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『魔法のことば』 〜 世界はただ、そういうふうになっていたのだ
ずっと、ずっと大昔
人と動物がともに この世にすんでいたとき
なりたいとおもえば 人が 動物になれたし
動物が 人にもなれた。
だから ときには 人だったり、ときには 動物だったり
たがいに 区別はなかったのだ。
そして みんなが おなじことばを しゃべっていた。
そのとき ことばは、みな魔法のことばで、
人の頭は、ふしぎな力をもっていた。
ぐうぜん 口をついてでたことばが
ふしぎな結果をおこすことがあった。
ことばは きゅうに生命をもちだし
人が のぞんだことが ほんとにおこった
したいことを、ただ 口にだしていえばよかった。
なぜ そんなことができたのか
だれにも 説明できなかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。
〜〜〜『魔法のことば』 金関寿夫 訳 〜〜〜
エスキモーの人たちに伝わる神話です。
16年前、旅する木を創業して3年目を迎えた時、札幌の紀伊國屋で個展をしました。
その時、ポスターを作ったのですが、そのポスターにこの詩の一節を載せました。
あのポスター、探したんだけど、無くしてしまいました。
いいポスターだったんだけどなぁ。
今思い返すと、その頃から僕は”言葉”に何か特別な思いがあったんですね。
”言葉”の持つ力を信じていたというか。
だから、その時の個展のために製作した作品には全部、『ありがとう』という言葉を埋め込みました。
実はこのブログで表現する言葉、文章に対しても思いが強くて、大体一つのブログを書くのに、最低3日、かかる時には10日とか、それ以上かかることもあるんですね。
なので、なかなか更新できない…
な〜んて、言い訳です(笑)。。
年末、旅する木で新しいプロジェクトを始動しました。
その名も
【旅森プロジェクト】
ちょこっと説明をさせて下さい。
SNSに載せたそのままですが。
よかったら、SNSで、旅する木をフォローして下さい。
ブログよりも頻繁に、スタッフがその日の旅する木を投稿しています。
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旅する木のスタッフが新事業を立ち上げます。
スタッフの中でそれぞれチームを組んで、自分たちのやりたい事業(木に関すること)を軌道に乗せるよう取り組んでいきます。
その事業が収益を生むようになったら、旅する木の給料とは別に、その事業の収益から自分たちの報酬が発生するというものです。
スタッフの仕事のやり甲斐、創作意欲の向上と満足、収入アップを目指して提案しました。
基本的に僕は、お金は出すけど口は出さないというスタンスでいます。そもそも僕自身、経営がなんたるものか、軌道に乗せる方法など、わかっていないので。
それぞれのグループの事業が育って、やがて『旅する木』が『旅する森』になっていってくれたら嬉しいという想いを込めて『旅森プロジェクト』と名付けました。
僕としては、このプロジェクトはスタッフだけに限定したものではなく、旅する木となにかやりたい!楽しそう!木製品でこんなアイデアある!っという方も巻き込んでやっていけたらいいなぁっと思っています。もちろん、真剣に。
興味ある方いたら、声かけてください。
旅森プロジェクト、さて、どうなっていくんだろう
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『旅森』で、工藤、美月、紬(息子)のチームが古材を使ったクラフトを検討しています。
北海道で古材を活かして、昔の技術の継承と新しいデザイン、価値を構築している建設会社に、武部建設(岩見沢)という会社があります。
武部建設の家は、木が好きなお客さんが好む家なので、旅する木とお客さんの層が被り、武部建設施工で、旅する木のキッチンや家具が入っている家がいくつかあります。その都度、「武部建設の大工の腕はすごいなあ」と感心させられます。
先日、古材利用チームから、
「武部建設の社長に会いに行って、古材を分けてもらえないか、相談に行きたい」と言われました。
古材には”時間”という僕らの手では生み出すことのできない価値が含まれているので、簡単には分けれもらえないだろうと思いながら、久しぶりに会うといつも、熱い思いを語る武部社長と、うちのスタッフが会話をするというのは、きっと何か特別なものを感じて、刺激をもらえるだろうっと思い、武部さんに連絡をして、スタッフの話を聞いてもらうことになりました。
もちろん、このプロジェクトに僕は口を挟まないので、3人だけで行きました。
当日の夜、かなり感銘を受けたようで、ちょっと興奮気味で帰って来ました。
3人は口々に
「すごかった!」
「武部社長の古材に対する思いを伝えてもらって、感動した」
「古材が綺麗に解体され、綺麗に保管されていてすごかった」
などなど。
そこで僕はいつもの口癖を言います。
「きちんと言葉にして。感情は時間とともに消えてしまうから。」
春、みんなで帯広で開催された星野道夫展を見に行った時も、NHKのプロジェクトXで薬師寺再建を見た時も、仕事で失敗した時も、好きな本、ドラマ、映画に出会った時も、それを見て、体験して、どう思ったのか、何を感じたのかを、「きちんと言葉にしよう」といつも言っています。
彼らとの雑談の中でこんな会話になることがあります。
「今までで奇跡的な体験したことある?」
「シンクロ体験は?」
「好きなアーティストの歌詞の中で、『これはやられた!』っていうフレーズは?」
などなど。
そんな時、彼らは決まって言うんです。
「ん〜、なんだっけ?あるんだけど思い出せない」
生きて来た年月の長さ、経験の量が違うとはいえ、結構僕は次々と出てくるんですね。
僕は毎日、3種類の日記をつけています。
一つはその日の出来事を綴るもの。
もう一つは、良いことにも、そうでないことにも、何か心動かされたことや、気づいたことがあった時、何を思って、どう感じているか、自分の心の中を素直に記するもの。
三つ目は日常の中で、些細な幸せを感じたこととか、感謝することを箇条書きにするもの。
誰に見せるわけでも、後で見返すわけでもないのですが、こんな風に言葉にすると、記憶に残るんですよね。そうして何かの時に、その時の感情を取り出すことができる。
そしてなにより、その感情を感じている自分を、もう1人の冷静な自分が見つめて、嬉しい感情は一緒に喜んで、悲しみとか、怒りとか、憎しみなどの感情は、ほんの少し、和らげることができるんです。
古材チームの話。
せっかく武部社長と話をして、感動して、心の奥の方の、何か大切な部分が揺さぶられた気持ちになっているのに、それをきちんと言葉にしないと、明日には今の高揚感が半分になって、明後日にはほとんど消えてしまう。
明後日まで残ればまだマシで、帰りの運転中、ちょっと強引な割り込みでもされたら、家に帰って家族に文句の一つでも言われたら、すぐに吹き飛んでしまう。
人の感情なんて、それほど繊細で、曖昧で、脆いものなんですよね。
でも、だから人は生きていけるのですが。
武部建設から帰って来てすぐは、感じたことを言葉にできなかった彼らですが、新人の美月は、武部社長と話た内容と、それを聞いて感じたこと、綺麗に並べられた古材を見て感じたことをレポート用紙に書き出したところ、どんどんと思い出したり、自分が感じていたことを発見したりして、夜の2時くらいまで、気がついたらレポート用紙5枚にもなってしまいましたっと、次の日に見せてくれました。
その場にいなかった僕も、そのレポートを読んだら、まるで一緒にいたかのようにその時の雰囲気を感じることができました。
きちんと言葉にしたことで、今までとは違う思いが生まれたようで、その後の3人の旅森での打ち合わせの会話を聞いていると、美月がリーダーシップをとっている場面が見受けられて、微笑ましく見ています。
文頭のエスキモーの神話
創業して間もない、初めての個展のポスターにこの言葉を載せようと思ったあの頃の僕の切実な願いはきっと、
『これからもずっと旅する木を続けられますよに』
というものだったんだろうなっと思います。
来年、旅する木は20周年を迎えます。
軌道に乗ったなんて思ったことは一度もない。
だからいつも年の瀬に、その年の最後のブログを書いている時、
『今年も一年、旅する木をやれてよかった』っと、ほっとしている。
窓から見える、積もった雪で枝が垂れ下がっているトドマツのしなやかさに励まされる。
今、外はサラサラと雪が振っている。
気温が冷え込んでいるので、雪は一つ一つが結晶のまま、ゆっくりと静かにダンスをしながら舞っている感じ。
空を見上げたら、僕が夜空にゆっくりと吸い込まれていくよう。
そして叫びたくなる。
それは応援してくださるお客様に対してなのか、はたまた自分に対してなのか、それともこの世界になのか。
何に対してなのかよくわからないけど、叫びたくなる。
『ありがとう〜!』っと。
『ことばは きゅうに生命をもちだし
人が のぞんだことが ほんとにおこった
したいことを、ただ 口にだしていえばよかった。
世界はただ、そういうふうになっていたのだ。』
今年も、ありがとうございました。
来年、皆様にとっても、僕にとっても、旅する木にとっても、『ありがとう』で溢れる一年でありますように。