”人が生きている” ということ | 札幌のオーダー家具・オーダーキッチンなら家具工房【旅する木】

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”人が生きている” ということ

今、僕の机の上には、星野道夫のカレンダーが飾ってあります。
このカレンダーは、友達のOの奥様が送ってくれたもの。
Oの奥様とは面識がないどころか、Oとも、学生の時以来、30年以上も会っていない。

旅する木は、毎年、年末に一年のお礼を兼ねて、ハガキを送っています。年賀状ならぬ、年末状ですかね。
ついでと言ってはなんですが、友達や知り合いにも同じく年末状を送っています。
そして、Oは律儀に、毎年年賀状を送り返してくれます。

ところが、今年のお正月、Oから年賀状が届きませんでした。
多くの人が年賀状を止める傾向にあるので、ああ、そうしたんだなっと思って、気にも留めてなかったのですが、年が明けてしばらくして、Oの奥様からハガキが届きました。
そして、年末にOが、くも膜下出血で急逝したということを知りました。
Oは僕の一つ上です。

 

Oとは、学生時代、北海道を旅していた頃、宿で出会いました。
お互い一人旅で、年も近いこともあって、すぐに仲良くなって、よく一緒に北海道を旅したものでした。

『才色兼備』は女性に対する言葉なんですね。
調べたら、同じような意味で、男性に対する言葉は、『眉目秀麗』「びもくしゅうれい」というんですね。
まさしくOは『眉目秀麗』な人でした。

有名大学の学生で、ハンサムで、頭の回転も速く、努力家でもあり、それでいてユーモアもあり、周りへの気配りもできて、「ああ、東京にはこういう人がいるんだ」っと田舎者の僕は、憧れの気持ちを持っていたものです。

北海道の安い宿で、Oとは毎晩お酒を飲みながら、僕は夢だとか、人生だとか、生きることの意味だとか、そんなことをお酒の力も借りて、誇張して話すのですが、Oは、そのような見栄を張ったり、大げさなことを言ったりはせず、いつも冷静に、出来ないことは言わない代わりに、言葉にしたことは必ず実行するというタイプでした。

奥様の言葉を借りれば、「真っ直ぐな人」
そう、Oは「真っ直ぐな人」でした。
そして僕にとっては「厳しい人」でもありました。

 

たいした目的もなく、得意科目と偏差値だけで選んだ大学での勉強に興味を持てなくて、日々悶々としていた頃に見た、倉本聰脚本の『ライスカレー』というドラマに触発されて、「よし!カナダにログハウスを建てに行こう!」と思っていました。
その話をOにしたところ、たまたまOも、ドラマ『ライスカレー』が好きで見ていたので、大いに話が盛り上がり、Oは僕の夢を応援してくれました。

そして次の年、大学を1年休学して、単身、カナダに行きます。
この時の話は機会があったらしますね。(過去のブログで何度か触れています)

バックパッカーをしようと思っていたわけではないのですが、僕の想いとはうらはらに、なかなかログハウスの仕事にはつけず、カナダ北部の田舎街を、グレイハウンズのバスに乗って、次の街へ、そして次の街へ…と放浪するという、ただひたすら辛い8ヶ月で、とうとう冬になり、特に何をしたわけでもなく、日本に帰ってきました。

他の人からは「頑張ったよ」とか、「大変だったね」と慰められたりして、僕も、なんとなく気持ちの折り合いをつけていたのですが、Oは、真っ直ぐに言葉をぶつけてきました。

もっと頑張ろうと思えば頑張れたのに、それをしなかった自分を見透かされているようで、その後ろめたさもあったし、お互い就職したため、それからは会わなくなりました。

それからは、上記で説明したように、年末状だけのやり取りだったので、Oのことを思い出すのは、年末状を送る時、そして年賀状が届いた時だけになっていました。
それでもその度に、
「いつか会うことがあるとしたら、褒めてもらえるだろか?そういう自分でありたい」なんて思っていました。
そして
「Oのように、言いづらい厳しいことも、その人の成長を願うならば、きちんと伝える人でありたい」とも。

 

Oの奥様から届いたハガキに、
「『旅をする木』を大切にしていました。須田さんが紹介してくださったのですね」
と書かれていました。

 

僕が星野道夫著『旅をする木』に出会ったのはオリンパスに就職してからなので、Oに『旅をする木』を紹介していないんです。なので、Oが『旅をする木』を大切にしていたということを知って、とても驚きました。
そしてその瞬間、僕が初めて『旅をする木』を読んだ時、ある登場人物のところで、Oとのことを想った箇所があったことを思い出しました。

どういう文章だったのか、ちゃんと思い出したくて、もう何回読んだかわからないボロボロの『旅をする木』を読み返しました。
最初は飛ばし読みで、目的の箇所だけを探していたのですが、なかなか見つからなくて、結局最初から読むことにしました。

読んでいる時、ふと思ったんですね。
誤解される表現になるかも知れませんが、思っていたことをそのまま書きます。

 

Oとはもう30年会っていない。そして毎日の生活で、Oのことを思い出すことはほとんどない。だから、今、Oが肉体として存在していても、していなくても、僕にとっては、大きな違いはない。
でも、お互いの知らないところで、偶然、一冊の本に出会って、お互いにそれを大切にしていて、そして僕は今、かつてOのことを想った一説を探して、その本を読み返している。

”人が生きている” ということは、そういうことなんじゃないだろうかっと。

その時、涙が出てきました。

 

『旅をする木』はアラスカで星野さんが出会った人や動物、土地との、かけがえのない豊かな時間を切り取った短編集です。
そして本の中盤に差し掛かったところで、その一説を見つけました。
ブッシュパイロットのドン・ロスのことを、星野さんが表現しているところ。

 

『かつてアメリカ空軍の優れたパイロットであった彼の過去は、ボヘミアンのように生きる今の姿から想像することは難しい。なぜその地位を捨て、アラスカの原野を飛ぶ一介のブッシュ・パイロットになったのか、ぼくはあまり知らない。(中略)
ぼくはドンが好きだった。どこか、ひとつの人生を降りてしまった者がもつ、ある優しさがあった』

 

20数年前、この一説を読んだ時、Oのことを想ったんですね。
Oとドンが重なったわけではないんです。
ただ、時が流れてお互いにひとつ、人生のステージを降りた時、僕らはきっと、ドンになれるんじゃないかと。そしてその時、いろんな話をしよう。っと。

 

その願いは叶わなかったけど、どうしてもなにかOに伝えたくて…
いや、Oのことを想う時間を共有したくて、Oの奥様に手紙を書きました。
その返事の手紙と一緒に、Oと奥様が住んでいる千葉県で開かれた星野道夫展で購入されたカレンダーを同封してくれました。

手紙に、
「重力から解放されて、自由に空を飛んでいると思います。気が向いたら話しかけてみてください。きっと飛んできて隣に座って聴いてくれると思います」
と書かれていました。

 

来月、帯広で星野道夫展が開催されます。
何度も見た写真と、何度も読んだ文章が並んでいるんだろうと思います。

でも、今回のその写真と文章は、きっと、ぼくとOの、会わなかった30年を繋いでくれるんだろう。

 

Oは優しく語りかけてくれるだろうか。

いや、あの頃からOは優しかった。