『四杯目のお茶』の答えは? | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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『四杯目のお茶』の答えは?

『四杯目のお茶』の答えは?

暑いですね。札幌は一昨日、観測史上、最高気温だったそう。
なんと140年で最も暑い日だったそうです。

日中ずっとハアハア言ってる犬たちが可哀想なので、まだかろうじて涼しい、5時台に散歩しています。

そして

今、蔦屋にいます。

このうだるよな暑さの中、今、『旅する木の家作り』が進んでいて、めちゃくちゃ忙しいので、スタッフはびっしょり汗をかきながら、加工をしている。

そんな時ですが、50代の僕にとって、この暑さの中での作業はキツイ。
「悪いけど今日は涼しいところでブログを書かせてくれ。体が保たない。」
というと、スタッフたちは、快く許してくれる。
ありがたいことです。

それで朝から蔦屋の中にあるスタバで、一番大きいサイズのココアを頼んで、このブログを書いています。

旅する木には今、24歳のくどけん、そして21歳のゆうやという若いスタッフがいます。そして来年、20歳の女性を採用することにしました。

 

①.素直
②.一緒にいたいと思える
③.怒ることができる

旅する木で働きたい。と言ってきてくれる人に対して、これが僕が採用する条件です。
そして、それは僕も相手にそう思ってもらいたいと思っていることでもあります。まあ、スタッフに③を求めるのは無理だと思いますが(笑)、言いたいことは言える関係でありたいと思っています。

上の条件の中で特に①。
伸びるか伸びないか、そしてどこまで伸びるか?は、素直さと比例していると思っています。

 

”素直”について、前回のブログに引き続き、石田三成の逸話になります。

お寺の小僧であった石田三成が豊臣秀吉に仕えることになったきっかけ、『三杯のお茶』の話は有名ですよね。

鷹狩の途中、秀吉が近くのお寺に立ち寄って、お茶を求めます。
最初は大きなお椀にぬるいお茶が出てきます。
秀吉がもう一杯頼むと、次は中ぐらいのお椀に一杯めよりやや熱いお茶、さらに頼むと、小さなお椀に熱いお茶が出てきます。

喉の渇き具合に合わせた絶妙な心配りに、秀吉が「誰がこのお茶を用意したのか?」と尋ねます。

それがこのお寺の小僧である石田三成だと知ると、その才能を気に入った秀吉は、自分に仕えるよう勧めた。という話。

 

実はこの話、抜け落ちている大事なところがあったんです。

秀吉は三成に四杯目のお茶を求めたんです。

 

皆さん、どうしますか?

僕なら…

さらに熱いお茶を出す?
いや、最初に戻って、ぬるいお茶…

ん〜、どっちかわからないから、ドンピシャか、真逆か、一か八かの掛けに出て、どっちかのお茶を出す。ですかね〜?

 

三成も四杯目の答えがわからなかったんです。
そこで三成は 「どのようなお茶をお望みですか?」と尋ねたんだそう。

そこで秀吉は言います。
「お主は見所があるから、家に来い。」

続けて、

「小賢しいだけなら誘いはしなかった。」

 

秀吉が三成に求めた『四杯目のお茶』の答えは何だったのでしょうね?

世間に伝わっている『三杯のお茶』の逸話が本当だとしたら、

「小賢しいだけなら誘いはしなかった。」

三成は家来として誘われることはなかったはず。

 

 

今工房に、15年前、まだ一人でやっていた頃に僕が製作したテーブルが結構反ってしまって、直して欲しいと依頼を受けて送ってもらったテーブルの天板があります。
反ってしまった木を元に戻すために知っている知識、技術を出し惜しみすることなく試してみました。

最初の対策は、片側だけ空気に触れるように1週間、床置きしてみた。

ダメだった。

二番目の対策は、強引に反対に反らせるように、3日間、ハタガネで矯正してみた。

ダメだった。

三番目の対策は、馬(簡易的な台のようなもの)に乗せて、1ヶ月、戻る向きに重石を置いてみた。

ダメだった。

どの対策も、少しは戻るのですが、許容範囲までには治らなくて、そのままになっています。

 

家具作りの中で木を選ぶ時、もちろん、木を見ます。
木目がどうとか、色合いがどうとか、節が、白太が、割れが、重い、軽い、木裏(きうら)、木表(きおもて)…
木のいろんなことを見て、考えられる木の知識のすべて考えて、使うか使わないか、使う場所、使う順番などを決めていきます。

そんな風に木を見て、選んで加工を進めていくのですが、ふと思うんです。
「ああ、同じように木に見られている。」っと。

僕が木を見ている時、同じように木も僕を見るんですね。
「私を加工するお前は、どんな人間か?」

 

どんなに木を見て、特徴を確かめたとしても、木の心まではわからない。(まだその域まで達してない…)
木は生き物なので、心があるんです。
心があることはわかる。
でも、僕は木の心が解らない。

 

この天板がなぜ僕の予想より反ったのか?
製作してからの15年の間、どう思っていたのか?
15年ぶりに僕のところに帰ってきて、今、何を思っているのか?

このブログを書いていて、ふと、そんなことを思いました。

 

夕方になって、少しだけ気温が下がってきました。
この後工房に戻って、あの反り上がった天板に素直に聞いてみよう。

手の内は全部さらけ出した。考えられるすべてのことはやった。

 

「君の反りを直すためのアイデアは、俺にはもうないよ。どうしたらいい?」

 

果たして『四杯目のお茶』の答えは?