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夢を叶える人たち 〜 パート2
『夢を叶える人たち』 前回の続きを書きますね。
そんな感じで、あまりに無計画で、無謀で、上手くいく当てのない船出をした旅する木ですが、船を出してしまえばもう漕ぐしかないじゃないですか。
一旦建築のことは置いておくというか、それどころじゃないというか…
目の前のやることを必死でやっていたのですが、面白いことに、昔掲げた夢というのは、僕が忘れても、この世界は忘れてないんですね。
独立してから、不安を少しでも和らげようという気持ちからなんでしょうね。
当時、まるで仕事がなかったこともあり、精神世界(スピリチュアル)の本ばかり読んでいたのですが、その中で、”フォトン”という言葉が出てきます。
僕たちの体も含め、全ての物質を構成しているのは、素粒子なんですけど、その素粒子の中で、人の”思い”とか、”願い”といったものも、”フォトン”という素粒子からできているんだそうです。(できているというか、感情そのものがフォトン)
素粒子には寿命があるのですが、唯一、フォトンには寿命がないんだそうです。永遠に残り続ける。
なので、僕たちが思い描いた夢は、僕たちが忘れていても、この世界に存在しているんですって。
ビックリですよね。
でも、誰もがそう言われてみたら確かに!という経験をしてるんじゃないかな?
僕も思い当たる節があります。
学生時代、脚本家になりたかった僕は、作品を書いてはコンペに出していました。
そして倉本聰氏の主宰する『富良野塾』に入りたかったんですね。
でも就職を前に、親の反対にあって、自分でも一歩踏み出す勇気がなくて、当たり前のように諦めました。
ところが幼い頃から人前で演じるのが好きで、劇団に入り、舞台の上に立っている幼い娘の姿を見ていたら、また書きたいなぁ。と思って、娘の中学3年生の誕生日にサプライズで作品をプレゼントしたんですね。
高校生になった娘が、SNSで呼びかけて人を集め、自分の劇団を作ってその作品の公演をしたんです。
その後4作品を描いて、コロナ前までに、7公演をしました。
自分が脚本を書いた作品が舞台で公演される。
20年も前に諦めた夢が、こんなふうに叶ってしまうんです。
「脚本家になりたい!」 と願ったフォトンが存在し続けたんだと思います。
ちなみに1作品だけ、YouTubeで公開してます。
『葦船』という、世界太古、人類の最初の船の話です。
実話を元にした、とても不思議で神秘的で、美しいお話です。
葦船の精 を演じているのが娘です。
よかったらご覧ください。
話がそれちゃいましたね。
建築の話に戻しましょう。
たまに思い出しては、建築をやっていきたいなあ。という思いはあったのですが、そのまま特に行動には至っていませんでした。僕の気持ちとしては、車椅子の方に重心を置いていたので。
建築は車椅子が落ち着いた後、いつかやっていけたらいいなあ。って感じでした。
旅する木のダイニングセットを使ってくれている坪田夫妻とはプライベートでも親しくさえてもらっていて、2〜3ヶ月に一度のペースで、持ち寄りの食事会をしているメンバーの一人なんです。
この食事会のメンバーは、ちょうど子育て世代で、一組のご家族(高橋さん)は、かなり古くからの旅する木のファンでいてくれて、新築の家に旅する木のキッチンを製作させてもらいました。
ちょうど家を建てた人、建てたい人、その世代だったためか、家の話になることが多く、僕もついつい調子に乗って、
「一応僕、建築士の資格、持ってるんだよね。修行時代…」
なんて前回のブログで書いたような内容を、お酒が入っていることもあり、格好つけて語ってしまうわけです(恥)。。
すると、
「え〜?須田さん、建築設計もできるの?」
なんていう会話になって、
気心の知れている、親しい集まりですし、まさか本気にする人もいないだろうし。なんて思い、
「まあ、やろうと思えば出来るよ。家は人が入る家具だから。」
なんて馬鹿げた理屈を並べて、カッコつけてしまうわけです。
まさか本気にする人なんていないと思った上での発言だったのですが…
このメンバーの中に、本気にした人がいたんです(笑)。
そう、坪田夫妻。
「本気で須田さんに家の設計をお願いしたい。」っと。
「え?!…あ、いや〜、その〜、あれは〜」
でも、本気のお願いを聞いて僕も、坪田夫妻にふさわしい、素朴で、本物の素材で、豊で楽しい暮らしに寄り添うような家を作りたい。と思って引き受けました。
引き受けたと言っても、経験もないことができるわけないので、
「誰かサポートしてくれる人と出会いたいよね。知り合いの建築家は何人かいるけど、坪田家の家を、すでに事務所を構えている建築家に頼むのって、なんか違うよね。その人の色になってしまう。なんかみんなで作り上げていきたいよね。」
と話し合いを重ねながら、僕が好きな建築家の本を買って眺めたり、建築を志していた時に気になってた家を、坪田夫婦と見に行ったりしていました。
その時、僕たちがどんな人と出会いたいと思っていたかというと。
・建築設計をしていて、それなりの経験がある30代〜40代の人
・独立したいと思っているけど、一歩踏み出すことができないでいる人
・会社に所属しているけど、その会社の方向性と自分の目指す方向性が違くて、悶々としている人
・方向性というのは、建主と、仕事という枠を超えた近い距離で、素朴で、本物の素材で、豊で楽しい暮らしに寄り添うような家を作りたいという思いのある人
・今回はその人にとっても、将来へのかけがえのない経験という意味合いを込めて、無償でやってくれる人
こんな無謀な、あまりに狭き門の条件を掲げて、
「そんな人と出会わないかな?」
なんて坪田夫婦と話しながら、気に入った家の見学ツアーをし始めていた1ヶ月後、工房に、フラッとある男性(Oさん)がやってきました。
普通に見に来たお客さんだと思い、対応していたところ、なんかとても家具に興味を持っていたので、せっかくなら作業場も案内しようと体育館を案内すると、体育館の木造の断面集成材の構造に驚いて、
「すごいですね。この建物。自分、建築の仕事をしていまして。」
と言って来たんです。
「来た〜!!!」
と思いながらも、どんな人かわからないし、どんな建築をしているのか?方向性が同じなのか?など、様子を伺いながら質問をしたんです。
「今、どこの会社で働いているですか?」
「〇〇です。」
驚きました。
「え?ちょうど今、キッチンを依頼されて設計しているお客様の新築の家を建てる会社が〇〇ですよ。」
蓋を開けてみると、たまたま同じ名前の会社だったんですけど、お互い興奮しました。
そして
「好きな建築家とかはいるんですか?」
「中村好文さんです。」
「え〜?!僕も好文さんの建築が好きなんです。実は昨日、好文さんの本、買ってきて見ていたんです。」
もう意気投合ですよね。
「実は今、こういう話が進んでいまして…」
と坪田家の家のこと、僕のこと、上の条件を話して、「興味があったらメールください。」と言ってOさんと別れました。
すぐにOさんから連絡が来ました。
「その条件、自分にピッタリです。やらしてください。」
早速坪田夫婦と食事会をセッティングして顔合わせしたのですが、もう会ってすぐに意気投合して、信頼し合い、本格的な建築設計が始まりました。
もうすでに何回も打ち合わせをしていて、建築設計は大詰めの段階なのですが、上記の条件の全てを満たしているどころか、その実力は想像を超えていて、逆に無償で申し訳ない。と思ってしまう程。
Oさんが独立した時には、僕は、旅する木は精一杯協力しようと思いますし、Oさんが自分の思いを表現したい建築ができる環境を、旅する木が整えられたらな。と思っています。
奇跡のような物語がもう一つ。
うちのスタッフのくどけんと、建樹(たつき)は、中学、高校の同級生で、一番の仲良しなんです。
中学の頃からくどけんは
「家具職人になりたい。」
建樹は
「大工になりたい。」
と夢を語り合っていたそうです。
↑ 建樹 ←名前からして、大工になるべくしてなったような男(笑)
建樹の大工としての仕事に向かう姿勢は本当に素晴らしくて、たまに旅する木に遊びに来るので、僕も可愛いと思っています。
まだ24歳なのですが、ついこの間、建樹は大工として独立したんですね。(独立といっても、前の会社から仕事をもらう感じ)
それでこの前、お祝いをするため、ちょっと高級なお店で、3人で食事をしました。
その時、
「いつか『旅する木の家』を建樹が大工として建てる。もちろん、内装は全て旅する木、くどけんが製作する。なんて日が来たら楽しいよなぁ。夢だよなぁ。」
と話したんです。
その二日後に、坪田さんは施工する工務店(地元の辻野建設)と契約しました。
辻野さんとの会話の中で、
「大工なんだけど、ベテランの棟梁の相方が事情があって辞めちゃったんだよね。だから一人見つけないといけないんだよ。」っと。
建樹しかいない!と思って、樹に連絡すると、
「やりたいけど、すでに次の仕事が決まってしまっていて、無理だと思います。でも、一応聞いてみます。」とのこと。
さすがに急だもんな。難しいよなぁ。と思っていたところ、
「元請けの会社に電話したら、以前辞めた大工が戻って来ることになって、変わってくれることになったから、大丈夫になりました。」っと連絡が来ました。
かなり絶妙なタイミングだったそうです。
3人で ”いつか” って話した二日後ですからね〜。
ビックリです。
そんな感じで、旅する木の家作りは、坪田夫婦も、設計者も、大工も、そして僕も、旅する木も、それぞれの夢が、じょうごに吸い込まれるように1箇所に集まって来るという、本当に不思議な感じで始まろうとしています。
僕は思うんです。
なにがすごいって、一番すごいのは坪田夫婦。
僕が坪田さんの立場だったら、
①.先ずは僕に家の設計を頼まない。
→だって、何千万円もする家を、未経験の家具屋の親父に頼まないでしょ!
②.ふっと連れてこられた設計士に設計を頼まない。
→どんな建築を設計するのかわからないですから。
③24歳の独立したての大工に頼むのをよしとしない。
→不安ですよね?ベテランの大工にやってほしいでしょ。普通。
坪田夫婦の姿勢がすごいんです。
「僕たちにとって、この家は未来へ繋がる家なんです。だから、この家は、それぞれがそれぞれの夢へ挑戦している人たちが集まって、その人たちの未来に繋がる家作りになって欲しいんです。」
ちなみに坪田さんご主人、拓郎くん30歳、奥様、くりのちゃん29歳。
須田修司、53歳、恥ずかしいったらありゃしない。
この坪田夫婦の思いのフォトンが、20年以上前、僕が修行時代に放って、そのまま世界を彷徨っていた『建築を提案する家具屋をやりたい!』という思いのフォトンと共鳴して、グンっと成長して、その思いをこの世界で実現するという力(意志)を持ったんだと思います。
いったん力を持つと、もうどんどん吸い込まれるようにそのフォトンに共鳴するフォトンが集まってくる。集まるための妨げになる外部の力(状況)はもはや力を失う。
僕らの目にはフォトンの動きは見えないけれど、この世界に投影される現実を通して見ることができる。
僕らはそれを”奇跡”と呼ぶけど、実は重力と同じくらい、自然の法則なのかもしれない。
僕らが”神様”と呼んでいるのは、もしかしたら、この自然の法則のことなのかも知れない。
先週、『夢を叶える人たち 〜 パート1』のブログを書いている時には、
夢が叶う時って、こんな風に、こんなあっさり、こんな早く叶うんだ。
これって神様がやることで、そこに自分が入る余地などないなあ。
と思っていて、ブログもそのような締め括りにしようと思って書き始めたんですね。
でも、今はちょっと違う。
なぜかというと、今週、こんな言葉に出会ったから。
『人生は創造であって、発見ではない』
奇跡を奇跡と思ってるうちは、人生は発見で、望んだ方向にも、望まない方向にも、いずれにしてもその発見したものに振り回されている。
思い描いた夢が、確実にそうなると知っている人。
そういう人が ”人生を創造している” 人なんだろうなぁ。と思います。
だって、僕が家具を設計している時、完成することを知ってますもん。
そしてお客様に喜んでもらえることも知ってますもん。
家具については、自分はそういう存在なんだということを知ってますもん。
だから想像していた家具は形になって、喜んでもらえる。
人生についても同じなんでしょうね。
夢を描いた自分を信頼すること。それがそのような人生を創造する。
坪田さんの家、『旅する木の家』作りには、人生を創造する人たち、夢を叶える人たちが集まっている。
だから、どんな素晴らしい家が建つのか、本当に楽しみなんです。