、2,3度。社会人になってもあまり帰らず、海を渡れば諦めるだろう!なんて半分冗談、半分本気で思って、北海道に来たものです。

なので、僕の知る父は(母も)、高校生までの父。
自営の精密工場で毎日遅くまで仕事していて、夕飯の支度ができて、父を呼びにいくのが僕の役目で、工場に呼びに行くと、いつも手も顔も真っ黒になっていて、作業着からは油の匂いがして、「今行く。」と行っても、ちっとも来ない。
僕が知っているのはそんな父の姿。

 

一瞬言葉に詰まってしまって、
僕 「わかった。じゃあ待ってるわ。」

 

それからちょうど一週間、実家から荷物が届きました。

せっかく屋根の雪下ろししたのに、この一週間でまた元どおりくらい積もっている。
日曜日は家の周りの一週間分の除雪作業。
案の定、3時間ぶっ通し。
その後、父の甘酒で体と心を温めて、近くの温泉に行く。

除雪作業で腰が疲れたから、湯船に浸かりながら、うつ伏せの格好になって、湯船のヘリに腕を組んで、腕に顔を乗せて、腰を浮かせました。
「もっしもっしカメよ、カメさんよ〜」
知らぬ間に、この歌を口ずさんでいる自分に驚きました。

 

実家の隣町の下諏訪、上諏訪は温泉の宝庫のようなところでして。
大の温泉好きの両親は、僕が子供の頃、ほぼ毎週温泉に行ってました。僕も一緒に。
その時、父はいつもこの格好になって、僕を背中に乗せて、
「もっしもっしカメよ、カメさんよ〜…」
と音痴にもかかわらず歌いながら、ユラユラしてくれたものでした。

そんなことを思い出しながら、僕も口ずさむ。
「せっかいでいっちばん おまえほど〜、あっしの〜おっそい〜、もっのはない〜 ど〜してそんなにおそいのか〜」

急に涙が出てきました。

「俺に出来ることは甘酒送るくらいしかないから。」なんて言うなよ。
思い出す父の背中は、いまでもあの大きなままなんだもん。

結局いつのまにか、父と同じような自営で職人の道を歩み始めた僕は、あの真っ黒になった手や、油の匂いのする背中に励まされたことか。

涙を隠すように、頭まで湯船の中に沈めました。

「そんなこと言われたら、世界一美味しい甘酒の作り方、聞けねぇじゃねぇか。」

それ以来、僕は父に甘酒の作り方を聞けないでいる。

 

 

以前の父の作った甘酒についてのブログも併せてお読みください。


『それはふるさとの味だった』

父に甘酒の作り方を聞けない理由はこういうことでした。