夢を叶える人たち 〜 パート1 | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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夢を叶える人たち 〜 パート1

夢ってこんなふうに叶うんだ。と実感する出来事が立て続けに起きていることに驚いています。

『旅する木の家プロジェクト』が進行中です。
今、設計を詰めていて、いよいよ来月から工事が始まります。

【夢へのプロローグ①】

20数年前、旭川で家具の修行時代、小さな工房で働いていました。
その会社は9割が東京のショップのOEM(相手先ブランドの製造)が仕事のメインで、自社ブランドや、特注の仕事は1割あるかないかって感じだったんですね。
なので、7,8人いたスタッフの中で、一人の先輩を除いては、みんなで、そのOEMの商品を作っていたんです。

毎月毎月、同じような作品を作っているので、僕は3年目くらいで図面を見なくても寸法が頭に入っていて、ちょっと仕事に対して、面白味がなくなっていました。
それで、会社の中でただ一人、特注の仕事を担当していた先輩のポジションに付きたくて、密かに
「◯◯さん、会社辞めないかな?」
なんて思っていたんですね。

そんな僕の念力が通ったのかわかりませんが(笑)、その先輩は退社していきました。

さあ、来たぞ。俺の出番だ!
今いるスタッフの技術を考えると、
「俺だよな。俺しかいないよな。」
なんて思って期待していたのですが、なんと、そのポジションに付いたのは、僕の後輩だったんですね。
それはそれは悔しかったですね。

この会社に自分のポジションがないと思ったんですけど、その会社が好きだったし、ずっとここにいようと思っていたので、僕は揺るぎない自分のポジションを会社の中に作りたくて、その時。

「この会社に建築部門を作ろう!家を提案する家具屋にしよう!建築部門を俺が担当する!」
なんて、ただの平社員のくせに、勝手に決心し、独学で建築の勉強を始めたんです。

散々な結果だった模試を受けた日建学院(建築士を受ける人の塾みたいなもの)の人に言われました。
「未経験の人が、仕事しながら独学で二級建築士に合格しようなんて、地球がひっくり返っても無理!うち(日建学院)に入りなさい。」

地球をひっくり返してやろうじゃね〜か!

自分に決めました。
・1年間、飲み会に行かない。
・どんなに疲れていても、1分、1秒でもいいから、必ず1日一回、教科書を開く。

勉強しましたね〜。
パパっ子の3歳の娘が、勉強している僕と遊びたくて、いつも膝に乗ってくるので、仕事が終わった後、会社に残って、夜10時くらいまで毎日勉強をしました。

ちょうどその頃、社長が自宅を建てる計画があり、社長の知り合いで、東大の建築科を出て、札幌ドームの設計にも携わったという東京の建築家が、会社に出入りしていました。
たまたま、僕が勉強をしている夜に会社に来て、社長が紹介してくれたので、挨拶したんですね。
そしたらその人が
「二級建築士なんて、犬小屋しか建てられないよ。」
と言って笑ったんです。

今思うと、
「どうせだったら一級を取れば?」
という意味だったのかも知れない。と思いますが、いろんなものを犠牲にして真剣に勉強を続けていた僕には、そんな風に受け止める心の広さも余裕もなく、二人が帰った後、悔しくて、わんわん泣きましたね。

「建築士を取ったらこの会社を辞めよう。」
と決めました。

さらに猛勉強をして、なんと!合格したんですね。
大きな社会問題になった姉歯事件の、ちょうど前の年だったというのも、幸運でした。
姉歯事件の後から、建築士の資格はさらに難しくなったようなので。

 

【夢へのプロローグ②】〜まだプロローグですみません…

19年前。

建築の設計の仕事をしたくて、雑誌を見ていると、いい家を建てている工務店を発見。
募集もしてなかったのですが、想いを綴ったメールを出したところ、面接までこぎつけて、札幌の工務店に行きました。

恐れ多くも、僕は、
「建築の設計をしたい。」
と言ったのですが、工務店側は家具職人という経歴に興味があったようで、工務店の中の家具部門のレベルアップをして欲しい。と言われました。
同じグループに入り込めば、設計部門に行けるチャンスがあるかも知れないという期待を抱いて、その工務店に入りました。

家具部門は本意ではなかったものの、旭川での修行時代は、テーブルとか椅子とか、食器棚やサイドボードなど、置き家具しか作ってこなかったので、レベル、クオリティーが低いとはいえ、建築への取り付けを要する家具や、キッチンを作ったこと、そして建具部門も併設してあったので、いつもそこに出入りして、年配の建具職人さんたちに可愛がってもらい、建具の作り方を教わったことが、その後独立してからとても役に立ちました。

結局設計への道はないと判断した僕は、路頭に迷うのことになります。

この工務店の家具部門は、正直、旭川で修行した僕にとっては、レベルダウン。しかも、向上心のある若い人は誰もおらず、定年を待つ年寄り職人ばかりなもので、ここにいても自分の人生にとって意味がない。

困ってしまいましたね。

そもそも独立する気などなかった僕は、独立するしかない状況に追い込まれ、ようやくここで、独立を決心したんですね。

札幌に出てきて1年だったので、お金もない、場所もない、人脈もない、仕事をくれる人もいない、そもそもどうやって仕事を取るかわからない、家族はいる…。

こんな状況が旅する木の始まりなんです。

今から18年前。

 

あ〜、なんだか夢の実現へのプロローグでこんなに長くなってしまいました。
本題はこれからなのですが…(笑)。

 

ひとまずここで一旦休憩に入りましょう(笑)。

 

ああ、なんだかPart1だけ読むと、
僕はこんな風に夢を叶えてきたんですよ。なんていうプチ自慢に感じるかも知れませんが、そういうことを書きたいわけじゃないんです。

夢が叶う時って、こんな風に、こんなあっさり、こんな早く叶うんだ。
これって神様がやることで、そこに自分が入る余地などないなあ。
ということを感じて、そのことを書こうと思ってます。

 

『旅する木の家プロジェクト』
【夢を叶える人たち 〜 パート2】

来週にはアップします。
夢が叶うスピードが格段に速くなっていきます!

乞うご期待!

 

本題に入れなかったので、上の写真が関係ないものになってしまった…(笑)。。