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決して間違えない人ってどんな人?
今年の夏も暑いですね。
でも、北海道は今のところ、朝夕は涼しいんですよ。
ちょうど仕事終わりくらいに夕日が沈みかけるので、慌てて外に出て、
「もうちょっと待って〜!」なんて言いながら、自転車で夕日を見るのに良いポイントにダッシュします。
↑↑↑ 本当はもっと良いビューポイントがあるんだけど、間に合わなかった時の写真
半袖の腕にあたる涼しい風が心地良くて、普段、鬱陶しいと思っているカラスの鳴き声さえも、「夕陽とカラスは合うねえ」なんて独り言を言ってしまう。
先日、なんとなくSNSを見ていたら、こんな動画が流れてきました。
アインシュタインが大学の授業中、黒板に数式を書きながら、言った。
9×1=9
9×2=18
…
そして
9×10=91
と言った時、生徒たちは間違いに気づいて、大笑いした。
笑いが収まった後、アインシュタインはゆっくりと話し始める。
「私が9つの正解をしたことを、誰も褒めなかった。しかし、たった一つの間違いに対して、笑い始めた。人は良いところよりも、間違いを見つけては指摘してくる。」
中略
「しかし世の中には決して間違えない人がいる。それは…」
続きは文末で着地させようと思います。
ブログに書こう、書こうと思いながら、3週間前の話になってしまいました。
6月末に『削ろう会』という、鉋の大会があって、僕は初めて参加しました。
削ろう会で上位の成績を収める人は、5ミクロン以下のカンナ屑を出します。
仕事ではそこまで薄いカンナ屑を出す必要がないので、今まで興味がなかったのですが、ここ数年、製作から離れて、打ち合わせ、デザイン、図面、HPなどの仕事がメインの僕は、道具箱の中で眠っている鉋が可哀想だなっと思い、ふと、「削ろう会に参加してみよう!」っと思いたって、その勢いのまま申込みました。
約2ヶ月、仕事の後や週末、練習したのですが、結果は散々たるものでした。
ほんと、ある程度は知っていたのですが、削ろう会に参加する人たちの、想像以上の変態さ(良い意味でのマニアックさ)に驚かされました。
僕と同じ作業台で向かい合わせで削っていた大工のYさんは、全国の削ろう会でも良い成績を収めるような実力者だったので、その人の出す、生糸のようなカンナ屑に感動したり、色々話したり、教えてもらったりして、削ろう会という大会をとっても楽しみました。
旅する木のスタッフたちや、木工仲間も駆けつけれくれたお陰で、多分、参加者の中で、僕が一番楽しんでいたのではないかと思います。
楽しんだのは間違いないです。
でもですね…
鉋に興味がある人や、大工さんたちの間では、旅する木が天板を鉋で仕上げているということは結構知られていて、僕が削ろう会に参加することは、すでにちょっと話題になっていたようなんです。
削ろう会に参加する人たちのレベルの高さというか、ぶっちゃけていうと、異常なほどのこだわりを僕は知っていたので、とても太刀打ちできるものではないと解っていました。ほぼドベだろうっと。
それなのに、会場に行くと、何人もの知っている人、知らない人までもが僕に声をかけてくるんです。
「旅する木の須田さんですよね。やっと出てくれましたね。鉋、見せてください」なんて。
想像してみてください。
勝手に虚像のようなものを作られて、どれだけのものなのだ?なんて期待されたり、興味本位で見られている僕を。中には好意的な目で見ていない人だっているでしょう。
この状況を知っている何人かの知り合いに言われました。
「須田さん、メンタル強いですね。俺だったら絶対に出ない」っと。
いや〜、僕も解ってましたよ。最初から。
僕が削ろう会に参会したとして、失うものはあっても、得することは何もないって。
思わず、城を思い出しましたもん。
おっと、いきなり『城』と言っても解らないですよね。
サッカーの城彰二選手。
1997年、日本サッカー代表が初めてワールドカップ(フランス大会)に出場することになった時。
最終予選、日本対イラン戦。
延長にもつれ込んで、どちらか点を取った瞬間にワールドカップ出場が決まるという試合で、中田のミドルシュートをキーパーが弾いたこぼれ球を、岡野が押し込んで、日本が悲願のワールドカップ初出場を決めました。
日本中がお祭り騒ぎになって、ワールドカップでもベスト8にはいくんじゃないか?奇跡の優勝?なんて国民も、マスコミも過剰な期待をして浮かれていました。僕も期待して見ていましたね。
結果は予選全敗。一点も取れなかったフォワードの城は、空港で卵を投げつけられました。
おいおい、サッカー日本代表と同じ土俵で語るな!っと言われそうですが、削ろう会に参加しよう!っと決めた時、当時の日本代表の選手の気分だったんです。
「いやいや、世界のレベルはこんなもんじゃないって…。こっちとら、初出場だよ」っと。
メンタルが強いわけではないんです。
ただ、20年前に買ったまま、使ってあげていない鉋を使ってあげたかった。使ってもらって喜んでいる鉋を想像したら、僕が笑われることなんて、大した問題ではないなっと思ったんですね。
実際、削ろう会に向けて練習している時、楽しかったし、削ろう会の最中も楽しかったし、鉋のスペシャリストのYさんとも親しくなれたし、誰かが笑っていたとしても、それはそれでいいやっと思えています。
僕は、決めていることがあります。
『その時の気分をしっかりと味あう』
削ろう会の参加者は50〜60人くらいいるし、一人一人、厳密な審査があるわけではないので、納得する鉋クズが出せなかったら、検査に提出しなくたって、わかりはしないんです。
でも、僕は恥ずかしいカンナ屑を規定の3本、提出しました。提出した鉋屑は掲示板に飾られます。名前とともに。
中には、旅する木の須田さんの鉋屑、どれだろうっと探す人もいるだろう。
恥をかく時は、しっかり恥をかく。
そして、きちんと恥をかけた自分を誇らしく褒めてあげる。
僕はネガティブな感情を悪いこととは思っていないんです。積極的にネガティブの場面に出くわしたいとは思いませんが、やむを得ず、ネガティブな気持ちになる出来事に遭遇したならば、そのネガティブな状況と気分をしっかりと味わって、それをポジティブに変換する。
このギャップが大きければ大きいほど、人生のステージが上がると思っているので、ネガティブ大歓迎!とまでは思えませんが、
「まあ、しょうがない。どうせだったらしっかり味わって、ステージ、上がっちゃいますか」っと思うようにしています。
恥をかけた自分を褒めることができるのは、次の二つの条件を満たしている必要があると思っています。
一つは、『挑戦すること』
もう一つは、『その過程において自分が納得する努力をすること』
今回の削ろう会参加に対して、上の二つの条件を自分としてはクリアしていると思っているので、堂々と恥ずかしい鉋屑を提出した自分に対して、
「さすがです。カッコいいです」っと褒めることができました。
そして削ろう会の前と後で、なんかステージが変わった感じがしています。
もともと僕は、自己肯定感が高くないんです。むしろ低い方だと思っています。でも、削ろう会の後、自己肯定感がグンっと上がったような感じがして、毎日、なんだか気分が良い。新しい自分に生まれ変わったみたいだ。
そして、削ろう会で上位を狙う若者達や、僕の向かいで生糸のような鉋屑を出していたYさんが、僕のことを笑うことなく、
「近いうちに旅する木で、鉋の練習会をやろう!」っと言ってくれています。
本当に嬉しくて、ありがたいです。
こんなことを思っていたところに、上記のアインシュタインの動画が流れて来たんですね。
そして、続く言葉に心打たれました。
『…しかし世の中には決して間違えない人がいる。それはなにも挑戦しなかった人だ。』
『批判されたときは、自分の素晴らしさを思い出してほしい。』
『もし批判を避けたいなら、何も言わず、何もせず、何者にもならなければいい』
『でも、そんな人生に意味があるだろうか』
『夢を持ち、前に進む人だけが間違えたり、批判されたりする。それは挑戦している証でもある』
もし今、何かに挑戦することを躊躇っているとしたら、
”不安”を全力で楽しんでみたらどうだろう?
もし上手くいかなかったら、
”悔しい”を全力で楽しんでみたらどうだろう?
もし挫折したら、
”悲しい”を全力で楽しんでみたらどうだろう?
もしみっともない姿をさらしたら
”恥ずかしい”を全力で楽しんでみたらどうだろう?
挑戦した内容については思うような結果が得られなかったとしても、きっと、新しいステージに上がった、新しい自分に出会うことはできるはずだ。
そして、それこそが、人生における”目的”であり、”成功”なんだと思う。
僕は、そんな人をとてもカッコいいと思う。
そして、僕自身もそうでありたい。
旅する木は8月中ばを目指して、工房内に木の器やキッチン小物のショップをオープンしようと今、販売する木の器の製作と、素敵で可愛い店舗の製作をしています。
触れたら優しい気持ちになれる器で、毎日のご飯を食べてもらえたら嬉しい。
ショップがひと段落したら、工房の一つの教室を建築のモデルルームにしようと思っています。そして、家具屋が造る家『旅する木の家』へと展開していきたい。
遊び心が散りばめられた家で、毎日をワクワク心豊かに暮らしてもらえたら嬉しい。
(志のある設計士と出会いたい。待ってます!)
次は『折りたたみ式の木の車椅子』の開発。最終的には、『美しい木の電動車椅子』まで行きたい。
触って気持ちいい、乗って心地よい、外に出て、人に見せたくなる(社会と関わりたくなる)ような気持ちになってもらえたら嬉しい。
行列になって待ってくれている『風鈴ちりり』のお客さんや、木が好き、もの作りが好きな人が楽しめるワークショップをやりたい。
自分が作ったものを使ったり、飾ったりする喜びを感じてもらえたら嬉しい。
僕も旅する木も、自分の”嬉しい”に、挑戦して、その過程で体験するいろんな感情を、全力で楽しんでみようと思います。
ネガティブな感情すらも楽しめたら、人生、怖いもの無し!ですね。
そこから見える風景は、どんなものなんだろう。