人間が置き去りにしたもの | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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人間が置き去りにしたもの

あけましておめでとうございます。

昨日はスタッフみんなで北海道神宮にお参りに行って御祈祷をしてもらい、今日から仕事始めです。

今年の旅する木の目標は、ズバリ!

な〜んて、今年も旅する木は目標を立てません。経営戦略も経営方針も特にない。
名付けて『無計画による行き当たりばったり経営』

願いはただ一つ。
お客さんもスタッフも僕も、楽しくて、嬉しくて、満足満足な一年になりますように。

そうなるために計画、方針、戦略があるんじゃないの!

ってことなんでしょうが、僕が計画だの、戦略だの考えたところで、その効果たるや、誤差くらいなものなので、数年前にそういうのはスパッとやめました(笑)。

僕にとって『旅する木』は、それはもう崇高な存在で、もはや僕が方針だの、方向性だのとやかく口を出すものではないんですね。
神様が旅する木に与えた、使命というのか、世の中に対して果たすべきことを、僕はただただ必死に、一生懸命、全身全霊でやるだけなんです。
スタッフにも、そのように伝えています。

なので、僕自身が、今年、旅する木はどうなるんだろう?
何をするんだろう?
どんな出会いがあるんだろう?
っと、一番楽しみにしています。

そんな旅する木なので、どうぞみなさんが旅する木に使命を与えてください。
それを僕らは、誠心誠意取り組んでいこうという覚悟と心づもりはできています。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

っと、こんな感じで、旅する木の方針や、方向性は、天にお任せなのですが…
生意気にも、地球に対してや、人類に対しては、こうなって欲しい。こういう方向性で行ったらいいのにな。などと思うところがあるわけであります(笑)。

先日、購読している新聞の中に、とても感動した記事を見つけたので、そのことを書きますね。
ゾウの話。

ケニヤで干ばつが続き、水場や森が干からびてしまった年があったんだそう。
40キロ程離れた地域から、2000頭のゾウが、まだ少し水や森が残っている地域へ移動してきました。
ゾウは普段、家族単位で行動するのですが、生きるのが困難な状態になると、群れをつくる。年寄りのゾウは生きる知恵を知っているから、年寄りのゾウを頼って、集まってくるんですね。

この事態を知った自然保護グループの中で、意見が割れます。

一つのグループは
「2000頭ものゾウがやってきたら、森は1週間ほどで食い潰され、滅んでしまう。その前にゾウの数を減らして森を守ろう。」
というもの。

そしてもう一つのグループは
「全体の自然を守ることは大事だけど、だからといって、人間がゾウを殺してもいいことにはならない。」

 

ゾウは人間と同じくらいの寿命を持ち、人間と同じように、家族や仲間の”死”を悲しむ豊な感情をもっています。
僕もYouTubeで見たのですが、母親ゾウが死んで動かない子供を、何日も鼻で抱えて移動しているのです。
見ていると、涙が出ます。

 

密猟で親を殺された孤児のゾウを育てて野生に戻す活動をしている人は、
「目の前でお母さんゾウが殺された子供は、その哀しみと心の傷から、生きる気力を失ってしまう。それがいくら自然保護のためだとしても、残された小ゾウは大きな心の傷を負ったまま成長します。それが後ほど、どれほどの影響を及ぼすのか計り知れない。」
と言って猛反対します。

 

結局間引きが行われないまま2000頭のゾウは森にやって来て、植物の草や根、木の葉、果実を食べ始めました。

やがて森は食い尽くされ、消滅…

したのでしょうか?

 

人間だったらどうしますかね?
その森を強い者、賢い者、先見の明がある者が独占し、余った分を高額で売るのでしょうか。
需要と供給が資本主義の原理原則なのだから、それはこの資本主義の世界では悪いことではない。

または、こぞってその土地を奪い合う戦争になるのかも知れませんね。そうして、強い者が独占する。

 

ゾウたちはどうしたと思いますか?

 

森に入った数日後、リーダーの年寄りのゾウは突然食べるのを止めて、森を出て行きます。他のゾウたちも、その後に続いて森から出て行きます。

巨体のゾウが生きるためには、たくさんの食糧が必要です。森から離れたことで、食糧を充分に食べることができなくなったゾウたちは、やがて飢えて死んでいきます。

まず死んだのが、一番年寄りのゾウ。続いて弱っている年寄りのゾウや赤ちゃんのゾウ。そうしてその一帯にゾウの死体の山ができました。
若いゾウだけが生き残ります。

干ばつは二年続いて、次の年、ケニヤにものすごい量の雨が降りました。
すると、その大量のゾウの死体がある場所から、たくさんの木の芽が一斉に芽吹きました。

そう、ゾウのお腹の中には、たくさんの植物の種が入っていたんですね。
ゾウはそれを抱えて別の場所に運び、そこで死を迎え、土に還り、肥えた土になり、新しい芽が芽生えたんです。

やがてここは豊な森になっていく。

 

どう思いますか?

 

僕が一番気になったことは。
ゾウたちが森を食べ尽くさなかったこと。

森を食べ尽くして、食べるものがなくなって、食べ物を探しさまよって、やがて飢えて死んでいって、そこに雨が降って、木の芽が芽生えたんだとしたら。
「まあ、地球の循環として、上手くできているよな。」
で終わっているんです。

でも、ゾウたちは森を食べ尽くさずに森から離れ、飢えて死んでいく。
そのことで、元の森は自身で再生し、新たな場所に新しい森が生まれ、自分たちの子孫たち、その他の生き物も、その恵を受けることを知っているのではないだろうか。
僕はそんな風に思うのです。

ゾウたちは、この地球、いや、地球なんて大きなものとして見ていないとして、ただ単に、この自分たちが生きる大地を、過去から預かって、より豊にして未来に渡すものだと知っているのではないだろうか。

さらには、命そのものも、大きな循環として永遠なものだと知っていて、”死”を受け入れて、命を次に渡していくものだということを知っているのではないだろうか。

それでいて、命を軽んじたり、蔑ろにするわけでなく、仲間や家族を慈しみ、その死を悲しむ豊な感情を持っている。

 

もしかしたら僕ら人間は、文明や、科学の発展と引き換えに、大切なものを置き去りにして、忘れかけているのかも知れない。
そして、人間が置き去りにした叡智を、動物たちは受け継いで、教えてくれている。
それは、今、人類が抱えている多くの問題を解決するための根っこになる叡智、思想なんじゃないかな。
この記事を読んで、そんなことを思いました。

 

21世紀に入って四半世紀。
置き去りにした思想を取り戻し、科学との両輪のバランスが取れた時、人類は大きな飛躍をするんだと思います。

今は混沌としているけど、その時は間もなくやってくるような気がします。
2024年が、そんな時代の幕開けの年になればいいな。と思います。

 

そんな時代が間もなくやってくることを信じて、じゃあ、僕らはどんな生き方をすればいいのだろう。

悠久の時の流れの中で、命(魂)は、このいっとき、この一瞬、自分が預かっているもので、より素晴らしく、より美しくして、次の世代に譲り渡していくもの。

神様から、僕ら人間だけに与えられた、想像する能力、そして創造する能力を、そのために使う時、人間は初めて、持っている無限の能力を、最大限に発揮できるのではないかと思うのです。

 

いつもいつも、こんなことを考えながら、日々を暮らしていくことは難しいけど、何かの節目だったり、大事な決断をする時なんかに、こんなことを思い出して、自分を振り返ってみたいな。と思います。

長くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願い致します。